雨のち晴れ   作:やま茸

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 彼女は、弱さという
 なんともいえない魅力を欠いている。

 オスカー・ワイルドのことば


空の海

 

 ●

 

 

 夜闇の黒と炎火の赤だけが視界に写る海上を疾走する。

 星明かりのない闇夜の海上、風鳴りと烈音、怒声が耳を打ち、火薬とものが焼ける匂いが鼻腔を突く。勢いのある風雨に打たれながら、しかし全身の内と外からは痛いほどの熱を感じる。第六感とも云えるような直勘は常に死の危険を訴えていた。

 

「──────!」

 

 周囲、爆音の中で誰が叫ぶのを鼓膜が捉えた。しかし、意味までは判別できない。する気もない。

 

 走る。

 

 前方、風雨に紛れるように発砲してきた姿がある。駆逐ロ級と称される異形だ。

 ロ級の発砲はこちらを狙ったものだが、感覚からこちらの位置を正確に捉えたものではないと察する。故に気にせず疾走を継続する。

 マズルフラッシュのお陰でロ級の姿は捉えられた。しかし、まだ反撃はしない。他の敵に位置を悟られるのを避ける為だ。

 故に、加速のままロ級へと接敵する。

 ロ級からの火砲を回避、すれ違い様に身を回して全重と艦娘としての膂力を乗せた回し蹴りをロ級へと放つ。

 刹那、脚撃を受けたロ級の身体が宙を滞空。中腹部に亀裂が入り、火花を数度吹いてから轟音と爆炎に飲まれた。

 

 走る。

 

 先ほどまで自分がいた位置を、火砲による擦過が過った。海面に着弾した砲弾が海水を跳ね上げ、落下してきた海水を全身に浴びる。

 砲撃の主は戦艦タ級。

 その視線が完全にこちらを捉えたものであることを直感と経験から把握。故に、無理な接近を狙わずにステップと立ち回りでランダムな回避に専念する。数度、タ級による砲撃をやり過ごす。そして、砲火が一つ弓を描いてタ級の左胸部を穿った。僚艦の砲撃によって生じたものだ。

 

 走る。

 

 同時に、僚艦の元へと赤の流星群が降り注いだ。一つや二つではない。十を超える火線だ。

 こちらと同じ様に、深海側もマズルフラッシュを頼りに砲撃したのだと推測する。おそらく、タ級を餌にこちらの戦力を誘い出すことを目的としたのだ。同時に、僚艦がほぼ確実に落とされたと判断する。

 故に、援護を諦め、こちらも発砲を終えた敵艦へと魚雷を扇状に放つ。

 風雨と夜闇に紛れた八本の酸素魚雷の雷跡を敵艦は捉えられる訳もなく、狙い通り当たり爆炎に飲まれるのが見えた。

 

 走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 疾走の最中、周囲を横目で探る。

 周囲、風雨に打たれてなお消えない炎熱に照らされた視界には地獄が写し出されている。身を焼かれ怨嗟の声を上げる僚艦や四肢を剥がれ沈みゆく敵艦。持ち主を失った敵味方のわからない四肢の一部。

 それらを無視して、走る。

 深海棲艦を滅ぼすため、そのための機構の一部として、走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 走る。

 

 気づけば、正面に火砲が向いているのが見えた。

 闇夜の風雨の最中なのに、嫌にはっきりと視界に捉えられている。そして、それが回避不能な火線に置かれている、ということもだ。

 発砲から着弾までの刹那が嫌に長く感じる。

 しかし、あくまで体感であり、出来ることは少ない。せいぜい、無駄と解りながらも衝撃に備えるぐらいだ。

 そして、衝撃が眼前に迫り───

 

 

 ●

 

 

 

「………………」

 

 目が覚めた。

 視界にあるのは、この一週間で見慣れた天井と見慣れた室内。

 物のない部屋だ。

 自分が腰掛けるベッドが壁際にあり、部屋の中央にサイドテーブルが、ベッドと直角になる壁際にクローゼットがある。そんな部屋だ。

 夜闇のなか、首の動きだけでサイドテーブル上に乗った置き時計を見る。時刻は午前二時三十分。いつも通りの起床時間。艦娘として訓練には狙った時間に起床するものもあったので、当然だ。

