ジャパリの精鋭軍計7万は筑前、豊後両水軍の支援を受けつつ、周防、長門に上陸。
一方で急遽二正面作戦に持ち込まれた毛利軍も、家督を継いだ隆元の弟、小早川隆景を大将とする軍を対応に向かわせた。
そしてここに、関門海峡近くの櫛崎にて、ジャパリ博士率いる3万6千の兵との戦が引き起こされたのである。
毛利軍は兵力の優位と地の利を活かし、初戦は奇襲などで優位に進め、先鋒島津家久を後退させる戦果を挙げ、なおもこれを追撃せんとした。
これはジャパリ博士の軍のみならず、負傷から回復したヘラジカ率いる第二軍が周防国に上陸を仕掛けており、こちらを早々に撃退する必要に迫られていたからである。
分散させている以上、片方ずつ潰さねばならない。その焦りがらしくもない追撃戦に向かわせた。
しかしこの途中に潜んでいた新納忠元、島津忠将ら野伏隊が襲撃。毛利軍先鋒から押しつぶし、逆に追撃戦に持ち込んだ。
九州という土地での乱世の激闘の中で鍛えられる精鋭金子足軽軍。もはやその力は日の本でも有数のものへとのし上がっていたのだ。
この櫛崎の戦いでジャパリは毛利軍に3倍近い打撃を与え勝利。
ヘラジカ率いる第二軍も高嶺城を包囲し、ジャパリ博士率いる第一軍もまもなく関門の玄関口、清末城を落城させ、さらに東進を進めようとしていた。
この後は毛利軍の目立った反抗もなく、小規模な軍勢が妨害のために繰り出されるのみであった。
1582年
四国の要衝、阿波伊沢城はまさに難攻不落とされていた。羽柴秀吉率いる四国軍を幾度となく撃退。中国方面こそ鳥取城を落として西進するなど優位に進める一方、四国から攻め上がる作戦は半ば頓挫していた。
織田信長は丹波にいた明智光秀を新たに備前に送り、ジャパリとの挟撃の中で功績をさらわれぬよう攻め上がろうとしていた。
しかしこの想定は脆くも崩れ去ることとなる。
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兵を整えた明智光秀は閲兵の名目で信長のいる京へ進軍。
そして信長のいる本能寺を急襲した。
本能寺の変の勃発である。
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これにより織田家の領土は各方面軍によって分割されるような状況となった。
織田信長を討ち、畿内一体を掌握するに至り、そして淡路島を抑えた明智光秀。
一度毛利と停戦し西国、四国を抑える羽柴秀吉。
越前より北陸を抑える柴田勝家。
尾張、伊勢を抑える織田信雄。
美濃より東国に迫る織田信孝。
その勢力が反明智を軸にまとまるに至るのである。
だがその一方、明智光秀はそのさらに外の他勢力に救援を呼びかけた。
甲斐、信濃、駿河を抑える武田勝頼。
西国にて依然影響力のある毛利。
この二大勢力の外部にあるジャパリもまた、新たな道を進む必要に迫られたのである。
ジャパリ博士は東進し、指月城を包囲した状況にてこの報を受けた。
「明智光秀謀反、織田信長死す」
と。
そして彼女は笑い出した。
「やれるのです!これで、これでジャパリは……
天下を目指せるのです!」