「……ここで、初めてあいつに出会ったんだよな」
ルーシェと初めて出会った病棟の中庭。その場所に設置されているベンチに腰掛け、悟は嘗ての記憶を情景に重ねて見つめていた。ふと手元に目線を送る。疲れきった空虚な瞳が写し出した情報は、待ち合わせの時間から20分過ぎた針を指していた。
ひと月前、営業マンとして忙しくしていた悟であれば、20分の遅刻というのは死活問題であり、スケジュールを組み直したり、先方に謝ったりと対応に追われ不満を漏らしていただろう。待ち合わせの相手が織堂 見神で無ければだが。
「……ミカンさんは忙しいからなあ。それに今回は完全に俺の我儘だし」
彼女とは、ルーシェと出会ったあの時からの付き合いだ。《ユグドラシル》で常に一緒だったルーシェとは違い、この12年でも両手で数える程しか会えていない。月に一度、ルーシェのお見舞いに訪れていた。だが間が悪いのか、忙しいのか、タイミング良く会えたのも2回ほど。無理して時間を作り、挨拶だけでもと、帰り際に声をかけてきた時は嬉しかったのを覚えている。忙しい彼女の立場もあるが、何より取り巻く環境が自分とは違い過ぎるのだ。
「稀にしかPOPしない[レア]モンスターみたいだな。ふふっ」
「ほう。私をモンスター扱いか。随分と肝が据わるようになったものだ。」
ぽん、と肩に軽い重みを感じた悟は弾かれたように踵を返す。直ぐ側で聴こえてきたのは氷のように冷え切った声色。その印象は、そのまま悟の心情を同じモノに染め上げた。同時に、軽口を叩いた2秒前の自分へ、激しく後悔が押し寄せてくるも既に手遅れ。
「げぇっ! ち、違うんです! あなたの事を言ったわけではなくてですねっ!? いだだたたたっ!う、嘘です!モンスターって言ったことは謝りますからっ! 」
その思考は謝罪、弁解へと切り替わり直ぐ様[土下座]へと移行しようと行動に移そうとする。が、それは叶わなかった。肩に置かれた女性の、細く華奢なゆびが見た目に反し、顎門の様に食い込んでいたのだから。
「はっはぁ。はあ……み、ミカンさん。お久し振りですね」
「直接会うのはオフ会以来かな……全く、普段は慎重派なのに時折こうしてボロが出る。そしてそのタイミングがいつも悪い。君は変わらないなー。遅れたのは悪かったね。まあ、先程の発言はそれで取り消してあげよう」
「え?じゃあ肩への攻撃は要らなかったんじゃ……」
「ん? 何か言ったかい」
「なんでもないです」
先程と同じ声色になりそうな彼女を咄嗟に宥めつつ、その姿を再び双眸に収めた。『変わらないのは貴女の方ですよ』と言葉を繋ぐ。12年という時を感じさせない若々しさ。雰囲気が少しばかり大人びたくらいだろうか。そして、身に纏っていた白衣を着ていない彼女に、いつもと違った印象を受ける。勿論良い意味でだ。とても自分より3つも歳上だとは思えない。
最近はまともに眠れない日々が続いて疲れていたのは間違いない。そして、久しぶりに会う事になった親友を除けば、一番関わりのある人との再会。全く衰えを感じさせないその人を見て、言い様のない不安に飲み込まれていた悟は安心感に包まれた。つまり思っていた事をそのまま口に出した。
「相変わらず綺麗だなぁ」
「なあっ!な、な、なんだ急にっ!」
「あれっ!? お、俺何言って! す、すみません忘れて下さい!そ、それより今日はいつもの白衣姿じゃ無いんですね」
「別に…謝る必要は無いだろうに。ああ、これか。いつも同じ姿じゃ味気ないだろうから、とリエに着せ替えられたんだ。正直不安だったが、悟くんの反応を見る限り問題無さそうだね」
「ええ、凄くお似合いです」
「そ、そうか。素直にありがとうと言っておこう」
「そういえばリエさん、妹さんは一緒じゃ無いんですか?」
普段、忙しさの余り化粧やファッションには無頓着の見神。特に周りがどうこう言ってくる事がなかったために気にしたことは無かったのだが、今回の再開を前に妹を呼びつけ『ある相談』をしていた。内容は、姉である見神の一大決心。
滅多に無い家族会議とその内容に、普段はおちゃらけた妹《織堂 リエ》も真剣に耳を傾け助言した。悟と会って大事な話をすると言う姉の決意をしっかりと汲み取ったリエは、継いでの流れで姉を着飾った。
ここまでは良い。悟に好印象を与えたし、内心『リエ good job!』と感謝していた。それなのに、ここには居ない妹を気にしたような悟の発言。これには見神の僅かばかりに緩み頬も元に戻ってしまう。
