三月は、慌しく過ぎて行った。
終業式を終えた愛達は、帰って来るとすぐに引っ越し作業に追われていた。
艦娘達も、自分のお引越しの準備で大忙しである。
借りている大型トラックに荷物を積み込み始めている。
既に郷里家の荷物は積み込み終えて、あとは艦娘達と愛達の荷物だけだった。
そんな中、娯楽部の皆も手伝いに来ていた。
「寂しくなるね」
恵奈が、引越し作業中にぽつりと漏らす。
「そうだね」
ダンボールを仕舞いながら、愛も答える。
「ま、夏休みには東京で会おうって決めてるしさ!」
美雪が、元気付けるように明るく言う。
続けて杏子も、
「そうだよ、東京でも、ボイチャでもお話できるよ」
「そうですね」
更に真由も頷く。
「愛ちゃん、そろそろ挨拶回りしないと」
「そうよ、皆に挨拶回りに行きましょう」
健太と燿子がやって来ると、そんな娯楽部のカルテットに荷物を任せて、まずは港へと向かった。
港では、陸戦隊員達が日々の鍛錬を行っていた。
愛達三人がやって来るのを見つけると、小杉三佐が気づき、陸戦隊員達も揃ってやって来て敬礼する。
三人も、姿勢を正して答礼を行う。
「笹野一佐達は挨拶回りかい?」
「はい、本日が最終日ですから」
愛が答え、健太が一歩前に出ると、小杉三佐は手を差し出す。
「健太君も頑張ってやりなさい」
「小杉三佐の教えは、
その差し出された手を両手で握り返すと、陸戦隊員達からも「頑張れよ」だの「末永く幸せにやってけよ」だの、やんややんやの大騒ぎになる。
それを咳払い一つで収めると、小杉三佐は続ける。
「君達の年齢にしては、多くの血を流し過ぎた。それはきっと、何らかの形で人に貢献できる優しさに繋がる、と信じたい。人は、辛い思いをするとその分だけ優しくできる、と言われているからな」
『はいっ』
小杉三佐は続ける。
「土佐鎮守府でのいい思い出も悪い思い出も、大人になったら青春の一ページとなる。『俺』もそうだったからな」
「小杉三佐の青春時代はどんな思い出だったんですか?」
愛が問うてみると、小杉三佐は軽く肩を竦めた。
「俺の趣味は絵でね、元々あまり裕福ではない家庭に育ったから、美大は諦めざるを得なかった。そこで、防衛大学校に入りながらも、独学で絵を学んだんだ。……そうだ、忘れていた。ちょっと餞別を渡すから待っていてくれ」
そう言うと、小杉三佐は官舎へと走って行ってしまった。
戻って来ると、一冊のスケッチブックを差し出した。
「これを渡そうと思っていたが、何かと郷里一佐から引き継ぐことが多くてね、今日になってしまったよ。君達も、東京で予定外の滞在を強いられていたし」
「あり……がとうございます」
愛が受け取って開いてみると、そこには在りし日の歓迎会の光景や、皆の日常を描いたスケッチだった。
愛は段々と司令官の顔へとなって行き、そして母親の顔になって行ったのが判る。
そして健太も、段々男の顔になって行く成長記録になっている。
そこには、今はもう死んでしまった笠原や岩崎の姿も、記録されていた。
「…………」
「下手な絵で申し訳ないが、受け取ってもらいたい」
「はいっ、大事にしますね!」
「うむ、では俺は訓練に戻るよ。見送りには顔を出すがあっちでも元気でな」
「はいっ」
――――――――
続いてやって来たのは艦娘・女子寮である。
ロビーでは、暁と愉快な深海棲艦達がティータイムをしていた。
「お、司令官じゃん」
レ級がその姿に気づくと、暁と立ち上がって、空いているソファーに腰掛けさせる。
その間に、ジェニファーが急須でお茶を淹れる。
「司令官達は挨拶回りかしら?」
暁が再び腰掛けると、三人は頷いた。
「そうだ、司令官。土佐への留任許可ありがとうね」
暁が切り出した。
暁はレ級と恋仲であり、そしてレ級を一人にすると碌な事がないと判って、この土佐への留任を強く望んだのだった。
そこで愛は、大本営に連絡を取って、土佐鎮守府艦隊の秘書艦として残すように、交渉していたのだった。
