雨のち晴れ   作:やま茸

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 他人のものさし
 自分のものさし
 それぞれ寸法がちがうんだな
 

 相田みつおのことば


こころの雨

 

 

 記憶にある両親の思い出は、父よりも母との思い出の方が多い。

 

 というのも、共に出稼ぎに出ていた両親だったが、父と異なり母は月一度程度には帰省していたので、父と比べて母と出会う回数が多かったのが理由だ。

 だがそれ以上に、父が家族よりも海に対して重きを置く人間だったのが原因だ。

 思考の根底に海があって、そこから他の事が派生する。そういう思考の持ち主だったらしい。

 俺が産まれてからは少しはマシになったらしいが、それでも全盛の頃は海にしか興味がないキチガイだったらしい。

 そんな父と違い、母は人間的な大人だった。

 明朗とした性格で面倒見がよく、誰からも慕われるような人だったと思う。元ヤンだったので口が悪かったが、それすらも気安さや頼り甲斐と取られるような人だった。

 母は学生時代、ヤンチャが過ぎて内申を落とし、高校卒業と共に地元の漁港に就職したらしい。その漁港で親父や祖父と出会ったらしい。

 

 父は帰省しても誰にも迎えられず、一人で海を見に行く人で。

 母は帰宅すれば多くの人に囲まれる人だった。

 

 幼い頃の自分には、そんな対照的な二人がなぜ結婚して夫婦になったのか全く理解出来なかった。

 だからある時、久方ぶりに帰省した母に問うてみた。

 食事時、対面に座っての会話だった。

 

「堆灯さんのどこに牽かれたのか、だぁ?」

 

 俺の問いを母は鸚鵡返しする。

 そして、両腕を組んで悩みを作った。

 こうして、子供の突拍子もない疑問にも真摯に悩むあたり、人間性の良さが見て取れた。

 そうして母は数秒悩み、頷きを置いてから口を開いた。

 

「別にアタシはあのバカのことを好きになったことなんざ、一度もねぇよ」

 

 そんな発言を、一言目に告げた。

 今になって思うと、ツンデレ染みた言葉だが、ただ、幼心にはそういった内心の捻れ具合など解らなかったので、純粋に疑問を思った。なので、問うた。

 好きでもないのに結婚したのか、と。

 母は疑問に答える。

 

「あのバカの隣には誰も居なかったからな」

 

 初めに、そう言葉を告げた。

 そして一呼吸入れて続ける。

 

「あのバカはずっと一人でな。いつも一人で海ばっか見てる変なヤツで、義父さんなんかはそれでいい、なんて納得してたけど、アタシはなんかほっとけなくてよ」

 

 だから、

 

「どうしようもないバカだから、アタシぐらいは隣にいてやろうと思った。理由なんてそんなモンだよ」

 

 懐かしみを表情にして母は、そう言った。

 口調の悪さから誤解されがちだが、母の気質はお節介焼きだ。元ヤンだった頃も、周りのヤツらがほっとけなくてグループのリーダーをしていたみたいな話を聞いたことがある。

 そんな母だから、孤独を好む父をほっとけなかったのは予想に難しくない。

 ただ、それだけの理由で結婚を決意する、惚れたワケでもないのに生涯を添い遂げようと決心した精神性が理解できなかった。

 そんな俺へ慈しみの視線を向けながら、母は言う。

 

「いいんだよ、アタシのことなんざ理解できなくても」

 

 いいか?

 

「どんな関係で万の言葉を交わそうと、他人の全てを理解するなんて出来ないし、それでいいのさ。人にはそういう混ぜちゃいけない部分がある」

 

 けど、これだけは覚えておけよ?

 母はそう前置いて言う。

 

「自分の心に嘘を吐くなよ」

 

 一息。

 

「アタシは、アタシの心はあのバカを一人にすることを許さなかった。周りの反対もあったし、反省点も無くはねえ。けど、後悔は一つもない。こうなるべくしてなった、と胸を張って言える」

 

 何故なら、

 

「自分で決めたことだからだ」

 

 いいか?

