今日の講義は1限からだった。内容は人間の行動心理で、社会動態学が云々と語る教授を席から眺める。
この講義をとった理由は、その内容も勿論あるが教授がこの大学では珍しく男性だったからだ。年齢は50代ほどで、とてもハキハキと話すので聞き取りやすい。そこは好印象だった。
しかし、過去女性に対して嫌な思いをした経験があるのか、相当な女嫌いだった。
口を開けば罵倒が始まり、やれ女というものは常に下半身でしか物事を考えず、男が少し裸を見せれば体を火照らせ腰をくねらせるだのと、真剣に講義を受けに来たコチラが拍子抜けしてしまうような内容に、教室中が静まり返っている。
はぁ……この講義を受け続けて単位が取れれば、一緒に社会なんたら士の資格が取れると聞いたので、投げ出してしまうのはあまりにも勿体無い。地味に高倍率だったから、なぁ……。
がっかりしながら試験のためノートを取りつづけた。
語り終えた教授が講義の終了を合図したので、荷物を纏めて教室を移ろうとしていたところに、後ろから声を掛けられた。
「あの……!」
「はい?」
後ろを振り返ると、顔を真っ青にした鷺沢さんが居た。そういえば、この講義はすべての学部の生徒が受講できるんだっけ。
「勘違いしないでください……全ての女性が、下心のみで動いているわけではないのです……!」
焦りで切羽詰まった表情でそう語る鷺沢さんは、母親にエロ本が見つかった少年のような悲壮感を漂わせている。
「あー、今の講義のこと? あんまり気にしてないよ。今の所、下心全開みたいな人にはお目にかかったことはないから」
「うっ……」
教室に次の講義をとる学生たちが入ってきたため、移動しながら返答する。
気にしてないと聞いて嬉しそうな表情をした瞬間に、後に続く言葉を聞いて心当たりが有るのか苦しそうに胸を抑える鷺沢さん。その姿に、嗜虐心を刺激された僕はそのまま言葉を続けた。
「それに、鷺沢さんなら、僕の嫌がることはしないって信じてるから」
「はぅ……!」
切なげな声を出した鷺沢さんは、下腹部を手で抑え腰をくねらせた。下心で動いてないと言った手前、胸……へそ下キュンな事を言われても、性欲に負ける訳にはいかない。きっと彼女の胸中では理性と性欲が壮絶な戦いを繰り広げているのだろう。
たとえ、目をトロンとさせて腰が引けていたとしても、傍から見たら確実に性に傾いていたとしても、彼女が戦っているうちは絶対負けては居ないのだ。
とんだ悪女ムーブだ、と自分でも思うが、出会った時からずっと彼女の勢いに押されがちな自分の、ささやかな意趣返しだ。
自然に僕の腕を取り、抱え込む鷺沢さんは、きっと負けてないはず……そう信じている。
「あれ〜? お二人もこの講義をとってたんですか?」
教室を出る時、鷺沢さんに続いてまた知り合いに話しかけられた。結構な倍率だったはずなのに、十時さんもこの講義をとっているなんて、偶然にしては出来すぎじゃない?
「そうだよ。あれ、十時さんも講義受けてたんだ?」
「そうなんですよ。教授にお菓子を差し入れてお願いをしたら、ホントは定員を超えてるけど受けさせてもらえるみたいで〜」
「へぇ……あの教授が融通を図るなんて、相当美味しいんだね」
「どうなんですかねー? あ、良かったら今度食べてくれませんかぁ? いつも作りすぎてしまうので、色んな人に配ってるんですよ」
「本当? 嬉しいな」
あんなに女は女は言っていた教授が、胃袋を掴まれて既に陥落していると聞き、講義と関係ない所で更に株を下げたが、きっと十時さんのお菓子が美味しすぎるのだろう。そう思うことにした。
お菓子を持ってきてくれるという約束の間、というか十時さんが声を掛けてきてからずっと鷺沢さんが僕の腕を引っ張り続けているのだけれど、最初は話し相手を取られての軽い嫉妬ゆえだと思っていたら段々と擦り付けるような、怪しい動きになってきたので手を引っこ抜いた。
せっかく少し見直していたのに、結局下心に負けるなんて……。残念な鷺沢さんはほっといて、十時さんにこの後空いているか聞いてみた。
「私は、今日は1限のこの授業だけです。お昼からお仕事が有るんですけど……」
「……! 私も、このあとは空いてます! お昼までですが……」
「だったら、それまで少しコーヒーでも飲みませんか」
「良いですねー」「ぜひ、お願いします!」
午後からのバイトの為に2限以降は空けていたので、それまでカフェでも行こうと誘うと鷺沢さんも食いついてきたので皆で向かうことになった。
大学から数分歩いたところにある、落ち着いた雰囲気のカフェに入り、それぞれ注文をした。
「学部はバラバラなのに、意外と同じ講義をとってるんだね」
「一年生の間は、学部指定の講義が少ないですから……」
