退学届の不受理から何日か経って、ハロウィンの日がやってきた。
数日前から大広間はハグリッドの育てた巨大かぼちゃのランタンで飾られ、生きたコウモリが天井から沢山ぶら下がるようになっていた。すっかりお祭りモードの学内は、浮足立った空気に包まれていた。
先日のことがあってから素直に浮かれる気持ちにはなれないモアだったが、それでも初めて過ごすホグワーツでのハロウィンは煌びやかで、高揚感のようなものを感じていた。
ハリー達はほとんど首なしニックの開催する絶命日パーティなる物に出席するとかで、夜に開かれるハロウィンパーティを欠席するとのことだった。ハリーからはモアも一緒に行かないかと誘われたのだが、ゴーストだらけのパーティに違いないと聞いたのですぐさま遠慮した。
大広間のパーティでは、金色の皿にたくさんのかぼちゃ料理とそうでない料理が並んだ。モアは全ての料理を少しずつ取り分け、やけ食いとばかりに全部平らげた。ダンブルドアが余興に招いた骸骨舞踏団は不気味で好きになれなかったが、デザートのかぼちゃパイやかぼちゃジェラートはとても濃厚で美味しかった。
パーティがお開きになると、皆は満腹のお腹を擦りながら大広間を出た。沢山の生徒達がひしめき合いながら階段を上っていったが、三階に差し掛かった途端に人の列はちっとも前に進まなくなった。
列の後ろの方に居たモアは何が何だか分からずに首を伸ばした。渋滞の前の方から波が広がるように沈黙が広がり、三階の廊下は静寂に包まれた。
静寂に石を投げるようにして、誰かの叫び声が聞こえた。
「継承者の敵よ、気を付けよ! 次はお前たちの番だぞ、『穢れた血』め!」
その言葉の意味はちんぷんかんぷんだったが、三階の廊下で何か事件が起こっているということだけは確かだった。
ハロウィンの夜に何があったのか、噂話はすぐに回ってきた。ホグワーツに隠された『秘密の部屋』が開かれたとかで、フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスが何か恐ろしい魔法の力で石にされたというものだった。
ミセス・ノリスは年老いた灰色の猫で、痩せた身体にぎらりと輝く金色の目の持ち主だった。生徒達からはあまり好かれていない様だったが、モアはあの猫のことをそんなに嫌いではなかった。何度か廊下で頭を撫でたことがあるし、ブーティとは違ったワイルドな魅力に溢れる猫だと感じていたからだ。だからモアは今回の事件をとても残念に思った。
ハリー達がミセス・ノリスの第一発見者ということで、噂話の中にはハリーを犯人ではないかとみる向きもあったが、モアはそれはないだろうと考えていた。この二ヶ月一緒に過ごしていて、そういう他者を傷つけるようなことをするタイプには思えなかったからだ。
噂好きな皆は次に誰が襲われるのだろうかと気にしていたが、モアが気にしたのも勿論そのことだった。
「猫が狙われるってことなの? ねえ、私のブーティは大丈夫かしら」
「多分大丈夫だと思うよ。だって君の猫は談話室から一歩も外に出たことないんだから」
ハリーは気休めのように言った。
「ああ、どうしましょう、ブーティのことが心配で授業なんて受けていられないわ! 談話室に帰りたい、今すぐに!」
モアは授業の合間に必ずグリフィンドール寮に戻って、ブーティの無事を確認するようになった。そんなモアをロンやハリー達は過剰反応だと笑ったが、モアにとっては小さな子猫の生き死にに関わることで、正しく死活問題だった。
火曜日の夜。ロックハートの補習を終えて寮の談話室に戻ってきたところ、モアは入り口のところで赤毛の監督生に呼び止められた。
「ああ、よく戻ってきてくれた。君を待っていたんだ」
確か、彼はパーシーと言っただろうか。モアは、彼がロンや双子のフレッド、ジョージの兄だったように記憶していた。そのウィーズリーが一体何の用だろうか。何か規則に違反した覚えもないし、モアは監督生に待ち伏せされる理由がてんで思い浮かばなかった。
パーシーは周りをきょろきょろと見回すと、声を潜めて話し出した。
「ちょっと折り入って頼みたいことがあるんだが、構わないかな」
「別に良いわよ。まあ、内容にもよるけど」
モアは、小首を傾げながら言った。
「うちの妹って分かるかい? 僕やロンと同じ赤毛で、お下げ髪の」