 

「周囲がどんなに騒いでも手前の心は手前にしか理解できないのさ。だから耕嬉、お前はお前の心のままに生きてみろ。お前が思い、感じ、信じるものを信じてみろ」

 

 それが出来るなら、お前はお前にとって正しい存在さ。

 そう言って、母は笑った。

 

 そんな会話をして十と幾年。

 両親はいなくなり、俺も背が伸びて純真さも無くなった。あの頃とは別物の存在と言えるかもしれない。

 それでも俺の判断を支えるのは、いつも、母のこの言葉だった。

 自分の心に嘘を吐かない。

 ずっとそうやって生きてきた。

 そして多分、これからもそうやって生きていく。

 

 

 ●

 

 

「意外と人が多いな」

 

「…………」

 

 呟き、映画館の受付から離れる。

 一人ではない。背後に一人の少女を連れている。

 黒髪の眼鏡少女だ。

 白地のワンピースと青のカットスカートの上に黒のハーフシャツ。長髪を後ろで二つ結びにしている。眼鏡はトップフレームの赤の伊達眼鏡。胸元、首から下げた三日月をモチーフにしたネックレスが小さく揺れている。

 言うまでもないが、時雨だ。

 おめかしした時雨が、対面、いつもの無表情でコーヒーを啜っている。

 時雨をコーディネートしたのは、もちろん六樹だ。

 今朝に六樹がやって来てそそくさとコーディネートした結果だ。六樹本人はその後にさっさと帰っていった。なんなんだアイツは……。

 そんな訳で時雨と二人で映画館に来ていた。

 手元には先ほど購入した映画の入場券が二枚。つまるところ、映画を観に来ていた。デートの定番である。

 演目は王道の恋愛もの。一昔前の洋画だ。ナントカ国際映画祭で賞を取った作品らしいが、初見だ。

 詳しくは調べていないが、評価は高いらしくネットでも評価は良かった。というか、六樹に 「絶対これを観ろ」と念押された。ここで反抗する理由もないので、大人しく推薦通りにしたわけだが、しかし、

 

「………………」

 

 隣、無言の時雨へと視線を向ける。

 ぼうっと眺める青の視線の先には、上映中の特撮映画『極限ライダーリョウvs風雲拳』の等身大パネルが設置されている。胴着にへそ出し赤胴の男がブーメランを天へと掲げたパネルは見ているだけで暑苦しい。というか、あのシリーズは自分の幼少期から存在していたシリーズなのだが、未だに続いていたのか。感慨深……くは特にないな。などと思いつつ、

 

 ───ああいう、軽いヤツの方が良かったか……?

 

 内心、そう疑問する。

 特撮とは言わずとも、コメディ映画などの軽めの映画の方が視聴後の読了感は良かったのではないか。などと、既に軽く悩み、

 

「…………はっ」

 

 苦笑を作る。

 何だかんだで、しっかりとデート気分になっている自分自身の滑稽さに、だ。時雨からしてみれば、コメディだろうが特撮だろうがシリアスだろうが、同じなのだから、ここで自分があれこれ悩んでも意味がない。そもそも、人間味の薄い二人が演目をあれこれ悩むなんて方がナンセンスだと気付いて、どっと肩の力が抜ける。そうだな。

 

「……もうすぐ始まるぞ」

 

 変に気取る意味がないと気付き、いつも通りに声を掛ける。

 返してくる視線はいつも通り、感情を見せない青の頷き。そんな視線を背に連れて指定されたシアターへと足を進める。

 入場券に記された時刻まであと五分。そろそろ席に着いておきたい時間だった。

 

 

 ●

 

 

 映画館、というのは初デートに最も適した場所であるらしい。

 というもの、上映中は必要以上に会話することがなく、上映後は映画の感想という共通の話題で話を弾ませることができるからだ。また、映画を通して相手の嗜好を探ることができるのも良い点だと言える。

