モアがホグワーツに転入して最初の土曜日がやってきた。今日のモアは、午前中にハーマイオニー達と一緒にハグリッドの小屋を訪れる約束になっていた。何となく目が冴えて珍しく早起きをしていたモアは、徹夜明けのブーティと談話室で戯れることで朝食までの時間を潰していた。
動き回る猫じゃらしに飛び付こうとしたブーティが盛大なジャンプを披露した時、モアは見たことのない深紅のローブをまとったウッドが男子寮から出て来るのを見た。
「あら、こんな朝早くからどうしたの、オリバー」
ウッドがこちらに近づいてきた。
「おはよう。クイディッチの練習だよ。ちょうど良い所に居た。アリシア達を起こしてきてくれないか?」
「アリシアって?」
「アリシア・スピネット、四年生。クイディッチのチェイサーだよ。ほら、男子は女子寮には入れないから」
モアは猫じゃらしを動かすのを止めながらこっくりと頷いた。ウッドは早口で言葉を継いだ。
「それから同じく四年生のアンジェリーナと三年生のケイティも頼む」
「待って待って、一度に言われても覚えられないわ! 四年生が二人と三年生が一人で良いのよね」
モアは再三の確認を取ると、女子寮に戻って三人を探し始めた。間違えて何名か別の人を起こしてしまったが、十分も経たないうちに無事目的の三人を眠りから覚ますことが出来た。
モアが談話室に戻るとウッドは既におらず、男子寮からウィーズリーの双子が出て来るところだった。ウッドと同じ深紅のローブをまとった双子は、モアに朝の挨拶を述べると、重たげな足取りで談話室から出て行った。どうやら彼らもクイディッチの選手らしい。
程なく先程モアが起こした女の子達も女子寮から出てきたが、皆が皆まだ夢うつつといった様子で、今まで会ったクイディッチの選手でしゃっきりしていたのはウッドただ一人だけだった。
モアが一旦ベッドルームに戻って猫用ブラシを取ってくると、談話室の入り口ではハリーが前にも見たカメラ小僧の男の子に捕まっているところだった。ハリーはウッド達と同じ深紅のローブの上に黒いマントを羽織っていた。
「ごめんね、コリン。急ぐんだ――クイディッチの練習で」
肖像画の穴をよじ登りながら告げるハリーにコリンが追い縋った。
「うわっ、待ってよ! 僕、クイディッチって見たことないんだ!」
そこで、困ったように振り返ったハリーとモアはばっちり目が合った。
「やあ。おはよう、モア」
「こんな朝早くから大変ね、ハリー」
ハリーは寝ぼけ眼を擦りながら大きな欠伸をこぼした。顔の上では眼鏡が盛大にずれている。
「ロンには書置きしたんだけど、今日の午前中はハグリッドの小屋には行けないかも知れない。それじゃあ」
「ねえ、君ってここ百年間で最年少の寮代表選手なんでしょう! ねっ、ハリー!」
小バエのように纏わりつくコリンにうんざりした様子でハリーは肖像画の穴に入った。コリンは瞳をキラキラと輝かせながらその後に続き、談話室を出て行った。
そういえばハーマイオニーの話によれば、ハリーはクイディッチというスポーツで、シーカーと呼ばれる重要なポジションを担当する優秀な選手なのだった。彼もウッドが言っていた練習とやらに行くところだったのだろう。
尤も、モアはクイディッチについてはルールなどをパンジーから聞きかじった程度でしか知らないので、ハリーがどれほど優秀な選手なのかは想像するしかなかったのだが。
クイディッチの選手達が談話室を出て行ってからしばらく、ロンが男子寮から降りてきた。ロンはブーティを毛繕いしていたモアを見つけるなり、挨拶も抜かして話しかけた。髪の毛にちょっと寝癖が付いている。
「君って早起きなんだね、モア」
「今日はたまたまよ。それよりハリーの書き置きは見た?」
「クイディッチの練習に行ったって奴だろ? ウッドもよくやるよな」
そこへハーマイオニーが女子寮からやってくると、三人は肖像画の穴を抜けて大広間に向かった。休みの日だから皆の出足が遅いのか、大広間はまだ閑散としていた。グリフィンドールのテーブルには名前を知らない上級生が陣取っており、皿に山盛りにしたマッシュポテトを幸せそうに頬張っているのが目に付いた。
席に着くなり、ハーマイオニーはトーストにたっぷりのマーマレードを塗りつけながら言った。
「折角だから、今から朝食を持ってハリーの練習でも見に行きましょうか」
「そりゃ良いや! モアはクイディッチを見たことないよね?」
ロンはとっておきの思い付きだとばかりに膝を打ち鳴らすと、ハーマイオニーに倣ってマーマレード・トーストを作り始めた。
