朝食を済ませたモアは、ハリー、ロン、ハーマイオニーと一緒に城を出た。野菜畑を横切った向こうにある温室の前にはもうすでに多くの生徒が集まって、先生が来るのを待っている様子だった。
ポモーナ・スプラウト先生はすぐにやってきた。だがどういう訳か腕一杯の包帯を抱えたスプラウト先生は、ギルデロイ・ロックハートを伴っていた。トルコ石色のローブをまとったロックハートは、不機嫌そうなスプラウト先生に気付かない様子で生徒達に笑いかけた。
「やあ、みなさん! スプラウト先生に『暴れ柳』の正しい治療法をお見せしていましてね」
暴れ柳と言えば、ハリーとロンが突っ込んだという古木のことだ。どうやら木は治療が必要なほどに傷んでいるらしい。ちらりと隣を見ると、ハリーは気まずそうに頭を引っ込めている所だった。
ロックハートの長話を纏めると、旅の途中で出会った『暴れ柳』に関する浅薄な知識を元に、スプラウト先生という専門家を差し置いて出しゃばりに来たということのようだった。
モアが興味なさげにロックハートの一人語りを聞き流していると、スプラウト先生から三号温室に入るようにとの指示が出された。モア達は同じく授業を受けに来たハッフルパフ生達と交じりながら三号温室に流れ込んだ。
「あれっ、ハリーは?」
ロンの声がして振り返ると、ハリーは温室の外でロックハートと何やら立ち話をしていた。サイン会の時もそうだったが、ハリーはロックハートに目を掛けられているらしい。
モアにとっての初めての授業は、ぎゃあぎゃあ泣き喚くマンドレイクの根っこを別の大きな鉢に植え替えることだった。マンドレイク、別名マンドラゴラは強力な回復薬の材料になるが、泣き叫ぶ声を耳にすると命を落とす危険がある代物だった。
今回の植え替えで使うのはまだ苗の状態のマンドレイクだったが、それでも鳴き声を聞けば数時間気絶するなど危険なことには変わりないという。魔法学校の授業がこんなに危険を伴う物だなんて知らなかったモアは、暫くの間呆然と先生のお手本を眺めていたが、慌てて我に返ると誰よりも先に耳当てを付け直して身の安全を確保した。
植え替えは四人一組になって行うことになっていたが、モアたちの所には四人組からあぶれたハッフルパフの男の子が一緒になり、五人一組で植え替えを行うことになった。ハッフルパフの男の子は何やら自己紹介をしていたようなのだが、耳当てを付けていたモアには何を言っているのか聞き取れなかった。
マンドレイクの植え替えは、見た目ほどそう簡単なものではなかった。
土から引っ張り出した途端、薄緑色の醜い赤ん坊――マンドレイクの根っこは喚くわ暴れるわで中々新しい鉢に収まろうとしなかったし、耳当てを付けた何も聞こえない状態の中で皆との連携を取ることは非常に難しかった。土から出たら泣き喚く癖に、大人しく土に戻ろうとしないとはどういうことかとモアは苛々しながら作業を進めた。
結局五人がかりでマンドレイクを鉢に収めた時には、全員が全員泥だらけで、ぐったりと疲れた状態になっていた。
薬草学の次の授業は変身術だった。今日の課題はコガネムシをボタンに変えるという下らないものだったが、いざ杖を使う段になってからモアはあることに気付いて声を上げた。
「あっ!」
「どうしたの、モア?」
「大変よ、ハーマイオニー。私、ベッドルームに杖を忘れてきたわ!」
ハーマイオニーはそれを聞くと、信じられないとばかりに口をあんぐりと開いた。
「モア……あなた、なにやってるの!? 魔法使いなんだから、杖は常に身に付けておくべきものなのよ!」
「そうなのね、今の今まであの棒切れを必要としたことがなかったから分からなかったわ! それにしても困ったわ、このままじゃあ授業が受けられないわね! うふふ!」
モアは良いことを閃いたとばかりに心底嬉しそうに言った。偶然が招いたことだったが、完璧な思い付きにモアは今日一番の笑顔を浮かべた。
だが、話を聞いていたのだろう、マクゴナガル先生が教壇から降りてモアの傍までやってきた。
「杖を忘れたのですか、クレイズ。本来ならグリフィンドールから五点減点するところですが、まだ魔法使いになって初めてのことでしょうから大目に見ます。急いで寮に戻って杖を取ってくるように。道は分かりますか」
「申し訳ないけれど、さっぱり分からないわ!」
モアははきはきと答えた。マクゴナガル先生は毒気を抜かれた様子で、モアの隣に座っていたハーマイオニーに目を向けた。
「ではグレンジャー、着いて行ってあげなさい。出来るだけ急いで戻ってくるように。良いですね?」
ハーマイオニーは呆れる気持ちを押し隠しもせずに立ち上がると、モアの腕を引っ張って教室の外に出た。
