転入から二ヶ月少々が経ち、すっかり学校生活に慣れてくると、モアは一人で行動することが増えてきた。授業の合間はブーティの安否確認に忙しかったし、ハリー達三人は最近何だかこそこそしていて、空き時間の度にモアに隠れて何かやっているようだったからだ。
一体何をしているのか一度尋ねてみたが、秘密の部屋を開いた犯人を捜していると教えてくれただけで、具体的に何をしているのかは教えてくれなかった。
秘密の部屋と言えば、今話題になっているのはコリン・クリービーのことだった。
スリザリン対グリフィンドールのクイディッチの試合があった土曜夜、何者かに襲われたコリンはミセス・ノリスと同様に石化させられてしまったのだ。今は医務室に安置されており、スプラウト先生が育てているマンドレイクの成長を待っているという。コリンはマグル生まれの生徒で、だからスリザリンの継承者に狙われたのではないかと専らの噂だった。
呪文学でコリンと隣の席だったジニーは特別酷く落ち込んでいた。
「ねえジニー、大丈夫よ。マンドレイク薬が出来ればすぐに元気になるって、マダム・ポンフリーが言ってたじゃない」
「うん、分かってるわ。でも……」
今のジニーにはどんな気休めも効果がないようだった。
相変わらずハリーを犯人だとする噂がちらほら聞こえたが、モアはハリーが犯人ではないという確信を持っていた。確かにハリーはコリンを鬱陶しがってはいたが、事件のあったその日の夜、ハリーは腕の骨を再生させるために医務室に居たからだ。
スリザリン対グリフィンドールのクイディッチの試合で、ハリーはブラッジャーに狙われて腕の骨を折る大怪我を負ってしまった。そこへ現れたロックハートが、馬鹿なことに、治療と称してハリーを文字通りの骨抜きにしてしまったのだ。
医務室に運ばれたハリーは骨生え薬を飲むのにかなり苦心したが、水をチェイサーにして何とか流し込むとベッドに潜り込んだ。マダム・ポンフリーに絶対安静を申し付けられていたので、医務室の外に出て行くなんてのはあり得ないことだった。
こんな状況では、もし生徒の誰かを襲いたくても襲えるわけがないだろうというのがモアの見解だった。
思えば、ハリー達がモアを差し置いてこそこそし始めたのはこの頃からだったかも知れない。ハーマイオニーは相変わらず折を見てモアの世話を焼いてくれていたが、それでも一緒に過ごす時間は格段に減っていた。ハリー達が何を計画しているかなんて、モアは知る由もなかった。
ハリー達のことに加えて、このひと月、モアとパンジーの仲もいまいちだった。
モアが廊下ですれ違った時に挨拶をしても、パンジーは中々返事を返してくれなくなっていた。近頃は更に事態が悪化して、ちらっとこちらを見るだけで無視される日々が続いていた。
ここまで徹底して知らん振りされる心当たりのなかったモアは、それでも懸命に声をかけ続けた。モアが友達のことでこんなに頑張ったのは、一昨年ミルと喧嘩して口を利いてもらえなくなった時以来だった。
十二月も半ばに差し掛かると、マクゴナガル先生はクリスマス休暇に学校に残る生徒の調査に回ってきた。モアは当然のように学校には残らず、誰も居ない自宅に帰るつもりだと伝えた。理由は勿論、マグルの学校に通い続けている皆のことが恋しかったからだ。
モアはベッドルームのカレンダーにバツ印を付けて、クリスマス休暇までの日にちを数え始めた。皆に送る手作りのクリスマスカードの準備も始めた。モアは段々と忙しくなり、ハリー達と一緒に過ごす時間が減ったことも気にならなくなってきた。
そんなある日、魔法薬学の授業で事件は起きた。
その日の課題は膨れ薬の作成だった。授業も終盤に差し掛かると、多くの鍋が火に掛けられ、地下牢は噎せ返るような熱気に包まれた。
スネイプ先生はスリザリン生の見回りを終えると、グリフィンドール生の鍋の間を回って粗探しをし始めた。スネイプ先生はハリーの作った薬を見て濃度が薄いとケチを付けたが、隣のモアの鍋を覗き込んでも何も言わなかった。フグの目玉を丁寧に磨り潰した甲斐あって、モアの薬は均一なテクスチャに仕上がっていた。
スネイプ先生がネビル・ロングボトムの鍋を検分しようとこちらに背を向けたその時、それは起こった。
