りっちゃんは♥おとこのこ♥   作:bui

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第15話

あの日から、律は女性の服を着ずに出社している。

 

元のレイヤーの入ったショートボブを襟足や耳のあたりを少し短く段をつけた男性用の髪型に変えて、素材のよさそうなプレッピースタイルの私服で出社していた。

 

実直だけど負けず嫌いで意地っ張り、皮肉に歯向かう律はなりを潜め、品のよいところだけ吐出した物静かな律がいる。仕事もそつなくこなすし、やれと言われたことは文句も言わずに丁寧にやっているがギャンギャンと吠え付く子犬がいないと何か物足りない。

 

ただ…、律が女装をしなくなってからはなんの問題も起こっていない。一見して何もかもが良いように動いているように感じる、というか、服装が本来の男性の姿に戻っただけで何かの騒ぎが起こるはずもなく、むしろそれは普通のことなので、騒ぎ立てるほうがどうにかしているとはわかっている…。

 

わかっているのになぜかエメ編は不思議な緊張に包まれていた。

 

「りっちゃんさあ、もう女の子の服は着ないの?」

 

切り込み隊長はいつだって木佐だ。皆が言いたくても言えない疑問をツルリと言ったからフロアーの面々は耳ダンボで静まり返った。

 

「もう必要なくなったので着ません。」

「必要なくなった?」

「ええ、もう大丈夫です。」

 

言葉のやり取りは全うなのに何か回答をはぐらかされたような、掴もうとして伸ばした手をふわりと引かれて軽くかわされたような、そんな不安定な着地に律は申し訳なさそうな微笑を見せた。

その低めの困ったようなテンションにそれ以上突っ込みを入れるのは小さい子をいじめる悪い大人のような気がした高野だったけど、木佐がそれ以上の突っ込みをやめたところを見ると同じように感じたかどうかまでは分からないが何か思うところがあったのだろうとは分かる。

 

含みのない律の笑顔は揶揄いや冗談を受け付けそうになく無垢だった。

 

 

 

 

 

週末には原画展とサイン会というその日は営業と書店との打ち合わせになっていた。

 

階が違うから横澤が男装の律を見たのははじめてだったのだろう。うわさにはなってなかったのかとやや怪しむ気持ちもしなくもないが、実物を見なければ実感がわかないもの無理はない。

エメ編に来た瞬間横澤が目を丸くしてからぐぐぐっと眉間の皺を深くしたのは仕方のないことなのかもしれない。

 

男装の(もともと男なのでこういう言い方も変だけど)律は正統派の美青年で、化粧していた時は女性と見まごう程だったからもちろんそれなりに地顔が良いことはわかっていたはずなのに、高野以外の部署のメンバーでさえも今まで化粧された律の顔しか見ていなかったから、他部署の女子がたまにホケーっと律に見とれていたりするのは高野には少し不快だった。

 

昔の律はいかにも育ちのよさそうなお坊っちゃま丸出しの童顔の高校生だったけど、あれから10年、顔のラインも随分すっきりとシャープになって、美しい所作で身体を捌くものだから、相変わらず童顔ではあるもののただ幼く見えたあの頃とは雲泥の差だった。

※ちなみに井坂も同様にお坊ちゃの筈だけど、彼から発する金の気配が強すぎて既に金満(キンマン)オヤジか殿様かという気配に覆われているために、若い女子は気後れして近づけないのだ。

 

「お前が男装とは恐れ入った。あれほど嫌がってたくせに。どういった風の吹き回しだ。」

 

すぐに驚きを飲み込んだ横澤はその後はなにもなかったように態度を戻したけど、さっさと行くぞと出かけた後、書店までの道すがら二人っきりになったとたんにわざと不躾に値踏みするような視線でスーツの律を見回した。

 

「男装って…、普通の服装だと思います。高野さんもこっちがいいって言ってくれたんです。」

 

嫌味を言ったつもりだったのに花が綻ぶような慎ましやかな笑顔で返す律に横澤は言葉を詰まらせた。男装の自分には掃除でもさせておいてくださいと、つんとしながらも何かを堪えるようだった律の表情が今の律の笑顔を掠めるように浮かんだ。

