未来も今に影響を与える。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェのことば
●
夢を見ている。
いつもの夢だ。
夢の中の僕は、夜闇の黒と炎火の赤に満たされた世界、その中を疾走している。
砲火と炎熱で照らされた世界。
数多の風雨と轟音に晒され打ち付けられて、そして、散る。
毎夜毎夜、エンドレステープをなぞる様に、同じ展開を繰り返す。風雨を被りながら、敵を潰し味方を潰され、限りのある夜海を走る夢。砲火による轟沈を以て終結する、終わりの一夜のリピート。
だけど、この日は違った。
───………………?
夢の終わりを示す砲火がいつまで経っても無く、海の果てが、炎火を宿した陸土が眼前に見えている。
今まで経験したことのない展開だった。
そして、視界の速度が走りから歩みへと変わり、風景は海上から陸上へと変わる。
降り立ったのは久しく使われた痕跡のない漁港跡地だ。ただ、直近に攻撃を受けたのか、足元はひび割れや窪みが点在し、建屋は崩れて火の手が上がっているのが見て解る。
覚えのない場所だった。
所々に上がる火の手を避けて、内陸地へ向かって歩く。
燃焼する雑木林や久しく人の住んでいないであろう古集落を横断して、歩く。
集落から少し場所に、別の集落を見つけた。こちらは直近まで人が生活していた痕跡がある。しかし、こちらも攻撃を受けたのか、建屋の大半は崩落し、所々に火の手が上がっている。
歩いて集落へと入る。
視界にあるのは、崩れ落ち燃え盛る建屋の連なりと数刻前は生者だった亡骸。
無視して横切る。
歩くのは崩壊しつつも、まだ人が通れなくはない道路の中央。残骸や路面の損傷を乗り越えて、導かれるように歩く。
ふと、それまで直線続きだった道路が途切れた。三叉路の分岐路に行き着いたようだ。背後以外には道は左右に別れており、右の道は家屋が倒転していて通行を憚られる状態になっていた。
必然、次の進路は左の道だ。故に歩みのまま、体ごと進路を左へと向け、立ち止まり振り返る。
視界の先、通り過ぎた三叉路の途切れにあった、倒壊した建築物が気に掛かったからだ。
鉄の門扉と鉄線によって区切られた広大な敷地を有した施設。駐車場と思われる空間を挟んだ向こうには、損壊したコンクリート造りの建築物が見えた。門扉にはここが中学生の学舎であったことを示す刻印がある。
しかし、ここが学舎として再開することは暫くないだろう。四階建てだった建物はほぼ壊滅して一階部分しか残っておらず、何より街そのものに人気が感じられないからだ。
ここにあるのは瓦礫の山、日常の残骸。本来、ここに意識を引かれる意味も理由もない。しかし、言葉にできない感情が胸中を燻っていた。
意識して学校跡から視線を外し、先へ行く。
視界にあるのは変わらず、半壊した街並みだ。
歩く。
通行可能な道路を選び歩いていると、ふと、景観が変わった。
それまで一般的な住宅地だった街並みが、店舗の連なりへと変わっていく。
商店街の造りだ。
当然、ここも崩落し所々で火の手が上がっていて生者の気配はない。ただ、瓦礫や建屋の残骸の下に黒く濁った赤の液体が散っていたり主を失した手足が散乱していたりと、かつて、人が生活していた痕跡が見て取れる。
そんな、終局した商店街を歩く。
歩く。
二枝八百屋と記された看板が掛けられた、焼け落ちた店舗の前を通り過ぎた。
歩く。
かつて魚屋だった残骸の前に、黒炭と化した何者かの片腕が落ちているのが、見える。
歩く。
どこかで見た衣料店がその衣服全てを薪にして、炎を巻き上げている。
歩く。
歩く。
歩く。
商店街を抜け、景観は再び住宅地へと変わった。例に違わず崩落した街中を崩落した道路を避けて、導かれるように歩く。
