新学期開始から数日。ハーマイオニーの姿が見えないことで、校内には様々な噂が流れていた。最も有力なのはスリザリンの継承者に襲われたという奴で、他には事件を心配した両親に退学にさせられたとか、実はハーマイオニーが継承者でバレて学校に居られなくなっただとか、とにかく根も葉もないのが色々飛び交った。
あのハーマイオニーが授業を欠席しているだけでなく女子寮にも戻ってこないとは、何かただ事でないことが起こっているのだけは確かだった。冬期休暇の間は学校に残っていたようだから、そこで何かがあったのは間違いなかった。
噂の真偽を確かめられないでいると心配は膨らむもので、辛抱ならず、遂にモアは仲良し三人組の残り二人に聞いてみることにした。モアは長テーブルの端で夕食を摂っていた二人の所まで歩いていくと、ハリーを無視してロンに話しかけた。
「ねえ、冬休み明けからハーマイオニーの姿を見てないんだけど、何かあったの? あなたなら知っているでしょう?」
「あー、彼女、いま体調が悪くて医務室に居るんだ」
ロンはポークソテーを口に捻じ込みながら言った。モアはびっくりして口をあんぐり開けた。
「医務室ですって? 大丈夫かしら、お見舞いに行かなくちゃ!」
「いや、お見舞いは止めておいた方が良いと思うよ」
「どうして?」
問いかけると、途端にロンは言葉を濁した。
「あー、ほら、アレだよ。えーと、その」
「感染るといけないから」
横からハリーが助け舟を出した。モアはちらりとハリーを一瞥したが、すぐにロンに向き直った。ロンは誤魔化すような笑い顔を浮かべた。
「つまり、アレだ、質の悪いインフルエンザなんだよきっと」
「そうだったのね、可哀想に。それじゃあお見舞いは止めておくわね」
「僕もそれが良いと思うよ、うん」
「教えてくれてありがとう、ロン。あなたも体調には気を付けて」
夕食を終えて女子寮に戻ったモアは、トランクをひっくり返して荷物の中からポストカードと可愛いシールを探し始めた。ハーマイオニーにお見舞いカードを書くためだ。
ハーマイオニーを心配している旨、早く良くなってほしい旨などを二言三言書き綴ると、モアはメッセージの周りを囲うようにシールを一杯貼り付けた。
このシールは冬休みにファンシーショップで仕入れたばかりの新作で、赤毛の猫と栗毛の女の子が温かみのあるタッチで描かれたものだった。女の子がちょっとハーマイオニーに似ているから買ったというのは内緒だ。早速お披露目出来ることになってモアはちょっとだけ嬉しく思った。
最後に笑った女の子の顔を天辺に貼り付け、お見舞いカードは完成した。会心の出来だった。
出来たばかりのカードと一年生の教科書を持つと、モアは急いで医務室に向かった。補習授業まであまり時間がなかったのだ。まずはカードを届けて、その足で補習授業に行くつもりだった。
階段を下る途中、モアは三階の廊下からやってきたロックハートに出会わした。ロックハートはそのままモアと一緒に階段を下ると、医務室の扉の前まで着いてきた。
扉の前で二人は立ち止まり、ようやく気付いた風でロックハートが声を掛けた。
「おや、ミス・クレイズ。医務室に来るとは、どこか体調でも悪いんですか?」
「いえ、私はハーマイオニーにお見舞いカードを渡しに来たところで……」
するとロックハートは喜んだ様子で大げさに頷いて見せた。
「奇遇ですね! 私もミス・グレンジャーにお見舞いカードを届けに来たところですよ」
ロックハートは片手に持った金色のカードをぴらぴらと振って示した。モアはロックハートと発想が一緒だったことに軽いショックを覚えながら、曖昧な愛想笑いを浮かべた。
「特定の生徒に肩入れするのはあまり良くありませんが、療養中のミス・グレンジャーを励ますくらいは許されると思いましてね。おっと、私のサイン入りカードが欲しいからと言って仮病を使ってはいけませんよ。まさかとは思いますが、念のため、ね」
モアは自分の愛想笑いが固まるのを感じた。これに気付かない様子のロックハートはモアに向かって大きく一歩詰め寄った。
