りっちゃんは♥おとこのこ♥   作:bui

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第11話

「先生のコミックス発売のイベント企画要件書ですか?」

 

ささやかではあるけど担当作家を持つことになった律に、会議の移動の途中の廊下で、高野が新刊発行の記念のキャンペーン企画を書けと告げると、少しだけ首をかしげて考えるそぶりをしてからわかりましたと律は頷いた。

 

転職したての頃、がむしゃらに少女漫画を読んだことが功をそうしたのか、律はだいぶ漫画という文化にも、丸川書店にも慣れ、見知った顔が増えて、人脈からも仕事の幅を広げられている。

 

「少女マンガ部門の企画会議は再来週だ。それまでに書類を作成して他部署と調整までしとけよ。今回のプレゼンは社長がきっと顔を出すから。」

「社長が?こんな小さい会議に?」

「絶対来るとは限らないけど、先日お前の事聞かれて今度の企画のプレゼンには参加させるつもりだって言ったら行きたいと言っていた。お前社長の縁故入社だから気になるんだろう。」

「ああ、そういうことですか。失敗したら社長のメンツがつぶれるってことですね。」

 

律は苦笑したけどコネ入社の件は隠してないし、実際に井坂に頼って入社試験を受けさせてもらったのだからある意味でそれも当然だと納得していた。おそらく井坂の推薦がなければ採用選定の土俵には上がらせてもらえなかっただろう。

 

前職での律は、特別に自慢できるような実績も無かったから(大人気作家の宇佐美先生の担当だったけど、それもコネみたいなもんだった。)、小野寺出版と自社の社長の手前、丸川の人事も一旦は採用せざるを得なかっただろう。

 

しかしそうは言っても大手企業だ。会社人としてダメだったらさっさと見切りをつけるだろう事も理解していた。

 

結局これこそが本当の意味での入社試験のようなものなのかもしれないと、律は少しだけ背筋が緊張で強張る気がした。

 

「っで、残念な話をすると、今までの例で言えば、社長が出た場合はかなり突っ込まれたりダメ出しされる可能性がなくはない。」

「え??社長がそんなことまで口出しするんですか?」

「あの人面白がってひっかきまわしてくれるんだよ。しかも好みがジャスト丸川だから。要するに社長に好かれない手法は丸川的NGってことなんだよな。」

 

高野は過去の事例を思い出すように視線を少し遠い所にあわせて、鼻先に折った指を当てて笑う。しかしその顔はいつもの極悪面ではなくてちょっと楽しそうで、本当は困った出来事の筈なのに。いたずらを見て咎めず笑っている親のようだった。

 

「ある種のクレド(会社の心情)っていうやつかもな。こういう所に出すものは予め他部署と調整して完璧にしたモノの結果報告みたいな感じなんだけど、社長が出てきてダメ出しされたらどうにもならないからな。少し前に企画のタイトルがダサいってボツ喰らったのあったぞ。髪の毛の先まで気を配れってさ。」

 

高野が折った指をいよいよ我慢ならないとグーにして、苦笑する口元を押さえる。

 

その顔からはやはり咎める感じはぜずにむしろそれは当然という感じで、誰かに何かで突っ込まれてボツるような企画ならボツでいいだろうと直接には聞こえてこない心の声が聞こえた気がした。

 

まあ、それでも初めての企画がこんなでは参るなと、律もやや複雑な気持ちで高野のめずらしい笑顔を見ていた。

 

「俺もボツになったらどうしよう…。」

「まあ、途中で回答に詰まったりしたら差し戻しだろうな。で結果差し戻しってことになれば今回の企画はボツってことだ。社長の場合はな。間違っても誰かの助け舟なんて情けないこと期待するなよ。能無しのレッテル張られるぞ。」

「こわ!」

「あの人は怖いんだよ。利益を上げない社員に厳しいからな。ま、それでも俺は出来るサポートしてやるつもりだけどな。」

 

前を向いて喋っていた高野の顔がスッと目の前に降りてきて律の唇にスッとかするように触れた。それはキスというより親猫が子猫の顔を舐める時のようにも感じた。

 

「ここ会社ですよ…。」

「コンプライアンスに違反か?」

「それは…。」

「懲罰委員会、結構鬼畜らしいからな(笑)」

 