足取りは軽くもなく、重くもない。平常通りだ。そのはずだ。
なのに、
なのに、この胸に刺さる刺のような感情はなんなのだろうか。
炎火に巻かれる三阪診療所と銘打たれた建屋を前に、僕はそんな風に思った。
この感情に付ける名前を、僕はまだ知らない。
夢は明ける。
●
「──────っ」
目が覚め、半身を持ち上げる。
まず夜闇の黒が視界に入り、次いで全身を蒸らす熱のある汗に不快さを感覚に覚える。耳に響く、ど、の音を連続が早鐘を打つ自分の心臓だと気付くまで暫く掛かった。
額の汗を片手で拭い、サイドボード上の時計を見る。
時刻は午前一時三十分。普段の起床時間よりも一時間は早い。はじめての経験だった。故に、この一時間をどうするかを一瞬迷い、このまま起きていることを選択する。
ベッドから立ち上がり、寝間着のまま寝室からリビングキッチンへと向かう。寝汗をかいて渇いた喉を潤したかったからだ。
音なくリビングへ繋がる廊下を歩いていると、廊下の先、リビングの扉から薄い光が漏れているのが見える。
人が活動している証だ。
そのことに我知らず吐息を置いて、扉のノブを回して引く。軽い音と軋みと共に室内の全貌が解る。
光源となるのはリビングテーブル上にある電池式のランタンだ。ランタンから照らされる淡い灯りがテーブル上の陰影を浮かばせている。テーブルの上、ランタンのすぐ脇には重さを持つ琥珀色のビンがある。テーブルの向こう、こちらに背を向けて窓外を眺め見る八田少年のものだ。
扉の開閉音に気付いたのか、八田少年はショットグラスを片手にこちらへ向き、
「珍しいな、アンタがいつもの時間以外に起きるなんて」
驚きを表情にしてそう言った。
自分でも珍しいと思うが、だからなんだ、という話でもある。だから、
「目が覚めただけだよ」
「さよか」
短く返した言葉に、八田少年も興味無さげに返した。
会話が途切れる。
特に話すことはないのか、八田少年は視線を外してテーブル上のビンの中身をグラスへ注ぐ。無色の液体がグラスを満たし、その上で一口つけた。
…………念のため言っておくが、八田少年は中学生であり、当然、未成年だ。
そんなこちらの視線に気付いたのか、八田少年はこちらの顔と手元のグラスを三度交互にして惜しむ表情で、
「……………………いるか?」
「いらない」
短く返した言葉に、さよか、と八田少年は言って再びグラスを煽った。
不良少年を横切ってキッチンへ歩く。食器棚からコップを取り出して水道水を注ぎ、口にする。冷たい流水が喉を通り、喉にあったヒリ付きが癒えるのを実感する。
もう一度水道水で喉を潤し、コップを流し台へと置く。振り替えれば月明かりに照らされた不良少年が、いまだにちびちびとグラスを傾けていた。その姿に、ふと、思った言葉を呟く。
「毎日、この時間に飲んでるの?」
溢した疑問に八田少年は返答を返さず、暫し表情を固めた。目を開き、口を半ばに開いた驚愕の表情だ。そのまましっかり三秒間を置いてから、短く、
「………………まあな」
「何、今の間は?」
半目での追及に八田少年は、深い意味はない。と返して、グラスを一口。
その姿に、思うところがある。
今さら、未成年である八田少年が飲酒をしていることを嗜めるつもりはない。ただ、
「…………明日も早いんだから、ほどほどにしときなよ」
思ったままに言う。
告げた言葉に八田少年は此方へ視線を向けて、数度無言の瞬きを作る。その顔にあるのは、信じられない、と言いたげな表情。
そのうえで、瞬きを都合三度置いてから八田少年は、
「なんか変なモンでも食ったか?」
真顔で失礼な疑問を投げ掛けてきた。
とはいえ、それもここに来る以前の生活では毎日のように投じられてきた言葉であり、今さら心揺らされることはない。
───そもそも、僕に心なんてものがあるのだろうか?
