担任がやたらくっついてくるんだが…… 作:ローリング・ビートル
コンビニを出ると、外はすっかり暗くなっていた。
茜色の空に微かに星がちらつきだし、あと一時間もしないうちに、すっかり夜の帳が下りてきそうだった。
頬を撫でる風のひんやりした感触に心地よく目を細めると、先生がこちらに目を向けていた。
「…………」
「あの、どうかしましたか?」
「何でもないわ。次の課題図書を考えていただけ」
「……え~と、まだ夏の課題図書が残ってるんですけど」
「ただ単純に年上推しじゃいけないわね。最近新井先生が不穏な動きを見せているし。もう少し眼鏡を推してみようかしら」
「…………」
眼鏡を推すって何だ!?
先生の課題図書を選ぶ基準に一抹の不安を感じたものの、それでも面白い小説を心のどこかで期待してしまう。
「そういえば、また少し成績上がってきたわね」
「あ、はい。現代文を中心に……」
「将来については考えてるの?」
「実はまだ……漠然と大学目指すくらいしか」
「そう……君は何か将来やりたいことはある?」
「やりたいこと……ですか」
あまり考えたことがないかもしれない。
周りと比べて遅いのかどうかはわからないが、はっきりと将来就きたい仕事などのイメージが湧かない。母さんからも「好きにしろ」と言われている。
……僕が本当にやりたいことって何なんだろう?
「誰か好きな人はいるの?」
「好きな人ですか。好きな人…………えっ?」
あまりに自然な流れで聞いてくるものだから、普通に考えてしまってた。ていうか、聞き間違いじゃない、よね?
先生の瞳は、心なしかさっきより真剣そうに見えた。きっと気のせいだろうけど。
「あ、あの、な、何故好きな人を……」
「……大事なことだからよ。他意はないわ」
「はあ……」
「他意はないわ」
「わ、わかりました」
先生がそこまで言うなら、間違いなく大事なことなんだろう。
しかし、好きな人か……。
灰色の高校生活を受け入れていた僕は、あまりそういう事は考えないようにしていた。
期待しなければ、ショックを受けることはないから。
しかし、最近は毎日楽しい、というか充実感がある。何がそんな気持ちにさせるのかは言うまでもなかった。
そして、それを与えてくれたのは……。
先生をちらりと盗み見ると、相変わらずの無表情で、何を考えているのかわからなかった。
間違いないのは、夜の闇に溶けてしまいそうな儚げな表情が、思わず見とれてしまうくらい綺麗なことだった……。
*******
み、見てる!
熱い眼差しで私を見てるわ!
どうしよう、どうしよう、告白されちゃったら……!
いえ、でもまだあと1年以上は教師と生徒、まだ色々と問題があるわ……。
でも、その後は……あ、危ない。頬が緩むところだったわ。
*******
「先生?」
「にゃに?」
時間が止まったかのような感覚。今、何?って言おうとして噛んだんだよね?そうだよね?
確かめようと目を向けると、先生は先程と変わらない無表情のままだった。あれ?僕の気のせいだったかな?
「先生、今……」
「夕陽が綺麗ね」
空に目を向けると、夕陽は既に沈んでいて、あまり見えなかった。どうやら先生は空の向こうを見通すくらいに視力がいいらしい。
じーっと見ていると、その唇が小さく動いた気がした。
「つい、噛んでしまったわ」
「なんか珍しいですね。先生のそういうと見たことなかったんで」
「そうかしら?私だってミスくらいはあるわ。あまりばれないだけで。それより、好きな人はいるのかしら?」
「…………」
忘れてくれたと思ったのに。
とはいえ、普段から散々お世話になっているのに、何も言わないのも申し訳ない。
僕は今考えていることをそのまま話し始めた。
「あの、今僕はそういうのが、あまりわからないんです……」
「……わからない?」
「はい。実は中学時代に女の子にフラれてから、あまりそういうことを考えないようにしてたと言いますか……逃げていまして」
「……そうだったのね。だから……」
先生は口元に指を当て、何事か呟いていた。だから、とか聞こえたけど何だろう?
それと同時に、そういえば先生が薦めてくれた小説の内容を思い出していた。
恋愛がよくわからないという主人公に対して、近所に住むお姉さんが、「だったら教えてあげる……」と迫っていた。べ、別に期待してるわけじゃありませんよ?
すると、先生がいきなり立ち止まった。
「浅野君」
「は、はい」
こちらに体ごと真っ直ぐに向き直った先生の表情は、さっきと同じ無表情でも、さっきとどこか違った。その眼差しには、優しさのようなものが滲み出ていた。
「だったら……」
「…………」
さっきのイメージを拙く辿るような口調に、どくんと胸が高鳴る。
レンズの向こうの瞳は、夜の海のような深さでこの時間を包み込んでいた。
そして、不思議なくらい周りは静かで……
「あら~?浅野君と森原先生じゃないですか~」
「え?」
「…………」
すべてをリセットするような、ふにゃっとした声。その声に対し、僕は驚きが声に出て、先生はやたら警戒を含んだ視線を向けている。
そこにいたのは、さっき別れたばかりの新井先生だった。