Noisy Nose Knows   作:komit

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(17)秘密の部屋②

 ジニーの姿を騙る誰かは、モアの手を引くと秘密の部屋の奥へと歩き始めた。利き手にはジニーの杖を握り締めていて、モアはいつどんな呪文を使われるか分からないと気が気でなかった。

 

「モア・クレイズ、初めて君の存在を知った時から君には興味があった。あのドーレンスの孫と言うからには、さぞかし面白い能力の持ち主なんだろうと思ってね」

「ドーレンスですって?」

 

 モアの知る限り、モアのおじいちゃんのことを知っているのは一人しかいない。モアは恐る恐る声を掛けた。

 

「ねえ、あなた、もしかしてトムなの?」

「そうだよ。君の親愛なる友人、トムだよ」

「どういうこと、どうやってジニーに乗り移ったの!?」

 

 秘密の部屋の一番奥まで辿り着くと、ジニー――いや、トムはようやくモアの手を離した。部屋の奥には人の姿を模った巨大な石像がそびえていた。ダンブルドアよりも遥かに長いあごひげを持ち、ローブを纏った姿の石像は、おそらく誰か高名な魔法使いの姿を残したものだろう。モアは、それが秘密の部屋を作ったというサラザール・スリザリンのものではないかと思った。

 

「ジニーはこの一年、目に見えない友人と楽しいお喋りを続けてきたのさ。他愛ない悩みや心配事を僕の日記帳に書き綴り、僕はそれを受け容れ続けた……」

 

 トムは杖を指先でくるくると弄び始めた。

 

「僕は、ジニーの恐れや不安を糧に大きくなった。僕はジニーに自分の魂を少しずつ注ぎ始めた。やがてジニーは自分でも自覚のないままにスクイブの飼い猫やマグル生まれの生徒達を襲い始めた」

「秘密の部屋を開けたのはジニーだって言うの!?」

「そうだよ。尤も、スリザリンの継承者は僕だけれどね。学生時代に成し遂げられなかったことを五十年越しに成し遂げようとしたわけだ」

 

 段々とトムの持つ底知れない恐ろしさのようなものが身に染みてきて、モアは腕を抱えた。トムの日記の切れ端に色々と書き込んでいたのはモアも同じだ。もしかしたらジニーと自分は紙一重のところに居たのかも知れない。そう考えたモアは胃がきゅっとなるのを感じた。

 

「ねえ、あなた、私のおじいちゃんとは本当に仲が良いのよね?」

「勿論。寮は違えど、彼は僕の忠実な後輩だ。僕がこの日記を残した時、可愛い彼は丁度三年生だった。気性は穏やかで、どんな人の心も開かせてしまうような不思議な少年だったよ」

 

 そこで言葉を区切ると、トムは面白いことでも思い出したかのように笑い声を上げた。

 

「ああ、そう言えば学生時代にハグリッドの飼っていたアクロマンチュラ――化け物蜘蛛について知らせてくれたのはドーレンスだったね。そのお陰で、僕はハグリッドに濡れ衣を着せて安全に隠れることが出来た」

「わ、私のおじいちゃんがハグリッドを嵌めたってこと!?」

「嵌めただなんて人聞きが悪い。同級生が怪物を育てるだなんていういけない遊びに嵌まっているのを知って、善意の気持ちから仲の良い監督生に報告してくれただけさ。彼は善良なハッフルパフ生だからね。尤も、それを知った僕がどうするかくらい、彼は理解していたはずだけど」

 

 つまり結局は嵌めたということじゃないか! モアはおじいちゃんに対する大きな失望を感じた。

 

 卵料理が好きで、変身術が苦手で、笑うと可愛いえくぼが出来るおじいちゃんは、結局のところトムがハグリッドに罪を着せるきっかけを作ったのだ。モアは牢獄で辛い日々を過ごしているだろうハグリッドに対して申し訳ない思いを感じた。

 

 トムは唇を噛み締めるモアを涼しい目で眺めながら、モアの周りを闊歩し始めた。

 

「この一年、僕の関心の半分は君に在った。魔法界に名高いクレイズの生まれだ。どんな能力を隠しているのかと期待していたが、君といったらこの一年、碌な魔法を使えやしないで、やることと言ったら杖を使わないお勉強ばかり」

「仕方がないじゃない! だって私、魔女じゃないんだもの!」

「本気でそう思っているなら君は相当な幸せ者だ。素養のない者にホグワーツの学びの扉は開かれないんだよ、モア。君がこの学校に来た時点で、君は確実に魔術の素養を持ち合わせているということが証明されているんだ」

「嘘よ、何にだって間違いはあるはずだわ!」

 