こんなところではこれ以上触れることはできない事は分かっていたし、少しも性的な感情を感じることのないキスだったのに、高野を感じたら急に自分の心臓が跳ねて身体の芯がジンっと重くなって律は息が詰まるような気がした。

 

一方の高野は、律の姿が珍しく少し自信なさげに見えて、会社だという事をうっかり失念してつい律に触れてしまった。触れた瞬間、近い過去でもっと奥深く触れ合ったことが湧いて触れなければ良かったと珍しく後悔が湧いた。

 

「今日メシ作ってくれる?」

 

お互いに黙り込んでしまって、高野より頭一つ小さい律のその表情は高野には見えない。しかし感じる雰囲気からは拒否というよりは困惑の気配が漏れていた。

 

「ご自宅でですか?」

「もちろん。」

「企画の指導をしてくださるなら…。」

「りょーかい。あま~いデザート期待している。」

 

肩に担いでいた書類でパツッと律の尻を叩くと、今度こそ律は怒った猫が逆毛を立てるように肩をいからせて「コンプライアンスへ行け!」と歯を向いて一鳴きしてからパタパタと高野から去って行った。ワイドパンツがはためいて、高野の目に揺れる残像をのこした。

 

 

 

 

 

 

 

 

律が自信なさげだったのは気のせいかもしれないし、ずぶの素人(新卒社員)でもないからと、高野はコアな説明は置いておいて一旦書式を提示してやることにした。

 

何もかも手取り足取りでは今後の仕事に対する自立の姿勢は育たない。

 

過去の部署のキャンペーン企画の一覧は閲覧自由領域のドライブに保存されているからそこを示しておけば参考にできる。

畑は少し違うとはいえ前の会社でもキャンペーンなどはやっていただろうし、販促の根っこは一緒だからそこはまだ指導する必要もないと踏んだのだ。

 

一応ドライブ内を検索したようで、律はノートパソコンに向かって唸ったあと実際のコミックスを持ってきたり過去のグッズを並べたりと一応あれこれと考えていたようだった。

 

少女小説は大人の文芸ほどには重々しくなく、販促は可愛い系が多かった。主に中高生向けになるからSNSを使ってキャンペーンを打つ事もあったけど、それでも漫画は小説とは勝手が違う。

 

小説では挿絵家のイラストと作家のSSで書店用のプレゼントを作ったり、作家のサイン会を開催しいたりした。漫画はキャラクターのイラストがメインだからグッズも作りやすくてやれることも多く迷ってしまう。

 

「サイン会とかいいな…、すごく華がある。」

 

ボツリとつぶやくと隣の席の先輩木佐が「準備も大変だけどすごくやりがいがあるよね」と気持ちの良いニコニコ顔で言う。過去楽しいサイン会を開催した記憶が浮かんでいるようで律にも楽しいわくわくが移るようだった。

 

小柄で可愛い系のイケメン先輩は律の良い相談役でいつもさりげなくサポートもしてくれる。一番年上なのに律にはごく普通に甘えられる先輩だった。

 

「サイン会だったらやっぱりマリモ本店ですかねぇ。」

「あ!え、そ、そうだね。あそこはいつもコラボとかもやってくれるし協力体制がある程度で来てるから、ははは。」

「ん?木佐さん顔が赤いですよ?風邪気味ですか?生姜湯飲みますか?」

 

急にソワソワと落ち着きを無くした木佐のおでこに手を当てて、律が熱を測る仕草をしたあと机の上の小ぶりのトートバッグの中に常備されている瓶詰を揺らしてそう聞くと「あ、ははは。ありがとう。じゃあ貰おうかな。」と木佐はバサバサと慌てて書類を繰る仕草をする。

 

木佐はマリモの事を聞いた瞬間、そこでバイトをしている恋人を思い出してしまって急に恥ずかしくなったから挙動不審に陥ったのだけど、律の作ってる生姜シロップはなかなか美味だから、ホットでもクールでも飲みたいのは決してごまかしではなかった。

 

「かの北大路魯山人には、陶磁研究者の小山富士夫を夏場に招いてジンジャーエールを作ってご馳走したという逸話があります。山盛りのフレッシュなすり生姜と氷砂糖、ビールを調理用のボールで作ったそうです。フレッシュなものは香りも味も良いですけどシロップも美味しいですよね。」