 だからこそ今回、初デートに映画館をチョイスしたのは定石通りと言えなくはない。

 ただ、今回のデート相手が時雨である、という前提が無ければの話だ。

 シアタールームという暗闇の中、唯一の光源であるスクリーンの灯りを頼りに、隣席を盗み見る。

 あるのは当然、いつもの無表情で画面を眺める時雨の姿だ。

 

 ───全く感情が読めねぇ……。

 

 画面を見ているだけと思わせる青の瞳は、果たして映画の内容を理解しているのかどうかすら解らない。そもそも、物を写しているのかすら怪しく思える。

 何を考えているのか、そもそも物を考えられるのか、それすら解らない。

 とはいえ、それもいつも通りと言えばいつも通りなので、意にせず視線を映画へと戻す。

 映画の内容は、天才博士と彼が極秘に開発した人型アンドロイドの恋物語だ。人工知能から生じたものは果たして感情と呼べるのか? 恋と呼ぶに相応しいのか? 作り手が創作物に向ける愛は果たして恋慕の感情なのか? 倫理は? という部分が作品のテーマになっている。

 

『───お前は主人認識を恋愛と勘違いしているだけだッ!』

 

 画面上で、博士役の俳優が叫ぶ。

 機械に制御された感情の否定を認めないと、あるいは自分の感情を振り払うように、叫ぶ。

 しかし、アンドロイド役の女優は、淡々と無表情に返す。

 

『確かに、私の感情は機械によって制御されたもの。0と1の羅列で作られたものかもしれません』

 

 ならば、

 

『なら、教えてください。人間は何を以て感情を定義しているのですか? 脳から生じる電気信号と演算装置から生じる電気信号は何が異なるのですか?』

 

 映像上、青年は言葉に窮する。

 何を以て感情とするのか、そもそも心とは何なのか、そんなものは人間にだって解っていない。解らない。

 だから、青年はアンドロイドの恋に応えることにした。

 しかし、世論がそれを許さない。

 ふとしたことからアンドロイドの存在が世間に露呈し、論理と宗教の名の元に青年は糾弾されていく。

 弾圧と迫害に耐えきれなくなった青年は、自らの手でアンドロイドを機能停止させ、その研究資料を全て焼却する。最期はアンドロイドの亡骸と共に南極の海洋へと投身する、というラストを以て上映は終了した。

 上下にスタッフロールが流れるのを見ながら、思う。

 

 ───意図が透けて見えるぞ、バカ……!

 

 いい映画だったと、そう思う。俳優の演技も、撮影の手法もカメラワークも、当然脚本もよく出来たものだと思う。

 だが、六樹が何を思ってこの映画を勧めたのかを考えると、苦いものを感じずにはいられない。

 つまり六樹には、俺と時雨の関係が青年とアンドロイドの関係と類似している様に見えたらしい。ふざけろ。

 お前今度覚えとけよ、と内心で吐き捨てて、視線を隣へ向ける。

 視線の先、時雨は立ち上がっている。

 何はともあれ、ここから移動するべきだと考えた。次公演もあるし。

 故にこちらも立ち上がり、時雨を後ろにシアターを後にする。

 問題の先送りだと理解しながらも、考える時間が欲しかった。

 

 

 ●

 

 

 二人、公園のベンチに腰かける。

 高台の公園だ。映画館から徒歩10分の位置に存在した公園で、バスケコート二つ分ほどと敷地面積は広くない。砂場があり、遊具はシーソーとブランコがそれぞれふたつ。それと二人座れるベンチが一つ外縁に沿って存在している。寂れた公園だが、海側へ向けて開らけた作りで、景観はいい。

 そんな公園のベンチに、時雨と並ぶように海を向く様に座っている。

 時雨の手には缶コーヒーが一つ。

 自分の手にも同じものが一つ。

 そして、並び座る間に会話はない。

 

 ───どうしたものかな……。

 

 無言の中、そう思う。

 時雨の顔にあるのはいつも通りの無表情。何を考えているか解らない双瞳で遠方、水平線を眺めている。

 普通なら、ここで先ほど観た映画の話題をするべきなのだろうが、どうなのだろう。いま、時雨に映画の話を振っていいものだろうか?