人在らざる、人工的な生命体。
戦闘の為に作られ、仮初めの歴史と名を刻んできた艦娘にそんなものがあるとは、僕には思えなかった。
心が揺れることはない。なぜなら、揺らぎを作る心が、そもそもないのだから。
あるのは、事象が誘発する反射と処理だけだ。
故に、八田少年に声を掛けたのは心配などではなく、飲酒によるパフォーマンスの低下を嫌うという経験が導きだした処理に過ぎない。
その旨を八田少年へ告げる。
「さよか」
告げた言葉に、八田少年は先ほど聞いたものと同じ短い返事を返した。
しかし、その表情には先ほどとは異なり感情の色が見えた。それは落胆の色。同時に小さく安堵の色が含まれているように思えた。
なぜそんな風に感じたのかは、わからない。
わからないが、何となくそれが嫌だった。彼にそんな感情を向けられるのが、嫌だった。嫌だったから、
「二度寝か?」
背を向けて退室しようとしたところに声を掛けられた。
煽りを含む声音だ。
その声音に思うところはない。ないので、
「少し走ってくる」
短く答えて、振り返らずに後ろ手でリビングの扉を閉じる。
扉を挟んだ向こう、扉の開閉音に紛れて八田少年が何かを言った気がした。
無視した。
●
そんな深夜のやり取りから時を置いた十六時。横陽の差し込む喫茶店のボックス席に僕たちはいた。一人ではない。対面にはダークブラウンの長髪を後ろで結んだ制服姿の少女、六樹灯歌がカフェオレ片手に座っている。
二人だ。
八田少年や花十はいない。八田少年はいつもの通りアルバイトに勤しんでおり、花十は先ほどまで同席していたのだが、なんか隣町に最強の獅子がいる気がする! とか急に言い出してブーメラン片手に雄叫びを挙げて走り去って行った。ポツリと六樹が漏らした、全く新しい格闘技とは一体どういう意味なのだろう? ブーメランなのに格闘技? という喉元まで出てきた疑問はそのまま飲み下しておく。下手に関わると脳が汚染されそうだし。
そんなわけで、今は六樹と二人だ。
何をするでもなく、二人向き合ってカップを傾けている。否、手持ちぶさたを感じているのは自分だけで、対面の六樹は何が面白いのか、興味深げに此方の顔を覗き込んでいた。かれこれ十分もの時を刻んでいる。
───やりにくい……!
冷や汗を背に浮かべながら、内心で思う。
というのも、こうして真正面から見据えられる。というのはあまり経験のないことだった。価値を見測るものや下衆染みた下心の見えるものなら兎も角、こうも好奇100%の視線は始めての経験だった。故に、どう対処するべきかわからず、居心地の悪いものを覚えてしまう。
しかし、此方の内心を知ってか知らずか、それとも、それすらも興味深いのか、六樹は笑みのまま、此方を眺めている。
穴が開くほどに見る。という慣用句があるが、このままでは本当に穴が空きかねない。なので、
「……そんなに艦娘が珍しい?」
アクションを起こした。
投げ掛けたのは問いかけ。意識して刺のある言動を選んだのだが、しかし、六樹は笑みを変えず、
「うん、珍しいよ」
そんな風に言うだけだ。
これが悪意なき悪意か……! と此方が内心に苦いものを覚えていると、六樹はふへっと柔い笑みの息を溢して、
「ごめんごめん。時雨ちゃんがあまりにも可愛いから意地悪しちゃったね」
ゴメンネ? と舌出しウインクで謝罪しているが、可愛く振る舞った所で許さんからな……! と視線で訴えると、六樹は笑みを苦笑へと変えて、
「マジでごめん。ごめんって。ごめんなさい! 許して! なんでもするから! ゆーるーしーなーさーいーよー!」
「………………なんで僕が追い詰められてるの?」
芸風だからじゃないかなぁ? と惚ける六樹に呆れのため息を落とす。対面、六樹は笑みを深めて、
「さっきの疑問に答えてあげるから、それで手打ちにして機嫌を治してくれると嬉しいな?」
「……別に機嫌が悪いわけじゃ……」
こちらの反論を、いーからいーからと遮って、六樹は語り出す。
「私さ、提督になりたいんだ」
一言目に、そんなことを言い出した。
提督───艦娘指揮を生業とする海軍内の一役職だ。その門戸は広いとも狭いとも取れぬ広さで、広く人員を募集していながらしかし、無能にはなれない職業でもある。故に、広いとも狭いとも取れぬ門戸。
提督業は現行海軍での花形役職のようなところがあり、海軍志望者の六割が提督志望で入軍しているというデータもある。故に、眼前のミリオタ少女が提督になりたいと言うのは納得できる。
ただ、気になることがある。それは、
「適性は?」
「Eランク。まぁ、今後の覚醒に期待だね!」
あっけらかんと笑みで言う六樹に、他人事ながらため息を溢す。
提督適性、という物がある。それは艦娘に対する親和性を示す指標のひとつだ。AからEランクまで存在し、文字が若いほど、艦娘との親和性が高い傾向がある。また、それだけではなく、ランクB以上の適性を有する提督は指揮下にある艦娘に特殊能力を付与できるため、適性値の高い人間は提督業へ就きやすい傾向にある。