大本営も、硫黄島事変の一件で大きな借りを作っている為、快諾しての人事となったのだった。
「レーちゃんと離れ離れになるのも可愛そうですし、最初からそのつもりでいました。硫黄島事変の一件で足立さんにお願いし易かったのもありますし、何よりレーちゃんだけだと何やらかすか……」
「あー、そうやってボクを問題児扱いする」
「実際問題児でしょうが」
愛の言葉に不満顔のレ級に、嗜めるように暁が口を挟むと、ジェニファーやル級達はどっと笑う。
更に不満顔になりながら、羊羹を頬張るレ級に愛は、
「まあまあ、機嫌を直して。暁と仲良くやってね?」
「そうよ、暁の言うことをきちんと聞くのよ?」
愛と燿子の言葉に、レ級は笑顔に戻る。
「うんうん、暁のいうことなら何でも聞いちゃう」
「もう、照れるじゃない」
今度は暁が顔を赤らめると、一同がどっと笑った。
ジェニファーが頃合いを見計らって、
「この鎮守府は、艦娘と深海棲艦の合同鎮守府になるわ。戦艦水鬼姉さんはいなくなってしまったけど、姉さんの代わりに皆でこの土佐の海を守って行くわ」
そう言って、ロビーに飾られた戦艦水鬼の肖像画を見上げると、全員の視線がそこに向かった。
小杉三佐に頼んで、描いてもらったものなのだ。
記録映像を元に描かれたそれは、彼女の遺影と言っても差し支えないものだった。
愛と健太と燿子は立ち上がると、
「これからも、皆を見守っていてください。戦艦水鬼さん」
数十秒続いた敬礼を解くと、再び腰掛ける。
その後は、女子会トークのノリで健太が只管誂われて、健太の顔が真っ赤になったのは言うまでもない。
――――――――
参謀長執務室にやって来ると、本日までは参謀長、そして四月からは土佐鎮守府司令官となる大塚二佐が執務をしていた。
「失礼します」
「司令官ですか、挨拶回りと言ったところですかな?」
「はい。大塚二佐には、いろいろとお世話になりました」
愛がそう言うと、「まあ掛けなさい」とソファーを勧める。
三人がソファーに腰掛けると、大塚二佐も立ち上がり、愛達の対面に腰掛ける。
「私は、愛ちゃん、君の引き立て役だったと思っている」
そう言うと、三人はその発言の意図を図りかねて首を傾げる。
「私が、この中学生提督の参謀長として赴任した時に、如何にして君の顔を立てながら職務を遂行するか考えていた。だが君は、努力と才能で私の予想以上のことをやってのけていた。異世界では、あの高菜提督に降参をさせるくらいに成長した。その努力を忘れないように、頑張ってやって行ってくれると嬉しい」
「はいっ。頑張ります!」
「よろしい。君達が土佐から離れると寂しくなるなぁ。私も岩崎、笠原と僚友を失ってしまったが、死んだ人間の為にしてやれることは、生きている人間が歩みを止めないことだ」
参謀長執務室に飾られている、室戸鎮守府時代の主だった戦死者と坂本や葵の遺影を見上げる。
「この鎮守府にも、四月には異動でやって来る人員もいる。君が守って来た海を、今度は私が守って行く番だ、と思っている。君には及ばないが、私も頑張ってみるとしよう」
「はい、またどこかで会いましょう」
――――――――
誰もいない司令官執務室にやって来た。
そして隣の司令官官舎に入ると、もう全てがなくなっていた。
娯楽部カルテットが、荷物の運び出しを終えていた。
「…………」
「春は別れの季節ね」
「そうだね」
三人が司令官執務室に戻ったところで、娯楽部カルテットが入って来る。
「荷物の積み込み終わったよ!もういつでも出発できる、って郷里夫妻が待ってるよ」
恵奈の言葉に、愛はニコッと笑顔を向けて、
「ありがとう」
と言って、軽く抱擁する。
それから美雪、真由、杏子にも軽く抱擁すると、皆で外へと出て行った。
「ちょっと先に行っていて」
愛は、司令官執務室に残った。
「今まで、お世話になりました」
そう言って、司令官デスクに振り返ると敬礼した。
外から燿子の、
「皆お見送りに集まってるわよ!」
と言う声で敬礼を解くと、その誰もいない執務室をあとにした。
完