ーーーリエと悟くんが直接会ったのはたったの一度きりだぞ。名前まで覚えているとは……まさか一目惚れというやつか!? クソっ!やはり胸か? 胸なのかい!? 話題に出したのが間違いだった。私としたことが。迂闊だったなぁ。
彼女は恋愛経験など無い。何故なら目の前の男性を10年以上も思い続けてきたのだ。そもそもそれを自覚したのはつい最近だった為に、未だ謎(多分これが好意)の感情の変化に戸惑い、考えても上手く言葉が出てこない。つまり思った事をそのまま口に出した。
「そんなに……そんなにあの乳袋がいいのか?」
「え? あ、あの、ミカンさん? 」
「どいつもこいつも男どもは、アレには夢が詰まっているだと!? 良いかい悟くん!そんなものは詰まっていないし、アレは唯の脂肪だ!幾ら柔らかかろうが脂肪の固まりなんだぞ! 歳をとれば垂れーーーはっ!あ、あぁあ、私は何を言って……」
「あの……何かすみませんでした」
「おい。今、私の胸部辺りを見ながら何故誤った」
♦︎
「妹だったな。リエなら朝までは一緒に居た。初めはここにリエも来る予定だったんだけど、少々事情が変わったからね。少し、場所を変えないかい? この近くに最近出来たばかりのカフェがあってね。コーヒーが美味しいと評判なんだ」
「え? でも、その。ルーシェとの面会は、面会時間は大丈夫なんでしょうか」
悟の言葉は僅かばかりに見神の歩みを止める。そして再び歩き出した。何かあったのだろうか。理由を語らない見神にモヤモヤとした感情が生まれて来る。頭を軽く揺すりその感情をしまい込む悟。そして、会話が無くなればまた元の掠れた双眸を下に向け、力無く見神の後に連なった。
今回の再会において当初、許可は下りなかった。だが、悟は必死に見神に食い下がり、どうしても会いたいと無理を通して貰い、何とか面会まで漕ぎ着けた。
ルーシェの容態が急変した1ヶ月前、その日《モモンガ》と《ダーシュ》は普段と変わらない調子でユグドラシルにログインしていた。
ギルド【アインズ・ウール・ゴウン】。モモンガを筆頭にダーシュを含む、42人のギルドメンバーがそれぞれの拘りをこれでもかと詰め込んだギルド拠点、【 ナザリック地下大墳墓 】を維持する為に冒険しつつも資金集めに精を出す毎日。引退して居なくなってしまった仲間達が、いつでも戻ってこれるように。
ーーー本当に、突然だった。その日だってお前はいつもと全く変わらなくて。どこまでもダーク・シュナイダーで。お前の身体がとっくに限界だった事も、お前が倒れて初めて知ったんだ。ショックだった。ルーシェ自身に『いつかその時は来る』って言われてたけど、兆候すら掴めなかった不甲斐ない自分に。もっと早く気がついていればルーシェがここまで苦しむ事は無かったかもしれない。俺は、あいつの親友失格だ。
「酷い顔だね」
「……ミカンさん。ミカンさんは知ってたんですか? ルーシェがここまで無理してたって」
ーーー知らなかった。そう言って欲しかった。自分よりもずっと長く一緒に居た彼女が、毎日顔を合わせているだろう彼女が、もしそんな彼女でさえ気が付けなかったのなら俺はまだ……
「私がどんな立場にいるか、君が知らないわけはないだろう? 勿論、知っていた。私にとっての始まりは2ヶ月前だ」
「ふ……ふ、ふざけるな……ふざけるなよ! そ、そんなに前から!そんなに前から気がついていながら!貴女は放っておいたのか!?」
当然だ。あの《織堂 見神》に限って知らない、気が付かないなど有るはずがない。こうなる事も分かってて好きにさせていたのだろう。その心境だって悟には大体では有るが理解出来ている。それなのに怒鳴り散らしてしまった。最低だ。こんなのは八つ当たりに過ぎない。どこまでも自分が嫌になる。
だが見神は言い返す事もなく、表情を変える事もなく、ただ淡々と話を続けた。
「初めは些細な変化だった。それが悪い兆候だと直ぐに気がついた私は、ルーシェにユグドラシルを辞めて治療に専念するように言ったんだけど。でもあの子はーーー」
♦︎
『言う事を聞きなさいルーシェ。これ以上は本当に危ない。もう充分楽しんだでしょう?それに、ここで治療に専念すればまた』
