雨のち晴れ   作:やま茸

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 明日何が起こるかわかってしまったら、明日まで生きるたのしみがなくなってしまうことだろう。
 
 寺山修司のことば


気違い日和

 

 ●

 

 

「どうしてそんなに海が好きか、だって?」

 

 此方が問うた言葉を、眼前の男が釣竿を片手に繰り返した。

 黒髪の三十代半ばほどの細身の男だ。線の細いシルエットだが、そこに弱々しさは感じさせない。引き絞られた、柳のような雰囲気を思わせた。

 今は亡き父親、八田堆灯であり、つまり、今見ているのは、かつての思い出ということだ。

 俺が生まれてすぐの頃に両親は海軍工廠へ住み込みで出稼ぎに行ってしまった。とはいえ、年に数回は顔を見せに来て、そして幼い俺を連れて廃漁港へと釣りに誘うのが定石となっていた。

 勿論、この頃から廃漁港は特定封鎖地区指定されており、立ち入りは禁じられていたのだが、しかし、親子二人して不法侵入していた。そして、その度に帰宅後に親父がお袋にジャガーインパクトをぶちかまされていたが、まあ、些細なことだ。

 閑話休題。

 この時もそんな年に数回の内の一回だった。確か、六歳の頃の、暑い晩夏の一日だったと思う。

 今思えば、海が好きかどうか、なんて些細なことで、本当に聞きたかったのは、

 

 ───なんで、二人は家に居てくれないの? ってことだよなぁ……。

 

 当時は、というか今でもだが、両親が住み込みで働いている子供は珍しくなかった。ともすれば両親を亡くしている子供も珍しくなかった。父親と母親が在命しているだけでも幸運だと、当時からそう理性では理解していた。

 でも感情は別だった。

 この頃の俺は、それでも両親と離れるのが嫌で毎日一緒に暮らしたくて、それでも我儘を言って二人を困らせたくないから、そんな、歪曲した遠回りな問いかけをしたんだと、思う。

 我ながら、小賢しい考えだと思うし、親父もそれを見抜いていたのか、苦笑を浮かべて、

 

「んー、なんと言うのかな。好きかって言われると少し返答に困るんだよなぁ……」

 

 そんな風に、濁して言った。

 好きじゃないの?

 

「そうだね」

 

 無垢な疑問を親父はあっさりと肯定する。そのうえで、視線を再び海へと向けてから、

 

「僕も結花さんも、海が好きなわけじゃないよ」

 

 そう前置いた。

 いいかい?

 

「僕たちは海が好きな訳じゃない。海じゃないと生きていけないんだ」

 

 親父は何でもない風に、まるで一般常識でも言うように告げた。

 そんな言葉に、いや、そんな訳ないだろう。と反論した覚えがある。魚でもあるまいし、などとツッコミを入れたのだが、親父はこちらの言に笑みを浮かべて、

 

「言い得て妙だね、それ」

 

 頷きを置いて、

 

「僕たちが人として生きて行くためには、海が必要不可欠なんだ」

 

 難しい話じゃないよ。

 

「マラソンランナーが走ることを生き甲斐にするように、小説家が文を書くことを生き甲斐にするように、刀工が鍛治を生き甲斐とするように、人が人として生きていくためにはただ生きるだけでは駄目なんだ」

 

 僕たちにとってそれが海なんだ。そう告げた。

 そのうえで、親父は一拍置いて、

 

「ただ生きているだけならそれは死んでいるのと同じだよ。大事なのは何を為したいのか、何のために生きるのか、ということだと僕は思う」

 

 よくわからない。そんな風に言った俺に、しかし、親父は右掌をこちらの頭へ置いて、

 

「まあ、耕嬉にもいずれ解る時がくるよ」

 

 だって、

 

「耕嬉は僕たちの息子だからね」

 

 深い笑みでそんな風に言ったのだった。

 そんな会話から、はや八年。

 両親を失い、惰性で生きながらも親父の言葉の真意を理解できてはいない。

 まだ、生きているとは言えない生き方を続けていた。

 

 

 ●

 

 

 十数年以上続く深海棲艦との戦争の結果、現代の生活様式はそれ以前とは大きく変わってしまった。……なんてことはなく、生活水準は当時と然程変わらないらしい。伝聞調なのは深海棲艦のいなかった時代を俺が経験したことがないからなのだが、それはさておき、ここで言いたいのは、煉獄やら黎明と呼ばれた時期ならいざ知らず、現代では社会人は毎日会社に出勤し、学生は毎日学校に登校する日々を重ねている。ということだ。

