とある魔術の幻想姉妹(ロマンサーズ) 作:エーミユー
上条当麻には記憶がない。
彼自身よくわかっていない事ではあるが、気がついた時には病院のベッドの上にいた。
薄い水色の患者衣型ガウンを着て、カニューレとかいう少し体を動かすたびに涙がちょちょぎれてくる鼻チューブをつけられ、医者に自分の現状と、そうなるに至った経緯を聞かされたのが、透明な少年となった上条当麻にとっての原初の記憶になる。
どうやら自分は、インデックスと名乗る白い修道服を着たシスター少女の抱える厄介ごとに巻き込まれた……らしい。
そして、最終的に自身の頭部に多大なダメージを喰らいつつも、彼女を何とか救うことが出来た……らしい。
らしい、らしいと伝聞調なのは、真実彼にとってその情報は伝聞でしかないからだ。
頭部損傷という大怪我によって記憶を失くしてしまった彼は、自身が何者なのかすら完璧に把握できているとは言い難い。
ただ、そんな彼も、自分が不幸の星の元に生まれた人間であることは、このひと月ほどで既によくわかっている。
上条当麻は病院のベッドで目を覚まして以来たったひと月ほどで、どういうわけか魔術的、または科学的厄介ごとに何度も巻き込まれている。
先日も、『御使堕し』なる世界規模の魔術事件に巻き込まれて、結局いつものように病院に運び込まれたことは記憶に新しい。
この夏休みは、頭部損傷だの右腕がちょん切れたりだの、大怪我の見本市の様なスペクタクルを経験したのだ。
だから、目の前に山積している夏休みの友の進捗状況が全くもって芳しくないのも仕方無い事なのだ。
学生寮の自分の部屋で、リビングのローテーブルに各種教科のテキストを並べるが、その殆どの解答は空欄のままだ。
「不幸だ……」
例によって例の如く、上条当麻は呟いた。もはや口癖になっているこの言葉だが、それを傍で聴いていたインデックスが咎める。
「とうま、あんまり不幸だ不幸だ言うもんじゃないんだよ」
「ん? ああ、すまん。なんつーか、つい思わず言っちまうんだよな」
素直に謝る上条だが、あまり悪びれている様子はない。
それに対してインデックスはひとつ嘆息した後、人差し指を立てて教師の様な態度でアドバイスを始めた。
「とうま、言葉には力が宿ってるんだよ。日本でも、古代から言霊信仰はメジャーな思想だった筈かも」
「言霊信仰?」
まーた、魔術的常識ですか、と上条は胡散臭そうにインデックスを見遣る。
「簡単に言えば、ある言葉を口にすると、それが実現するという信仰の事なんだよ。祝詞とか、忌み言葉とか、聞いた事ない?」
「忌み言葉っつーと、あれか、受験生に滑るとか落ちるとか言っちゃダメ、みたいなやつか」
上条の例えは、なんだかあまりに身近なイメージを反映し過ぎな気がした。
しかし、間違ってはいないのでインデックスはとりあえず頷く。
「まあ、そういう事なんだよ。日常的に不幸だ不幸だ言ってると、本当に不幸が押し寄せてくるかも」
成る程、自身の不幸は口癖のせいもあったのか、と上条は嘆息する。
溜息を吐くと幸せが逃げていく、なんていう迷信もあるのだが、彼は知らないのだろうか。
「しかし、まあ、言霊信仰だかなんだか知らないけどさ、流石に言った事が現実になるなんて事、そうそう起こるわけないだろう」
上条はほんのひと月ほど前に、思考した事を現実にしてしまう錬金術師と出会っていたが、あれは二千人の『偽・聖歌隊』とかいう多大な外部要因とリスクを払って成立させていた筈だ。
ノーリスクで言葉が現実になるなんて事が起こったら、この世界の常識が滅茶苦茶になってしまう。
「言った事が現実になるなんて、そんなこと本当に出来る奴がいるとしたら、そいつは神様か何かだろうさ」
「ところがそうでもないんだよ。そういう能力を持つ人は、この世の中に結構いっぱいいるかも」
インデックスはそう言うと、いつも肌身離さず身につけている剣を模したクルスの首飾りを外して上条の眼前に掲げた。
シルバーで出来たその首飾りは、刃が研がれているわけではないので刃物としての用途には使えないが、キラキラと輝いていて飾り物としては綺麗だった。
「なんだそりゃ、ナイフか? いや、十字架?」
上条は思わず右手を出して触れようとするが、インデックスはさっと手を引いて首飾りを庇うように胸の前で握り締めた。
「右手で触っちゃ駄目だよ、とうま」
「なんだ、それも霊装ってヤツなのか」
「ん〜、霊装といえは霊装かも。まあ、今はただのアクセサリーなんだけどね。でも、一応とうまの右手で触るのはやめてほしいんだよ」