 故に、ベッドから身を起こす。

 明かりを灯すことなく立ち上がり、クローゼットからバイト用の制服を取り出して寝間着から着替える。

  着替えながら、ふと、先ほどまで夢に見ていた風景に思いを馳せる。

 あれは、沈んだ日の記憶だ。

 そしてこの一週間の間、毎日夢に見る景色だった。しかし、その意味は未だに理解できていない。

 轟沈による死の恐怖からのものではないか、と三阪氏は言っていたが、しかし、僕自身はそう思えなかった。

 

 なぜなら、僕は生まれてから一度も生の実感というものを得たことがないからだ。

 

 生きていないから、死ぬことに恐怖を感じる訳がない。そして、それが異常だとも思わない。

 現に、あんな夢を毎日見ても、心身ともに不快感を得ていない。心は常にフラットなままだ。

 故に、気にすることなく着替え、部屋を後にする。

 

 一般的に悪夢と言われるものを見た後でも、心に波打つことはなかった。

 

 

 ●

 

 

 朝の商店街を歩く。

 先日、八田少年とその学友とともに私服を買いに行った商店街だ。しかし、今回の目的は衣服ではなく食料品だ。

 あまり回数をこなしてのことではないが、しかし初めてのことではない。普段、食料品の買い物をしている八田少年が夜遅くまでアルバイトをする場合、どうしても買い物に行けなくなってしまう。そういう日は登校前に書き置きを残して、僕に買い物を任せていた。今日もその一日だった。

 メモをポケットに商店街を歩く。

 時刻は午前十時。通勤、通学時間を外しているため、路上にある人数は少ない。たまにすれ違うのは、休日姿の大人や授業を自主休講している学生の姿だけだ。

 人の姿は少ない。しかし、人数とは裏腹に街道は活気に満ちている。商人たちが声高く商いをしているからだ。今も魚屋と肉屋の店主が額を付き合わせながら、

 

「おうおう、足立クゥン? 君の所の鯵、照りが悪くね? 傷んでね? これでこの値段はボり過ぎじゃないかなー? んー?」

 

「は? 何言ってるかなー? 解土クゥン? パッと見の外観だけで味の良し悪しが解るほど魚に精通していのかなぁ、君は? んー? そうだよなー? 解土くん家の将護くんは鯵と鮎の違いも解らないぐらい魚ヌーブだから、外見で魚の良し悪しが解らないのは仕方ないよなぁ!!」

 

「あぁ? 安い挑発だ! やんのかコラァ!!」

 

「やるともさぁ!!」

 

 なんか店主二人が殴り合いを始めてしまい、周囲の店員や通行人たちが流れるようにトトカルチョを始めた。

 そんな光景を横目に、しかし、無関係なので歩みを進める。三軒離れた八百屋が目的地だ。メモに記されているのはピーマンと玉葱。他には豚肉が記されている。今日の晩餐は青椒肉絲だろう。

 そんなことを考えていると、八百屋の軒先にたどり着いた。

 解放された両引き戸の扉の向こう、腰ほどの高さに整えられた幾つかの段ボールに色鮮やかな野菜が並べられている。並びの向こうにはレジカウンターが鎮座し、それを跨いだ向こうから、

 

「いらっしゃい!」

 

 威勢よく声を掛けられた。

 声の主はバンダナで黒髪を纏めた中年だ。年は四十代半ば。服装はカッターシャツの上に黒のエプロンという出で立ち。

 この八百屋の店主、二枝陸也がカウンター奥の椅子に腰かけていた。

 店主は座りのまま、こちらへと視線を向けて、

 

「お、八田の倅のツレじゃん。買い出しか?」

 

 笑みの言葉に無言で首肯する。

 店主は頷きを一つ置いて、それ以上の言葉を止めた。しかし、表情は笑みのままだ。

 気にすることなく、物色を始める。陳列されたピーマンと玉葱を幾つか掴んで店主へと手渡す。受け取った店主は笑みでレジへ入力しながら、思い付いたように言葉を作った。

 

「いやぁ、それにしても八田の倅が同棲するとは思いもしなかったわ」

 

「そうですか」

 

 短く返したが、しかし、舌が滑るのか二枝は感慨深そうな表情で、

 

「いやぁ、今まで六樹んところの娘っ子がアプローチしてたのにちっとも靡かないから実は不能なのかと思ってたんだが、よかったよかった」

 

 言葉に覚えのある名前が出てきたが、しかし、興味のないことなのでスルーする。言うべきは、

 

「店主」

 

「はいはい、なんだい?」

 

 金銭のやり取りを交わしながら、店主へ声を掛ける。

 

「僕と八田はそういう関係じゃないです」

 

「若い内は体裁が大切ってか? そういうことにしといてやるよ。かははっ」

 