『んな勿体無い事出来るかよ。それに、楽しいんだよ。モモと一緒に遊ぶのが、あの世界で冒険するのが。俺はルーシェとして、ダーク・シュナイダーとして、モモの、サトルの隣に居たい。お前もユグドラシル始めたらどうだ? そうすればわかる。あいつの隣に並び立つのは【ダーク・シュナイダー】以外、ありえない』
『ふふっ。そんな笑顔で言われたらどうしようもないよ。でも、今更始めるって遅過ぎないかい?』
『フッ、心配するな。特別に! 超!超光栄な事ではあるのだが、俺様のハーレム帝国の住人として加えてやろう』
『いや、それはいいわ』
♦︎
「ーーー彼らしいだろう? それからも、毎日、毎日毎日倒れるまでユグドラシルに潜っていた。後半は特に酷くてね。最後の1ヶ月はとても見てられなかった。けど、それでも笑ってたんだ。楽しそうに。「痛い」「苦しい」「辛い」なんて弱音も一言だって溢さなかった」
「ははっ。それは……確かにどうしようもないですね。本当に、あいつらしいです。ミカンさん、先程は……すみませんでした」
「謝らないでくれよ。私は君に感謝しても仕切れない。寧ろ御礼を言いたい。彼と、ルーシェと友達でいてくれて、ありがとう」
「……俺は何もしてません。お礼を言われるようなことなんか何も。今になって思うんです。俺は、ルーシェの親友として相応しかったんですか?」
「くだらない事を聞くね君は。昔ルーシェの友達になってくれ、と頼みはしたが強制した覚えはない。君は嫌々だったのかい?」
「そんなわけないっ! っつ俺また! すみません。でも……ルーシェとはあっという間に仲良くなって。何度も笑いあって。バカやって一緒に怒られて。そして皆んなが引退していく中、仕事が終わってログインしたら毎日そこに居て出迎えてくれた。そして必ず『おかえり!』って、言ってくれたんです。」
「ふふっ、《最後まで全力で生きて最高だったと笑顔でいてくれる事》。私の願いは叶ったんだから。君の仲間、ギルドメンバー、そして悟くん。間違いなく君のお陰だ。あの時、ルーシェに会ったのが君で本当に良かった。改めて言おう。ありがとう」
『君のせいだ』などと責められる。罵られると思っていた。いや、そうして欲しかった。ルーシェの友人としてのきっかけを作ったのは見神だ。不甲斐ない悟をルーシェの友人に推してしまった。彼女自身、ルーシェのこんな最後に納得がいっていないだろうと、そう思っていたのに。見神から告げられたのは心からの感謝の言葉。『君で良かった』その言葉は悟の心を、罪悪感に押し潰されそうだった彼の心を暖かく包み込んだ。
「あらら、泣かないでくれ。それにしても、君達二人は本当に対照的だね。性格というか、なんというか。互いに足りない所を無意識に理解していて、相手の不足した部分も示し合わせたように備えていて。まるで初めから仕組まれたような出会い。上手い事支え合って表裏一体のように成り立つ姿は…どこか嫉妬を覚えてしまう」
「そ、そうでしょうか。今まで意識した事もありませんでしたけど」
確かにあいつが泣いたり弱音を吐くところなんて、想像も出来ないけど。
「お前は本当に強いよな、ダーシュ。……ミカンさんは知らないかも知れませんが、ユグドラシルにおいて【ダーク・シュナイダー】、ダーシュのネームは絶対でした。ダーシュに憧れるプレイヤーもそれなりに居て、まるで有名人のサインを求める感覚でキルされに行くやつまで居たんですよ?あいつは、ダーシュは本当に強かった。誰も叶わない最強無敵の存在で、俺の自慢の相棒で……あいつの隣に居た12年間、毎日が本当に楽しかった」
「悟くん、いや敢えてここはモモンガと呼ぼう。そうだね、君ほど彼のそばに居たプレイヤーも存在しないでしょう。10年以上共に居たモモンガが言うんだ。そうなんだろうね。さて、そこで少し面白い話をしよう。君の情報には一つ大きな誤りがある」
「面白い話、ですか? なんだかミカンさんにモモンガって呼ばれると少し照れますね。それにしても間違い? いえ、全部本当の事ですよ?」
「ふふふっ。そうだね、言い方を変えてみようか。モモンガ、いやアインズ・ウール・ゴウン! 君達のギルドには意図して隠された、隠蔽された【事実】があるよね」
「また突然何を言い出すかと思ったら、そんなものは………い、いやいやいや、有り得ない。アレを知る者はギルメン以外に居るはずが無い。円卓の間で決定した事を誰かが漏らすわけもないし。ギルメン以外に知ってる人って言ったら、そんなの当事者くらいしか……」