 

 ───『時雨ちゃんはかなり危うい立ち位置にいる』

 

 昨日、六樹の告げた言葉が脳裏に過る。

 今回の映画観賞で、時雨に変な影響を与えてしまったのではないか? 変な意識を植え付けてしまったのではないか? 今更ながら、そんな風に思う。だが、触れてしまうことで意識させてしまう可能性も、当然ある。だから、問えずに口を閉ざすしかなかった。

 そして俺が口を閉ざす以上、会話は発生しない。結果、沈黙が続く。

 泥のような沈黙が二人の間に沈殿する。

 そう思っていたが、しかし、

 

「…………ねえ、少し聞いてもいいかな?」

 

 沈黙の中、時雨がそう呼び掛けの言葉を作った。

 時雨から自主的に会話をスタートした。今までに無かったことだ。故に、少なからず驚きを得る。

 驚きを得るが、しかし、なるべく表情にしないように意識して、

 

「どうした?」

 

 平然を装って先を促す。

 促しを受け、時雨は頷きを一つ置いてから言葉を作った。

 簡素な一言だ。

 

「……面白かった?」

 

 そんな問いかけの言葉に、息を詰める。

 主語のない簡素な問いだが、意図は解る。先程観た映画の感想を求めているというのは話の流れから理解できる。できるのだが、

 

「…………お前がそれを言うのか……」

 

「……?」

 

「なんでもない、独り言だ」

 

 短く言い切り、失言を誤魔化す。

 我ながら酷いことを呟いた自覚はあるが、それ以上に動揺が勝っていた。人間性が欠片も見えず、映画を見ていても観ていたか解らない、そんな時雨がこんな問いをしてくるとは全く予想していなかった。故に動揺からいらぬ一言をこぼしてしまったが、しかし、同じ映画を見て、その後に感想を言い合う。

 初デートの王道パターンだ。そんな脳裏に過った考えを頭を振って追い出し、時雨の問いに答える。

 そうだな……。

 

「いい映画だったと思う。誇張やお世辞抜きで」

 

 言って両手を広げて言葉を続ける。

 

「映像の撮り方や俳優の演技は勿論、脚本や監督の味もいい風に効いてて良かったな」

 

 あの映画の監督は、過去の名作のオマージュを自映画に仕込むことが、その道では有名だ。

 今回の映画では、

 

「終盤、機能停止したヒロインを主人公が持ち上げるシーンがあっただろ? あれはロミオとジュリエットのオマージュだろうし、ラストの南極に沈んでくのはフランケンシュタインのオマージュだろうよ」

 

 他にも色々有ったが、目立ったのはこの辺りだろう。

 オマージュにどういう意味を見出だすのか、というのもファンの間では話題になっている。とはいえ、その辺りの解釈について語るつもりはない。語るほどのことを気づいた訳でもない。だからその辺りの掘り下げはせず、総評すると、

 

「面白かったな、久々にいい映画を観た」

 

 そう結論着ける。

 言い合うとは自分の所感を述べるだけでなく、相手に尋ねることで成立する事柄だ。故に問う。

 

「お前はどうだった?」

 

 問いかける。

 問われた時雨はいつも通り無表情で眉をフラットにし、数秒悩んでから、

 

「…………わからない」

 

 コーヒーを一口煽り、首を小さく振ってそう言った。

 やはり難しい映画だったか、と内心で思いつつ、折角なので話題を広げる。

 そのために問うた。

 

「何処がわからなかった?」

 

 時雨は数瞬悩み、一間置いてから口を開いた。

 

「…………死ぬ必要ってあったのかな?」

 

 呟くように、疑問を落とした。

 溢されたのは主語のない問いだ。それが、映画の内容を指した疑問だと言うことは解る。

 解るが……

 

 ───死ぬ必要、か……。

 

 あった、とは思う。

 だが、それはストーリーの流れや落とし処を作るための、メタ的な見方をした上での必要性だ。時雨の求める見方での答えではないのは、解る。

 だから、

 