 トムは立ち止まってくつくつと笑い声を上げると、弄んでいたジニーの杖を構え、杖先をモアに向けた。

 

「モア、君の力を僕が目覚めさせてあげよう」

「何を言ってるのよ! だから、力なんてあるわけないじゃない」

「君のおじいさんには空き時間を使ってよく魔法のコーチをしてあげていたんだ。心配せずとも指導力はお墨付きだと思うけどね――ディフィンド、裂けよ!」

 

 目も眩むような光線がモアの脇腹を掠めた。モアが脇腹を見ると、ローブがぱっくりと裂けて制服のベストが覗いていた。

 

「ちょっと待って、止めて、トム!」

「モア、僕に対抗してごらん。呪文を唱えるんだ。杖の使い方は分かるだろう」

「無理言わないで、私に魔法が使えないことを知っているでしょう!?」

 

 しかしトムは、モアの訴えなど聞こえない様子で再び杖を振るった。

 

「レダクト、粉々!」

 

 モアの近くにあった柱が砕け、大きな砕石がぱらぱらと降り注いできた。モアは必死に頭を庇いながら柱の下から逃れた。

 

「インセンディオ、燃えよ!」

 

 炎がモアの左肩に灯った。あまりの熱さに、モアは慌ててローブを脱ぎ捨てた。すると炎は途端に広がって、地に落ちたローブはちりちりと燃え縮んでいった。もう少し脱ぐのが遅ければモアが丸焦げになっていたことだろう。

 

 何故トムはこんな意地悪をするのだろう。モアは涙が滲むのを感じた。

 

「トム、お願いだからもうやめて! 私達、友達でしょう!?」

「君の友達を演じるのは退屈凌ぎにしては中々面白かったよ、モア。素直なのは君の一番の取り柄だけど、もう少し疑うことを覚えた方が良いね」

「私、あなたのこと本当に――本当に慕ってたのに!」

「だからこそさ。これは君のためなんだよ、モア。こういうのは昔から伝統的な方法があってね。命が懸かれば否が応でも目覚めざるを得ないだろう。さあ、モア! もっと必死になるんだ、君の力を僕に示してくれ!」

 

 そう叫ぶなり、トムは立て続けに呪文の光線を飛ばし始めた。モアは必死になって逃げ続けた。トムの呪文は何度もモアの体を掠めたが、うまくコントロールされているのか、どれも致命的な傷を与えるには至らなかった。

 

 こんな状況で魔法なんて使えるとは思えないし、もし使えたとしてもこんな時にどうやって戦えばいのかなんてまるで分からなかった。

 

 何より、トムはジニーの体に取り憑いているのだ。下手にやり返せば、それはジニーを傷つけることになる。どうしたらジニーを助けられるのか分からず、モアの頭はパニックになった。

 

「お願い、止めてトム、お願いよ……!」

 

 逃げ惑いながらただ懇願することしか出来ず、モアは自分の無力さに打ちひしがれた。

 

 こんなことなら駄目元で決闘クラブに参加しておけば良かった。こんなことになるのなら、トムと仲良くならなければ良かった。今更どうしようもないことだが、モアの胸の中は後悔で一杯になった。

 

 トムはジニーの姿で笑い声を上げながら、何度も何度もモアに杖を向けた。モアの知らない呪文が幾つも飛び交い、さながら呪文の見本市のような有り様だった。

 

「見様見真似で良い。まずは杖を構えるんだ、モア」

「無理よ! 出来ないわ!」

「無理と決めてかかるから出来るものも出来ないんだよ、違うかい」

「だって私、魔女じゃないのに――!」

 

 呪文の光線を交わしながら何分駆けずり回っただろう。過呼吸になりそうなほどの息切れの後、段々重くなってきた身体を引き摺っているとトムが仰々しい溜め息を吐いた。

 

「少し休憩を入れようか」

 

 その言葉を合図に、雨のような呪文の攻勢が止んだ。モアは床に崩れ落ちると、そのまま大の字になった。酸欠で肺が悲鳴を上げている。体中が小さな切り傷や打ち身だらけでじくじくと痛んだ。

 

 トムは天井を仰いで寝転ぶモアの傍までやってくると、隣に膝を突いた。ジニーの姿で微笑むトムは悪魔のようだった。

 

「モア、駄目じゃないか。まずは杖を構えないと」

 

 モアはたっぷり時間をかけて呼吸を整えると、絞り出すように声を出した。

 

「……お生憎様だけど、杖を構えても魔法なんて使えないわよ。あなたにも話したと思うけど、杖振り練習ならそれこそハーマイオニーと何百回も何千回もやったんだから。それでも魔法が使えないってことは、私が魔女じゃないってことの証拠に違いないわ」

