1562年の秋、ジャパリ家の中は平穏であった。
隣国はそうでもなかったが。
日向の伊東家の伊東義祐がジャパリに敗北した島津家の弱体化を突こうと、自身に服属する北原氏を通じて加久藤城に侵攻。
しかし島津貴久は息子義弘に命じ、直ちに兵を派遣しこれを撃退。
さらに北原領に侵攻し、伊東氏によって担ぎ上げられた馬関田右衛門佐を処断。
それどころか追撃に追撃を重ね、綾城と佐土原城を落としてしまった。
この大敗の結果伊東氏は米良氏などの国人衆の支持を失い、翌年に島津貴久が直々に侵攻すると、これに服属せざるを得なかった。
これに対しジャパリ家は特に何もしなかった。
講和を無視して攻め込むわけにもいかない上、戦を始めたのは明らかに伊東氏側。
さらに肝付氏と伊東氏の仲も良いわけではなかったため、支援する理由もなかった。
その間は2年間の猶予を活かす為道路網の更なる整備に注力。
特に拠点の鹿屋から都を直接結ぶ道は、後の軍の機動強化に直結した。
またこの道には関所の設置を殆ど認めなかった。
これにより大隅中央を縦断する商業ルートは肝付、志布志を通っていたルートから、新道へと切り替わってしまった。
また評定の為に使者を度々鹿屋へ派遣する中で、各勢力は関所の設置合戦の様相を呈していた。
しかしこれをジャパリ家が仲裁し、こののちジャパリ領内では関所の撤廃が進められた。
これらが出来たのは、結局島津に侵攻されて道を使われる状況になったら、ジャパリ家は終いという一種の諦めがあったからだった。
戦国大名ではなく纏め役。
負ければ各勢力は叛旗を翻す。ジャパリ家を滅ぼし、そのまま島津家に帰属する、そんなことも考えられた。
主がジャパリ家である必要はある程度あっても、ジャパリかばんである必要はなかったのである。
一方国人衆もただで関所の撤廃に応じたわけではない。
ある人物からもたらされた作物の栽培推奨が、その価値の高さから取り入れられたのが大きかった。
「これにぇ、おちゃ、っていうんだってぇ〜。
都でねぇ、流行ってるらしいゆぉ〜。
あ、こっちでも飲むのぉ?嬉しいにぇ〜。
たくさん作ったら堺あたりが大口取引してくれるかもしれないにぇ〜。
あ、このお茶碗はにぇ〜、確かちょっとお高い……」
「わたぁ〜しはぁ〜とぉ〜きぃ〜」
「ちょっとうるさいんですけどー!」
最新文化が種を背負ってやってきた。
ついでに最狂文化もやってきた。
農業にも変化が見え始めた。
道の整備の結果馬糞や魚のカスなどの内陸への流通が容易になり、自然肥料価格も低下。
肥料の使用量が増えたことで収入がわずかに上昇した。
この生産効率の上昇も相まって、ジャパリ家は兵力のさらなる動員を可能にし、また肥料を含めた商人からの上納の増加は、先の戦いで領土を分配されなかった勢力への恩賞を埋め合わせて余りあるものだった。
鉄砲の生産も一定の改善を見せた。
細山田の工房を中心に増産が進められ、何とか鉄砲そのものと弾は自力での調達と備蓄が可能になった。
しかし依然として火薬である硝石は倭寇である明の商人や、彼らを通じた南蛮商人との貿易により獲得されるものであり、そこまで大量運用するには至らなかった。
しかし一門の一人、といっても郎党の家系だが、キングコブラの策で生み出された、騎馬隊の一部に鉄砲を持たせ、鉄砲隊の一部には機動力を若干犠牲にして盾を持たせる戦法の開発は、この後対島津で大いに力を発揮する。
その間に九州情勢も動きを見せた。
1563から1564年にかけて龍造寺家は有馬家へ侵攻。
これを屈服させ肥前の統一を達成。
また翌年には攻め寄せた大友軍を撃退し、その勇名を九州に轟かせた。
一方で1564年、大友家は家臣の伊東一門を担ぎ上げ、伊東氏救援を名分に島津領へ侵攻するも、島津義久によって打ち破られた。
四国旧宇都宮領、河野領西部に拠点を築いてしまったがためにそちらにも注力しなければならなくなった大友家の弊害が、露骨になっていた。
中央も動きを見せた。
1563年、三好義興死去。
翌年、三好長慶死去。
ついに一代にして畿内を支配した三好氏は、その綻びを曝け出すことになった。
翌年には三好家と松永久秀により永禄の変が勃発。
足利義輝は討ち死にし、幕府機構はその機能を完全に停止した。
この復活には美濃を併呑した織田信長が六角氏と北畠氏を併呑するのを待たねばならない。
それ以外の地方では、東北では太平洋側を南部、日本海側を安東が南下。
南部は斯波、稗貫、葛西領の一部を、安東は浅利、戸沢、小野寺を併呑。共にさらに南へ拡大を狙っていた。
関東では南下した上杉政虎が関東の諸大名と手を組み北条の北上を阻止。
飛騨と美濃の一部を併呑していた武田信玄は、1563年に長男義信を切腹させ今川家との関係を手切れ。上杉が関東、越中に、松平が一向一揆に手一杯と見るや一斉に南下し、翌年には駿河、遠江を占領した。
今川氏真は北条氏を頼り、北条氏は武田との関係を手切れし、越相同盟の締結に道をつけたが、関東支配を目論む北条氏と関東管領を名乗る上杉氏はやはりウマが合わず、次第に北条氏は武田との関係改善に動き出した。
西国でも動きがあった。毛利元就は尼子晴久死後の尼子家中の内紛を利用して一気に石見、備後、そして出雲へ侵攻。尼子氏を数年で本拠地月山富田城に追い詰めた。毛利氏が西国の覇者となるのは、目と鼻の先であった。
そして1565年、講和から3年。
ジャパリ家では侍の試験雇用に目処が立ってきた頃、島津貴久は秋の収穫を待って、ジャパリ家の大隅支配の瓦解を狙い錦江湾横断を指示。
垂水城奪取に向け約2万の兵で進軍を開始した。
ジャパリかばんは再び評定を開き、島津家の迎撃を決定。今度は都城、飫肥城も含め何とか計1万の兵を動員。
しかしその数は島津家の半分に過ぎず、他の国や有力者たちの間ではジャパリの敗戦が濃厚と見なされ、一部ではジャパリや肝付の債権の叩き売りまで行われたと言われている。日向端を狙われるのと大隅本土を狙われるのとでは、やはり衝撃の度合いに大きな差があった。
だがジャパリかばんは鹿屋城に集めた各地の兵を統率し出陣。垂水城に入った。
「キングコブラさん」
皆で茶を回して夜も更けに更けた頃、ジャパリかばんは一人でキングコブラのもとを訪れた。
「何だ、頼みごとか?」
「明日、騎馬鉄砲隊を使います」
「……正気かい?まだ数は200もいないんだよ?