インデックスは安全ピンで所々を留められた自身の着ている修道服『歩く教会』を眺めながら言った。
上条の右手『幻想殺し』によってこの霊装が壊された恨みは今も忘れていない。
「このアクセサリーはね、とうまと出会う少し前に、とあるロマンサーが私にくれた幸運のアクセサリーなんだよ」
「ロマンサー……?」
上条の頭に疑問符が浮かぶ。ロマンサーとは何だろうか。
まあ、口にしたのがインデックスである事から考えても、十中八九オカルト的存在だということは推定できるが。
「ロマンサーっていうのはね、『言葉を現実にしてしまう能力を持つ人たち』の総称なんだよ」
「言葉を現実にするだと、なんだそりゃ」
そんな滅茶苦茶な能力、学園都市の超能力者にだっていない筈だ。
少なくとも、上条は知らない。
「ロマンサーは、WOPと呼ばれるキーワードを持っていて、そのWOPを言葉の中に盛り込むと、ロマンサーが口にした言葉は現実になるの。ちなみに、私が出会ったロマンサーのWOPは『剣』だった」
そんな能力があれば、自分も不幸から脱却できるのではないか、と上条は一瞬考えた。
しかし、自身の右手はそんな異能の力がもたらした幸運も一切合切打ち消すだろうという結論に達して、すぐに夢想から覚める。
「このアクセサリーをくれた人は、ユウっていう名前のロマンサーなんだけどーー」
インデックスはユウとの出会いについて上条に語る。
自身と敵対する魔術師に追われていると思い込んでいたインデックスは、方々を逃げ回っている内にいっとき体調を崩してしまった。
しかも、運の悪いことに雨まで降ってきて、このままでは更に体調を悪くして魔術師に捕まってしまうと考えた彼女は、とある森に立つコテージに辿り着き、そのコテージの隣にあったガレージに逃げ込んだ。
身を隠すとともに雨宿りをさせてもらい、少しでも体調を回復させようとしたのだ。
しかし、逃げ込んですぐにコテージの住人であるユウ・マッキンタイアに見つかってしまった。
ガレージで構わないから雨宿りさせてほしいと懇願するインデックスに対して、ユウはコテージの中にインデックスを招き、ロマンサーの能力を使って体調を回復してくれた。
そればかりか、美味しいご飯と温かいベッドまで提供してくれたのだ。
「それで、別れ際にこれをくれたの」
インデックスはもう一度、上条の眼前に首飾りを掲げる。
「このアクセサリーはね、『この剣を持つものには幸運が訪れる』そういう『言葉の力』が篭ったアクセサリーなんだよ」
「へぇ、なんだかよくわかんねぇけど、凄いアクセサリーなんだな」
「と言っても、今はその力はもう失われているだろうけどね」
それまでの言を覆すインデックスの言葉に、上条は首を傾げる。
「ロマンサーの能力はね、この世界の理を超えることは出来ないんだよ。理を超えた言葉には、制限時間が付くの」
川の水が川上から川下へ流れていくように、太陽が東から昇って西に沈むように、この世界には理というものがある。
例えば、『死』というWOPを持つロマンサーが、「お前は『死』んだ」と言えば、その対象には死が訪れ二度と生き返らない。
生物に死が訪れるという現象は、理を超えた事にはならない為、制限時間が付かないのだ。
しかし、そのロマンサーが死体に向かって「お前は『死』んでいない」と言っても、精々数分生き返らせる事が出来るかどうかという程度だろう。
一度死んだ生命は生き返らない。それがこの世界の理だからだ。
実際、インデックスは知らない事だが、『嘘』のWOPを持つロマンサーである汀宝良は、その能力を使って友人を生き返らせた事があるが、やはりその友人はほんの数分で再度死んでしまった。
ロマンサーの能力でも、死を『嘘』にする事は出来ないのだ。
「でもまあ、何事にも例外や裏ワザってものはあるからね。『真のロマンサー』になれば、世界の理すら覆す事が出来るんだけど」
「なんだ? 真とか偽とかあるのか?」
「普通のロマンサーが偽者って事はないんだよ。でも、完成された『真のロマンサー』は世界の理を超えた言葉すら現実にする。もしも、『真のロマンサー』がアクセサリーに幸運をもたらす力を込めれば、そのアクセサリーは、永続的な幸運のアクセサリーになるんだよ」
そのアクセサリーを付ければ、不幸少年上条当麻の不幸すら打ち消して、幸運をもたらしてくれるかもしれない。
もしかしたら、上条の不幸はロマンサーの能力すら超えている可能性もあるが、未だ誰も試した事は無いので考えても詮無き事だ。
「へえ〜、でも、そのアクセサリーの力は、今は消えちゃったんだろう? てことは、お前が出会ったロマンサーは『真のロマンサー』ってヤツじゃなかったんだな」