当事者。その言葉にハッとする悟は数年前のある事件を思い出す。当時、まだユグドラシルが全盛期だった頃、一世紀以上前に流行ったとされる作品とのコラボに世界は大きく湧いた。
コラボ作品の名は【バスタード】。特に親友、ダーシュの入れ込みようは凄まじく、用意された二つのシナリオの内、一つしか選べないと知った時の落ち込みようは凄かった。あのコラボによって今の、完全体とも言えるダーク・シュナイダーが誕生したといっても過言ではない。
だが、同じくもう一人、ダーシュとは別のシナリオを達成率100%で極めたプレイヤーが居ると、少し話題になった。
そして最後に運営が用意したサプライズ【互いの進んだ運命は終局点にて交わるだろう】ーその内容は其々のシナリオを100%で成し遂げた、たった二人のプレイヤーによるPVP。アーマゲドンと称した公式のエンディング。
その対決に誰もが湧いた。片やユグドラシル内《プレイヤーランキング一位》のダーシュ。片や、これまで話題に上がったこともない【天使の姉妹】。だが、勝敗は周囲の予想通り、ダーク・シュナイダーの圧勝に終わる。周りからは『やっぱりか』『ラストにしては微妙だったな』との声も聞こえる中で、敗北した天使は宣言した。コラボ以前から『最強』『無敵』と声が上がっていたダーシュに、啖呵を切ったのだ。
『我が名はミカエル。驕り高ぶった貴様に引導を渡す者だ。首を洗って待っていろ!貴様は必ず私の足元に平伏すだろう!ーーー我が一撃、無敵なり』
あの時の事はモモンガもよく覚えている。モモンガの隣で爆笑して転げ回っていたダーシュだったが、それから一年後、あの宣言通り【魔神人・ダーク・シュナイダー】はミカエルに敗れた。何も出来ずに。それはもうボコボコに。アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバー全員の前で、だ。
「み、ミカンさんが!?ミカンさんがあの【大天使長・ミカエル】!?」
「あははは、やっと気がついたようだね。『何時ぞやは妹のガブリエル共々、お世話になりました。』」
「そ、その声、間違い無い………あ、あ、アンタなぁ! あの後大変だったんだぞ!」
「親の仇を見るような目だね。ふふっ、そう言うな。彼の停滞を気にしての事だ。絶対無敵なんてつまら無いだろう? 彼にとっても良い刺激になった筈だよ。あの勝利は偶々発現した超レアなパッシブスキルと、協力してくれた君達の仲間である《ぷにっと萌え》、それに彼を紹介してくれた私の友人でもある《やまいこ》《ぶくぶく茶釜》のお陰だ」
♦︎
『ミカちゃーん、こっちこっちー』
『ま、待ってくれ、かぜちゃん、やまちゃん。本当に良いのかい?』
『どうしてもダーシュに勝ちたいんでしょ?だったらウチの頭脳に相談するのが一番だからね!』
『勝手にナザリック内に入れるわけじゃ無いし、ボクからも事前に話はしてあるから大丈夫だと思うよ。と言うわけでウチの軍師様、《ぷにっと萌え》さんです!』
『やあ。あの勝負は僕達も皆観させてもらったよ。ダーシュに勝ちたいんだろう? 彼と戦うなら、色々と準備が必要だからね。どうせならボコボコにしてあげようじゃないか』
♦︎
「その後、ガブリエルも加わって5人で作戦を色々と考えてね。ダーシュの性格、癖なんかも分析して色々と条件をつけることにも成功したわけさ。ほら、慢心の塊みたいな奴だろう?」
『因みに、煽り文句はかぜちゃんが考えたんだよ』と嬉しそうに続ける見神に、唖然といった表情で聴き入る悟。まさか、あのリベンジマッチにそんな裏話があったとは予想外だった。
「あ、あの時、ぷにっと萌えさんが言ってたのはこういう事だったのか。おかしいと思ったんです。『見ててごらん。これから面白い事が起こるから』って捲したてる割には、やたらと『公にしない決闘』を強調して情報漏洩を徹底してましたし」
「ダーシュの弱点が丸裸にされたPVPだったからね。流石にギルドの損失に関わる情報をおいそれと公開するわけにはいか無いだろう。アレも作戦の一つさ」
ユグドラシル時代の思い出話もそこそこに、改まった見神は本題を切り出そうと椅子を正す。今日はこの話をする為にわざわざ店まで貸し切ったのだから。そんな事は知る由も無い悟も、見神の雰囲気が変わった事にいち早く気付いた。
「悟くん。私は、まどろっこしいのが苦手なんだ。前置きは無し、率直に言わせてもらうよ」
「はは、もうミカンさんには何言われても驚かない自信がありますよ」
