パンジーと交代で着替えを済ませたモアは、パンジーの指示で通路に出た。スカートとセーターの上に丈の長いローブ。マントを羽織ってからその場でくるりと回って見せると、真っ黒い裾がコウモリの羽根のようにふわりと広がって通路を占めた。
「うん、似合ってるわ。立派な魔女に見える」
モアの制服姿を見て満足げに頷いたパンジーと対照的に、モアは微妙な顔で俯いて肩を竦めた。
「そうかしら。そう言われてもあんまり嬉しくないわ。私、魔女になるつもりなんてないのに」
それを聞いたパンジーは、衝撃を受けたとばかりに両腕を振り下ろして憤った。
「なんてこと言うの! あなたは魔女なのよ、それもクレイズの!」
「それなら毛むくじゃらのハグリッドに何度も聞かされたわ。でも私はまだ納得してないのよ」
「ああ、きっとマグルの世界で過ごした時間が長すぎたんだわ! 駄目よ、あなたはこれから魔女としてホグワーツに通うんだから!」
通路からコンパートメントに戻ったモアは、パンジーの向かいに腰かけながら大げさな溜め息を吐く。
「言っておくけど私、今の今まで魔法なんて使った例しがないのよ。そんな私が魔女なんて馬鹿げた……んんっ、とにかく、魔女な訳ないじゃない」
「駄目よ、自信を持って! 転入許可が出ていることは、魔力があるってことの証なのよ! 心配しなくてもあなたなら立派な魔女になれるわ」
子犬のように吠えながら必死の様相で訴えるパンジーは、ほとんど泣きそうな顔をしていた。なぜ彼女がこんなに親身になってくれるのかは分からなかったが、モアはいい友人を得られたと思って少しだけ温かい気分になった。
ホグワーツ特急は徐々にスピードを落とし始めていた。モアがちらりと窓を覗くと、木々が鬱蒼とする外の景色は夜の暗さを帯び始めてきており、雲の向こうには月も輝き出していた。
段々と魔法学校が近づいてくるにつれ、モアの心臓はその高鳴りを激しくしていった。
気分は今まさに敵陣に乗り込もうとする戦士そのものだった。モアはこれからホグワーツに乗り込み、どんな手段を使ってでも自分が魔女ではないという証明を得てこなければならないのだ。
じわじわと景色の流れが緩やかになり、間もなくの到着を告げる車内アナウンスの後に列車は完全に停止した。アナウンスでは荷物を置いていくようにとの指示が出されたが、モアはブーティを一人残していくことに大きな抵抗を示してパンジーを困らせた。
パンジーに諭されてキャリーバッグを手放したモアは、可愛い子猫に暫しの別れを告げてコンパートメントを出た。通路にはすでに何人もの生徒が溢れ出しており、列車の扉が開くなり生徒達は一斉に外へ流れ出た。
人の流れに沿って進んでいると、モア達の近くで聞き覚えのある声がした。振り返ると、二人のちょうど真後ろで毛むくじゃらの巨体がランプを片手に一年生の誘導を行っていた。
「イッチ年生はこっち、イッチ年生はこっち!」
「ちょっとそこのあなた、ハグリッドじゃない! こんな所で何をしているのよ?」
「ん? おお、モアじゃないか!」
ハグリッドはランプを掲げたままモアの所まで歩いてくると、空いている方の手で背中をばしばしと叩いた。
「なんだ、おまえさん結局来る事にしたんじゃないか、え? 俺の本業は学校の森番でな。毎年こうして一年生を案内しとるんだ。お前さんも組み分けがあるはずだから、一緒に一年生の列に並んどくれ」