モアが皿の上の料理を寄せ集めてサンドイッチを拵えていると、教職員用のテーブルからマクゴナガル先生がやってきた。マクゴナガルはモアの顔を見るなり、何かを心配するように眉根を寄せた。
「クレイズ、今日の午後ですが魔力検査をしましょう」
「魔力検査ですって?」
モアは素っ頓狂な声を上げた。ロンとハーマイオニーは顔を見合わせた。
「そうです。あなたが転入してきてもう一週間が経ちますが、どれだけ練習を重ねてもあなたの魔法は一向に効果を発揮する気配を見せません。幾らなんでもあなたのそれは異常と言っていいほどです。保健室でしっかり検査して、心身に不調がないことを確かめるべきだと私は考えます」
きっぱりと言うマクゴナガルには有無を言わせぬ勢いがあった。気圧されたモアが無言で頷くと、マクゴナガルはほっとしたように息を吐いた。
「検査の結果によっては何らかの対策を考えなければならないかも知れません。十三時に保健室へ。良いですね」
遂にこの機会がやってきた、とモアは思った。
魔力検査が如何なるものかは分からないが、この検査の結果によっては、モアが魔法使いじゃないということが証明出来るかも知れない。モアは立ち去るマクゴナガルの背中に向かって小さくガッツポーズを決めた。
ロンはすっかり驚いた様子であんぐりと口を開けた。
「僕、魔力検査なんて久々に聞いたよ」
「ねえ、一体何を検査するのかしら」
モアは食い気味にロンに問いかけた。
「文字通り、魔力の検査さ。と言っても、基本的には健康診断と変わらないけど」
ロンはミルクピッチャーからグラスにミルクを注いだ。ハーマイオニーは教科書を諳んじるように目を閉じた。
「確か、ホグワーツでは組み分けの儀式が魔力検査を兼ねているから通常は実施しない、って『ホグワーツの歴史』に書いてあったわ。もしかしたら何十年ぶりの実施になるんじゃないかしら」
大広間から朝食を持ち出したモア達は、連れ立ってクイディッチ競技場に出た。スタンド席に上ると、芝生で埋め尽くされた競技場全体が見渡せた。競技場の両端にはそれぞれ三つのリングが設置されており、あれがボールを投げ込むゴールなのだとモアは理解した。
競技場にはまだ深紅のローブ姿はなかった。芝生の上に朝靄が薄らと残っており、日の光にきらきらと輝いてとても美しい光景を作り出していた。
モアはサンドイッチをかじりながら、朝のひんやりとした風を心地よく感じていた。誰も居ないグラウンドはとても広く感じられ、あの芝の上に寝転がったらどれほど気持ち良いだろうかと考えた。
しばらくかかって選手たちが更衣室から出てきた。ウッド以外の誰もがまだ眠気を引き摺った顔をしていた。
ロンが立ち上がってハリーに声を掛けた。
「まだ終わってないのかい?」
「いや、まだ始まってもいないんだよ。ウッドが新しい動きをレクチャーしてくれてたんだ」
眠たげな表情とは対照的に、ハリーの声はしっかりとしていた。
選手達はそれぞれ箒に跨るとすぐに舞い上がり、ウォーミングアップとばかりに競技場を一周し始めた。皆飛び方は上手いもので、箒に上がれと命じてもコロリとも動かなかったモアとは大違いだった。
「ハリー! こっちを向いて、こっちだよ!」
子供特有の高い声と共に連続するシャッター音が響き渡った。モアがきょろきょろと音の出所を探すと、スタンドの後方でカメラ小僧のコリン少年が次々に写真を撮り続けているのが見えた。
確か彼はハリーと一緒に談話室を出たはずだから、朝食も食べていないだろうに、よくあそこまで元気が出せるものだとモアは感心した。コリンはこの間もロックハートとハリーのツーショットを撮っていたし、余程ハリーのことが好きなのだろう。
グリフィンドールチームのウォーミングアップはしばらく続いた。選手の誰もが反時計回りに競技場を回るばかりでモアが退屈し始めた時、グリーンのユニフォームを纏った、体格の良い男子生徒達が更衣室から出てきた。あれは恐らくスリザリンチームだ。
これを見つけるなり、ウッドと思しきシルエットが上空から急降下して地面に着地した。ウッドは緑の一団の先頭を歩いていた一人に詰め寄ると、何やら言い合いを始めたようだった。
不穏な空気を察して、ハリーや赤毛の双子、女子選手達も次々と地上に降りてきた。両チームは向かい合って、今にも一触即発しそうな雰囲気だ。
「ねえ。あそこに居るの、マルフォイじゃないかな」
ロンがスリザリンチームの後方を指差した。
短く刈り込まれた六つの頭の中に、日差しを受けて輝くプラチナブロンドが混じっている。他のメンバーに比べて二回りは小柄なドラコは、胸を張って前に歩み出た。