モアは大鍋の陰に屈み込んだハリーが立ち上がるのを見た。ハリーが振り上げた指先から火花を散らす何かが飛んでいき――グレゴリー・ゴイルの大鍋の中にぽとりと落下した。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
ただ、鍋の中身が盛大に爆発して教室中に飛び散ると、そこからはもう阿鼻叫喚だった。
ゴイルの鍋の近くに座っていた生徒達は膨れ薬の飛沫をもろに浴び、鼻や唇、肩など体の一部をみるみる肥大させていった。目玉が風船みたいに膨らんだ者、腕が丸太ほどに腫れ上がった者など被害は種々様々で、教室は悲鳴に包まれ大混乱の様相を呈していた。
被害は主にスリザリンの生徒に集中していたが、グリフィンドールの何名かも膨れ薬の影響を受けて不格好な身体を引き摺っていた。人間とは思えないほどの奇形となった生徒たちの姿は、見るにおぞましいものがあった。
「静まれ! 薬を浴びたものにはぺしゃんこ薬を配る、ここへ並べ!」
スネイプが怒鳴ると、スリザリンの生徒達がこぞって先生の机に集まり始めた。モアは、ドラコやパンジーが列に並んでいるのを見た。ドラコは鼻が小玉メロンほどの大きさに腫れてしまっているし、パンジーに至っては耳が象の耳くらいに肥大してしまっていた。パンジーは涙目になりながら、恥ずかしそうに左耳を押えていた。
あまりにも痛々しい姿に目を逸らしたモアがふとハリーを見ると、ハリーはドラコ達を見詰めて笑いを堪えるかのようにお腹を押さえているところだった。
モアの見間違いでなければ、ゴイルの鍋に何かを投げ込んだのはハリーだった。ハリーが何かを投げ込んだ瞬間に鍋が爆発したのは確かだった。
どうしてこんなにも笑っていられるのだろう。モアにはハリーがこんな酷いことをする理由がまるで分からなかった。
薬を被った皆がぺしゃんこ薬を飲み終えて事態が鎮静化すると、スネイプ先生は爆発した鍋の底からちりちりになった花火の消し炭を掬い上げた。スネイプ先生は苦り切った表情で言った。
「犯人を見付けた暁には、我輩が必ずそいつを退学にする。心しておくように」
ハリーは平然とした顔で、一体誰が犯人だろうとでも言うように地下牢をきょろきょろと見回していた。モアはそのあまりにも悪びれない態度に驚き、ひょっとしたら自分が目撃したのは間違いで、何かの勘違いだったんじゃないかとさえ考えかけた。
次の授業も、その次の日もハリーは何事もなかったかのように過ごし続けた。まるで自分のした質の悪い悪戯が誰にも気付かれていないとでも思っているかのようだった。
どうしてハリーはこんな馬鹿な真似をしたのだろう、それもよりによって魔法薬学の授業で。陰険なスネイプ先生を一泡吹かせてやろうというつもりだったのだろうか。それとも折り合いの悪いドラコ達を辱めてやろうというつもりだったのだろうか。
ハリーのことは温厚なタイプだと思っていたのに、モアはすっかり裏切られたような気持ちだった。
モアは自分が目撃したことを先生に話すべきか迷った。たっぷり一日ハリーを観察しながら悩んだ挙句、モアはハリー本人に真意を問い質すことに決めた。
「ねえ、ハリー。ちょっと話があるんだけど良いかしら」
「どうしたの、モア」
「その……ここじゃあれだから、場所を変えましょう」
夕食後の大広間は生徒で溢れかえっていて、人に聞かれたくない話をするには不向きだった。
モアは食事を終えたばかりのハリーを連れ出して、校舎内をうろついた。しかし何処も生徒達で一杯で、二人は人気のない場所を求めてホグワーツ城の外に出た。禁じられた森の近くまで行くと流石に生徒達の姿は見えなくなり、モアは「ここで良いわ」と言ってハリーに向かい合った。
「ねえ、ハリー。正直に答えて。スリザリンのゴイル君の大鍋に花火を投げ込んだのはあなたね」
ハリーは一瞬顔を強張らせたが、いつもの穏やかな態度を維持した。
「えっと……何かの見間違いじゃないかな、モア」
「見間違いじゃないわ。あなたが大鍋の陰から立ち上がって、ゴイル君の鍋に何かを投げるところを見たのよ。ねえ、どうしてあんなことしたの。あなたの規則破りの悪癖ってこういうことなの?」
モアは努めて冷静に問い掛けようとした。ハリーは首を横に振った。
「モア、僕じゃない。僕じゃないんだ」
