雨のち晴れ   作:やま茸

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 恋愛は、チャンスではないと思う。
 私はそれを意志だと思う。


 太宰治のことば


通り雨

 ●

 

 

『───昨夜、本土を上陸した台風6号は日本海側へ北上し……』

 

 音の響きを耳に得て、眠っていた意識を少しずつ覚醒させる。

 砂音に似たノイズに混じって聴こえるのは男の声、足辺に立て置いたスマホから流れるラジオの声音。落ち着きを感じさせるラジオニュースのアナウンサーの声だ。音の響きを横に、視界を前へと向ける。

 視界に広がるのは一面の青。水平線で分けられた空の青と海の青。空の青は果てが見えず、海の青は底が窺えない。そんな対極の相を持つ青だ。

 空にはさんさんと照りつける夏の日差しが降り注ぎ、それを遮らない程度に純白の雲が散っている。海には音を連れた荒波とも小波とも取れぬ波が行き来を連続していた。

 そして、波の行き着く先。己の足元にはコンクリート造りの漁港が広がっている。

 寂れた漁港だ。

 かつて卸し場だった建屋は錆色のシャッターと虎柄の危険帯で封鎖されており、魚介の鮮度を維持するための外付け水槽には淀緑色の水がプールされている。船着き場にも船は無く、足場のコンクリートも所々にひび割れが見える。そも、施設全体的に埃の積もりがあり、人の手入れが永らく無いのがわかる。

 廃漁港。という表現が似合う場所だ。

 そんな辺鄙な場所のかつて船着き場だった一角、釣り用のチェアに自分は腰掛けていた。足元には紺のショルダーバッグと薪木の入った凹凸を持つ一斗缶、ラジオ代わりのスマートフォン。そして、脱ぎ捨てた詰め襟の学生服。

 周囲には自分以外の人影も人の居た痕跡も無い。

 というのも、この辺りが政令封鎖地区指定に指定されているからだ。

 

 人類の仇敵、深海棲艦が初めて観測されてからはや十五年近く。

 

 周囲をヤツらの領域である外海で囲われた日本の沿岸部は未だにその強襲を受ける恐れがあり、沿岸部周辺の市民を避難・封鎖させるのは自明の理だった。

 故に、この様な廃漁場は全国的に珍しくないものであり、同時に、本来なら一般人の立ち入ることが許されない場所だ。

 そんな一般人の立ち入れない場所に自分がいるのは、俺が深海棲艦と相対する組織、海軍の人間だから───という訳ではない 。

 己はただの一介の中学生であり、そんな一山いくらのライトノベルの様なご都合設定などない普通の木っ端学生だ。故に、この封鎖地区にいるのは違法であり、見つかれば物凄く怒られるだろうと理解している。

 それでも、ここに居るのは、

 

 ───海が好きだからだ。

 

 否、好きと云う言葉には語弊がある。正確に云うなら、海に憧れを抱いている。というのが正しい表現だろうか。

 俺の家系───八田家は、祖父より以前の代からこの地では少し名の知れた漁師家系だった……らしい。曖昧な言い方になるのは、父の代で漁師を廃業していたし、祖父にその事を聞いたことがない。というのが理由だ。祖父は俺が生まれて間もない頃に、周囲の反対を押しきって漁に出て、当たり前のように深海棲艦に襲われて帰らぬ人となった。両親は漁師を辞めたがそれでも海に思う所があったのか、幼き俺を置いて海軍工廠の下請けに住み込みで出て、そして、五年前の深海棲艦による全国同時強襲に巻き込まれて帰らぬ人となった。

 そして、俺はいま一人海を眺めている。

 別に、不幸に酔う。なんて特勝なことは考えていない。天涯孤独の身など、昨今の情勢ではさほど珍しいものではないし、何よりそういう生き方は格好悪い。故に、海を見るのは、

 

 ───親父たちは、ここに命を掛けるに値する何かを見た。

 

 生き甲斐。とも呼べる何かが、法や家族、己の命よりも重きを置ける何かをこの広い海に見た。それは、世間一般からすると埒外な、ろくでなしの理屈。しかし、

 

 ───だからこそ全力だった。

 

 そしてそれは今の己にはないもの。

 そう。俺、八田耕嬉(はったこうき)には全力になれるものがない。

 趣味、特技、嗜好、家業。そういった『これが生き甲斐』と呼べるような物が何一つなかった。人並みには要領が良くて、そこそこに成果が出せるがそれだけだ。情熱とでも呼べるようなものが内に無いので、何者にもなれない。

 もしも、深海棲艦が現れなかったら、己も漁師としての生き甲斐を見つけられたかもしれない。しかし、それはあくまで仮定の話。思考実験でしかない。そして、海軍に入軍しようと思える程に突っ切ってはいない。

 故に宙ぶらりんの心持ちで、しかし、暇を見つけてはこうして海を眺める。

 こうして、海を眺めていれば、

 