「モア、残念だけど、それって前提条件が間違ってるよ。魔女じゃないから魔法が使えないんじゃない、使いたくないから使えないんだ」

 

 トムは哀れなものを見る目でモアを見詰めた。

 

「魔法の発動には心の状態が強く影響するんだ。魔法薬を作れる時点で、君はスクイブなどではなく立派な魔女だ。なのに君は自分が魔女じゃないと思い込もうとしている。まずはその思い込みを解かないといけない」

 

 モアにとっては耳の痛い話だった。この一年、魔法薬は問題なく作れるという都合の悪い事実から目を背け、杖を使えないことだけを理由に魔女ではないと主張してきたのだから。

 

 でも、モアは本当に自分に魔法が使えるだなんて思えないのだ。それにモアは何故こんなに魔法が使いたくないのか、自分でもよく分からないのだった。

 

「本当は分かっているんだろう。君は魔女だ」

「違うわ」

「魔女だという自覚を持つんだ」

「違うったら違うの!」

「どうしてそんなに認めがらないんだい。前の学校に戻りたいから? 違うだろう。君はもう戻れないということをちゃんと分かっているはずだ」

「理由なんてなんでも良いわ! 前の学校も関係ない! とにかく魔法なんて馬鹿げたものは使っちゃ駄目なのよ!」

 

 これを聞いたトムは、何か興味深いものを引き当てたかのようにモアを覗き込んだ。

 

「どうして?」

「それは……分からないけど、とにかく駄目なのよ!」

 

 モアが拗ねた子供のように言うと、トムはこれ以上ないくらいほど面白そうに口の端を歪めた。

 

「ああ、そうか。君は自分が“クレイズの血を引いている”ということをちゃんと分かっているんだね」

 

 トムは納得した様子で頷いた。

 

「何を言っているの」

「でもそれは悪あがきという物だよ、モア。いずれ君は目覚める。それが早いか遅いかの違いでしかないんだ」

「だから、何を言っているのかさっぱり分からないわ!」

 

 モアは思わず起き上がって子犬のように吠えた。何処吹く風のトムは、杖の先でモアの乱れた髪を掻き上げた。

 

「やっぱり君は、ここできちんと目覚めておくべきだ。僕の手によってね」

 

 杖の先をモアの髪に何度も通しながら、トムは薄い笑みを浮かべた。

 

「さあ、休憩はお終いだ。楽しい鬼ごっこの再開だよ」

 

 

 それからのモアは何時間走らされたか分からない。こんなに走らされたのは前の学校で開かれたハーフマラソン大会の時以来だったが、トムの容赦ない攻撃をかわさなければならない分こちらの方が遥かにハードだった。

 

 始めは掠めるだけだった呪文も段々と命中するようになってきて、二の腕が裂けたり、太腿を撃ち抜かれたりして、モアは次第に身動きをするのすら辛くなってきた。

 

 トムは時折追い立てるような言葉を言ったが、返事をすることさえ出来ずにモアは秘密の部屋を駆けずり回った。散々追いかけ回されて、モアは心が折れそうだった。

 

 足を引きずりながらなおも逃げ続けていた時、モアは呪文で砕けた床の小さな窪みに蹴躓いた。体が前のめりに倒れ、頬から床にダイブする。ジンジンした痛みが頬から全身へと広がり、すぐに起き上がって逃げなければと思うのに、モアはどうしても起き上がることが出来なかった。情けなくて悔しくて、また涙が滲んだ。

 

 追いついたトムはモアの身体を跨ぐと胸ぐらを掴んで引き起こし、そのまま荒い呼吸を吐く口の中に杖先を突っ込んだ。

 

「君は僕のことを舐めているのかな。本気になれと言っただろう。手心を加えているからと言って、手を抜いて良い訳じゃないんだよ。言っておくけど、君を捻り殺すくらいなら僕は簡単に出来るんだ」

 

 トムは恫喝するかのように胸ぐらを掴んだ手を揺さぶった。

 

「このまま脳を撃ち抜かれたいかい?」

 

 杖を喉の奥まで差し込まれ、思わず嘔吐きそうになる。モアはぼろぼろと涙を零しながら首を振った。

 

「じゃあ頑張るんだ、モア。僕は本気だよ。この状況下で生き残るためには何が必要かな……答えは出ているだろう。そう、魔法だ。魔法を使うんだ、モア!」

 

 その時、部屋の入り口の方から誰かの足音が近付いてきた。

 

「モア!」

 

 モアの名前を呼ぶと、足音は慌てた様子で駆け寄ってきた。しつこいくらいに何度も聞いたから声で分かる。ハリーだ。助けが来てくれた。モアは安堵感からまた涙が込み上げてくるのを感じた。