「君の妻になりたい」
「………え?」
「悟くん。私と結婚してくれ」
「は、はいぃぃぃいい!? み、み、み、みかんさん!? 」
「あ、あの。す、すまない。急に話が飛躍しすぎたね。……ふう。私と一緒に暮らさないかい? 結婚は、その、直ぐにという訳じゃなくて、後々考えてくれれば嬉しい。リエと3人暮らしになるけど、彼女の許可は既に取ってある」
「いやいやいや、あり得ません。何で俺なんか……い、いつもの冗談です、よね? 」
「私は、冗談でこんな事は言わないよ。女性からのプロポーズというのもおかしな話だけど、悟くんは意識すらした事が無いのか、自分には関係ないと思っているのか。少々、いやかなりそっちの方に疎いみたいだし。最早、私自ら切っ掛けを作るしかないと思ったんだ」
ここまで緊張したのは初めての経験だった、と顔を真っ赤にして語る様子を見て、どうやら冗談では無いらしい事にどうして良いか分からない悟。現実とは思えない展開に、ふと彼女の手が震えている事が分かる。心なしか少し呼吸も荒い。
返事を待っているであろう見神と、思考が追いつかず何を言えばいいのか黙ってしまう悟。先に口を開いたのは見神だった。
「ふふっ。やはり、君は可愛いね」
「か、からかわないで下さい。……分からない。何故、俺なんですか? 顔も良くないし、何の取り柄も無い。貴女に好かれるような事をした覚えも……」
「理由、理由か。悟くんだったからかな? すまない。上手く言えないんだ。こういう経験は初めてだったからね。自覚したのは最近なんだ。どうやら10年以上、君の事が好きだったと。私も、人の子だったという事だね」
「俺も経験なんか無いですし、こういう時なんて言ったらいいのか。でも……何故、今なんですか。な、なにもこんな時に」
「ふむ、少し話題を変えようか。悟くん。君は、これからどうするつもりなのかな」
「どうするって」
「そのままの意味だよ。今の君の現状が知りたい。………仕事は?」
昔からそうだった。この人の前でこういう類の隠し事は通った試しがない。全部、見透かされてる。でも隠す事でもないし、今更どう思われようが構わない。と、割り切る思考に言葉を発すも不器用な悟は、微かに震える声で自分がした選択を告白した。
「……や、辞めました」
「そっか。予想してはいたけどね。それで、家賃は? 食費は? ユグドラシルも終わって、仕事も辞めてしまった。ルーシェだってもう」
「やめて下さい!! ミカンさんには、関係無いでしょう……」
「関係無い、か。君は……死ぬつもりなのかい」
「気にしないで下さい。自殺しようなんて考えても無いですし、そんな度胸もありませんよ」
自分の選んだ選択に後悔な無いと言うが、それはただの現実逃避。楽しかった日々を失い、この先の生活に活力も喜楽も見出せない。いや、探そうともしない。それは最早逃げであり、今この時も必死に生きる事を諦めない親友への侮辱でもあった。だがそれを直接言ったところで悟の心には響かないだろう。
一度でも下ろしてしまった幕は、納得がいかないアンコールには痼りを残す。
「私には、こう聴こえるけどね。もうどうなってもいい。死んでも構わない。と、……今の君は自暴自棄になってる。とてもじゃないけど、見ていられないし放っては置けないよ。だから、家に来なさい。君一人増えても養うくらいの余裕はあるから」
「本当に、貴女は無茶苦茶だ。…でもお断りします。惨めすぎますよ。そんな事に何の意味が」
「惨めでもいいじゃないか。生きてさえいれば何とでもなるよ。それに言ったでしょう。私は君が好きなんだ」
「すみません。俺には、ミカンさんの想いに応えることは出来ません」
ハッキリとした明確な拒絶。彼女の何処までも優しい声色と、こんなにも未計画で自暴自棄な大の大人を受け入れる慈母のような胆力に、悟の心は揺さぶられてしまう。縋りたくなってしまう。だが、見神が本当に伝えたい想いは虚しくも、悟の空っぽになった心をすり抜けてしまった。
これは優しい彼女の、余裕がある彼女の哀れみから来る施しであり気紛れだ。と。それ故に選んだ拒絶の言。だがそんな悟の心情さえ見神は見透かした。全部、受け止めてあげよう。
彼女自身、この《愛おしい》という感情に、気持ちに気がつくことが出来なかった。そして、それに気がついた今、溜まりに溜まった10年の想いを、続く言葉と表情に乗算させて吐き出していく。そして遂に、悟の空っぽな空虚な心の蓋を扉解させた。