「カードですが、君さえ良ければ私が一緒に渡しておきましょう」
要らぬ気を利かせたロックハートが頂戴の形で手の平を出した。
「えーっ!? えーと、それじゃあ……お願いします」
マダム・ポンフリーにカードを預ける気だったモアは、補習まで時間もないとはいえ、渋りながらロックハートにお見舞いカードを渡した。受け取ったロックハートは任せろと言わんばかりにウインクを飛ばすと、医務室の扉を開け、扉の隙間に身を滑り込ませながらモアに手を振った。
顔だけ見れば格好良いはずのロックハートだが、それを自覚した振る舞いがモアにはどうにも鼻について堪らなかった。ハーマイオニーはロックハートに心酔しているようだが、あれの何処が良いのか全然分からないモアだった。
だが、ロックハートの見舞いで少しでもハーマイオニーが元気になるのならそれに越したことはないだろう。
モアは肩を竦めると、急ぎ足で天文台に向かった。
次の朝、モアは朝食までの時間をブーティのブラッシングに費やしていた。ブーティはこの頃遊び盛りで、夜中になると談話室中を目一杯駆け回っているようだった。疲れて丸くなっているブーティの毛を猫用ブラシで梳いていると、不意に手元に影が射した。
「モア・クレイズ?」
ブラシを動かしていた手を止めて、顔を上げる。声を掛けてきたのはジニー・ウィーズリーだった。低血圧の気でもあるのだろうか、今朝は何時にも増して青白い顔をしていた。
「どうしたのジニー」
「モア、これを受け取ってほしいんだ」
モアはジニーが差し出した、四つに折り畳まれた紙切れを受け取った。手紙か何かかと思い、促されるがままに広げてみる。それは真っ白な、何も書かれていないただのノートの切れ端のようなものだった。
モアは小首を傾げた。
「これは一体何なのかしら。ただの紙切れにしか見えないけれど……」
ブラックライトを当てたり火で炙ったりしないと読めない手紙なのかと思いながら、モアは紙を光に透かしてみた。矢張り、何かが書かれているようには見えない。
ジニーはにっこりと微笑んだ。
「書き込んでみれば分かるよ。但し、誰にも見られないように気を付けて。いいかい、一人の時に使うんだ」
「よく分からないけど、分かったわ、ジニー」
モアは夕方になってから、図書室の奥の閲覧席でそれを開いた。というのも、それまで魔法史の課題レポートに取り組んでいたのだが、すっかり煮詰まってしまっていたのだ。
ジニーから貰った謎の紙切れが良い気分転換をもたらしてくれることを期待して、モアはペン先をインク壷に漬けた。
周囲に誰も居ないことを確認し、書き込んでみれば分かると言われた通りにそっとペン先を下ろしてみる。何を書こうか迷っている間にペンを置いたところからはじわじわとインク染みが広がり、しかし、不思議なことにそれらはすぐ紙面に吸い込まれるようにして消えた。
それだけでも不思議なのに、さらに不思議なことが起こった。今しがた吸い込まれたばかりのインクが、几帳面な文字となって紙面に浮かび上がってきたのだ。
『君がモア・クレイズかい?』
モアはびっくりして羽ペンを取り落とした。紙の上にインクが飛び散ったが、それも紙の中に吸い込まれて消えてしまった。
モアは恐る恐るペンを手に取ると、紙に書き込んでみた。
「あなたは誰?」
すぐさま返事が返ってきた。
『僕は五十年前に残された記憶です』
「五十年前?」
『かつて秘密の部屋の開かれた時期、と言えば分かり易いでしょうか』
モアは驚いて紙切れを二度見した。この紙は何かとんでもない秘密を知っている、そんな気がした。
モアは逸る気持ちを押えながら、ペンを走らせた。
「秘密の部屋は前にも開かれたことがあるの?」
『ええ。でもその話は置いておきましょう。僕は君に興味があります。君とお喋りがしたくて、ジニーに僕の日記の切れ端を君に渡してもらいました』
得体の知れない紙切れに興味を持たれていると知って、モアはちょっとだけ怖い気分になった。