 

それはまるで別の引き出しに格納されていた他人のアルバムのページのようだった。

 

今までの律はこんな表情を見せることはなかった。自分が高野に幸せになって欲しいと望むのであればこんな変化は僥倖なのだろうか。ツンツンと噛みつく律よりも「高野さん」と慕った部分だけをクローズアップしたような律の事をどう思ったらいいのか横澤もまた揺れ、結局しっくりしない気持ちのまま近づくイベントのことに集中しようと気持ちを切り替えるしかなかった。

 

 

 

 

 

何もかもが滞りなく進みエメラルド編集部では無事にサイン会の当日を向かえることになった。

メンバーは早くから書店に集合して、おのおのがもともとのフローに添った役割に添って行動をしている。さすがに優秀な軍団だけあって多少のイレギュラーも的確な自己判断でこなして全体の手を留めるような事はない。

 

「コミックスはこちらで用意してあるので名前のカードを先生に渡して、その間にお客さまにどのキャラクターのスタンプを押すか選んでもらって、先生がスタンプとサインを終えたらおしまいだ。プレゼントはこっちで預かって、先生とお客さまは少しお話をする。」

「小野寺、分かったか?」

 

横澤と高野が手順を説明をしている間、律は自分に言われているのにうっとりと設営の生花などを眺めていた。会場になる書店の階段の近くは、フロアーとしては端の方ではあるけど飾りをふんだんに使った手作りの看板やあおりも可愛いコミックスのポップを造花で飾ってあって桃色のパーテーションも華やかだった。

 

「小野寺!?」

 

高野が気持ちが散っている律に大き目の声を出すと、律はさも今はじめて名前を呼ばれたようにびくっとして身体を浮かし「は、ハイ!」と返事をするから「お前大丈夫か!?」と横澤がきつめの語尾で念を押す。

 

「大丈夫です。すごく設営が可愛くて、書店さんが頑張ってくれたんだなってちょっと感激しています。」

「まあな、本の売り上げも書店の利益になることだし、客寄せ的な部分は大きいから力も入るだろう。華やかになって何よりだ。」

「今はSNSで写真が拡散されたりするから見た目は大事だな。ファンも喜ぶだろう。」

 

高野と横澤がそろって肯定的にそう言うと律はとても嬉しそうに笑った。首をかしげて肩をすくめるしぐさはやはり少し幼く見えて、毒気を抜かれると言うか、高野も横澤もついいつもなら最後に苦言を加えたりするのに言葉を飲み込んでしまう。

 

沈黙の間も律はなにが楽しいのか嬉しそうにきょろきょろとあちこち眺めていた。

 

 

 

 

 

サイン会の受付が始まって少し経った頃、今日のお客様は当選した人のみなので混乱はせいぜい早く来て並んでしまうことぐらいだと思われていたのにちょっとした騒ぎが起こった。

 

名簿にない女性が当選メールを受け取ったと言って受付ともめ始めたのだ。

 

見せられたメールは送信アドレスが異なっていて、本当に当選されたお客さまに送ったものとは明らかに違うのだけど、うかつにそれを指摘して押し問答になりここで騒ぎになるのは好ましくない。

 

事態を別室で諌めようとして高野が律に「お客様をあっちのスタッフルームにお連して。」と耳元でささやくのだけど律はあきらかに混乱をしているようで怯えたように固まっている。

 

そんなことをしているうちにお客さまはひどいひどいと泣き声を上げてへたり込むように床に座りこんでしまうから慌てて高野が背を支えて別室に誘導した。

 

ささくれたような場を鎮めたのは珍しい営業スマイルで列を整えた横澤で、ヒリヒリした雰囲気はすぐに解消されて、ファンの期待溢れるワクワクする雰囲気に戻っていった。

 

律はと言えば、先ほどの女性が座りこんだときに腕で薙ぎ払ってしまい散らばったアンケート用紙や販促用のチラシを片づける役となり、何もできなかったからかしょんぼりとしていた。

 