ロンはスタンドの塀を飛び越えて競技場に降りると、小走りで選手たちの集まっている所へ向かった。サンドイッチを詰め込んだモアとハーマイオニーも慌ててこれに続いた。
「どうして練習しないんだい? それにあいつ、こんな所で何してるんだ?」
選手たちに合流するなり、ロンが刺々しい口調でドラコを睨み付けた。
「僕はスリザリンの新しいシーカーだ。そして今は、僕の父上がチーム全員に買ってくださった箒を皆で称賛していたところさ」
ドラコは自慢げな様子で箒を前に突き出した。見せ付けるように差し出された『ニンバス2001』との銘が入った箒は見るからにぴかぴかで、グリフィンドールチームの携えている年季の入った箒とはまるで大違いだった。
ロンは七本の特上の箒を前にして、言葉を失くしたようにぽかんと口を開けた。
すっかり箒に見惚れているロンを押し退けて、ハーマイオニーが前に出た。
「何か勘違いしてるんじゃないかしら。言っておくけれど、グリフィンドールのメンバーは皆、お金じゃなくて才能で選手になったのよ」
「誰もお前の意見なんて求めてない、生まれ損ないの穢れた血め!」
ドラコがそう叫んだ途端に、双子はドラコに飛びかかろうとしたし、女子選手達は可愛い顔を歪ませて非難の声を上げた。中でも一番怒っていたのはロンで、何時ぞやの時のようにドラコに杖を差し向けた。
「マルフォイ、思い知れ!」
大きな破裂音が競技場一杯に響き渡り、緑色の閃光が杖の先ではなく根元から迸った。閃光がロンの腹部を直撃すると、ロンはその勢いに押されて芝生の上にへたり込んだ。
ハーマイオニーがロンに駆け寄った。
「ロン、ロンってば! 大丈夫!?」
ロンは何か言いたげに口を開いたが、そこから言葉が出てくることはなかった。次の瞬間、モアは半月前に三本の箒で見たおばあさんのことを思い出す羽目になった。ロンが大きなげっぷと共に、ぼたぼたと大きなナメクジを吐き出し始めたからだ。
モアは――モアだけでなくその場に居た大半の人間が、思わず後ずさりした。スリザリンチームだけは笑い転げて、今にも酸欠になりそうなほどだった。
盛大な笑い声に負けないよう、ハリーがハーマイオニーに向かって叫んだ。
「ここから一番近いハグリッドの小屋に連れて行こう!」
二人はロンを両脇から抱え上げると、ロンをほとんど引き摺るようにして歩き始めた。
いつの間にグラウンドに降りてきたのだろう、またも纏わり付き始めたコリンをハリーが叱り付けると、芝生の上に点々とナメクジの跡を残しながらロンたちは競技場から退場した。
コリンだけは遠ざかるハリーの後ろ姿に向かってめげずにカメラを構え続けていた。
スリザリンの面々はロンが居なくなった後もげらげらと笑い続け、腹が捩れるとばかりに地面に転がった。
モアは小声でケイティに話しかけた。
「ねえ、穢れた血って何なの?」
「マグル生まれに対して一番言っちゃいけない言葉よ。あんな酷いこと、よく言えたものだわ」
ケイティが怒りを噛み締めるように拳を握り締めながら言った。モアが疑問符を浮かべていると、ウィーズリーの双子の片方がフォローを入れた。
「先祖代々魔法使いの生まれのことを純血って呼ぶのに対して、マグル生まれのことを悪く言う時に使うんだ。まともな親なら自分の子供にそんな言葉使わせないんだけどな」
モアは、この間パンジーが図書室でハーマイオニーのことを穢れた血と呼んでいたのを思い出した。何となく悪口だということは分かっていたが、そこまで酷い差別的な意味を持つとは思ってもみなかった。
モアはちょっとだけ、パンジーがこれまでにしてくれた親切を疑いそうになった。
「スリザリンが居るなら新しいフォーメーション練習は出来ない。ハリーも居ないことだし、このまま競技場を譲るのは癪だけど練習は中止にせざるを得ない」
ウッドが力なく言うと、グリフィンドールチームは肩を落として更衣室に戻り始めた。スリザリンチームはにやにやした笑いを浮かべてこれを見送ると、練習開始とばかりに散開し始めた。
一人残されたモアがどうしたものか迷っていると、箒を片手にドラコが近づいてきた。
「君、クイディッチを見に来たんだろう? なら僕たちの練習を見て行くと良い」
「えっ?」
ドラコは今まさに飛び立たんとしていたスリザリンチームのキャプテンを呼び止めた。
「マーカス! 彼女が見学していっても別に構わないだろう?」
マーカスは箒に跨ったままモアを振り返ると、
「我々の箒の性能を見せ付けるいい機会だ。好きにさせておけ」