モアは一年生の列を一瞥すると、それから片眉を上げてハグリッドに詰め寄った。
「そんなことより、ねえ! まさかとは思うけど、うちの玄関をキングズ・クロス駅に繋げたのはあなたじゃないでしょうね」
「なんだそら、何の話だ」
「あなたじゃないの? ……そう、違うのならいいわ。案内どうもありがとう!」
モアはハグリッドに礼を言うと、パンジーに向き直ってその手を握り締めた。
「私達、ここでお別れみたい。また後で会ったら仲良くしてちょうだいね」
「ええ。組み分け頑張って。あなたがスリザリンに入ってくることを願ってるわ」
「本当に色々とありがとう、じゃあまた」
パンジーはモアに手を振ると、人波に沿って馬車を待つ列に向かって行った。
モアは一年生の列に混じって、足場の悪い小道を進んでいった。何度か木の根に躓きそうになりながらもなんとか着いて行くと、やがて辺りが開けて大きな湖の岸辺に辿り着いた。
真っ黒な湖面は月明かりを受けてきらきらと輝いている。湖岸には四人乗りのボートがいくつも繋がれており、新入生達は列の前の方から順番にボートに乗り込み始めた。やがて全員が乗り終えると、ボートの一団は湖面をすべるように走り出した。
モアの乗ったボートには、女の子二人の他、カメラを携えた少年が乗っていた。少年は、目にした全てを写真に収めるとでも言わんばかりに、フラッシュを焚きながら落ち着きなく周囲の景色を撮り続けていた。
暗いトンネルを潜って地下の船着き場に着くと、みんなは順番に船を降りた。ハグリッドは、忘れ物などがないか一艘一艘確認した後、一行をごつごつとした岩の道に誘導した。
「足元が悪いから気を付けろ! ほれ、お前さん、カメラなんぞ覗いてたら転んで怪我するぞ!」
ハグリッドは時折みんなに声を掛けながら、ランプを高く掲げた。真っ暗な道の中ではハグリッドの持つランプだけが目印だった。
岩の道を上っていくと、行く手に城が見えてきた。湿り気を帯びた草むらを抜け、建物の石段を上った新入生たちは巨大な木扉の前で立ち止まった。
ハグリッドは一度だけ新入生たちを振り返ると、それからランプを持っていない方の手で静かに扉を三回ノックした。間もなく扉が開いて、黒髪の背の高い女性が現れた。すみれ色のローブを纏ったその女性は、厳格な表情で新入生たちを見回した。
「イッチ年生をお連れしました、マクゴナガル先生」
「お疲れさまでした。では、後はこちらで引き取ります。みなさんは私に着いてきてください」
新入生達はマクゴナガル先生の指示に従って順番に玄関ホールへと上がっていった。玄関ホールを横切り――どこからか大勢の人のざわめきが聞こえたが、ホールに反響して音の出所は分からなかった――ホールの脇にある小さな空き部屋に押し込められると、途端に新入生の間で不安げな気配が漂い始めた。
マクゴナガルが前に出ると、ざわつき始めた新入生達を鎮めるように一つ咳払いをした。
「ホグワーツへの入学、おめでとうございます」
硬質な声が投げかけられると、新入生達は水を打ったように静まり返った。
「これから新入生の歓迎会が始まりますが、その前に皆さんを組み分けの儀式が待っています。これはホグワーツで学校生活を送る上での寮を決める大事な儀式です。授業の多くは寮生と一緒に受けるようになりますし、就寝のみならず、みなさんは自由時間も寮の談話室で過ごすことになります」