 

律はそう言うと椅子を立ち、笑ってもう一度瓶を揺らした。

 

 

 

 

 

 

 

「魯山人か…。」

 

仕事が終わってから高野の家に行って、律と高野は今一緒にキッチンに立っていた。

 

「先輩一時期魯山人関連の書物沢山読んでましたよね。」

「流行ってたんだよ、あの頃。鑑定団とかそういうの。」

 

律はカウンターの内側で佳境に入った夕食の準備のために忙しなく手を動かしていた。

今日のメニューはイサキと殻付きエビの塩焼き、タコといもの炊き合わせ。菊花のお浸し、銀杏とゆり根の入ったレンコンしんじょう汁だった。

 

「いもの皮って包丁使わないとは思わなかったな。」

「いもは金気を嫌いますからね。布巾でこそげれば充分です。出しを吸って美味しくできましたよ。」

 

雑談をしながらも律は塩を振ったイサキと殻付きのまま背を開いたエビに串をクイっと二本差し込んで、コンロの左右に立ててある煉瓦の上に渡すように乗せた。あらかじめコンロの上には水を張った魚焼きの網が乗っていて、いいように熱くなっていたのだ。

 

「平日でなければもっと凝った料理作れるんですけど、今日はこれで勘弁してください。」

「いや…、しんじょうを作るとこなんて初めて見た。」

「別に面倒なことないんですけどね。一緒に炊いた生麩もてまり柄で可愛いでしょ。」

 

しんじょうはすりおろしたレンコンを元に、荒く刻んだレンコンも入っていて、食感が楽しめるようになっていて、だしで含め煮にした毬麩もひたひたと味がしみて来ている。

 

「そうだ、夜だから魯山人のジンジャーエール飲もう。生姜もあるし。」

「ビールで?ジンジャーエールは通常はノンアルコールですけど…。」

 

葛でとろみをつけるためにレンコンじんじょうの入った薄い色の汁をかき回し始めたところだった律は、今日の木佐との話を聞いていたのかとちょっとびっくりして料理の手を止める。

高野は食事にはいつも酒を添える。あまり酒の得意ではない律は舐める程度にしか飲まないのだけど、料理に合った酒を飲むこと自体は嫌いではない。

 

そして、和風の料理にビールはあまり合わないと思っていたのだけど、ジンジャーエールにしたらさっぱりしていいかもしれないと味を思い浮かべていた。

 

「じゃあ先輩、生姜擦ってください。二人だから一欠けぐらいでいいかな。」

「あんまり入れすぎても辛いからな。でもビールはピルスナーだからラガーだな。」

「えー、言った端からそれですか!?」

「まあなんでもいいだろう、旨ければ。」

 

わざと不満げに口を尖らす律が「あと15分ぐらいで食べられますよ。早く擦ってください。」とおろし金と生姜をザっと指さしてそっけなく言うから、高野もはいはいと調子いい口調で返事を返した。調理自体には参加をしない高野だったけどこんなふうに何気に手伝いに駆り出さるのは楽しいことだった。

 

「コンロが4口あったらご飯もガスで炊くのに。食事のキモはやっぱりご飯ですからね。」

「こんな規模のマンションに何望んでんだ。三つ口でも上等だろ。」

「足りなければ持ち込みます。ガスか電気調理器。」

「スペースが足りんわ!」

 

ヤレヤレと呆れ顔の高野は生姜をすりながら煮つけの芋を一欠けつまみ食いする。それを見て律が少しだけ心配そうな顔をした。律自身の料理の経験値ははっきり言って自己流だ。特別にきちんと習った訳ではなく、たまにイベント的な料理教室に顔を出す程度だった。それゆえ万人に受ける料理という点では少し自信がないのだ。

 

「メインが塩焼きだからちょっと甘めにしたんですけど、里芋は甘すぎませんか?」

「いや、これぐらいでちょうどいい。」

 

いもをつまんだ指をチュっと舐めて高野がウンウンと軽く頷く。その顔は別に無理をしている風でもなかったからやっと律はホッとした気持ちになった。

 