「そうですね〜」
3人で講義が被った事から皆がどの講義を選択したか話したところ、その殆どが一致したことで驚いた。狙いすましたかの様にピッタリだ。作為を感じるほどの合致率で、鷺沢さんは少し目をそらしながら、十時さんは抑揚の乏しい声で相槌を打った。……希望を提出する前に、2人に質問攻めに遭ったのを思い出したが、気の所為ということにしよう。
「でも、これだったら皆で集まって勉強会とか出来ますよ?」
「良いね! 僕もバイトが結構忙しいし、三人寄れば文殊の知恵って言うから凄く助かるかも」
「賛成です……!」
頼んだカフェオレを飲みながら話をしていると、3人で勉強会をすることになった。全員がバイトなりで学生をしながら働いているので、試験前には協力体制を敷いて効率的に勉強しようという訳だ。
場所の話になると、入学式の時には大学内の図書館を推していたはずの鷺沢さんがやけに自宅をプッシュしてきた。図書館では話すことが出来ないですから、とその理由を語る鷺沢さんの頬が赤く染まっているのは、決して息が切れたわけではなさそうだ。
「えっと、誰かの家に集まるってこと?」
不安だな、と言う思いを目線に込めて鷺沢さんを見ると、大丈夫です……! 勉強です! ちょっとだけですから! とホテルを目の前にした男の子みたいな事を言いだした。
躱し方に困って十時さんの方を見ると、意外なことに十時さんも乗り気で、お菓子なら任せてくださいっ! 腕によりをかけて作りますよーとノリノリだった。
頑張りますっと気合を込めて言う十時さんを見て、混入の二文字が頭をよぎったが、いやまさか……睡眠薬とか、盛らないはず……。背筋がゾクッとした。
十時さんにとっては、僕なんてまな板の上の鯉……いや、広げられたパイシートなのかも知れない。
そんな事を話し合っていたら、気づけばお昼前の時間帯になっていた。
それぞれお仕事に行きましょうか、そう言って席を立ち会計をしてもらう。どうしても奢りたい鷺沢さんと、普通に割り勘にしたい僕との小競り合いはあったが、また今度ね? と躱した僕の辛勝で終わった。
3人で駅の方へ歩きながら、今度はお仕事の話になる。
「私、実はアイドルのお仕事をしてるんですよ?」
「えっ……凄い! テレビにも出てるの?」
「そうですね〜、バラエティとかも出させてもらってます」
十時さんのアイドルやってます宣言に、完全に不意を疲れた僕は驚愕でそれなりに大きな声を出してしまった。驚かすことが出来ましたっ、そう言って喜ぶ嬉しそうな十時さんの様子を見て、鷺沢さんは、笑みを浮かべてソワソワとし出す。
十時さんは鷺沢さんの芸能活動を知っているのだろう、挙動不審な鷺沢さんを笑顔で見ていた。
「私に……私に聞いてください……!」
暫くの間十時さんのアイドルの仕事や346プロの事について話し、鷺沢さんを泳がせていると、ついにこらえきれなくなった鷺沢さんが聞いて聞いてと声を掛けてきた。
「そう言えば、鷺沢さんの仕事って何?」
待ってましたと顔を輝かせた鷺沢さんは、今から言うぞと深呼吸をして言い放った。
「私も、アイドルやってます……!」
「あ、それ知ってるよ」
「え……」
驚きましたか? そう言いたげなドヤ顔が一瞬で固まった。
「346プロでアルバイトしてて、偶然ポスターを見ちゃったから」
「そんな……!? 346プロでアルバイトですか……!? ひ、酷いですひどいです! ……私も、驚いてもらえると思ったのに……!」
「はは、ごめんって」
ポカポカと叩いてくる鷺沢さんを軽くいなしながら、気になっていたことを十時さんに質問した。
「むしろ、僕は十時さんがアイドルで、346プロに所属してることに気づかなかったほうが不思議なんだけど」
「それはですね? 鴨川さんのことを先にプロデューサーさんに聞いてたから、驚かせようと思って隠してたんですよぉ?」
いつもと変わらない笑顔で十時さんがそう言う。教授への賄賂ことお菓子の件といい、実は相当な策士なのでは? 怒らせないようにしよう、そう思った。
◆
事務所に着き、少し時間が有るので、僕たちは社内にあるカフェで軽食を食べることにした。
可愛らしいウサ耳メイドさんに、サンドイッチを注文し持ってきてもらう。高校生ぐらいだろうか、社内のカフェでもバイトを雇ってるんだねと言うと、鷺沢さんが彼女は346のアイドルですよと教えてくれた。
アイドルもしてて、ここのお手伝いもして学校も行くとはスゴイ体力だなぁ。感心しながらサンドイッチを口に運ぶ。素朴な、優しい味がした。美味しい美味しい。
あっという間に平らげ、時計を見ると鷺沢さんと十時さんの仕事の時間が迫っていた。