教室を出るなり立ち止まると、ハーマイオニーはモアに人差し指を向けた。
「ねえ。まさかとは思うけど、あなた、授業を受けたくなくってわざと杖を忘れたんじゃないでしょうね」
「そんなことないわ、本当に偶々なのよ。腕時計なら絶対に忘れないんだけど」
そう言いながらモアは左腕に付けた腕時計を見て――思わず二度見した。
「嘘でしょう、針がぐるぐる回ってるわ! この時計、アレイヤから貰ったお気に入りだったのに!」
モアの腕時計はベルトがハートを模った細身のチェーンになっていて、文字盤にキラキラ光る透明のガラス石が埋め込んであるファンシーなものだ。その時計の針が、まるで時間合わせをするときのように反時計回りにぐるぐると回っている。
モアががっかりとばかりに肩を落としていると、ハーマイオニーが慰めるようにモアの腕をさすった。
「モア、残念だけどホグワーツの中では、マグルの道具の多くは使い物にならないのよ。もしかしなくてもその時計、電池式でしょう?」
「今時、機械式時計の方が珍しいわ……ああ、嘘でしょう!?」
「仕組みの複雑な機械だと壊れてしまう場合もあるらしいけれど、時計なら、一時的に誤作動しているだけだと思うわ。素敵なデザインの時計だし、そんなに大事なものなら、アクセサリと思って身に付けていれば良いじゃない。さあ、杖を取りに行きましょう。出来るだけ急いでね」
ハーマイオニーの励ましは、気持ちの整理を付けるのにあまり役には立たなかったが、モアの傷心に染みるものがあった。確かに時計としては使い物にならないが、時計を貰った時の思い出はずっと身に付けていられるからだ。
グリフィンドール寮から杖を取ってきたモアは、教室に戻ると早速コガネムシをボタンに変える練習に取り掛かった。はっきり言って何の役にも立たない馬鹿馬鹿しい授業だとは思ったが、早々に課題を終えたハーマイオニーが熱心に指導してくれるものだから真面目に取り組まざるを得ない状況に陥っていた。
「ああ、駄目よ。この呪文で杖を振るときはもっと手首のスナップを利かせないと」
「ごめんなさい、もう一回やってみるわ」
「あと発音も直した方が良いわね、母音をもっとはっきりと言うのよ」
「ああ、待ってハーマイオニー。コガネムシが逃げちゃうわ!」
ハーマイオニーのオーダーに応えながら這い回るコガネムシをテーブルの上に留めておくのは至難の業だった。呪文を唱えているうちにコガネムシは杖先から離れた所に移動してしまうし、何なら透明で小さな翅を羽ばたかせて飛び去ろうとしてしまうからだ。
ハーマイオニーは一度ボタンに変えたコガネムシを元に戻すと、モアの前で見本を見せるように再び呪文を唱えた。動きを止めたコガネムシはみるみるうちに黒色の大きな脚付きボタンに変わっていき、マクゴナガル先生によってグリフィンドールは十点を獲得した。
結局、授業を通して課題を成功させたのは、ハーマイオニーを含めて片手で数えられる人数に留まった。勿論モアはこの片手の中には入っていない。
目の前で魔法を見せ付けられてみて、正直マクゴナガル先生やハーマイオニーのことは凄いと思ったモアだが、かといって自分で魔法を使いたい気持ちが湧いたかと言われれば全然だった。それにモアは、自分のコガネムシを授業時間一杯散歩させてやっただけで、自分に魔法が使える気配などはまるで感じられないのだった。
授業を終え、昼休みを迎える頃にはモアはすっかり疲れ切っていた。実習を伴う授業が続いた所為で、消耗は普通の学校に居た時よりももっともっと激しかった。
昼食の席でハリーが聞いた。
「どう、少しは魔法使いっていう自覚は出てきた?」
「全然。まだ魔法使ったことないし……使えるはずもないんだけど」
ハムとレタスのサンドイッチを摘まみながらモアはドライに言った。
「今日の変身術は凄く難しかったから仕方ないよ」
「ハーマイオニーはいとも簡単にやってのけたけどね」
ロンが機嫌悪く、テーブルの上に散らばるボタンを爪で弾いた。ハーマイオニーはロンが弾いたボタンを片手でキャッチすると、綺麗に並べ直しながら小首を傾げた。
「正直モアは良いところまで行ったのよ。杖の振り方もスペルもほとんど完璧だったのに、どうして上手く行かなかったのかしら」
「それは勿論、私が魔女じゃないからよ!」
「モアの奴、まだ言ってるよ。頑固だなあ」
「他の授業を受けたら案外気が変わるかも知れないよ。午後の最初の授業はDADA――闇の魔術の防衛術だ」
ハリーの言葉を確認するようにロンがハーマイオニーの時間割を覗き込もうとした時、唐突にモアが大きな声を上げた。
「大変だわ……私、ブーティにご飯をあげないと!」