「うん。ユウは普通のロマンサーだったんだよ。でも『真のロマンサー』になる方法を教えてあげるって言っても、ユウは、そんなの知りたく無いって言って断っちゃったんだよ」
そう言ったインデックスは、なんだか御機嫌そうに見えた。
ユウが、インデックスの魔術知識を求めて彼女を助けたわけではないという事実が、彼女にとってはとても嬉しい事だったのかもしれない。
そんなインデックスを見ていると、不思議と上条も微笑ましい気分になった。
「ユウは、なんかお姉ちゃんみたいな人だった」インデックスが言う。
「お姉ちゃん、か」
「もしくは、お母さんかな? 私にお母さんやお姉ちゃんがいるなら、こんな人が良いなって思ったんだよ」
「……そっか」
「ユウには、ちゃんとしたお礼もしてないから、また会いたいなあ」
穏やかに微笑むインデックスを見て、上条も少し口角を上げる。
しかし、目の前のテーブルに広がる空欄だらけのテキストが視界に入った瞬間、ふたたびげんなりとした気分に戻った。
「課題……全然進んでない……不幸だ」
上条が呟いた言葉に、インデックスは、「ま〜た言ってる」と呆れた声を洩らした。
上条が夏休みの課題を目の前に四苦八苦している頃、何故かユウ・マッキンタイアは学園都市にあるオープンカフェのテラス席にいた。
その長い脚を組んで椅子に座っている彼女は、何がしかの洋書を片手に、氷でかなりカサ増しされたアイスティーをほんの少し口に含んだ。
洋書のページを捲りながら脚を組み替えると、ジーンズの右腰辺りのベルトループにジャラジャラと何本も提げられている小さな刀剣の飾りが音を立てる。
十五分程、そうして本を読んでいると、テラスの前の歩道から女性の悲鳴が聴こえた。
ユウがチラリとそちらの方へ目を向ければ、歩道に手をついて倒れ込んだ女性の前を、女物のバッグを抱えた男が走り去っていくところが見えた。
どうやら、引ったくりらしい。学園都市の科学技術は外の世界の数十年先を行くと聞いていたが、治安に関してはあまり良くないようだ。
ユウは右腰に付けた刀剣の飾りを一本取ると、「『剣』よ、縫い止めろ」と言って、引ったくりの男に対してヒョイと投げる。
剣はその言葉の通りに、引ったくりの男が履いているカーゴパンツの踵あたりの裾を地面に縫い止めた。
男は、「ぶげっ」と、蛙がひしゃげた様な声を出して転び、その手に抱えたバッグを手放した。
ユウが軽い足取りでそのバッグに近寄って拾い上げると、不快になる様な警戒音を鳴らしながらドラム缶型の警備ロボットが数台現れ、男を捕縛し始めた。
その警備ロボット達の内の一台は、バッグを拾い上げたユウをセンサーカメラでジッと見つめている。
まるで意志を持っている様だ。そんなに見つめなくても、ちゃんと持ち主に返すというのに。
とある理由から、ゲストIDを持たずにこの学園都市に忍び込んだ身であるユウは、警備ロボットの視線から片手でさりげなく顔を隠しながら、バッグを引ったくられた少女に歩み寄って、その手にバッグを返した。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます。助かりました。念動力者の方ですか?」
剣を操って引ったくりを捕まえた事から、少女はユウがサイコキネシスを使ったんだと勘違いしたようだ。
ユウは曖昧に微笑んで、「まあ、そんなようなものです」と呟く。
「あの、何かお礼を」少女はそう言ってユウに一歩近寄るが、ユウは気紛れに助けただけに過ぎない。特に礼など必要なかったので、「お気になさらず」と言って片手を振るが、少女はそれでは気が済まないようだ。
「では、本屋の場所を教えていただけますか?」引き下がらない少女に対してユウはそう言った。
「本屋、ですか?」
「ええ、学園都市の詳しいマップを売っている様な本屋が良いのですが」
「マップなら、ネット検索すれば出てくると思いますけど……」
「出来れば、紙媒体が良いのですよ」
「えっと、それなら、検索したマップをプリントアウトすれば大丈夫ですよ」
成る程、そういう手があったか、とユウは頷く。
改めて少女に、ネットカフェの場所を教えてもらうユウ。
この程度の事で礼を済ませるのは忍びないと少女は言うが、これ以上は必要ないと言ってユウは断った。
ユウはさっきまで座っていたテラス席に戻ると、テーブルの上に閉じて置いていた本を手に取り、ふたたび開いた。
さて、どこまで読んだか、と思い返しながらページを捲っていく。
アイスティーの氷が少し溶けて、からん、と音を立てた。