馬上だと弾の装填にも時間が掛かるし、銃声に驚かない馬の確保も不十分。まだ本格運用出来る段階じゃないよ」
「それでもです。負けたら、我が家は終わりですから。
被害が相手よりも出ている今、いくら勝ってもこちらは力を削がれる一方です。何としても被害を、それも島津の家が揺らぐ被害を与えないと、希望はない。
指揮をお願いします」
「……運用するだけじゃなくて、私が指揮?
……他の者が首を縦に降るかね?」
「中央には知らせず別個で動いてもらいます」
この策は成功した。
銃撃のち移動して銃撃。
その繰り返しは島津側に鉄砲の数を誤認させたとも言われている。
のちに雨が降ればジャガーとボスの率いる騎馬隊が突入。
島津忠将隊は潰走。後方の貴久隊にも波及し、島津軍は混乱に陥った。
これを追撃し、ジャパリ家はついに島津側に2倍以上の損害を与える大勝利を挙げたのである
その勢いのまま北上を開始。
廻周辺、加治木城近郊までの拠点を即座に制圧したのち、霧島山を迂回して加久藤城を包囲。日向の島津領と薩摩の遮断に動いた。
しかしただで見過ごすわけにはいかない島津貴久は救援軍を2回派兵。
しかしこれらはジャパリ軍によってともに撃ち破られた。
2ヶ月後、翌年1月、加久藤城は開城。城代の園田実明は投降のち解放された。
この結果旧伊東領との関係が遮断され、島津家は窮地に陥った。
この度重なる敗戦の責任を取って島津貴久は嫡子義久に家督を譲り隠居。
義久としてもジャパリに弱腰を見せるわけにはいかず、再度の加久藤城奪還を狙ったが、ジャパリ軍は島津が対等講和を飲まないと見るや日向に侵攻。騎馬鉄砲隊の壊滅と引き換えではあったが、この地を守っていた島津義弘を宮崎の戦いで撃破した。
これを受けてこれ以上領土を失陥することを恐れた島津義久は講和を受け入れ、包囲されていた佐土原城からジャパリは兵を引いた。
1566年、勝ち続けるままに領土を広げたジャパリ家は、島津と勢力として肩を並べるに至ったのである。
その間に名和氏を取り込んだ龍造寺隆信が天草に侵攻。さらに水俣城を抑え相良氏と対峙するに至った。
相良氏とは国境沿いでの商取引を認めていたが、こののちジャパリは九州を飲み込む外交の輪にパーツの一つとして組み込まれていくのである。
あと愛洲宗通が剣を教えにやってきた。
ボスダヨ。
また勝ったよ。これで貯金じゃなくて年収で島津と張り合えるようになったね。
でもまだまだ気は抜けないよ。こう見えても島津は強いからね。それ以上に双頭の龍が優秀なだけで。
それで今回も新たなフレンズが加わったよ。こうざんちほーさばくちほーだね。
駆け足で行ったから同時に紹介するよ。
アルパカスリ
統率 49
武勇 56
知略 54
内政 87
外政 72
作戦 本陣切込
戦法 臥薪嘗胆
能力 守城心得 利水上手 鉱山経営 教養人
強力な内政キャラだね。
かばんが来るまでずっとかふぇで待ってたから臥薪嘗胆持ちだよ。
トキ
統率 42
武勇 46
知略 53
内政 50
外政 56
作戦 神出鬼没
戦法 足止め 傾奇者
能力 韋駄天 荷運奉行
味方も敵もみんな防御力を下げてしまう傾奇者を持っているよ。前田慶次などが持ってるね。
トキの声はカラスみたいな濁った声で……
ショウジョウトキ
統率 53
武勇 52
知略 50
内政 50
外政 47
作戦 本陣切込
戦法 突撃
能力 民衆統制
ですけどー
スナネコ
統率 36
武勇 42
知略 46
内政 56
外政 50
作戦 神出鬼没
戦法 足止め
能力 薫陶成性
逸り気でもよかったかもしれないね。
ツチノコ
統率 51
武勇 61
知略 84
内政 83
外政 35
作戦 大将先駆
戦法 急襲
能力 守り神 商圏経営 国財運用
こちらも内政メインだよ。
後々活躍するかもしれないね。
これからもよろしくね。