 

 トムはハリーの顔を見るなり、モアの胸ぐらを掴んでいた手を離した。急に解放されたモアは支えを失くし、床にしこたま頭を打ち付けた。

 

「ジニー、何をしてるんだ! どうしてモアに杖なんか向けて……」

 

 ハリーは愕然としてトムに呼び掛けた。モアは痛みでガンガンする頭を持ち上げると、必死になってハリーに向かって叫んだ。

 

「ジニーじゃないの! トムなの、トムなのよ!」

「トムって誰だい? もしかして……トム・リドル!?」

 

 ハリーが何故トムの名前を知っているのか、とモアは驚いた。トムの日記のことはジニーとモアだけの秘密だと思っていたのに。モアはどういうことか問い詰めたい気持ちでトムを見詰めた。だがトムはモアには目もくれず、ハリーに釘付けになっていた。

 

「ハリー・ポッター、生き残った男の子」

 

 トムは構えていた杖を下ろしてハリーに向き直った。ねっとりとした視線でハリーの全身を見回し、それから背筋が寒くなるような笑みを浮かべた。

 

「ああ、君と話す機会をずっと待っていた。この一年、僕の関心の半分はモアにあったが、もう半分は君にあったんだよ、ハリー。こうして会える時を楽しみにしていた」

「どうしてジニーに取り憑いているの、ジニーは無事なの!?」

 

 ハリーは叫んだ。

 

「本当は同じことを二度説明するのは面倒なんだけど、まあいいだろう。今の僕は機嫌が良い」

 

 トムは先程モアに話したのと同じように、ジニーが日記に不安や悩みを書き続けていたこと、ジニーの注いだ魂を元にトムが強くなっていったことなどを掻い摘んで話した。ハリーは初めこそよく分からない顔をしていたが、ジニーがトムによって食い物にされていたことが知れてくると、どんどん表情が強張っていった。

 

「学校の雄鶏を絞め殺したのもジニー、壁に脅迫文を書いたのもジニー。血にも見紛うペンキに塗れて立ち尽くすジニーは傑作だった。スクイブの飼い猫や四人の穢れた血にスリザリンの蛇をけしかけたのも……あとは言わなくても分かるだろう? まあ初めのうちは本人も全く自覚していなかったのだけれど」

 

 ハリーは言葉を失ったように呆然とジニーの姿で語るトムを見詰めた。

 

「ジニーが僕を疑うようになるまで随分時間が掛かった。ジニーは時々自分の意識がなくなったり、秘密の部屋事件を想起させるような痕跡が自分に残っている原因が僕にあるんじゃないかと考え、僕の日記を捨てようとした」

 

 そこでトムは、ようやく思い出したかのようにモアに振り返った。

 

「モアは知らないだろうけど、ハリーはジニーが捨てた僕の日記を拾ってくれた張本人なんだ。これは喜ばしい偶然だった。僕が会いたいと、話したいと思っていた相手が拾ってくれたわけだからね」

 

 それを聞いてモアはピンときた。バレンタインの日にハリーの鞄から零れ落ちてドラコが拾い上げた黒い手帳がトムの日記だったのだと気が付いたのだ。道理で表紙に書かれた年が五十年前の物だったわけだ。

 

「けれどハリーが日記を拾ったのを見て、ジニーは僕がジニーの秘密を大好きなハリーに暴露するんじゃないかと怖くなったのさ。グリフィンドールの男子寮を荒らして日記を取り返したジニーは、最後の言葉を書き込んだきり、これ以上日記を使うまいとした。でも、もうすべては手遅れだったのさ」

 

 ハリーはジニーの姿で語るトムをじっと見詰めていた。余程怒っているのだろう、身体の横で握り締めた拳がわなわなと震えていた。

 

「ジニーのことは良い。僕の最大の関心事はずばり、特別な力も持たない赤ん坊が闇の帝王の手を掻い潜ってどうやって生き延びたのかと言うことだ」

「どうしてそんなことを気にするんだ。ヴォルデモート卿は君より後に出てきた人だろう」

「ヴォルデモートは僕の過去であり、現在であり、未来なんだよ……」

 

 トムは杖を振るった。空中に十六文字のアルファベットが輝きながら浮かび上がり、トムの名前を綴った。

 

『TOM MARVOLO RIDDLE』

 

 トムはもう一度杖を振るった。トムの名前を形作っていたアルファベットがばらばらの文字となり、自由に動いて並び変わった。

 

『I AM LORD VOLDEMORT』

 

 私はヴォルデモート卿だ。その名を明かしたトムは悠然として笑みを湛えていた。


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