「大変です〜! また走らなきゃ〜」
「食後にあまり、激しい運動は……はぁはぁ……」
会話もそこそこに、代金を置いて仕事に向かってしまった2人を見送り、お会計をしようとレジの方へ向かう途中で、同じ様にレジに向かっていた菜々さんが突然腰を押さえその場に倒れ込んでしまった。
「ノウッ!」
「だ、大丈夫ですか!? 菜々さん!?」
「大丈夫です……あと、な、ナナは17歳なので、さん付けはしないでくださいっ」
「いや今はそれどころじゃ……!」
腰痛よりさん付けを指摘するという、アイドルとしての徹底ぶりとプロ根性をスゴイと思いながら、とにかく医務室に運ばなければと考え背中を差し出す。
「おんぶですか!? こ、こんなの、ナナが学生の時に体育祭で足をくじいた時以来ですッ!……ハッ!?」
「学生の時? とにかく医務室まで連れて行きます、揺れがキツイかも知れませんが我慢してください!」
「わ、分かりましたっ」
何かを口走った菜々さんがごにょごにょ言うのを無視して、とりあえず厨房に居た人に、腰をギックリしてしまった菜々さんを医務室まで運ぶと伝えた。それから、菜々さんがガッシリしがみついているのを確認して、おんぶのまま急いで向かった。
◆
バイト初日に教えてもらった医務室まで無事にたどり着き、菜々さんを落とさないようにドアを開き中に入る。部屋の中には誰も居なかったので、とりあえず空いているベッドの1つに、菜々さんを腰に刺激がいかないように下ろして横になってもらった。
「あ、ありがとうございます」
「気にしないでください」
「本当に……ナナは今回こそダメかと思いました……」
「……今回?」
腰をさすりながら違うんです言葉の綾で……と否定する菜々さんは置いて、どこかに有るはずの湿布を探した。きっと、激しいレッスンとかでどこかを痛めるアイドルが居るはずなんだけど……。とにかく引き出しを手当たり次第空けていった。
包帯、ガーゼ、消毒液、絆創膏、コンド……えっ!?……湿布! 見てはいけないモノを無視して、目当てのものを取り出す。
「菜々さん、うつ伏せになって服をまくってもらえますか?」
「ぬ、脱ぐんですか!? 助けてもらって嬉しいですけど……もしかして、体で払う!? ノウッ! そういうのはお付き合いしてからってナナは決めてて……!」
急に顔を赤くしてモジモジし出した菜々さんに、慌てて湿布を見せた。
「そうじゃなくて! あの、湿布です」
「ハッ! お恥ずかしい……うぅ……」
自分の勘違いに気づいた菜々さんは、大人しくなって布団に横たわり服の裾をまくろうとする……が、うつ伏せの状態で腰を痛めているため、うまくめくることが出来ず、お願いされることになった。
誰もいない医務室で、2人がベッドの上、片方の服を脱がそうとしている……なんて危ない絵面なんだ……誰かに見られるような事故が起きる前に、さっさと湿布を貼ってあげよう。
そう思いながら、菜々さんの服をまくりあげた瞬間、ドアが開いた。
「擦りむいちゃったから、絆創膏貰いに来たんだけど★」
中に入ってきたのは、ピンク色の髪のカリスマギャル、美嘉ちゃんだった。
「なっ、ナナ!? えっ、アノ時の! えっ?」
ベッドに横たわっている菜々さんが、美嘉ちゃんの記憶では全裸を見せつけてきた男になっている僕に、服を脱がされている。
純情な乙女には、あまりにもこの空間は刺激的すぎた。
「ごっごっごっご、ゴメン! 見なかったことにするからっ」
「ちょっと待って!」
衝撃の光景に、赤面しながら逃げ出そうとする美嘉ちゃんを走って追いかける。間一髪、ドアを閉じる前に美嘉ちゃんの腕を掴むことに成功した。
そのまま、逃げられないように力づくで部屋の中に引き込む。いよいよ美嘉ちゃんはパニックで、僕も何をしているのか分からなかった。
「ちょっとまって! ゴメン! 2人の邪魔したのは謝るからぁ!」
どうしようどうしよう! もう完全に話せば聞いてもらえるような状態じゃなかった。美嘉ちゃんは、僕とベッドの菜々さんを交互に見てナニかを想像したのか、顔を赤くしていた。
ええいままよっ!正常な判断が出来なくなった僕が取った策は、美嘉ちゃんを気絶させることだった。
「えっと…………そんなに焦らなくても、一緒にしてあげるよ?」
引っ張って美嘉ちゃんを抱き寄せ、耳元でそう囁いた。
「…………キュウ」
生唾を飲み込んだ音と激しすぎる心音の後、美嘉ちゃんは意識を手放した。
倒れ込んできた美嘉ちゃんを抱きとめ、とりあえず入口近くのベッドに下ろす。呼吸を阻害しないように胸のボタンを外すと、遠巻きに一連の流れを見ていた菜々さんの生唾を飲み込む音が聞こえた。
部屋の空気にもし色がつくとすれば、ショッキングピンクだった。