「死ぬ必要はなかったかもな」

 

「なら───」

 

「だが」

 

 時雨の言葉を遮る様に、反語を置く。

 そして言葉にする。自分なのり考えを。

 それは、

 

「死ぬ理由はあったんだろうよ」

 

「死ぬ、理由……?」

 

 疑問を視線に、時雨が繰り返した。

 その返しに、頷きを置いて口を開く。あくまで俺の所感であり、感覚的な話なので説明がいるだろう。だから、まずは結論から言うことにした。

 息を吸う。

 あの二人が死を選んだ理由。それは、

 

「生き続けることに耐えられなかったから、だと俺は思う」

 

 言うと、時雨は少し悩んでから、

 

「耐えられなかった……?」

 

 疑問としてこちらの言を繰り返した。

 それに頷きを置いて、説明を続きとする。

 

「あの二人は生き続ける苦痛に耐えられなかった。女は『愛する人が自分の所為で虐げられ続ける苦痛』に、男は『愛する人とこれからの人生を共にできない苦痛』に。……現在を憂いでのことか未来を憂いでのことかは別として、そこにあるのは生きることへの苦痛だろ? それがあの二人が死を選んだ理由だと、俺は思う」

 

 告げた推測に、時雨は少し悩み。

 

「……生きることは辛いこと?」

 

 無表情な瞳で、疑問を問いかけてきた。

 無機質とも無垢とも取れる問い掛け。普段なら人間性のなさに不気味さを覚える声音のハズなのに、そこに答えを切望する熱を感じるのは勝手な錯覚なのだろうか?

 そんなことを頭の片隅にしながら、時雨の疑問に肯首を置いて、

 

「基本的に生きるってのは苦痛の連続だ。人間の頭ってのはいい思い出よりも悪い思い出を記憶に残しやすい。

 辛いことばかりが頭にあって、いつも辛い思いをすることになるし記憶にあるのが辛いことばかりなら未来もそうだと思うだろ? だから未来に希望が持てない。先にも後にも希望が持てないなら、それは苦痛の連続と言ってもおかしくないんじゃねぇか?」

 

 長回しを問い掛けで締める。

 対する時雨は難しい顔つきで言を咀嚼していた。

 

 ───む……?

 

 明確な返答を求めた問い掛けではなかった。

 端的に言うと、肯定されようが否定されようがどちらでもいい言だったからだ。あくまで自分はそう思っている、という話であり別意見を出されたところで、『お前が思うならそうなのだろう、お前の中ではな』の一言で終わる話だ。

 だからこそ、時雨がこんなに悩むこと自体が想定外だ。

 

 ───何を考えているのかわからん……。

 

 時雨が何を考えているのか、わからない。

 いや今までも時雨の考えていることがわかったことはない。ただ、今回はわからないの位置が危ういというか、人間寄りのわからなさ、というべきか。そんな不安定さを感じた。

 そんな内心とは裏腹に、思考を纏めたのか時雨は次の疑問を問うてきた。

 それは無垢な問いだった。

 

「そんなに苦しいのに、なんで生きていられるの?」

 

 無垢な問いに、視線を合わせずこちらも問う。

 

「わからないか?」

 

 返答は肯首。予想通りだ。だから、視線を合わせず俺も言う。

 

「俺もだ」

 

 言った言葉に、時雨が訝しげな視線を寄越してくる。

 いやいや、

 

「当たり前だろ、俺だってたかだか十四程度しか生きてないガキだぞ? 知ってることの方が少ないに決まってるだろ」

 

 現在の日本人の平均寿命が五十前後、俺はまだその半分も生きてない若造に過ぎない。

 先程知った風に言ったことだって、今の俺が思っていることに過ぎない。これからの人生次第では考え方だって変わる余地は幾分もある。

 俺はまだ若造なのだ。それを自覚しなければいけない。

 それでも、理解していることがある。

 たとえば、先程の時雨の疑問、その答えなどだ。だから言う。

 