それは自分自身に言い聞かせるような言い方だった。この期に及んで白々しい嘘を吐くハリーに、モアは我慢し切れず金切り声を上げた。
「でもあなた、ドラコを見て笑ってたわ。いくら仲が悪いからって、あんな酷いことしなくてもいいじゃない!」
「待って、これには事情が……話を聞いて!」
「本当になんてことしたのよ、ねえ。やって良いことと悪いことがあるっていうことが分からないの!?」
モアはハリーの左胸を強かに突き飛ばした。ハリーはちょっとだけ痛そうな顔をしてよろけたが、なんとかその場に踏みとどまった。
「スネイプ先生は犯人を見付けたら退学にするって言ってたわ。私が話せばあなたは退学なのよ!」
モアは泣けるものなら泣きたい思いだった。ハリーがまたも規則破りをしたとハーマイオニーが知ったらなんて言うだろうか。空飛ぶ自動車事件の時にあれほど心配していたのだ、きっと今度もまた心を痛めるに違いない。ハーマイオニーを思うと、モアの心もズキズキと痛んだ。
ハリーは黙り込んでいたが、やおら口を開いた。
「モアは、僕をどうしたいんだい」
「一緒に謝りに行きましょう。自分から正直に謝れば、退学は免れるかも知れないわ」
だが、ハリーは頷かなかった。
「嫌だ、僕、スネイプになんて謝りたくない」
「どうしてよ、あなたがそんな態度なら私はスネイプ先生に話しに行くしかないわ! それで良いの!?」
モアは懇願するような思いだった。ハリーは面食らったように目を丸くしたが、一転して強気に出た。
「へえ、そうかい。告げ口するつもりかい。僕を退学にしたいならそうすれば良い! どうせ僕がやったっていう証拠はないんだ、話したければ話せばいいんだ!」
それはほとんどやけくそのように聞こえた。
モアはハリー・ポッターという人間が分からなくなり始めていた。穏やかで正義感が強いはずの少年が、どうして人の大鍋に花火を投げ込むなんて馬鹿な真似をしたのだろう。人の困っている姿を見てあんな風に笑いを堪えるだなんて、これは普段一緒に過ごしてきたハリーの様子からは考えられないことだった。
それとも、モアが今まで見ていたハリーの姿は幻で、こっちが本当のハリーの姿なのだろうか。自分の過ちを謝りたくないというのが本心なのだろうか。
「あなたのこと友達だと思ってたのに、信じてたのに……こんなのはあんまりだわ。さようなら、ハリー・ポッター」
モアはハリーを残して、ホグワーツ城へと戻った。モアはハリーが追い縋って「やっぱり一緒に謝りに行く」と言ってくれることを期待したが、ハリーは追い掛けては来なかった。
それからのモアはハリー達を避け、本格的に一人で行動するようになった。ハーマイオニーはモアから何があったのか聞き出そうとしたが、モアは徹底して口を割らなかった。
幾ら悪いことをしたからとはいえ、一時でも友達だと思っていた相手を売るのは心苦しいものがあった。モアは丸々二日間悩み続け、だが月曜日の夜、このままなかったことにしてはいけないと思ってスネイプ先生の地下牢を訪ねた。
「スネイプ先生、モア・クレイズです。お話があります」
扉を開けると、スネイプ先生はまるで親の死に目にでも会ったような仏頂面でモアを迎え入れた。部屋に入るなり、モアは早速話を切り出した。
「先生。この間の膨れ薬の事件について、私、犯人を見ました」
スネイプ先生は、片眉を上げた。
「誰だ」
「ハリー……いえ、ポッターです。私、ポッターが花火を投げる所を見ました」
スネイプ先生はたっぷり十秒は沈黙した後、絞り出すような声を発した。
「何故すぐに我輩に報告しなかったのかね」
「それは、何が起こったのか自分できちんと確かめたいと思ったから……」
モアは言葉尻を弱めながら俯いた。スネイプ先生は苛立った様子で組み合わせた自分の腕をタップした。
「ほう、優秀なクレイズ殿は自分の手で事件を解決したかったと、そういう訳か。その場で証言してくれさえいれば、直前呪文を使って花火に火を点けたかどうか調べるという手があった。だが、何日も経ってしまった今となってはどうしようもない」
「そんな……」
「ポッターが憎いことこの上ないが、被害者はこのまま泣き寝入りということになる。これは勿論、貴様の所為だ。グリフィンドールから十点減点。これに懲りたら次はもっと迅速に申告するように、分かったかね」