「今は、どう思われようが構わないけど……ルーシェの事を忘れろ、なんて言うつもりもない。そんな事は私にも出来ないからね。初めのうちは傷の舐め合いだっていいじゃないか。生きてさえいれば、いつか前を向く事だって出来る。それは時間が解決してくれるものだよ。
悟くんと私と、リエの3人で、きっと楽しいと思うけどね。趣味だって近いんだ。別のゲームで笑い会うのもいいだろう。
私は……私は君の、笑顔が好きなんだ。優しくって、でも少し困ったような笑顔が大好きだ。だから、今の、君の辛そうな顔を見ていられない。直ぐにでも消えてしまいそうな君の様子をこれ以上見ていられない。ルーシェと君との出会いがこんな結末だなんて、私には耐えられない。
私の事は、好きになってくれなくても構わない。リエに魅かれるなら潔く譲ろう。いつか働けるようになって、君に好きな人が出来れば、潔く身を引こう。君がまた、昔みたいに笑ってくれればそれでいいんだ。生きてさえいてくれれば、きっとまた笑えるようになる」
「ただ、我儘を言うなら、いつか私に……振り向いてくれたら、嬉しいかな」
そう言って、少しばかり困ったように微笑むその表情はーー嘗て彼女が悟に見せた初めての笑顔と同じものだった。その瞬間、悟の心に芽生えた感情は何なのか、まだ本人にすら分からない。ただ、その感情は心地よく、育てて行けばきっと、彼女の言うようにーー
「……敵わないな。貴女とルーシェには、一生勝てる気がしませんよ」
「ふふふ、《強い者には巻かれろ》だ。忘れたのかい?」
「そう…でしたね。流石に此処までとは思いませんでしたけど」
「悟くん、さっきの気持ちは私の、心からの本心だ。恥ずかしいけど改めて言うよ。私《織堂 見神》は、《鈴木 悟》を愛しています。さっきはリエに目移りしても構わないなんて言ったけどね、簡単に譲る気は無いから。君の好みは知ってるよ。必要なら豊胸手術くらいしてあげるとも」
「ファッ!? また無茶苦茶な! やめて下さいよ絶対に! べ、別に胸で女性を選ぶなんてありませんよ! 思春期の子供じゃ無いんだから」
「その言葉、ルーシェにも聞かせてあげて」
その後、折角用意したのだから。とカフェで飲んだコーヒーの味は、何処までも苦くて数日間何も入れていなかった胃を叩き起こすには充分だった。見神が気を利かせて頼んでくれたサンドイッチの味はきっといつ迄も忘れる事はないだろう。
「さて、返事だけどね。正直、君を出来るだけ放って置きたく無いんだ。明後日、答えを聴かせてくれるかな。明日は《最終日》、君は当然、あの世界に潜るんでしょう? 」
「ええ、そのつもりです。分かりました。それまでにはきっと、答えを出しておきます。ミカンさんはログインされないんですか?」
「ん? そうだね。今頃、リエが潜って居るだろうし後で合流するつもりだよ。私も最後にルーシェが、ダーク・シュナイダーが愛したあの世界を、目に焼き付けておこうと思ってね。ユグドラシルで君にに会う事は無いと思うけど……そうそう、明日は朝一からギルドに行くといい。きっと、いい事が有るだろう」
「え? い、いい事って」
「ふふふっ、早起きは三文の徳、だよ悟くん。とにかく行ってみなさい。どうせ暇なんだろう?ニート・ギルド長殿」
「ぐふっ!? 容赦無いなあ……分かりましたよ。元からそのつもりでしたから」
「話は以上でお終いだ。ルーシェに会ってくるといい。私は……もう別れは済ませたから。悟くん。ちゃんと、伝えたい事をしっかり伝えてくるんだよ」
「はい。ミカンさん、ありがとうございました」
「うん。またね、悟くん」
♦︎
【ナザリック地下大墳墓】ーーアインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点である。10ある階層の深部、第9階層にある一室。円卓の間と付けられた部屋は、ギルドメンバーがログインした際、一番最初に訪れる場所に設定されている。
《リアル》では、まだ早朝と言われる時間帯。そんな早い時間にギルド長、モモンガはログインしたのだが、彼の目に飛び込んで来たまさかの景色、重厚な円卓に囲まれた42席の豪華な椅子、そこへ腰掛ける一人の人物との再会。それは、《リアル》の世界で久し振りにぐっすり寝てきたモモンガの、虚ろだった意識を覚醒させるには充分だった。