とだけ言って芝生を蹴った。マーカスはみるみる上昇し、あっという間に小さな点になった。
「だとさ。僕たちの練習を見学したら、グリフィンドールの練習なんて温くて見ていられなくなるはずさ」
ドラコもそう言うなり箒に跨って、弾丸のように空へと繰り出していった。
迷いに迷ったが、結局モアはスタンドに戻って、午前中一杯をそこで過ごした。初めて見るクイディッチはルールの分からないところもあったが、それでも想像以上にエキサイティングだった。四つのボールの飛び交うさまはダイナミックだし、何より選手たちが空中で見せる曲芸にはひやひやさせられっぱなしだった。
昼休みになって戻ってきたロンは、時折ナメクジを吐き出す他は調子が良さそうだった。吐き戻すことを恐れて流石に昼食は抜いていたが、それでもリンゴジュースを飲んだり、それなりに皆との昼の時間を楽しめているようだった。
ドラコに酷い悪口を言われたハーマイオニーにしても落ち込んだ様子はなく、それどころか訪れたハグリッドの小屋で何か良いことがあったのか、ちょっとだけ上機嫌だった。
飛ぶように昼休みは過ぎ、約束の十三時がやってきた。モアは一人で保健室を訪れると、椅子に座って校医の先生がやってくるのを待った。
マダム・ポンフリーはすぐにやってきた。
「お待たせしてすみません、ミネルバと話し込んでしまって」
「大丈夫よ。たった今来たばかりだから」
マダム・ポンフリーは三角巾を結び直すと、てきぱきとした動きで杖を振るった。すると、巻き尺やら注射器やらの道具がモア達の前に方々から集まってきた。
魔力検査といっても確かに、身長体重をはかったり、血液検査をしたりと、主だった事柄はロンの言う通り普通の健康診断と大差なかった。
強いて言えば手の平サイズの小さな風車に息を吹きかけたり、重りの沢山付いたばねを両腕からぶら下げたり、魔法陣のようなものが掘られた石板に裸足で乗っかったり、楕円形の透明な石を握り締めたりさせられたくらいで、これで何が調べられるのかはモアにはてんで想像が付かなかった。
全ての検査を終えると、今度はマダム・ポンフリーによる問診が始まった。椅子に座って向かい合い、二つ三つ簡単な質問が続いた。
「では何か体に不調の所はありませんか。どんな些細なことでも構いません」
モアはちょっと考えてから答えた。
「小さい頃から鼻炎持ちではあるけど、最近は昔ほど酷くないし、それ以外は至って健康よ」
「鼻炎持ちですって?」
「そうよ。鼻が詰まっちゃって。ちょっと息苦しいくらいでそんなに不自由はしてないから別に良いんだけど」
マダム・ポンフリーは手元の問診表に何か書き付けた。
「魔法薬学の授業は上手く行っているんですよね。上手く行かないのは杖を使う授業だけ?」
「ええ。今のところは」
長い息を吐いて、マダム・ポンフリーは問診表を膝の上に伏せた。
「検査結果はいずれも良好です。全ての検査で魔力をしっかり測定出来ましたし、寧ろ人より魔力は強いくらいです。これで魔法が発動しない理由は皆目見当が付きません」
モアはがっくりと肩を落とした。あのよく分からない検査の信憑性はともかくとして、全ての検査で魔力など検出されないのがモアの理想だったから、これは期待とは真逆の結果だった。
マダム・ポンフリーはメモ用紙にさらさらと何かを書き付けると、びりりと破いてモアに手渡した。
「取り敢えず、鼻炎の薬を出しておきます。まさか鼻詰まりが不調の原因ということはないでしょうけど、毎日服用するように」
「はぁい」
メモ用紙には『一日二回、朝晩、小さじ一杯』とだけ書かれていた。マダム・ポンフリーが杖を振ると、薬棚の扉が開いて緑色の小さな小瓶がモアの元に飛んできた。モアが小瓶をキャッチすると、マダム・ポンフリーはこれでお終いとばかりに立ち上がった。
「薬がなくなった頃にまたいらしてください。それでは、良い午後を」
「ありがとう、マダム」
モアは保健室を後にした。廊下をしばらく歩いて、それから深々とした溜め息と共に項垂れた。そのままよろよろと廊下の壁に凭れ掛かる。
はっきり言って、八方塞がりだった。
魔力検査の結果はモアが魔法使いでないことを証明するどころか、はっきりと魔力を検出していたという。このままでは前の学校に戻るどころか、ホグワーツに通い続ける羽目になってしまう。
今や、モアにとっては杖を使えないことだけが唯一の救いであり、希望だった。これを糸口になんとかして前の学校に戻れる方法を考えなければいけなかった。
だが幾ら考えても、モアが魔法使いではないと証明する方法は思い付かないのだった。