 ───俺にも全力になれる何かが見えてくるかもしれない。

 

 そう思うのは外望みが過ぎるのだろうか。

 そう逃避に近い結論を内心で溢して、再び視線を海へと向ける。

 視界に写るのはいつも通りの海の姿。

 否、普段とは異なるものが見えた。波の合間に浮かぶ一つの影がある。

 黒の影だ。

 影は波に揺られながら、慣性に従って陸地、即ち此方側へと流れて来ていた。

 

 ───昨夜の嵐に乗ってゴミが流されてきたか ……。

 

 そう思うが、しかし、予想は外れる。

 一見の黒の中に、対比となる様な肌の色が見えたからだ。それが示すのは、つまり人間だ。

 

 人間が海洋から流されてきた。

 

 漂流、という言葉が脳裏を掠めた。同時に、土左衛門という言葉がよぎる。そして、

 

 気付いた時には身を海へと投げ出していた。

 

 着水の衝撃と身に纏う海水の冷たさを感じながら、手足を動かして推力へと変える。思うのは、

 

───馬鹿か、俺は……!

 

 という自分への憤りだ。

 この時勢、沖から流されてくる人体など、十中八九死体だ。特に、昨夜は台風が来ていたので、海は大荒れで、そんな中流されてくる存在が生存している訳がない。

 そもそも、生きていたとして、どうするつもりだ? と己に問いかけたい。こんな時勢、沖合いから流れ着く存在を拾うなんて、面倒ごと以外の何物でもない。深海棲艦ならまだいい方で、もしも人間だった場合、なぜ俺がこんな場末の廃漁港にいたのか説明しなければならなくなる。というか、絶対に国家権力系のアレコレに説教食らう案件だ。面倒を見てくれている人にも迷惑が掛かる。

 なら我が身可愛らしさに見なかったことにするべきなのでは? こんなところに流れ着く存在なのだから、見捨てても問題にならないのでは? ならば、ここで選ぶ最善は見なかったことにして、暫くここに寄り付かない様にすることではないか?

 

「───知ったことか……!」

 

 泳ぎながら、小さく吠える。

 最善なんかクソ喰らえ、小賢しい理屈なぞ知ったことか、と内心で続けて、手足に力を込めより一層速度を作る。

 他人のために命を投げ出すなんてガラじゃないのは解っている。それでも、我が身可愛らしさの所為で、人命を諦めるのはクソダサいとそう思う。そんな自分は嫌だと。

 だから泳ぐ。

 正面、手が届く位置に、浮遊体の姿が見える。

 下手な衝撃を与えないように、割れ物を触るような心積もりで仰向けの浮遊体───少女へと触れる。

 全体的に黒の装いの少女だ。所々破けた黒の制服に、ほどけて広がった黒の長髪。しかし、僅かに覗く陶器の様な白い肌が美しい対比を生み出している。可憐という二字を体現するような整った顔つきで、しかし、瞼は固く閉じられている。

 触れた少女の右腕からは熱を感じない。一瞬、間に合わなかったかと思ったが、しかし、少女の胸部が微かに上下していることから、まだ息があることに安堵の息を吐く。

 少女の体を両腕で軽くホールドし、足の動きだけで陸地へと推力を作る。廃漁港、船着き場へと登れる半ば海面に浸かった階段へと泳ぎ、少女を負ぶって静かにされど素早く船着き場へ。

 水分を持つ服が全身にまとわりつく不快感に顔を渋めながら少女を背に、小走りで釣り用チェアへ。脇に置いていたスマホを片手でひっ掴み学生服やら何やらを放置して、街の方へと走る。

 走りながらラジオを落とし、アドレス帳から『三阪翁』の登録番号へと通話を掛ける。数度の呼び出し音が連続し、ややあって、

 

『おう。坊から電話とは珍しいな? 夜遊びかなんかか? ン?』

 

 響くのは年老いた、しかし、軽く溌剌とした男の声音。電話の先、愉し気に表情を歪めているのを脳裏で幻視し、それを投げ捨てて、一言。

 

「重症患者を拾った」

 

『今どこにいる?』

 

 一転、短い問いが返ってきた。

 良く通る真剣な色を持つ声音に、自然と背筋の冷えるのを自覚する。しかし、そのまま気圧されることなく、

 

「漁港。現在進行形でそっちに向かってる」

 

『車を出す。荻山寺で合流するぞ』

 

 言い捨てて、通話が切れた。

 相変わらずの職業意識の高さに安堵の息を作りながら、携帯をポケットへ。

 改めて、背に負う少女の位置を正して、走る両足へ力を入れる。

 背負う少女からは変わらず体温は感じない。しかし、耳元で僅かに聞き取れる呼気が少女の生を実感させてくれた。

 面倒なことになるな。

 脳の冷静な部分がそう嘯いた。しかし、知ったことかと、小さく吐いて速度を上げる。

 




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