イースター休暇がやってきた。日も長くなり暖かい日が増えてきたが、モアはのんびり過ごすという訳にはいかなかった。三年生の選択科目を決めなければならなかったからだ。
来年もホグワーツに通わなければならないと思うと気持ちに影が射すモアだったが、トムにも相談して占い学、数占い学、古代ルーン文字学を選択することにした。
中庭の噴水に腰掛けながら申請用紙に記入をしていると、モアは渡り廊下を行く見覚えのある姿を見止めた。
「あら、エミールじゃない!」
モアは大声で呼びかけた。エミールは気付いたように片手を挙げると、大股でこちらに歩いてきた。
「中庭で日光浴かい?」
「いいえ、さっきまで選択科目についてちょっと悩んでたの」
モアはトムの日記の切れ端を鞄にしまいながら言った。エミールはモアの膝の上に置かれた用紙を覗き込んだ。
「へえ、モアは占い学を取ったんだ。数占い学もある。占いに興味があるの?」
「ちょっとだけね。それにこの間のクリスマスプレゼントに父さんから水晶玉が送られてきたのよ。ただ持っていても勿体ないでしょう」
するとエミールは驚いたように声を上げた。
「きっと君のお父さんは占いが好きなんだろうな。そうでなきゃ水晶玉なんて送ってこないよ」
「さあ、どうかしら。どちらかと言えば占い学の時間を、水晶を鑑賞する時間か何かだと思っているんじゃない?」
モアは皮肉げに笑って肩を竦めた。あの父親のことだ、本当にそう思っていたとしても不思議ではないとモアは思った。
「ねえ、あなたは何を選択したの?」
モアが問いかけると、エミールはモアの隣に腰掛けながら言った。
「うちの家族は代々癒者なんだ。両親は聖マンゴ魔法疾患傷害病院に勤めてる。でも俺、本当は動物癒師になりたいんだ、魔法生物の病気を診る癒者に。だから来年は魔法生物飼育学と古代ルーン文字学を選択しようと思ってる」
「あなたってもう将来のことを考えてるのね、見習いたいけど見習えないわ」
「君には何かなりたいものはないの?」
エミールに問われたモアは考え込んでしまった。将来のことなんて考えたこともなかった。モアにとっては今を生きることで精一杯で、その先どうしたいかなんてことに頭を巡らせる余裕はなかったのだ。
「うーん、出来ることならマグルの生活に戻りたいけど……」
エミールはモアの顔をじっと見詰めていたが、やがて我慢できなくなったように口を出した。
「この頃は暖かくなったことだし、君、今日みたいに陽に当たった方がいいよ」
「どうして?」
「肌が白すぎて顔色が悪く見える。少し焼いた方が良い」
モアはエミールのこの助言に懐疑的な様子で首を傾げた。
「ああ……この所よく言われるのよね、顔色が悪いって。そんなことないと思うんだけど」
「少し気にした方が良いと思うよ。何か大きな病気の前触れってこともあるかも知れないし」
「そうね、気を付けるわ。ありがとう」
ジャスティン・フィンチ-フレッチリーが石にされて以来、秘密の部屋に関する事件の発生はすっかり遠退いていた。生徒達の中には事件が収束したとみる向きもあったが、嵐の前の静けさにも感じられるし、未だに犯人の手がかりさえ見つからないことでも気味の悪さを残していた。
ロックハートは犯人が自分に見つかることを恐れて事件を起こさなくなったと考えているらしく、方々でそんなことを言い触らしていた。
イースター休暇が明けると、また授業に課題にと忙しい日々がやってきた。モアは闇の魔術と防衛術の授業でハリーがロックハートの相手役をさせられているのを眺めながら、頬杖をついてぼんやりと事件について考えた。
これまで襲われたのは猫が一匹に、生徒が二人、ゴーストが一体。当初のモアの思い込みとは違って、別に猫だけが狙われるという訳ではないようだ。
いずれの被害者も石にされただけで、命に別状はないという。犯人は一体何がしたいのだろう。マグル生まれの生徒達はすっかり怯え切っているが、石にされてもマンドレイク薬で治るのならそれほどの脅威には感じられない。学校閉鎖でも狙っているのだろうか。
それよりも秘密の部屋に関して、何か重要なことを忘れている気がする。けれど、それが何だったのかモアはまるで思い出せないのだった。
授業を終えたモアがグリフィンドール寮に戻ろうと廊下の角を曲がった時、出会い頭に誰かとぶつかりそうになった。
「君、前を向いて歩けよ」
「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて」
顔を上げると、そこに居たのはドラコだった。次の授業に移動するところだったのか、後ろにはいつもの二人を従えていた。
「なあ、君。ポッターがDADAの授業の度にロックハート直々の演技指導を受けているって噂を聞いたんだけど、本当かい?」