「ええ。ジニーでしょう、一年生の」
「そう、一年生だ。入学してまだたったの二ヶ月しか経っていない!」
パーシーは期待通りだとばかりにうんうん頷く。
「なのに、この間のハロウィーンではあんな事件があっただろう。すっかり落ち込んでしまっていてね……ジニーは昔から猫好きなんだ」
猫と聞いて、モアは真っ先にあの可愛い白長靴のことを思い浮かべた。
「もしかして、その、私にジニーを元気付けてほしいってこと?」
「ああ、全く以ってそうだ! よく察してくれた!」
パーシーは待っていたとばかりに快哉を叫んだ。それから冷静さを取り繕うように眼鏡のブリッジをくいっと押し上げると、早口でまくし立て始めた。
「確か、うちの寮には黒い子猫を飼っている子が居たと思ってね、是非そいつをジニーに会わせてやってほしいんだ。それに君は年も近いし、きっと良い話し相手になれると思う。本当なら僕ら兄弟が励ましてやらなくちゃならないんだが、生憎、僕は監督生の仕事で忙しくてね。弟達は見てのとおりあんなだからあまりあてには出来ないし……」
マシンガンのように発せられるパーシーの言葉を遮るように、モアは彼の腕を掴んだ。
「分かった、分かったわ! そういうことなら引き受けてあげる」
正直に言えば、励まして欲しいのはモアの方だったが、妹を心配するパーシーの気持ちを思えば答えは一択だった。
一息に話して息切れしたのか、パーシーはふうと溜め息を吐いて再び眼鏡のブリッジを押し上げた。
「そうか、分かってくれて良かった。助かるよ。君も転校してきたばかりで何かと大変だろうが、時々ジニーを気に掛けてくれるとありがたい」
「ええ。私は一人っ子だから分からないけれど、兄弟を持つのって結構大変なのね」
モアが苦労を推し量って言うと、パーシーは感激したようにモアの肩を叩いた。
「そう、そうなんだよ! 本当はまだ上に兄が二人居るんだが、ホグワーツでの最年長は僕だからね……ああ、すまない。夜だと言うのにすっかり引き留めてしまった」
「大丈夫よ。ロックハートの下らない授業の所為ですっかり眼が冴えちゃったところだから」
作戦は次の日の昼休みに早速決行された。というのも、大広間で食事を摂っているジニーを見かけたからなのだが、ジニーは顔が青白くて、見るからに塞ぎこんでいる様子だった。
一刻も早く励ましてやらなければと思ったモアは、ジニーの隣の席に腰掛けると彼女の顔を覗き込んだ。
「ジニー! あなた、ジニー・ウィーズリーよね?」
急に知らない人から話しかけられたジニーは、びっくりして肩を竦めると恐る恐るといった様子でこちらに振り返った。
「何かしら。私に何か用でもあるの?」
「用、そうね。大したことじゃないんだけど、そろそろうちの子猫に餌をやる時間なの。良かったら食事の後でちょっと付き合わないかしら」
ジニーは思ってもみなかったとでも言うように瞳をぱちくりさせた。
モアは二年生のベッドルームにジニーを招き入れた。ジニーは初めて入る上級生の寝室にちょっと恐縮していたが、それもカーテンと窓の間で足を折り畳んでいるブーティを見付けるまでの間だけだった。
愛らしい子猫を目にすると、ジニーはぱっと表情を明るくした。モアは満足げに餌の袋を取り出した。
「ブーティはその場所がお気に入りみたいなの。鳥や舞い散る葉っぱみたいな外の景色に興味があるみたい」
「表には出してあげないの?」
ジニーは無邪気な表情でモアに問いかけた。
「まだ子猫だから寮の中だけね。もう少し大きくなったら学校の中を散策させてあげても良いんだけど、まだ心配だから。あんな事件もあった後だし」
ミセス・ノリスの一件を仄めかすと、ジニーは急に力を失くしたように俯いてしまった。モアは慌てて餌袋の封を切ると、ウェットフードを指に載せ、そのままブーティの鼻先に差し出した。
ブーティは何度か指先の匂いを嗅いだ後、舌を伸ばして指先についた餌を舐め取り始めた。
「これ、最近覚えたの! ブーティったらもう、この一生懸命食べる姿が物凄く可愛いでしょう?」
「うわあ……! ねえモア、私もやってみて良いかしら」
「ええ、どうぞ」
モアはジニーの人差し指にもウェットフードを乗せた。ジニーが恐る恐る指を差し出すと、ブーティはやっぱり何度か匂いを嗅いでからぺろぺろし始めた。この餌やりは落ち込んだジニーに効果てきめんで、すぐさまくすぐったそうに笑い声をあげた。