それからマクゴナガルは四つの寮の説明をし――これはパンジーに聞いた内容と概ね同じものだった――、寮生は学生生活における家族のようなものだと説いた。それから、寮対抗杯なる制度の説明をして、寮の得点を伸ばすべく学生生活の中で良い行いを心掛けるようにと言い添えた。
「まもなく組み分けの儀式が全校列席の場で行われます。それまでは身なりを整えて、静かに待っていてください」
マクゴナガル先生が部屋を出て姿が見えなくなると、室内は俄かにざわつき始めた。
「組み分けの儀式ってどんなことをするんだろう、試験か何かかな」
「僕、母さんから帽子を被るだけって聞いたよ」
「帽子を被るだけ? そんなので寮が決まるわけないじゃないか!」
モアは周りに溢れ始めたおしゃべりを出来るだけ聞き流しながら、どうにか転入を取りやめにすべく策を練っていた。組み分けの儀式を台無しにしてみることも考えたが、何をする儀式なのか分からない中では対策の取りようもないというものだった。
何も思いつくことがないまま時間だけが過ぎていき、やがてマクゴナガル先生が戻ってきた。
「皆さん、組み分けの儀式が始まります。一列になって着いてきてください」
モアは新入生たちを先に行かせ、自分は列の最後尾に着いて部屋を出た。そうすることで少しでも時間を稼ぎたい気持ちがあった。
先程の玄関ホールに戻って右手に進むと、先程も聞いたざわめきが一層近づいてきた。マクゴナガル先生の手で二重扉が開かれると、その先には煌びやかな大広間が広がっていた。
広間の奥に向かって長テーブルが四つ並んでおり、その上には無数の蝋燭の明かりが宙に浮かんでいた。建物の中に居たはずなのに頭上には夜空が広がっており、雲の間に星が輝いていた。テーブルのそれぞれには既に在校生達が着席しており、広間の一番奥には教職員用のテーブルが横に伸びていた。
マクゴナガル先生は新入生達を教職員席の前まで連れてくると、全員を一列に並ばせて在校生達の方を向かせた。
それから新入生達の前に一脚のスツールを置くと、その上に所謂魔法使いの被るようなとんがり帽子が載せられた。モアの見た限り継ぎ接ぎだらけのぼろぼろで、一度か二度洗った方が良さそうな代物だった。
帽子が置かれると大広間の中は静まり返り、皆が帽子に注目した。そのうち帽子が小刻みに震え出したかと思うと、つばの縁がぱっくりと開いて、まるで口でも動かすようにぱくぱくと動き始めた。
やあやあ皆様これなるは
組み分けの儀の始まりだ
君に告げるは行くべき寮
被れば選んで伝えよう
どうやらこのおんぼろ帽子は歌を歌っているらしい。どこから出ているのか分からないが大広間いっぱいに聞こえる声量に驚き、モアはぎょっと目を見開いた。
グリフィンドールは勇気の暖炉
勇猛果敢で無鉄砲
けれども誰より頼りになる
ハッフルパフは親愛の居間
誰もが公平勤勉で
ひょっとすると最も居心地良い
レイブンクローは知恵の塔
アカデミックでクリエイティブ
こぞって自立の個人主義
スリザリンは怜悧の地下牢
保守的だけど狡猾で
知略に長けた野心家さ
示してごらん、才能を
私が見つけ選ぼうぞ
さあさあ恐れずお任せを
だって私は考える帽子!