 店主は訂正を受け入れないまま、笑みでこちらを見送る。

 否定しきれなかったが、どうでもいいことなので思考から流して次の店へと向かう。次は肉屋だ。

 商店街を引き返すように肉屋へと向かう。顔を腫らした肉屋の店主と一、二言会話と金銭を交わして商品を受け取り、帰路に着く。

 気温の上昇と道路に学生の混じりが多くなったことに、日が高くなってきたのを体感で感じて、やや急ぎ足で帰路を辿る。

 三阪家が見えてきた所で、玄関前に一組の男女が立っているのが見えた。知っている顔だ。花十清成と六樹灯歌が門扉の前で騒いでいた。

 彼らの目的が八田少年であることは明らかだ。だから、

 

「八田なら今日は遅いよ」

 

 そう、言葉を掛けた。

 言葉に二人は振り向き、こちらを視界に認める。その上で二人は笑みを浮かべた。花十は挑発的な力のある笑みで、六樹は人当たりのいい柔和な笑みだ。

 笑みのまま、花十は口を開く。

 彼はいや、と否定を置いて、

 

「お前さんを待ってたんだよ。俺らは」

 

「僕を?」

 

 問うた疑問に六樹が頷き、続ける。

 

「タッさんが今日は遅いみたいだからね。時雨ちゃん一人だと暇だと思って、遊びの誘いに来たんだ」

 

「はぁ……」

 

 生返事を返す。

 六樹たちの言の意味が理解できないからだ。別にいつも一人だから暇とかは感じないし、遊びを必要とも思っていない。

 しかし、二人は当たり前のようにそう言い切ってくる。まるで、人として当たり前であるかのように。

 そのことに人と艦娘の種族としての違いを感じ、しかし、誘いを否定する理由もないので、

 

「……わかった。買ったものを仕舞ってくるから、少し待ってて」

 

 二人の返事を背に、住み家へと戻る。

 ここに来てから妙なことばかりだ。購入物を冷蔵庫へと仕舞いながら、そんなことを思った。

 

 

 ●

 

 

 遊びに連れられたのは、前と同じく商店街のゲームセンターだ。

 戦時と呼べる情勢においてゲームセンターなどの娯楽施設は、節制という名の抑圧によって弾圧されるものなのだが、しかし、終わりの見えない深海棲艦との戦争において、市民へのストレスが蓄積し、暴発することを恐れた政府官僚はその手の抑圧に積極的に行わなかった。

 勿論、営業時間の縮小や利用料金の引き上げなど、煽りを受けたが、しかし、なんとか現存できる娯楽文化の一つだった。

 そんなゲームセンターの一角、ベンチに座り、一息吐く。一人だ。

 花十はトイレに離席しており、六樹は前方、リズムゲームの駆体へと手指を打ち付けてプレイしている。

 周囲、乱雑な音と電光の情報量の多さに霹靂と思いながら、ゲームをプレイしている六樹の背を見る。

 手慣れた動きで手指を手繰る六樹の顔には、眉間に力のある表情が浮かんでいる。真剣、と言える表情であり、本気というのが見てとれる表情だ。

 

 そして、それは自分が生まれてから一度も浮かべたことのない表情だ。

 

「よっす。楽しんでるか?」

 

 そんな風に考えていると、背後から声を掛けられた。

 振り替えると、缶コーヒーを片手に差し出した花十が立っていた。手渡されたコーヒーを受け取り、首肯で返答する。花十が並んで隣に座った。

 二人でコーヒーを啜る。

 コーヒーを啜り、六樹の背を見る花十の表情にあるのは笑みだ。しかし、いつもの力あるものではなく、穏やかな見守るもの。始めて見る表情だった。

 こちらの視線に気付いたのか、花十は視線をこちらへ向けて、いつもの笑みで、

 

「なんだ? 俺に惚れた? いやー、悪いなぁ! 俺はグラビア体型の美女と結婚するって魂に誓ってるんだ。本当っ、申し訳ないっ」

 

 無視した。

 聞かれていないと理解した花十は数秒あってベンチの上に体育座りをして、るーるーるー、と歌い始める。

 歌い、それでも無視されると悟った花十は、くそっ、自分でやっててつまんねぇ! と常軌を逸脱した発言とともに姿勢を直した。

 意味が解らなかった。

 解らないから、

 

「……なんで」

 

 疑問として、問い掛けてみた。

 それは、

 

「なんで、僕にそんなに構うの?」

 