ーーーまさか、貴女が来てくれるなんて
「驚きましたよ!お久し振りですね、やまいこさん!」
「う、うん、また会えて嬉しいよ。久し振り、モモンガくん」
「私もです! ふふっ、お帰りなさい。今日はユグドラシルの最終日ですし、ゆっくりしていってくださいね」
「それなんだけどね。その前に、一つだけ言わせて下さい」
彼女に会うのは何年振りだろうか。モモンガに向かい合う《半魔巨人/ネフィリム》の女性。正直、もう会えないと思っていた。大切な仲間の一人との折角の再会であったが、その様子は何処か余所余所しく、何を言われるのか予想もつかないモモンガに一抹の不安がよぎる。
「こうして、またナザリックに帰ってこれたのも、またモモンガくんに会えたのも、今日まで、ずっとここを維持してくれたモモンガくんと……ダーシュくんのお陰だよ。ありがとう」
「い、いえ、ギルド長として当然の事ですから。それに、あいつと二人で決めたんです。みんなが、いつでも帰って来れるように、ナザリックは俺達で守っていこうって。こうして最後にやまいこさんも来てくれましたし、俺はそれだけで満足ですよ。きっとダーシュだって」
「うん。本当に、ありがとう。それにしても、ミカちゃんに聞いて事情を知ってはいるんだけど、やっぱり彼の声がここに居て聴こえないのは何だか物足りない感じがするね」
「ミカちゃん? あ、ああ。ミカエルさんの事ですね。昨日、本人と直接あった時に聞かされて驚きましたよ。まさかあの人が、こんなに身近に居たのかよって」
「ボクもそうさ、モモンガくんと彼女がリアルで知り合いだったとは。驚いたなあ」
「世間って意外と狭いですよね」
「あはは、そうだね。実はかぜちゃんも誘ったんだけど、如何しても時間が取れなくて。だから伝言だけ、『モモンガお兄ちゃん、ダーシュくん。ありがとう』だってさ」
「ぶくぶく茶釜さん……ここを、ナザリックを忘れないでいてくれただけで充分ですよ」
「実は……そういうボクも余り時間が無いんだ。ごめんねモモンガくん。最後まで一緒に居たかったんだけど」
「もう!謝らないで下さいよ! 来てくれただけで本当に嬉しかったんですから!」
「そう言って貰えると助かるよ。実はやり残した事があって、これからユリに会うつもりなんだ。良かったら歩きながら話さない?」
やり残した事?と鸚鵡返しするモモンガ。《ユリ・アルファ》ーーやまいこが作成したNPCであり、此処【ナザリック地下大墳墓・第9階層】を守護するメイド達《プレアデス》の副リーダーでもある。そんなユリにやり残した事とは一体なんだろうか。
やまいこにとって、ユリは彼女の拘りを詰め込んだ娘の様な存在。完成したのはかなり前だとモモンガも記憶を穿り返すも思い当たる節はない。
ーーーそう言えば、ユリがお披露目された時、ダーシュと何か話してたっけ。内容までは聴き取れなかったけど、その後ぶくぶく茶釜さんに正座させられてて……思えばあの時からだ。やまいこさんとぶくぶく茶釜さんがダーシュと仲良くなったんだよな。
「ねえモモンガくん、ミカちゃんに聞いたんだけどね。昨日、彼……ダーシュくん、逝ったんだってね」
「……そうですか。知ってたんですね。はい。昨日、俺の目の前であいつは亡くなりました。やまいこさん、直接あいつにあった事ありましたよね?」
「うん。オフ会の時、一度だけね。引率してたミカちゃんにもその時初めて会った。あの時は驚いたなあ。髪の毛が真っ白でさ、キラキラしてて、とっても綺麗だった。外国人だったのにも驚いたけど、まさかゲームの彼とそれほど変わらない姿で、かぜちゃんも『リアルチートだ!』って騒いじゃってさ」
「あははは、懐かしいですね。ペロロンチーノさん、泣いてましたよね? 『何だよこんなの!不公平だろ!』って、あの時ばかりは茶釜さんも慰め役に回ってて。懐かしいなあ」
豪華な装飾が施され、少しばかり控えめに照らされた9階層の通路。赤い絨毯の上をゆっくりと進む異形の影は、数年前の楽しかった日常を表現するかの様に大きく揺らめいている。暫く進むと通路の脇に整列し、佇む7体のNPC。
その先頭に立つ執事の隣、やまいこ自ら手掛け、愛情を注いだ彼女に『久し振り、元気にしてたかい』と労いの声をかけつつも、坦々とコンソールを操作する造物主。
そんな様子を、斜め後ろからじっと見つめるモモンガに、やまいこは振り向く事なく言葉を繋ぐ。