「私のこと、どうして知っているの?」
『ジニーから聞きました。自分を励ましてくれた優しい上級生が居ると』
「ジニーともこうしてお喋りをしていたの?」
『はい。この半年、僕はジニーの相談に乗ったり、他愛ないお喋りをしていました。どんなことを話したかはジニーと僕との秘密なのでお教えすることは出来ませんが、とても仲良くさせてもらっています』
人のプライバシーを気にする程度の配慮はあるらしい。モアは納得しながら書き込んだ。
「あなたは何者?」
『先程も言った通り、記憶です。日記に封じ込められたある学生の記憶が僕の正体です』
さっき彼は、この紙切れが日記の切れ端だといった。ジニーは誰かの記憶が封じ込められた日記の切れ端をモアに寄越したということらしい。人の記憶を保存するなんて、そんな魔法があるものなのかとモアは感心した。
紙切れは先程からモアの質問に素直に答えてくれているし、これがただの人の記憶ならそんなに悪いものではないのかも知れない。モアはちょっとだけ勇気を出してみることにした。
「あなたのお名前は?」
『名乗るのが遅くなりましたね。僕はトム・リドルです。ジニーは気軽にトムと呼びます』
「よろしく、トム。どうして私に興味を持ってくれたの?」
『僕の仲の良い後輩にもクレイズが居ます。君が彼の孫だと知り、ぜひ仲良くなりたいと思ったのです』
モアはこれに食い付いた。
「私のおじいちゃんのこと知ってるの!? 私、おじいちゃんには会ったことないの! 物心ついた時にはもう亡くなっていたから」
『彼のことはよく知っていますよ。ドーレンスは優秀な後輩でした。僕はスリザリン、彼はハッフルパフでしたが、僕達は寮の隔たりを超えて仲良くしていました』
モアの祖父はドーレンスというらしい。モアは生唾を飲み込んだ。トムは更に言葉を続けた。
『彼は僕より二学年下ですが、そうとは思わせないほどの才気に溢れていました。僕はよく彼に勉強を教えていましたが、僕の方が教わることも多くありました。とてもいい友を得られたと感謝しています』
「おじいちゃんはどんな人だったの?」
モアはわくわくしながら質問を書き込んだ。トムはちょっとだけ悩んだように時間を置いてから、また文字を浮かび上がらせた。
『穏やかで人好きのする性格である一方、学問に対する追求力が人一倍強い少年でした。僕は、彼がハッフルパフであることを忘れそうになることがよくありました。ドーレンスがレイブンクローやスリザリンでないことを惜しく思いながらも、時折見せる彼のハッフルパフらしさに驚かされたものです』
レポートのことなどはさっぱり忘れて、モアはこのお喋りな紙切れにすっかり夢中になっていた。おじいちゃんの得意教科はなんだったとか、好きな食べ物はどれだだの、モアはロックハートの最初のテストを馬鹿に出来ないほど下らない質問を幾つも幾つもした。けれどトムは飽きもせず、一つ一つに丁寧な答えを返してくれた。
気付けば一時間近く経っていて、夕食のために大広間に向かわなければならない頃になっていた。
「そろそろ夕食だから行かなくちゃ。色々なことが聞けて楽しい時間だったわ、ありがとう」
『君が喜んでくれて幸いです。でも、ジニーには僕とこんなに喋ったことを話さないでください』
「どうして?」
『君と僕が仲良くなったと聞いて、ジニーが焼きもちを焼いたらいけませんから』
モアはちょっとだけ逡巡してから書き込んだ。
「分かったわ」
トムは更に付け加えた。
『それから、他の人にも僕のことは伏せておいてください。悪用されたら困りますから。君さえ良ければまたお話ししましょう』
「ええ、勿論」
モアはすっかり満たされた気分だった。会ったことのないおじいちゃんの学生時代の話は、家族について知っていることの少ないモアにとって大きな収穫となった。軽い足取りで大広間に向かい、グリフィンドールのテーブルにジニーを見付けると、モアは喜んで隣に座った。
「ジニー、素敵なプレゼントをありがとう、本当に嬉しいわ!」