勿論、適性の有していなくとも軍学校などで勉学を勤しみ、好成績を残した上で数年の修行を積めば提督になることは可能だ。しかし、それでも狭き門であることに違いはない。
誰でもなれる訳ではない。しかし、
「やるよ、私は」
眼前の少女は、まっすぐに言いきる。
そこにあるのは、この年代特有の漠然とした自信ではなく、より重い決意のような物があるように感じた。
先天的な素質や生まれのハンデなどが故の困苦があるのを知ってなお、そう言っているだろう。それでも提督になる、と。
「…………なんで」
胸中に浮かぶのは理解できない疑問だ。故に対面の少女に問う。
なぜ、
「なんで、そんなに提督になりたいの?」
己の知る、提督像を思い浮かべながら、問う。
己の知る提督はいつも悪態を吐いている男だった。酒とタバコで体をボロボロにして心身を削り、上からの任務をこなす。部下の艦娘を怒鳴りつけて深海棲艦の絶滅を志す、そんな男だった。噂では、元々は自衛隊出身者で、その頃の部下や同僚、そして守るべき民を虐殺された過去を有しているようだった。
奴らは絶対に絶滅させる。そのためには全てを道連れにしてもいいと、そう吼えるような男だった。
だからこそ、目の前の少女がそれほどまでに重い決意で提督になりたいと言うのか、不思議だった。
けれど、六樹は笑みのまま、マドリーでカフェオレを混ぜながら返答を作る。
第一声は、
「昔話をしてあげる」
そう言い、一口カフェオレで喉を潤して、
「私さ、母方の叔父さんが提督だったんだ」
そんな風に切り出した。
告げられた内容に違和はない。そもそも、六樹の年代の少女がミリタリー趣味だった場合、大半が家族や友人からの影響だ。となると、その叔父さんとやらが六樹に影響を与えたというのは予想に難しくない。
だから、六樹も頷きを置いて、
「予想通り、私の趣味も叔父さんの影響だよ。元々は自衛隊の人でね、年数回しか会えなかったんだけど、その度に写真とか資料とかをお土産に持って帰って来てくれたんだ」
過去を懐かしみながら、そう言う。
その口調は穏やかなもので、そして全て過去を語る口調だ。
もう戻ってこないものを語る口調。だから、
「その人は……」
「死んだよ。五年前に」
「……そっか」
あっさりと返された言葉に、何も言えなくなる。
今日では、珍しくない話だ。
特に五年前の全国同時強襲では、軍人一般人問わずに多くの被害を出した。当時の人口の四割を削ったとも言われる出来事で、故に、六樹の境遇に珍しいものはない。
……ないのだが、個人の胸中は、そんな一般論など知ったことではないだろう。親族が亡くなったのだ。それも親しかった人物が。
悲しくない訳がない。それでも、
「大丈夫だよ」
六樹は笑う。
強がりや気丈からのものではない。穏やかな、しかし、本心からの笑みだ。その上で、
「大丈夫」
言葉を重ねて、
「あの人は居なくなったけど、それでも残してくれた物もたくさんある。あの人が生きていた証はちゃんとある」
一息。
「だから、大丈夫。辛くても、悲しくても、それでも前を向けるから」
言いきった言葉に、強さ。という単語を思い浮かべた。膂力によるものではない。精神的なものだ。
艦娘ではない、軍人でもない、ともすればそこいらの不良にも勝てない様な、戦闘力を一切持たない少女の筈なのに、なぜか勝てないと、そう思ってしまった。
思ったから、
「……君なら提督になれるよ」
気がつけば、そんな根拠のない事を言っていた。
対面、六樹は一瞬、惚けた表情を作り、そして、
「ありがと」
満面の笑みを浮かべて、そう言った。
居心地の悪いものを覚えて視線を反らし、カップに口を付ける。苦味のある液体を啜ると、
「ま、小難しい話はさておき、タッさんとはどこまでいったんよ? おねーさんに言ってみ? ん?」
笑みを悪いものにして、六樹はそんなことを言った。
そこに先ほどまでの強さは欠片も感じられず、年相応の下世話な顔立ちだけがある。はっきり言って台無しだった。
なので、呆れを表情にして、
「八田少年とはそういう関係じゃないよ」
「またまたー。若い男女、一つ屋根の下、何も起こる筈もなく……」
「何も起こらないよ」
「え? マジで? タッさんって実は男色なのでは?」
真顔で凄いことを言う六樹に、思わずため息を落とす。
そんなふざけた少女だが、それでも胸中には重い決意を抱いていることが、分かった。
花十清成も六樹灯歌も何かしらの過去を背負って生きている。
なら、八田少年もそうなのだろうか?
ふざけた話題を提供する六樹に、適当な相槌を返しながら、ふと、そんなことを思った。
一ヶ月ぶりの更新でしてよ。(気づいたら8月が終わってた)
時雨視点は今話で一旦切り上げで、次からはまた八田少年視点に戻ります。次あたりからそろそろ物語が動くよ