真偽を確かめる良い機会とでも思ったのだろう。ドラコは悪意の入り混じった興味を押し隠しもせずに尋ねた。モアは正直に答えた。
「本当よ。いつも本の一場面を再現するんだけど、相手役はいつもハリーなの。二人の滑稽な演技は退屈な授業の中で唯一笑える場面かも知れないわね」
するとドラコはおどけた口調になって言った。
「何と言ってもポッターはロックハートのお気に入りだからね。バレンタインの熱烈な歌のメッセージを聞いただろう? あなたが私の物なら良いのに――」
ドラコがキューピッドに扮した小人そっくりに歌い上げたので、モアは思わず噴き出してしまった。ドラコの後ろでグラップとゴイルものっそりと笑った。
これを見たドラコは得意になって言った。
「ポッターの奴、そのうちロックハートに弟子入りして本でも出すんじゃないか?」
閃いたモアは指を鳴らした。
「ならタイトルは、そうね、アリー・ポッターと小人の歌が良いわ」
「はははっ、そりゃ最高だ! 君、思ったより中々センスがあるじゃないか」
ドラコが気に入ったとばかりにモアの肩をばしばし叩いた。モアもちょっと得意になって、また新たな思い付きを口にした。
「あら、お褒めに与り光栄だわ。ちなみに物語の冒頭ではハープを持った大量の小人がアリーの家に押し掛けるはずよ」
「オウ、そこで奴らが勿論歌い出すんだろう? あなたの髪は真っ黒――」
「そうそう、それよそれ! あなたの目は蛙のピクルスのよう――」
四人で一頻り笑って、モアはふと思い至った。
「でも案外、ポッターのことは誰かがもう本にしようとしているかも知れないわね。ハリー・ポッターと秘密の部屋、だなんて尤もらしいタイトルを付けちゃったりして」
モアが冗談交じりに言うと、ドラコは忽ち機嫌を悪くした。
「君も秘密の部屋を開けたのがポッターだなんて言うのか。あんな奴がスリザリンの継承者に選ばれるなんて有り得ない――断固有り得ない!」
「ちょ、ちょっと、一体どうしちゃったのよ」
「前言撤回する。君のセンスは最低最悪だ! 魔法センスも最悪なスクイブはそうやってポッティ坊やに怯えてるが良いさ、精々真の継承者に殺されないよう気を付けることだな!」
そう言い残すと、ドラコはモアの脇を抜けてずんずんと歩いて行ってしまった。その後ろを慌てた様子でグラップとゴイルが小走りに着いていった。
「ドラコったらいきなり不機嫌になったりして……何なのかしら」
男の子って分からないわ、と思いながら、モアもグリフィンドール寮に向けて急ぎ足で廊下を行くのだった。
それからしばらくは平穏な日々が続いた。誰かが襲われることも、石にされることもない。日々の変化と言えば授業の内容と食事のメニューくらいのもので、モアは穏やかだが少し退屈な日々を送っていた。
何か事件が起こってほしい訳ではないが、刺激が欲しいのも確かだった。
そんな時、モアの欲求を満たす最適なイベントがやってきた。クイディッチだ。
土曜日の朝は爽やかな青空が広がる晴れ模様で、申し分ないクイディッチ日和だった。大広間で朝食を摂っていたモアは、ウッドが選手達を激励しているのを聞いた。
「さあ、朝食をちゃんと食っておけよ。試合中に腹が減ったら大変だからな」
グリフィンドールの選手達はウッドに盛られた山のようなスクランブルエッグを平らげながら、試合に向けて士気を高めているようだった。
試合開始の十一時が近付くと、皆は大広間から流れるようにクイディッチ競技場に移動した。
クイディッチ杯の二戦目となるグリフィンドール対ハッフルパフの試合を控え、競技場は緊張と興奮に包まれていた。ロックハートのバレンタインはその役目を果たせなかったが、皆、事件で鬱屈とした空気を吹き飛ばす何かを待ち侘びていたのだろう。今日の観客席は試合前から殊更に盛り上がっていた。モアもスタンドに座りながら、試合開始を今か今かと待っていた。
やがて選手達が割れんばかりの拍手の中入場し、競技場を飛び回ってウォーミングアップを始めた。ハッフルパフの選手たちは円陣を組んで最後の作戦会議に臨んだ。主審を務めるマダム・フーチは専用のケースからボールを取り出す準備を始めた。
モア達が試合開始を今か今かと待っていると、マクゴナガル先生がグラウンドにきびきびした急ぎ足でやってきてメガフォンを構えた。誰もが固唾を呑んで試合開始の号令を待っていたが、先生の口から発せられたのは正反対の言葉だった。
「この試合は中止です! 全生徒は急いで寮の談話室に戻りなさい、各寮監から詳しい話があります」
これを聞いた生徒達が一斉にブーイングの嵐を巻き起こしたが、そんなことをしている場合ではないとモアは感じ取った。またしても事件が起こったということは間違いなかった。