 故に、一介の男子中学生である俺も平日には学校へと通っている。所謂、進学校や私立校ではない。何処にでもあるような地方の市立校だ。履修科目もさして珍しいものがない普通の学校。

 正面、座する生徒と教卓を挟んで向こう、音を連れて板書している社会教師の背をぼうっと眺める。授業内容は世界史。周囲では真面目に教師の言葉を聞きながらノートに向き合う姿や、机に突っ伏して寝姿をつくる姿。隠れて内職やゲームをする姿が見える。

 終業五分前となれば妥当だろうな。などと感想を溢しながら、黒板の重要な単語をノートに記入する。

 ふと、板書を終えて教師は振り返った。そう言えば、と思い出したように言葉を作る。

 

「例年通り、夏休みに鎮守府の職業見学会がある。引率は俺と生徒指導の七尾先生だから、興味あるなら俺か七尾先生に言うように」

 

 言うと挙手があって、生徒の一人が疑問を述べた。

 

「日にちは何日ですか?」

 

「あー、……確か二十七日だったかな? 詳しくは職員室の掲示板に貼ってあるから、それを確認するように」

 

「うーす」

 

 そんな気のない返事と共に、スピーカーから終業のチャイムが響く。響き、残響を置いてから学級委員が号令を掛けて、教師が退出する。

 時刻は十一時四十五分。普段ならこの後に四限の授業があり、昼休憩を挟んで午後の授業へと続くのだが、夏休み前の一週間は午前中授業となっているので、今日の授業は今ので最後。つまり放課後になった。

 教室の中、生徒の動きは大別して二つに分けられる。退出する流れと留まる流れだ。

 俺は前者だ。

 理由があるものではない。部活動は帰宅部だし、帰りを急ぐ理由もないのだが、逆に言えば学校に残る理由もない。故に、鞄に教科書類を放り込んでいると、

 

「おうおう、定時退社ならぬ定時下校たぁ見上げた現代っ子精神だな、おい」

 

 妙に喧嘩腰な言葉を掛けられた。

 背後、にやけ面で此方を見下ろしている少年のものだ。

 喧嘩腰な口調だが、別に特別怒気を孕んでいるわけではない。これがこいつの素なのだ。誰に対しても喧嘩腰、煽り口調という社会不適格者だ。とはいえ、この年代の少年少女はこういう格好付けをしたくなる年頃なのだろう。誰もが一生に一度はそういう悪ぶる態度を取りたくなるものらしいし。

 そんな哀れな同級生(中学二年生)の少年───花十清成(かとうきよなり)へと憐れみの生温い視線を向ける。

 向けていると花十は見下しのまま、半ジト目を浮かべて、

 

「……なんか脳内でいい空気吸ってるみたいだけど、ブーメランって解ってるか? んん?」

 

 煽ってくるが無視した。

 無視されたからか、花十はひたすら、ん? ん? と言いながらモノクロームのように体を左右に揺らしている。

 周囲、クラスメイトたちが一瞬こちらを見てから、いつものことか、と納得してそれぞれの日常へと戻っていく。待て、バカの奇行を俺に押し付けるな……!

 鬱陶しいな、とバカを視界に入れないようにしながら鞄に教材を仕舞っていると、

 

「こらキヨ、あんまりタッさんを困らせるんじゃない」

 

 軽い打音とともに、声が花十の脇から生じた。

 少女の声音だ。

 花十の隣、花十より頭半分ほど低身のセーラー服姿の女学生───六樹灯歌(むつきとうか)が半ジト目で右拳を花十へと当てている。とはいえ、力の込めたものではないようで、花十はげらげらと頭の悪い笑みを浮かべている。そして、流れるように六樹を煽り、六樹は煽りに乗って花十と言い合いを繰り広げる。

 花十清成、六樹灯歌との関係は地味に長い。

 花十と六樹は幼なじみらしく、俺は小学校高学年来の付き合いだ。当時から人付き合いに距離を置いていた俺へ、何を思ったのか声を掛けてきたのが切欠だ。それ以降、何かにつけて馬鹿騒ぎに巻き込まれている。

 なお、花十は当時から喧嘩腰、煽り口調だった。マジで社会不適格者だな、こいつ……。

 閑話休題。

 こちらを横にギャーギャーと騒いでいたバカ二人も一段落したのか、こちらへと向き直し、

 