ことが明らかになっていたら十点の減点どころじゃすまなかったはずだ。だからこれはきっと、スネイプの慈悲だった。
正直なところハリーがお咎めなしと聞いて、モアは自分がほっとしていることに気が付いた。けれど告げ口をしたのは事実だし、前みたいに一緒に過ごす気にはなれなくて、なるべくモアは一人で居ることを選んだ。モアとハリーが何か酷い喧嘩をしたという噂だけは他の生徒の間に広まっていて、急に疎遠になったことを深く追及されることはなかった。
モアはじきに来るクリスマス休暇を待ち望んでいた。早くアレイヤや皆に会いたくて堪らなかった。
クリスマス休暇まで残り一週間となった頃、一階の掲示板には決闘クラブなる物が開催されるとの張り紙が掲示された。多くの生徒達はこれに盛り上がっていたが、魔法使い式の決闘に何の興味もなかったモアはこれをスルーした。
決闘クラブの次の日になると、どういう訳かハリーがスリザリンの継承者に違いないという話が学校中に広まっていた。
なんでも決闘クラブで、ハリーがハッフルパフのジャスティン・フィンチ-フレッチリーに魔法の蛇をけしかけたらしい。その際にハリーは蛇語を話したとかで、蛇と会話する能力はホグワーツ創始者であるスリザリンの持ち合わせたものなので、同じ能力を持つハリーがスリザリンの継承者に違いないという話だった。
ハリーのことがよく分からなくなっていたモアは、最早ハリーが潜めた悪意を以って蛇にジャスティンを襲わせたと言われても疑えなくなっていた。
さらに次の日になると、噂はいよいよ真実味を帯びてきた。件のジャスティンがミセス・ノリス達と同様に石化させられたのだ。事件現場にはまたしてもハリーが居合わせたらしく、噂話の中ではハリーはすっかり犯人として扱われていた。
今回の事件では既に死んでいるはずのほとんど首なしニックまでもが一緒に石化させられたとかで、皆の恐怖は最高潮に達していた。
モアはすっかりハリーのことが信じられなくなっていた。二度も事件現場に居合わせるというのはただ事ではない。ハリーに完璧なアリバイがあるコリンの事件だって、秘密の部屋の怪物を使えばどうにか出来るような気がし始めていた。
考えれば考えるほど強烈な自己嫌悪に見舞われて、モアはベッドの中で頭まですっぽりとブランケットを被った。ブーティが甘えるように前脚でモアの二の腕を何度も踏んだが、これに応じてやる余裕すらなくなっていた。
考えているうちに、段々と腹が立ってきた。
何故モアがハリーのことでこんなに気を病まなければならないのだろうか。元はと言えば、あんなに質の悪い悪戯をしたハリーがいけないのだ。地下牢に居た皆に嫌な思いをさせて、しかも謝りたくないだなんて相当な悪だった。
「ああ、なんでこうなっちゃったのかしら。いっそのこと嫌いになってしまえたら良いのに!」
すると突如、それは天啓のように降ってきた。
なんてことはない。ハリーのことを本当に嫌いになってしまえば良いのだ。大切な相手ならいざ知らず、嫌いな相手のことならばうじうじと気に病む必要もない。
モアにとって、これはとても良いひらめきに思えた。
「ハリーなんて嫌い、大嫌い」
モアは自己暗示でも掛けるように口にしてみる。具体的な言葉にして吐き出すと、途端に胸の内がすっとするような気がした。
「ハリーの馬鹿、分からず屋、おたんこなす、あほんだら」
今までの人生では皆と仲良くすることばかり考えていたので、特定の誰かを嫌いになろうとすることはモアにとって初めての経験だった。モアは次々にハリーを貶める言葉を探した。
「あんぽんたん、トンチキ、眼鏡小僧、ぼさぼさ頭のすっとこどっこい!」
言葉を重ねていくうちに、何故だろう、モアは段々と気分が晴れやかになってきていた。これはモアが十一年生きてきて初めて気付いた感覚だった。
モアはこの晴れ晴れとした気持ちに身を任せることにした。
「決めたわ、私はハリーが嫌い! だからもう、あいつのことでこれ以上悩まない! これでおしまい!」
モアはブランケットを剥いで寝返りを打つと、横で丸くなっていたブーティの頭を思いっきり撫でた。ブーティはやっと応えてくれたとばかりに頭を摺り寄せると、もっと撫でてとでも言うように寝転がってお腹を見せた。
一頻りブーティと戯れると、モアは久方振りに気分よく眠りに着いたのだった。