その日、グリフィンドール寮にハーマイオニーは戻ってこなかった。他でもない、襲われたのはハーマイオニーだったのだ。一緒にレイブンクローの女子生徒も石にされたとかで、二人は例に漏れず医務室に運ばれて横たわっているとのことだった。
すし詰め状態の談話室にやってきたマクゴナガル先生は、通達の書かれた巻紙を広げて今回の事件について説明すると、午後六時以降の外出を禁止すると言った。更に、今後は授業に行くにもトイレに行くにも引率の先生を一人付ける厳戒態勢を取ることを表明した。それから一切のクラブ活動や補習授業も暫く中止にすると告げた。
生徒達は黙って先生の言葉に耳を傾けていたが、先生が居なくなると途端にざわざわと喋り始めた。
ソファの上で立ち上がった三年生のリー・ジョーダンが、疑うべきはスリザリンだ、という演説を始めたのを尻目にモアは女子寮に戻った。
こんなことになるなら、突き放したりせずにもっとハーマイオニーに優しくしてあげれば良かった。後悔が波のように押し寄せ、モアを苦しめた。空っぽのベッドを眺めながらモアが心境を日記の切れ端に書き綴ると、意外なことにトムはハーマイオニー達に厳しい態度を取った。
『君は優しすぎますよ。スリザリンの怪物に襲われたからといって、彼女達のやったことが消える訳じゃないんですから。今回のことは天罰だとでも思えば良いのでは?』
「でも……」
『マンドレイク薬が出来ればすぐに元気になるのでしょう。そんなに深刻になることはないと思いますよ』
モアはトムが何とかモアを励まそうとしてくれているのだと感じた。トムの優しさが身に染みて、モアはありがとうを書き込んだ。
次の日の朝、生徒達の間に衝撃が走った。秘密の部屋にまつわる事件が四件も続いた結果、あのダンブルドアが理事会の命令で停職になったのだ。これまで学校を庇護してきたダンブルドアの不在は、忽ち生徒達に不安を呼び起こした。ダンブルドアが居なくなった今や、マグル生まれが次々に襲われ始めてもおかしくないと見る向きもあった。
ダンブルドアは不思議な包容力のある老人だったが、これほどまでに影響力が大きいとは思ってもみなかったモアだった。モアは退学届を出しに行った時の、優しくて深い眼差しを思い返した。生徒達を見守るあの眼差しがなくなるという事実は、確かにモアにも心許なさを感じさせた。
ダンブルドア停職と同時に、学校内ではもう一つのニュースが広まっていた。ハグリッドが魔法省に連行されたのだ。なんでも五十年前に秘密の部屋を開いた犯人がハグリッドだという話で、彼はアズカバンと呼ばれる恐ろしい監獄に収容されるらしい。
もしハグリッドが犯人なら、三階の廊下の壁にメッセージを残したのもハグリッドということになる。そして、ハーマイオニーを襲ったのも。モアにはあの毛むくじゃらのハグリッドがそんなことをするとは思えなかった。
確かに図体も大きいし、靴もコートもぼろぼろでぱっと見は不審に見えるが、それ以上に気の良い人物だということをモアは知っていた。だから、今度のことは何かの間違いだと信じていた。
悶々としながら午前中の授業をやり過ごしていたモアは、変身術の授業の最中、忘れていたことが何だったのかを唐突に思い出した。トムだ。確かトムが、五十年前にも秘密の部屋が開かれたことがあると言っていたのだ。
昼休みを迎えたモアは、誰も居ない女子寮に引っ込むと、トムの日記の切れ端に急いで書き込んだ。
「ねえ、トム。あなた、前に五十年前にも秘密の部屋が開かれたことがあるって言ってたわよね?」
『どうしたのですか、モア』
「何か知っていることがあるのなら話してほしいの。真犯人に繋がる手掛かりになるかも知れないわ」
すると、トムはちょっとだけ時間を置いて、躊躇うように文字を浮かび上がらせた。
『僕の知っていることは多くありません。可哀想な女子生徒が一人亡くなったこと、ルビウス・ハグリッドが秘密の部屋を開けた犯人として退学処分になったこと、精々その程度です』
「嘘よ! 初めて話した時のあなた、何か知ってる風だったわ」
『君は今回の事件のことで気を張りすぎです。友達が襲われたからって犯人捜しだなんて危険なことは止めて、勉学に励むべきですよ』
「ねえ、お願いトム。このままじゃハグリッドが犯人になっちゃうわ」
けれどもトムはそれ以上のことを話してはくれなかった。本当に知らないのかも知れないが、何か情報を伏せているという可能性も捨て切れなかった。もし情報を伏せているのだとしたら、きっとモアが危険なことに首を突っ込むのを止めさせるために違いない。この時ばかりは、トムのモアを案ずる気持ちがもどかしく感じられた。