「先輩の家白砂糖だから加減がちょっとわからなくて。」

「白じゃダメなのか?」

「白砂糖は精製されすぎています。色のある砂糖の方が味に厚みと拡がりがあるんですよ。くせも強くなりますけどね。だから普段はみりんを含めて混合して使っています。」

「そういう読み物は俺は読んでなかったな。それは10年間の知識か?」

「あ、え…っと…。」

 

あなたと別れたあとどうやって生きてきたかなんてあなたには想像もつかないだろう。10年間の事を言われると律はいつだってちょっと苦くなった。それは直接身体の中の心臓と肺のあたりを小さい手で強めに圧されるぐらいのレベルで、死ぬほどではないけどちょっと辛かった。

 

そうして、あなたこそどうやって今に至るのかって、それを想像しても気持ちが苦くなるのと同じだった。

 

 

 

 

 

 

「平日でなければって言ったけど、じゃあ週末も食事を作ってくれる?」

 

食事も中盤に入って、椀に口をつけて薬味と出しの香りごと中の汁を啜りながら高野が予定を口にする。

 

それは、平日は手の込んだ食事を作れないというならば週末はどうなのか、イコール週末も一緒に過ごそうということなのだ。

しかし律は顔に戸惑いを見せて、すこし間を開けてから「週末は予定があるのでだめです。」と言った。

 

「あ、そう。」

「ごめんなさい。」

「いや、別にいいんだ。土曜も日曜もか?」

「ええ…、」

 

妙に歯切れの悪い律の態度に疑念が残るものの用事となれば仕方がないと、さっさと高野は切り替えて仕事の話を始めた。

 

フェアーは、キャンペーンは、その時に誰にどうヘルプをたのむか、展開をどうするか、食後席を移した座卓でも酒を飲みながらそんな話を続けていると酒の酔いが回って来たのか、だんだんと律は言葉が少なくなって視線が揺れるようになった。

 

「律?」

「は…い?」

「眠い?」

「いえ…、なんでしたっけ…、すみません。

「企画の詰め方分かったか?」

「はい…、えっと…。」

「ダメだな、もう目に鳩が止まってる(笑)」

「鳩?って…。あ、帰らなきゃ…。」

「無理だろ、泊ってけ。」

「いえ…、お弁当が…、」

「ここで作ればいい。」

 

そんなやり取りの間にも律は益々眠りの中に引き込まれているようで、「ベッドへ?」と高野が誘うと、「いえ、お風呂にも入ってないし…。」と身体をユラユラと揺らしながら律が形ばかりの抵抗を試みる。

 

「そんなに酔っ払って無理だろう。」

「お化粧も落とさないと…、お風呂入りたい…、」

「じゃあ危ないから一緒に入る?」

「せんぱい…。(ぐう…。)

 

ということで半分寝てしまった律を抱えてまずは化粧を落とすことにした。

 

「律、こっち向いて。」

 

前回泊まった時に必要としていたものを高野はきちんと薬局で買っていて、その白いクリームを顔にぺたりと塗り付ける。ひんやりした感触が律の顔に触れ、ボワんとした目の律が寝ていた身体を少しだけ起こした。

 

「え…、せん…ぱい?」

「こっち向け。」

「やだ…、なんで…、」

「化粧落とすんだろ?」

「やだ!止めて!」

 

抵抗をする律をきつく押さえることはせずに高野はなだめるように背を何度も摩る。

 

「大丈夫だから。何にもヤなことはしないから。」

「やだやだ。先輩の前で素顔なんて…。やだ…、」

「可愛いから大丈夫だ、」

 

クリームがべたりとついた顔を隠すように、高野のシャツに押し付けながらむずがる律を尚も高野が「平気だから」「可愛いから」となだめる。

 

以前横澤に無理やりにはがされた化粧のことも、前回泊まった時にもなだめすかして長い時間かけて落とした化粧のことも、本当の理由は分からないながらも律にとってはかなり辛いことのようだった。

 

今日は酒がかなり入っているから、イヤイヤ期の幼児のような律は余計に扱いは難しく、しかし強引に事を進めれば以前のようにパニックになりそうで高野は用心を心掛けていた。

 