件の女性は、ことの真相は分からないまでもアドレスが配信の物と異なることから調査をすることを約束して先生のサインの入ったコミックスを購入という形でお持ちいただいてお帰りいただくこととなった。

 

ウエブの世界は深く広く、対応に苦慮することが多い。今回の件は過去の事例を確認してみれば別室対応が一般的であることはすぐに分かることだったと、サイン会のあと高野が律を女性をお連れした別室でフローの確認と称して伝えると、律はポロポロと涙を流してうつむいていた。

 

「仕事の失敗で泣くのはどうかと思う。」

 

さすがにいい大人がここで泣くのはどうかと高野が呆れたように言うと

 

「先輩はオレに幻滅しましたか…。」

「失敗には幻滅ははしないけど今の態度は少しがっかりしている。」

「先輩のために頑張ろうと思ったんですけどダメでした…。」

「オレのため?」

「そうです。それに先輩にちゃんとできてるって思ってもらいたくて…。」

「それは違うだろ?」

「え?なんでですか?」

「なんでって…、」

 

赤くなった目でまっすぐに高野を見つめる律は確かに覚えがある。

この律の視線にどれほど救われたか分からない。

だから…、高野は律の『なんで』に対して返事をすることができなかった。

 

律は寂しささえ自覚できない冷えた自分を暖めてくれたはじめての存在だった。

 

なにがあっても先輩なら大丈夫だといつだって律は自分の存在を肯定してくれた。輪郭さえあやふやになりかけていた自分の形を律がしっかり固めてくれたと言っても過言ではなかった。

 

だから律が消えてしまったあと、自分は2年間律を忘れていた。

その事実を受け入れたくなかった。

コトあるごとにもやっとした残像が脳裏に浮かぶのに、手を伸ばしてもつかめない喪失感に絶望して荒れた。

 

横澤が自分を押さえつけてくれなければ、あの時の自分はどこに飛ばされて行ったか分からない。

 

横澤がいたから律を思い出すことができた。

横澤が自分を肯定してくれたから、自分をはじめて肯定してくれた律の喪失をやっと心が受け入れることができたと理解している。

 

今、目の前にその律がいる。

いるはずなのになぜこれほどの違和感を感じるのだろう。

自分のためだけにと言ってくれた律がいるのに…。

 

「お前…、どうした?」

「え?」

「そんなヤツじゃなかったよな?」

「そんなヤツって?」

「いつだって頑張ってたけど、それオレのためじゃなかったよな?」

 

首を軽く揺らして傾ける律は高野の言っていることは良く分からないようで瞳が困惑に揺れる。

 

困らせたいわけじゃない。

自分のためにと言われて嬉しくないわけじゃない。

でもいつも体中で反発して自分の最良を選んで進むあの律を今は少しも感じられない。

 

いつだって少しも思うようにならない自分のバックグランドに、突っ張って突っ走ってぶつかって砕けてへこんで、でもまた立てる、あの律はどうしたんだろう?

 

結局高野は自分の困惑を消化しきれず、そのまま律を引き寄せ、髪を摩ることしかできなかった。

 

 

 

 

サイン会は滞りなく終わって、反省会は後日として片付け後、解散をした高野は律を家に誘った。不安な気持ちを肌を合わせることで忘れたかった。

 

しかし律からは「尚が今日は先輩の分も頑張りご飯を作ってくれるって朝言っていたんでうちに来ませんか?」と別のお誘いがあった。

 

律の家で食事…、あのときのあいつが自分の食事まで用意をするというのが意外過ぎて高野には嫌な予感しかしない。

 

少しだけ表情が歪んだのだろう、朝焼けのように晴れやかだった律の笑顔が少し曇ったのが分かった。

またそんな顔をさせてしまったという後悔が湧いて、つい悪かったと謝罪をしたくなってしまう。

 

何に?この妙な気持ちは。

今までとは違う感情に一層戸惑う高野を見て律が「先輩?」と赤い顔をしてうつむいたまま袖口をツっとつまみ、「先輩がダメなら大丈夫ですから言ってください。」と声を震わせた。

 

 

 

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