「モア、一体何の話?」
モアはうっかりしていたとばかりに手を打ち鳴らした。
「そういえばこの話は内緒だったんだわ。とにかくありがとうが伝えたかったの、それだけよ」
「よく分からないけど、どういたしまして」
ジニーは止めていた手を動かして食事に戻った。モアはうきうきした気分で、ほうれん草のオムレツを皿に取り分けた。
モアはジニーからの贈り物をすっかり気に入っていた。トムのお陰で、モアの知らないおじいちゃんのイメージがモアの中でどんどん膨らんでいた。おじいちゃんは卵料理が好きで、一番好きな料理はオムレツだったらしい。今日の夕食なんて特に喜ぶんじゃないだろうか。
考えながら、モアはフォークを口に運んだ。今日は特別食事が美味しく感じられた。
次の日は、新しく出た魔法薬の宿題に追われて一日が過ぎ去った。更に二日が経った頃、モアは例の紙切れにこんな文字が浮かび上がっているのを見付けた。
『良ければまた僕と少し話しませんか』
これに気付くと、モアは申し訳ない気持ちに駆られた。初めてトムと知り合ってからもう三日も話していなかったことになる。モアは慌てて言い訳を書き連ねた。
「ごめんなさい、魔法薬の宿題が大量に出て大変だったの。それに、この間長いことお喋りしてた所為で、まだあの時書いてたレポートが終わってないのよ! 申し訳ないけれど、また今度にしてもらっても良いかしら」
トムは機嫌を損ねた素振りもなく、すぐさま返事を書いて寄越した。
『何のレポートですか?』
「魔法史よ。輸送手段としての箒の導入についてまとめなくちゃいけないんだけど、全然捗ってなくて」
『それなら、この本が良いと思います』
浮かび上がった文字がさっと消え、新しく幾つかの書籍名と著者名が並んだ。モアはびっくりしてこれを二度見し、空いているスペースに走り書きをした。
「あなた、もしかして勉強ができる方なの?」
すると、どう答えようか迷った時のようにちょっと間をおいて、また文字が浮かび上がった。
『自分で言うのもなんですが、ホグワーツでは首席でした』
「首席ですって!? 私は凄い人を味方につけたかも知れないわ!」
『君さえ良ければ幾らでも味方しますよ。君も僕にとってはドーレンスと同じ、大切な後輩のようなものですから』
「ありがとう、トム! とっても心強いわ!」
ハーマイオニーの助力がない今では、トムの存在は本当に頼もしく感じられた。
その後、モアはトムに相談しながらレポートを書き進め、一人で書いていた時とは比べ物にならない速さで完成まで漕ぎ着けた。モアのレポートは完璧とはいかなかったが、それなりの評価を得られそうな見込みが見えていた。
「あなたってジニーの勉強も見てあげているの?」
『いえ、記憶になってから誰かの勉強を見るのは初めてです。こうして人に教えるのは楽しいものですね』
レポートが終わると、モアはまたトムとのお喋りに興じた。
気が付けば、モアは魔女になりたくないことや魔法が使えないこと、両親との仲が疎遠なことなどを洗いざらい話していた。トムはこれを聞いて大層驚いていたが、モアの気持ちを尊重して受け容れてくれた。
トムの方も、幾つか自分のことを話してくれた。孤児院で育ったということ、両親についてよく知らないということ、居場所が学校にしかなかったこと。
何となく共通点のようなものを感じて、モアはもうすっかりトムに心を開いていた。アレイヤにも話せなかった魔法界の事柄だって、トムには自由に話すことが出来た。これはモアにとって大きなストレス発散になった。
その後もトムは、時折こうして話を望むようになった。五十年前から残っている日記の一部だ。長いこと人と関わることが遠退いていた所為で、会話に飢えているのかも知れないとモアは思った。
その後もモアはトムと図書室で、談話室で、女子寮で語り合い、親交を深めていった。どんな本心を言ってもトムは優しく受け止めてくれて、モアはこの信頼のおける友人を決して疑うことはなかった。