担任がやたらくっついてくるんだが……   作:ローリング・ビートル

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お見舞い

「大丈夫よ。もうすぐだから……」

「ゆっくり休んでね」

「私は……………………だから」

「おやすみ…………ん」

 

 何度か声が降ってきて、その後に柔らかな温もりが頬に触れた気がした。

 ふわふわした感覚に支配されたこの場所は、きっと甘い夢の中なんだろうと思う。

 甘い何かが敷きつめられていて、その中から一つだけほんのり苦い箇所を探すような、不思議な夢。

 その夢の中で、僕は再び意識を手放した。

 

 *******

 

「…………夕方、か」

 

 あの後のことははっきり覚えていないけれど、とりあえず僕は早退し、その翌日も学校を休み、今に至る。

 ベッドからむくりと起き上がると、体がだいぶ楽になっていることに気づく。これなら明日は問題なく登校できそうだ。

 

「祐一~」

 

 大きく伸びをしていると、母さんがノックと共に部屋に入ってきた。これじゃあノックの意味がない。てか思春期男子の息子の部屋に入るのだから、最大限気を遣って欲しい。

 

「あら、起きてるわね。具合はどう?」

「……一応、もうそろそろ大丈夫っぽい」

「そう、じゃあよかった。アンタにお客さんが来てるよ」

「え……!?」

「いや、どんだけ驚いてるのよ。はい、先生どうぞ」

「……こんにちは」

 

 母さんの背後から、ひょっこり顔を出したのは、なんと森原先生だった。クラスメートが家に来るとは思えないので、まったくの予想外というわけではないのだが、いざこうしていきなり登場されると、どうしようもなく驚いてしまう。

 

「ふふっ、よかったじゃないの。美人な先生にお見舞いに来てもらえて。それじゃ、ごゆっくり~」

 

 母さんは先生に頭を下げ、こちらにひらひら手を振り、階段を降りていった。お、おい、放置ですか。まだ少しテンパり気味なんだけど……。

 あたふたしていると、先生は遠慮がちな瞳をこちらに向けてきた。

 

「あの……入っても大丈夫かしら?」

「あ、はいっ、ど、どうぞ……」

 

 本当なら小一時間かけて整理整頓したいところだが、忙しい先生がわざわざ来てくれたのだから、そんなことをしている場合じゃない。

 先生は部屋に足を踏み入れ、ドアを閉めると、ベッド脇にちょこんと座り、いつものように顔を覗き込んできた。

 

「…………」

「…………」

 

 …………な、なんか、気まずい!しかし、先生の漆黒な瞳は、お構いなしに僕をじっと捉えたまま停止していた。

 そんなにじっと見られても、何も出てこないし、どうすればいいかわからないんですけど……。

 このまま沈黙が続いたら、どうにかなってしまいそうだったので、僕から口を開くことにした。

 

「えっと……わざわざありがとうございます……先生、忙しいのに」

「平気よ。今日はもうやることもなかったし。家が近いから」

「あ、ああ、そうですね」

 

 最近知った事実であり、ちょっとした……いや、かなりの謎。

 未だに現実味がないが、先生はうちの真向かいの家に住んでいるらしい。

 しかし、何故気づかなかったのか。

 いつから住んでいるかは知らないけど、真向かいさんなら、一回くらい見かけていてもよさそうなんだが……。

 すると、先生の視線がやけに落ち着かないのに気づいた。

 

「…………」

「どうかしたんですか?」

「いえ、何でもないわ……」

 

 なんかめっちゃキョロキョロしてるんですけど!?

 いや、落ち着け浅野祐一。別に見つかって困る物は……あるけど、しっかり隠してある。先生だって、いきなり生徒の部屋を漁ったりはしないだろうし……。

 

「ねえ、浅野君……」

「……は、はい」

「君はこういう女性が好みなの?」

「はい?」

 

 先生が掲げて見せたのは、僕の秘蔵本第三号だった。

 表紙には、茶髪で胸が大きいギャルっぽい女の人が写っていて、誘うような挑発的な視線をこちらに向けている。

 あまりにベタなシチュエーションに、僕は自分の顔が紅くなるのを感じた。

 

「な、何でそれを!?」

「ベッドの下からはみ出していたわ」

「あ、えと……すいません!」

「どうして謝るの?」

「いや、その……何というか……」

「それと、まだ私の質問に答えてないわ」

「え?」

「君は、こういう女性が好みなの?」

 

 先生がさらに顔を近づけてくる。真っ直ぐに澄んだ双眸が、今度は僕の心を捉えた。

 その視線には、これまでとはどこか違う感情が含まれている気がした。先生の淡い薄紅色の唇が、顔の近くにあるのに、何故かそれどころじゃない。

 自然と僕は口を開いていた。

 

「別に……そういうわけじゃ……いや、嫌いじゃないですけど、絶対にそういう感じの人と付き合いたいとかじゃなく……」

「……そう」

 

 先生はベッドの下に秘蔵本を戻した。これって一体どんなシチュエーションだよ。

 

「突然変なことを聞いてごめんなさい」

「…………いえ、大丈夫、です」

「お詫びにならないかもしれないけど……」

「せ、先生?…………」

 

 僕は言葉を失った。

 なんと……あの森原先生が……トレードマークの眼鏡を外していた。

 眼鏡を外した先生はやっぱりそのままでも美人で……でも、ほんのり頬を染めてるのが可愛らしくて……ていうか、何でいきなりめを外したのかわからなくて……

 

「き、君の知られたくないところを知ったから、私も、あまり見られたくないところを見せるわ……これで、おあいこ」

「おあいこ……ですか」

「そう、おあいこよ」

 

 そう言って、先生は再びスチャッと眼鏡をかけた。

 

「じゃあ、もう行くわね。お大事に」

「あ、はい……ありがとうございます」

「…………」

 

 ドアを閉める際に、先生が何か呟いた気がしたが、よく聞こえず、部屋には弛緩した空気が漂い、仄かに甘い香りも残っていた。

 夜、眠りにつくまでずっと、先生が初めて見せた素顔が頭の中に焼き付いて、胸が高鳴っていた。


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