「やだ…、みっともない顔の俺なんて先輩は嫌いでしょ。」

「そんな事ない、律は可愛いから。」

「やだ…、」

 

なぜここまで素顔になることに拒否を示すのだろう。とは言っても化粧を取ってしまえばそれはそれで普通というか、むしろ素直な律を見せる。

化粧を剥ぐことが律にとって非常に辛いことなのだと分かるものの、理由がわからなければ結局どうしてやることもできない。

 

スリスリと顔をクリームで擦ったあと、ガーゼのハンカチで律の化粧をのっぺりと拭きとって、高野がツルンと律の服を脱がせる。

 

今日の服は知恵の輪や知育玩具のようにはややこしくは無かった。

 

ただ呆れるほどの数のハトメの中をバッテンに通った細い紐を外してみたけど、それはダミーでカギホックが別の場所についていたり、小さく掴みにくいくるみボタンを一つ一つ時間をかけて外したら、実は別の場所にファスナーがあったとか、多少のトラップはあった。

 

しかし高野は本気でヤル気(寝る気?)のない女子は、いくらでも脱がせにくい服を着ることが出来るのだと、ここ何回かの律の服で思い知らされていた。

 

今まで高野が服を脱がせた女子達が皆、スポンと呆気なく脱がせられるような服をわざと着ていたとは思えないが、少なくともそこに労力をかけさせるようなことは無かったから、本気で拒む意図で着ている服ならばそれもならなかっただろうと思えた。

 

今日はパンツスタイルだったから下着はレースでできたベビーイエローのベビードールランジェリーの上下で、さすがにそれをここで自分が取ったらずいぶん鬼畜なオトコであろうと、ここで律を揺り起こした。

 

「お風呂に行こう。」

 

ぐずぐずとしていた律を高野は半分抱えるように風呂場に連れて行き、律の望み通りすっきりさっぱりと湯を浴びて、首にしがみついて甘える律をまさに甘いデザートとして高野はベッドでいただいた。

 

 

 

 

 

「あ…。」

 

夜半、律は少しの寝苦しさで目を覚ました。

自分が酔っぱらっていた時のことはあまり覚えていない。

しかし自分の状態を見れば何があったかなど一目瞭然で、また大好きで死ぬほど憎らしい人に抱かれたのだと分かった。

 

目の前にはかつて直視することのできなかった涼し気な長い睫毛が伏せられていた。

 

好きなんだ…、何をどう贖おうとしてもこの人のことが好き…。

 

頬にかかる黒い髪を頬には触れないようにそっとかき上げて、いつも遠くから見ていた幼い頃の自分の記憶とその顔と照らし合わせる。

 

昔の俺…、もう忘れてもいい?くやしさとか辛さとか、全部忘れてただ好きだけ残していい?

 

 

「幻想を壊すなんて、もう忘れていい?」

 

好きの気持ちがあふれ出てもう止められないと、過去の自分に懺悔するように呟く。

 

高野の腕の中から少しだけ逃れて律が身体を起こすと、うつ伏せている高野の背の掛布がするりとずれた。

 

露わになった体躯はしっかりしているのに、肉付きの多くない高野の背には骨がくっきりと浮き上がっていて、丁度肩甲骨の窪みの所に二つ並んだほくろが見えた。

 

「三つあったらオリオン座…。」

 

背中のほくろなどきっと本人も知らないんだろう。そう思うと何だか自分だけの秘密のようですごくうれしくなって、律はするりとそのほくろを摩ってみる。

 

するとくすぐったかったのか高野がウンっと身体をよじって「やめろ…、横澤。」とつぶやいて律の手を払った。

 

 

 

 

随分涼しい季節になったけど、今までは寒さなど何も感じなかった。

 

だけど律は、いま凍えるほどの冷えを身の内から感じ、冬に向かうこの季節の事をハタと思いだした。

 

何度でも冷える。

 

気持ちはこうやってあっという間に熱を無くす。

 

それを再び思い知らされたような気がして、落ちかけた掛布を引き上げて律はベッドに身を沈めた。

 

 

 

「何を甘ったれたことを…、馬鹿か俺は…。」

 

 

 

律がため息と一緒に呟いたその言葉を聞く人はそこにはいなかった。

 

 

 

 

 

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