「タッさんタッさん。さっきの足柏先生の連絡聞いてた? 聞いてたよね?」

 

 ややテンション高めに六樹がそう問いかけてきた。目が爛々と輝いていて、聞いていなかったとは口が裂けても言えないような圧を発している。まあ、聞いていたのだが。

 しかし、何故か煽る方のバカが徐に屈み、こちらの耳元へと顔を寄せてくる。

 そのまま笑みのある小声で、

 

「───聞いてなかったって言え。その方が絶対面白いから……!」

 

 悪魔の嘯きだった。

 この愉快犯め……。と小さく呟いてから六樹の圧に圧されないように意識して、咳払いを置いて一息。

 そうだ、悪ノリしよう。

 

「悪いな。授業中はヘルシェイク矢野のことを考えてたから聞いてなかった」

 

 無表情で嘘を吐いた。

 しかし、六樹は意に介せず勢いのまま、

 

「じゃあ、聞いてたってことでいいよ!」

 

 なんか聞いていたことにされた。

 じゃあってなんだよ……。隣、腹を抱えて爆笑するバカとドン引きするこちらを意にせず、六樹は力のある笑みで言葉を続ける。

 

「いやー、鎮守府見学楽しみだなぁ! 去年は部活で行けなかったけど、今年は行けるからなぁ!!」

 

 六樹は変なテンションでそう言った。

 六樹はミリオタ……それも艦娘を専門としたタイプのミリオタだ。ミリオタというよりはファンの方が近いかもしれない。まぁ、分類分けなんてどうでもいい。

 大事なのは六樹が艦娘のことが気になっていて、それ故に艦娘が話題に絡むとテンションが愉快になるということだ。

 

 ───時雨を匿っていることは黙っていないとな……。

 

 内心、音にせず呟く。バレたら絶対面倒なことになるのが見えているからだ。

 そんなこちらの内心とは別に、六樹はトリップ状態から復帰してこちらの両肩を引っ掴む。

 近い……!

 色恋よりも迫力とか気迫とかいう言葉を内心で浮かべていると六樹は、

 

「タッさんも行く? 行けるね? 行こう……!」

 

 なんか意味不明な三段活用で行くことが確定になっていた。

 隣、バカは笑い過ぎて言語にできない引き笑いを起こしている。そのまま過呼吸でくたばれ。

 もうやだこいつら……。わりと本気で縁を切ることを考えながらも、ふと、あることを思い付いた。

 ……そうだな。

 

「ま、予定もないから偶には付き合ってやるよ」

 

「わぁい!」

 

 語彙の死んだ声音とともに、両手を上げて六樹が跳ねる。

 そんな跳ねる六樹を置いて、教材の仕舞い終えた鞄を片手に席を立ち、バカを爪先で小突いて、

 

「ウチには欠食児童ならぬ欠食爺が待ってるんだ。さっさと帰るぞ」

 

 未だに跳ね続けているミリオタと笑い続けるバカへと言い捨てて、教室を後にする。

 廊下を数歩歩いたところで背後からドタドタと慌ただしい足音が二人分追いかけてくる。待つ道理はない。故に歩みを続ける。

 歩みの最中、右側から目端に涙を浮かべたバカが笑みで声を振ってきた。

 

「つーか、珍しいな。耕嬉がそういうのに付き合ってやるなんてよ」

 

 明日の天気は神の杖かぁ? などというバカの煽りを無視する。

 無視しているとバカとは逆側にミリオタが詰め寄ってくる。その上でバカへと俺を跨いで言葉を作った。

 

「何言ってるのさキヨ。そんなのタッさんが艦娘の良さに目覚めたからに決まってるじゃん。解りきってることはわざわざ言わなくていいよ?」

 

「…………お前、たまに俺の芸風を超越するよなぁ……」

 

 バカが無言の半目でこちらに真偽を問うてくる。

 反対側、ミリオタが期待の視線を向けてくるのは無視。深く考えることなく、思い付いたままに言う。

 

「別に深い理由なんかない。俺もそろそろ将来について考え始めただけだ」

 

 言葉にバカは少し悩んで、

 

「工廠?」

 

「門戸は広いからな」

 

 短く言うと、バカもミリオタも納得した風で追及を止める。

 勿論、ただの出任せの言葉だ。

 海軍工廠は慢性の人手不足であり、後ろめたいバックボーンが無ければ採用されやすい就職先の一つだ。故に、可能性の一つとしてはアリだとは思うが、本気で海軍工廠へと就職する気はない。