「あの頃は本当に楽しかった。ねえ……モモンガくん、彼の……ダーシュくんの最後は」
「……あいつはーー」
♦︎
『そんな! 何で急に! ルーシェ! くっ、くそっ、こんなに血を吐いて…! そ、そうだ、ナースコール! 待ってろルーシェ、い、逝くな! まだお前と、やりたい事だってたくさん』
『……も…も……。そ…こに…いるんだ……ろう』
『っ!! ルーシェ!? お、お前…意識っ! い、今先生を呼んだから! も、もう少しだけ』
『…きけ…モモ……』
彼の細った身体を囲む、様々な機械が警告音を響かせる。だがそんなものは全く耳に入らない。目の前の男が全力を振り絞って何かを伝えようとしている。絶対に、絶対に一字一句、聴き逃さない。
『モモ…との……じゅう…に…ねん……最高だっ…た…』
『お、俺だってそうだ! 最高だったさ! まだまだ沢山遊ぼう!やり残した事だって沢山ある! お前だって! また一緒に、一緒に!』
『ふっ……しっかり…しろ………ギルド長…』
『お、おい…ルーシェ?』
『……モモ……さ…とる……また…《あとで》……な……』
♦︎
「あいつは最後に、それだけ言って。その後、直ぐに」
「モモンガくん……聞かせてくれてありがとう」
「あいつは、《またあとで》って言ったんです。本当に、最後の最後まで自分が死ぬなんて思ってなかった。少しも諦めてなかった」
「そっか。彼らしいね、流石は最強無敵のダーク・シュナイダーだ」
ーーーそうだ。お前は、何処までも強い。最強の男だよ。そんなダーシュに少しでも近付きたい。お前の隣に立つ男として。だから、だから俺も頑張るって、生きる事を全力で楽しむって決めたんだ。
「そんな彼になら…ユリを任せられるかな」
「え? や、やまいこさん? それってどういう意味なん、っな! ええぇぇえ!?」
「うわあっ! 急に大声を出さないでよ……ああビックリした」
「あ、ああ。すみません。っじゃなくて! やまいこさん、いいんですか!?」
「いいって、何が?」
「当然、その書き加えた設定の事ですよ! 確か一度断ってましたよね!?」
「ふふふ、確かに。大事な娘だからね、一度は断ったけど。気が変わったんだ」
再度、本当にいいのかと確認するモモンガに、笑顔のアイコンを、ただ表示する事で意思を示すやまいこ。モモンガは終ぞ知ることはなかったが、その一文はやまいこの心情をそのまま書き連ねた彼女の想い。嘗て彼の願いを一度は断った理由。娘でなく自分を見て欲しいと。唯、その想いを伝える前に逝ってしまった。そんな想い人への、不器用な彼女なりの《告白》だった。
[ 陰ながらダーク・シュナイダーを支える良妻であり、彼を心の底から愛している ]
この行動が、のちに起こる【正妻戦争】に必要以上の火種を蒔き、後に被る娘の苦労など知る由も無いやまいこは、ギルド長への再会を別れの言葉とし、ログアウトしていった。
ーーーこれからはどんな環境でも、どんな状況でも全力で、楽しんで生きて行こうって
「モモンガ様」
ーーーそう決心した、ばかりだったのに
「モモンガ様、どうか……この無知なアルベドに、答えては……下さらないのですか」
ーーーなのに……
「モモンガ様、先程仰っていた御言葉。『未亡人』とは…どう言う事なのでしょう。ダーク・シュナイダー様は……私の《夫》は…お亡くなりになられたのですか」
ーーーミカンさん……ルーシェ…
「ユリ姉様!? 」
「ゆ、ユリ姉が倒れたっす!」
「ナーベラル! ルプスレギナ! モモンガ様の御前です!」
「セバス様! しかし…」
ーーー俺は……
「騒々しい。静かにせよ」
ーーーどうして…こうなったんだ……
ここまで読んでくださった方、本当に、本当にありがとうございます。
本当は、他のギルメンとの絡み、コラボイベントの描写なども書いていましたが、主人公とヒロインを強調させる為にカットしました。
ダーシュはギルメンと基本仲が良い。と思っておいていただければ幸いです。
最後のやまいこさん心理描写についてですが、本人も転移させちゃおうか悩みました。
しかし偉大な先駆者様が既にいらっしゃいますので、お目汚しになると思い取りやめた次第です。
さて、長いプロローグも終わり、次回から原作突入。
ダーシュさんがメインで活躍していきます。
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