「あははっ! 何これ、凄く可愛い!」
「そうでしょう! 私のブーティったらもうとっても可愛いでしょう!」
「うん! 育ち盛りだからかしら、とっても食いしん坊なのね」
一頻り笑い合った後、ジニーはふっと真面目な顔になった。
「ねえ、モア。あなた、パーシーの差し金ね」
モアは驚いてジニーの顔をまじまじと見詰めた。
「あら、どうして分かったの」
「ロンやフレッジョなら自分で励ましに来るもの。パーシーはそういうの得意じゃないから」
ジニーはパーシーのことを思い浮かべたのか、ちょっとだけ恥ずかしそうな笑みを浮かべた。モアは何だか心が温かくなって、ふふっと微笑み返した。
「そう、お兄ちゃんのことはお見通しってわけね。でもパーシーは本当に、近頃あなたが落ち込んでるって酷く心配してたわ」
「分かってるわ。でも本当に、色々なことがありすぎて、どうしたらいいか分からないの」
弱々しく首を振るうジニーは、何か言いたくても言えない秘密を抱えているように思えた。モアは何とか力になれないかと思い、腕を伸ばしてジニーの両手を握り締めた。
「何でも良いから話したいことがあったら言って。胸のつっかえが少しは取れるかも知れないわ」
「ありがとう。最初は魔女になりたくないだなんて、なんて変な人だろうと思っていたけど、あなたって優しいのねモア」
ジニーはもう一度柔らかく微笑んだ。この笑顔を曇らせている原因が何なのか、モアにはまるで想像が付かなかった。
その日の午後、いつも退屈なはずの魔法史の授業は、ハーマイオニーが秘密の部屋について質問し始めたことで様相をがらりと変えた。これまでの授業で寝落ちしていた誰もが起き上がり、先生が何を言うかに集中し始めたからだ。
これを受けて、ビンズ先生は渋々といった様子でホグワーツの四人の創設者と『秘密の部屋』にまつわる話をし始めた。
今から一千年以上前、まだ魔法使い達が迫害されていた時代に、ホグワーツは魔法教育を目的として設立されたという。
初めこそ上手くいっていたが、ホグワーツの創設者である四人の魔法使いは次第に入学者の選別を巡って仲違いを始めるようになった。純粋な魔法族のみにホグワーツへの入学を許可するべきだとしたスリザリンに対し、他の三名はマグル生まれの者にも門戸を開くべきとしたからだ。
両者は――中でもスリザリンとグリフィンドールは激しく対立し、結局スリザリンは学校を去った。ここまでが歴史に残る事実だという。
スリザリンの去ったホグワーツにはある空想的な伝説が残された。それはスリザリンが他の創設者たちの知らぬところで学校に『秘密の部屋』なる物とスリザリンの怪物を残したというものだった。
スリザリンの思想を継承するものが現れるまで秘密の部屋は封印され続け、継承者が現れた暁には、スリザリンの怪物がホグワーツで学ぶに相応しからぬ者達を追放するというのだ。
この伝説を受けて、高名な魔法使いたちが何度もホグワーツを探索したが、そうした隠し部屋の類は見つからなかったのだという。
その後も秘密の部屋に関連して生徒からの質問が幾つか続いたが、ビンズ先生は馬鹿馬鹿しいとでも言わんばかりにそれらを切って捨てた。後はいつも通りの退屈な授業で、モアは頬杖を突きながら秘密の部屋について考えた。
秘密の部屋とその怪物がホグワーツに相応しくない生徒を追放するための装置なら、ミセス・ノリスは何故襲われたのだろう。モアは、魔法史の教室に来る途中で見掛けた、事件現場の落書きを思い返す。
壁の高い位置に赤のペンキで書かれた文字は『秘密の部屋は開かれたり。継承者の敵よ、気を付けよ』だった。継承者の敵とは何を指しているのだろう。ビンズ先生の話から単純に考えれば、マグル生まれを指しているように思える。だが、襲われたのは生徒ではなく無辜の猫だったのだ。
今回の事件はただの脅しで、全ての幕開けに過ぎないということなのだろうか。
授業一杯考えても上手い答えは見つからず、釈然としない思いを抱えながらモアはグリフィンドール寮に戻った。
ただ、もし狙われるのが猫ではなくマグル生まれの生徒なら、ブーティの身は危なくないのかも知れない。モアは不謹慎ながらもちょっとだけほっとしたのだった。