 それは、ずっと内心で思っていた疑問だ。

 今日に限らず前の時も、二人は過剰と思えるぐらいにこちらを気にしていた。それは友人の知人に対するものにしては過剰に思える。だからこその問いだ。

 問い掛けに、花十は笑みを苦笑に変えて答える。

 

「あのバカには借りがあってなぁ。その返済ってことにしといてくんない?」

 

「借り?」

 

 鸚鵡返しの疑問に、花十は苦笑を深める。その上で数秒の沈黙を置いてから諦めの吐息を置いて、

 

「昔、俺がトーカを虐めてたって言ったら信じる?」

 

 語り出しは疑問だった。

 改めて、隣の花十と前方の六樹を交互に見る。確かに花十と六樹は喧嘩や言い争いをしている時があった。しかし、それはじゃれ合いや友愛からくるものだと、外から見ても信じられるもので、だからこそ、

 

「信じられない?」

 

「うん」

 

 苦笑みの問い掛けに、素直に頷く。

 花十も自覚があるのか、苦笑のまま、そうだよなぁ、と同意して、

 

「まぁ、あの頃は俺はクソガキでなぁ。クッソ詰まらない理由でクッソみたいな虐めをアイツにしてたワケだ」

 

 そう纏めた。

 だが、それがどうして貸し借りの話になるのか、と思っていると、 花十も表情を見て理解したのか、

 

「そんなクソみたいな日常を、あのバカはぶっ壊したんだ」

 

 そう前置いて、

 

「あの日、いつも通りアイツに虐めをかましてた。ほら、俺ってば結構尖った外見してるだろ? だから、それまでは虐めを見られても止めるヤツは居なかったんだけど」

 

 一息、

 

「始めてだったなぁ。『俺の視界の中で寝覚めが悪くなることしてんじゃねえよ。鮪漁船に放り込むぞ』とか言ってぶん殴ってきたの」

 

「ええ……」

 

 ある意味、自分勝手な暴論とも言える理由だった。同時に、八田らしいと言えば八田らしいとも言えるような対応だ。

 とはいえそれで収まるようなら、そもそも虐めなど起こらない。当然、花十も、

 

「当然、あのバカとも喧嘩になってなぁ。怒ったり殴ったりしてたらなんか全部アホらしくなって、んでアイツとも和解して、今に至るわけだ」

 

 だからさ、

 

「今でも俺はバカだけど、クソじゃなくてバカで済んでるのはあのバカのお陰なんだ。だから、俺にはあのバカに返しきれない恩がある。それを忘れるほど、俺はバカじゃない」

 

 花十はそう締めた。

 長い回想に、花十はコーヒーで唇を潤す。そして、だから、と前置いて、

 

「あのバカが時雨ちゃんを拾ったって聞いても、そんなに驚きはしなかったぜ」

 

 いつもの力ある笑みに表情を戻して、花十は言う。

 視線で理由を問うと、花十は、だってよ? と前置き、

 

「あのバカはお人好しだからなぁ。なんのかんの言っても、困ってる人を放っておけないのさ」

 

 皮肉げな口調とは裏腹に、花十は楽し気に、そして自慢気にそう言った。

 そうだろうか。

 疑問を内心で浮かべ、

 そうかもしれない。

 同時に確信へと変わった。とくに根拠があるわけではないが、しかし、そうなのだろうと何となく思った。

 こちらの確信を読んだのか、花十が穏やかな笑みでこちらを見下ろし、

 

「あー! バカが時雨ちゃんにフラグ立ててるぅ!! 明日タッさんにチクってやろ!!」

 

 ゲームを終えたのか、六樹が大声付きの指差しで此方を差した。

 意味の解らないことを言っているなぁ、と思っていると、隣、花十はいつもの笑みで、

 

「はあ? トーカ、お前脳みそ詰まってるのか? 俺がこんなストーン系少女に粉掛けるワケねーだろ! 俺は! グラビア系美女と! 結婚するって魂に誓ってんだよ……!!」

 

「流れるようにディスられたんだけど……」

 

 半目のこちらを無視して、花十はベンチから立ち上がり六樹の隣へ歩み寄る。

 その背中を見ると、二人がかつて虐めっ子と虐められっ子の関係だったとは思えなかった。

 そして、それが八田少年によるものだという事実が胸に、言葉にできない何かを宿した。

 その何かを表現する言葉を、僕はまだ知らない。

 

 




 ようやく折り返し地点です。
 今話と次話は難産ポイントなので更新がやや遅れるかもですが、長い目で見て戴けると幸いです。
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