歌い終わるや否や、割れんばかりの拍手が大広間を満たした。拍手喝采を受けて満足そうにお辞儀をすると、帽子はスツールの上で大人しくなった。
モアも周りをきょろきょろ見ながら遠慮がちに拍手を送っていたが、マクゴナガル先生が巻紙を手に歩み出たのでぱっと両手を下ろした。
「それでは、アルファベット順に名前を呼びますから、帽子をかぶって椅子に座ってください……アンドラス・ケイン!」
名前を呼ばれた男の子は一瞬訳が分からないという顔をしていたが、慌てて小走りで前に出て来ると、本当に帽子を被ってスツールに座り始めた。
「ハッフルパフ!」
帽子が叫び、右側のテーブルから歓声が上がった。男の子は歓迎されるがままに右側のテーブルへと歩いていき、そのまま空いている席に収まった。どうやら本当にあのおんぼろ帽子が入る寮を決めているらしい。モアは訝しむ気持ちで帽子を睨んだが、どう考えてもインチキにしか思えなかった。
「ブレア・ローズ!」
次の女の子が出て来ると、これまたぐいっと帽子を被って椅子に座った。今度はしばらく沈黙が続いたが、やがて高らかな声で寮名が宣言された。
「スリザリン!」
スツールの上でどうしたものか戸惑っていた女の子は帽子を脱ぐと、右から二番目にある緑のネクタイを締めた一団のいるテーブルへと足早に駆けていった。
「クリービー・コリン!」
マクゴナガル先生は次々に名前を呼び上げ、新入生達は次々に帽子を被って組み分けされていった。新入生の並んでいた列はみるみる疎らになっていった。
「ラブグッド・ルーナ!」
女の子はゆったりした歩調で歩み出ると、労わるような丁寧な手付きで帽子を取り上げた。それから帽子を頭に載せると、間もなく帽子が声を張り上げた。
「レイブンクロー!」
左端から二番目のテーブルで歓声が沸き、女の子はまたゆったりした歩調でテーブルまで移動していった。
それから呼ばれたのは、ロビンソン・コリーナ、スコット・ローレン、他にも何名も。最後に赤毛のウィーズリー・ジニーが呼ばれ、教職員席の前にはモア一人が取り残された。モアは体の横で拳をぎゅっと握り締めた。
「さてここで皆にお知らせじゃが、今年は二学年に一名、転入生が……」
その時、大広間の扉が開いて、真っ黒なローブを纏った男性が入ってきた。その男性ときたら立派な鉤鼻の持ち主で、髪も瞳も鴉のように真っ黒だった。
鉤鼻の男性は教職員席まで真っ直ぐに突き進むと、マクゴナガル先生の前で立ち止まり、耳打ちする格好を取った。
「ポッターとウィーズリーが例の空飛ぶ車で登校し、暴れ柳に激突しました。今は我輩の研究室で待機させていますが、早急に来ていただきたい」
耳打ちとは思えない声で用件が伝えられると、マクゴナガル先生はその表情をみるみる厳しいものに変えていった。大広間に集った生徒たちが俄かにどよめき始めた。
「今の聞こえたか? ポッターが空飛ぶ車で暴れ柳に突っ込んだって!」
「マジかよ! 汽車で見かけないと思ったら空飛ぶ車でご登校とは!」
「皆さん、静粛に! まずは組み分けの儀式を続けます。クレイズ・モア、組み分け帽子の前へ!」
マクゴナガル先生がモアの名前を呼ぶと、大広間のどよめきが一層激しくなった。
モアは深々と深呼吸をすると、硬い動きでスツールの前まで移動した。目の前にあるのは見れば見るほど汚らしい、おんぼろの帽子だ。モアは摘み上げるようにして帽子を取り上げると、しばらく逡巡して、それから嫌そうに頭の上にちょこんと帽子を乗せた。
「ほう、君はクレイズか」
帽子を乗せた頭の中に、何やら低い声が聞こえてきた。
「ふむ。君の才能が花開く寮は、そうだな、スリザ――」
モアは帽子の裁定にとっさに口を挟んだ。
「ちょっと待って、帽子さん! 初めに言っておくけど、別に私、魔女になりにきたわけじゃないのよ」
「ここまでやって来て、それでもまだ魔法使いになる意思を持たないとは!」
帽子は――帽子に目があるのならきっと――片目を顰めて唸りを上げた。モアは開き直った気持ちになって、帽子のつばを力強く握り締めた。
「悪いかしら。私はね、証明しに来たのよ。自分が魔法使いなんかじゃないってことをね! だから組み分けなんてしなくていいから、さっさと私がただのマグルだって、ここへ来たのは間違いだって言ってちょうだい!」
そう言ってモアが懇願すると、帽子はたっぷりと沈黙した。
「ちょっと、言いなさいってば!」
「モア・クレイズ、世の中には逃れ難い事実という物もあるのだよ。それがどんなに認めたくない物だとしてもね」
帽子はそこで一呼吸置くと、高らかに声を張り上げた。