モアはサンドイッチの残りを急いで詰め込みながら立ち上がった。
「寮に戻るのね。道は分かるかしら?」
「流石にもう分かるわ、心配してくれてありがとう」
「僕達は多分次の授業まで中庭に居るから、餌やりが終わったらおいでよ」
「そうさせてもらうわ。じゃないと次の授業の教室が分からないものね。まあ、授業に出られなくても私は別に困らないんだけど」
大急ぎで大広間から出ようとした時、向かいからやって来るスリザリンの一団に見覚えのある顔を見つけたモアは、腕を目一杯伸ばすと左右にぶんぶんと振った。
「あら、パンジー! 会いたかったわ」
パンジーは一瞬だけぎくりと身体を強張らせると、観念したように肩を降ろして立ち止まった。
「うっ……あら、モアじゃない。昨日振りね」
「何だか元気がない気がするんだけど気の所為かしら」
「そうね、ごめんなさい。私、昼食がまだなの」
「あら、それは引き留めて悪かったわ。是非ランチを楽しんでね」
「ええ……ありがとう」
歯切れ悪く礼を述べると、パンジーは逃げるようにスリザリンのテーブルへと駆けて行った。モアはパンジーの背中を見送ってからグリフィンドール寮へ急いだ。
女子寮の寝室に入るなり、モアはブーティを探した。ベッドの下、トランクの陰、机といすの間などをくまなく覗き、最後にモアは窓際のカーテンに辿り着いた。
「こんな所に居たのね」
ブーティは窓とカーテンの間に座ってじっと外を見詰めていた。視線の先にはホグワーツ城を取り巻く雄大な自然が広がっている。モアはブーティの隣に座って視線を追いながら、小さな黒い頭を撫でた。
「外に出たいのかしら。でもあなたはまだ子猫だから駄目よ。もう少し大きくなったら出してあげるわね」
夏休みの間はモアと一緒に家に篭りっきりだったブーティだ。ペットショップにいた頃と比べても体重は増えてきたようだし、外に興味を持つなど順調に成長しているらしい。そろそろふやかしたカリカリをご飯にあげ始めても良いかも知れない、と思いながらモアは餌やりの支度を始めた。
ブーティに餌をあげ終えたモアが中庭に出た時、辺りはちょっとした騒ぎになっていた。人垣に囲まれた中でドラコとロンが向かい合っており、ロンがドラコに杖を向けていた。二人は見るからに険悪な雰囲気で、今にもロンが呪文を唱えそうな勢いだった。
モアが誰か先生を呼びに行った方が良いかと悩んでいたところ、トルコ石色のローブをなびかせてロックハートが大股でやって来た。
「一体どうしたかな? サイン入りの写真を配っているのは誰かな? 聞くまでもなかった、ハリーだ!」
ロックハートは何か言いかけたハリーの肩に腕を回すと、カメラを持った少年に向かって笑い掛けた。
「さあ、撮りたまえクリービー君。最高のツーショットだ。二人のサインも付けよう」
ロックハートに呼ばれたのはモアが昨日の船で一緒だったカメラ小僧の男の子だった。男の子はもたついた手でカメラを構えると、これ以上ないほどの光栄だと言った表情で写真を撮り始めた。
午後の始業を告げるチャイムが鳴り響いた。ロックハートは皆に解散を告げ、ハリーの肩を抱いたまま城の中へと戻っていった。モアは散らばり始めた人垣から出ると、教科書を抱えて立ち尽くしているハーマイオニーに声を掛けた。
「あなた達、一体何をやってたの? ハリーがサイン入り写真を配ってたって本当?」
「それがちょっとした問題があって、マルフォイが……」
ハーマイオニーの視線を辿るが、すでにドラコはどこかに消えた後だった。モアは肩を竦めると怒りの矛先を持て余していたロンの背中を叩き、人の流れに沿って一緒に城の中へと戻った。
ロックハートの授業についてモアが言えることは何もなかった。初めの小テストでは好きな色だの、好みの女性のタイプだのといった知性を欠片も必要としない問題が五十四問も続いたし、その後はピクシー小妖精なる群青色の喧しい生き物を、授業時間一杯放し飼いにして教室内に混乱を招いただけだった。
“今の勉強よりもっと必要なことを学ぶため”に転校させられたはずのモアだが、今の所、モアに必要そうな授業はこれといって見当たらなかった。それどころかあまりにもくだらない授業が続いた所為で、モアは初日にしてうんざりし始めていた。
終業のチャイムが鳴った後、モアは教科書を揃えているハーマイオニーに小声で耳打ちをした。
「ねえ、この学校って、本当に大丈夫なの?」
「何を心配しているのか分からないけど、大丈夫よ。ロックハートは素敵な先生だわ」
顔だけ見れば確かに素敵かも知れないが、モアはことロックハートに関してはハーマイオニーの見識が当てにならないということを密かに認識した。