 本音は、時雨についての情報を仕入れるためだ。

 時雨を拾ってから、はや一週間が過ぎた。

 一応、時雨が艦娘であることを公言していないし、なるべく人目に晒さない様に気を付けている。その甲斐あってか、今のところ、表立った軍の時雨探索の動きは見えない。少なくとも俺の収集できる範囲では、だが。

 しかし、目に見えていないから警戒を下げていい理由にはならない。これが探索をしているが大っぴらにしてないのか、そもそも探索をしていないのかが解らないからだ。

 故に、今回の鎮守府見学で探りを入れようと画策している。まあ、あくまで探り入れ程度の予定だし、それにしたって深く踏み込むつもりはない。雰囲気を見る程度の予定だ。

 

 万に一つでも艦娘(時雨)を匿っていることが露見してはならないのだ。

 軍は勿論、花十や六樹にも。

 そんなことを脳内で考えつつ、先を行くじゃれ合うバカ二人に追従する形で昇降口へ。ミリオタとバカがお互いの外靴をぶん投げているのをスルーして靴を履き替えて建屋の外へ出る。

 

 ───ん?

 

 校外、来賓用の駐車場を挟んだ向こうにある校門まわりに小さく人だかりが出来ているのが見えた。学生の群れだ。

 通行の邪魔だな、とか思っていると、背後、靴を履き替えた二人が並んできて、

 

「なにかやってるね? 実演販売か何かかな?」

 

「校門前でか? なかなか肝が座った販売員だな、そりゃあ」

 

 思い思いのコメントを述べている。

 とはいえ、多少通行がし難いだけで他人事案件だ。煩わしさを覚えながら、三人で人だかりの脇を抜けようとして───足を止める。

 ふと、すれ違い様に人だかりの中心に見覚えのある姿を見つけたからだ。それは、ここに居るハズのない少女の姿。

 

「………時雨?」

 

 小さく呟いた言葉に、しかし、少女───時雨は反応した。首と視線の動きがこちらを捉え、視線上を避けるように学生の囲いが割れる。

 時雨は割れ道を通って正面からこちらへ歩み寄ってきた。

 ……いやいや。

 

「なんでここに居るんだよ……」

 

 今さっき、なるべく人目に晒さないようにしている。などと言ったのに何でなんだ、という抗議も込めて言う。

 しかし時雨はブレることなく、相も変わらず無感情な表情で疑問に答えた。

 

「三阪翁が『ちっと三日ほど旅に出てくるわ! ヒャッハー!』とか言って外出したので、その報告に」

 

「携帯でいいだろ、それぐらい」

 

「ついでに外でお昼を食べてこい、と」

 

 さよか、と諦め混じりに頷く。

 その上で周囲の学生たちを親指で指して、

 

「これは?」

 

「ここで待ってたらなんか絡んできた」

 

 言葉に、半目で学生たちを見れば、各々互いに目配せしてため息一つ。

 

「なんだ八田のカノぴっぴかよ……」

 

「ケッ」

 

「時間を無駄にしたなぁ……」

 

「解散、かいさーん」

 

「このあとゲーセン行かね?」

 

「お、いいねぇ」

 

 好き勝手に言いながら、各々帰路に着いていった。

 ただのガヤだった。

 暇人ばっかかよ……。

 そんな風に呆れていると、左から勢いよく両肩を掴まれた。なかば強制的に左へと向かされる。体勢を変えた正面、ミリオタが鬼の形相で鼻息荒くこちらを凝視していた。

 こえーよ。

 

「…………タッさん」

 

 ドン引きするこちらを意にせず、ミリオタは呼び掛けを作る。地の底から響くような低音だ。

 低音のまま、ミリオタは疑問を述べる。

 

「なんで、駆逐艦娘・時雨がここにいるの?」

 

 威圧から逃れるように、周囲を見る。

 学生たちは一瞬こちらを見てから速やかに視線を反らして早足で去っていった。

 バカは両手を腹に置いて、げらげら笑い潰れている。

 時雨は何を考えているのか解らない視線で中空を眺めている。

 そして、眼前には鬼の形相のミリオタが一人。

 八方塞がり。そんな言葉を脳裏に浮かべながら、内心で思い叫ぶ。

 

 ───一番バレたくない奴にさっそくバレた……!

 

 




ストックがなくなったので暫く更新空きます。
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