「辛くて苦しくて、もうやってらんねぇなんて思うことばかり。人生なんざそんなモンだけど、それでも」

 

 それでも、だ。

 

「それでも生きていたい、これさえあればいいと思えるモンの為に生きる。それが人生ってモンじゃねぇかと俺は思う」

 

 視線を合わせず、言う。

 こんなこっ恥ずかしい台詞、面と向かって素面で言えるハズがなかった。

 だが、時雨は視線を下にして、口を開いた。

 もし、と前置きした言葉だった。

 

「……もし、それが人間の生きるための縁なのだとしたら」

 

 一息吸って、疑問とする。

 

「人間じゃない僕たちには、一生得られないものなのかな……?」

 

 問うた表情はいつもと同じ。感情の見えない無表情。だがなぜか、声には感情の色があるように直感した。諦観の色だと。

 だから、内心で思う。感情が見えないことと感情がないことは、果たして同じなのだろうか? と。

 声音も表情もいつも通り、無機質なものだ。鉄のように硬質で温度などないものの様に思える。

 だが、本当にそうだろうか?

 俺は何か致命的な思い違いをしていないだろうか?

 そんな風に思考する。

 だから、己の推測を進めるための言葉を投げる。

 

「お前は……」

 

 思い、言い掛かけた言葉を呼吸と共に飲み込んで言い直す。

 こうじゃない。正しくは、

 

「時雨は自分が人じゃないと思うか?」

 

 告げた疑問。返答は無言の肯首だった。

 予想通りの返答だ。だから、じゃあ、と前置いて続ける。

 

「時雨はなんで自分が人間じゃないと思う?」

 

 告げた疑問に、時雨は一度眉根を動かし数秒悩んで、迷いを口調に言った。

 

「……僕には『これさえあればいい』と思えるような縁がないから」

 

「なら、俺も人間じゃないな」

 

 時雨の答えは予想通りのものだった。故にノータイムで言葉を告げる。

 告げた言葉に、時雨が目を開いてこちらへ視線を向けた。明確な驚愕を表情にしていた。そのことに、内心驚きを得ながら、しかし、言葉を続ける。

 いいか?

 

「確かに人間が人間らしく生きる上で、生き甲斐やら生きる縁なんかは必要だろうよ」

 

 けどな?

 

「誰だって最初からそういうのを抱いて生まれてくる訳がないだろ」

 

「そうなの?」

 

 そうなんだよ。

 よく考えてみろ。

 

「生まれた時から自分のするべきこと、なすべきことが定まっているヤツなんざ機械と変わらないだろ。そっちの方が人間じゃねぇよ」

 

 多分、人は生まれながらに人なのではなく、段々と人になっていく生き物なのではないか、と俺は思う。これまで得てきたもの、これから得たいものを総括して生き甲斐とするのではないか、とも。

 だから、

 

「時雨」

 

 呼び掛けを置いて、

 

「お前はまだ何者でもない無色の存在だ。……何にでもなれる可能性だ」

 

 だから、

 

「もし時雨になりたいものがないなら、これから探して行けばいい。生き甲斐も生きる理由も、どこにでも転がってるもんだ」 

 

 言い終える。

 時雨は何か言おうとして、しかし言葉にせず結局は沈黙となる。思考の沈黙。こちらの言を真剣に捉えてくれた証左だ。

 そのことに若干の照れを覚えたので、誤魔化すように言葉を作る。

 

「ま、ゆっくり考えればいいさ、時間は腐るほど───」

 

「時間は有限なのさ、悲しいことにね」

 

 遮り、被せるように言葉を挟まれた。

 男の声音で、時雨のものではない。声の出所は背後。故に振り返る。

 そこには一組の男女が立っていた。

 草臥れたスーツ姿の男とサングラスを掛けたスーツ姿の女だ。

 男は目を弓にして口を開く。

 

「僕は海軍情報部の四旗鳴成。覚えなくてもいいよ、どうせ偽名だからね」

 

 終わりを告げる男は、そんなふざけた自己紹介をした。 

 

 

 




終わりをはじめようか
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