コロンボ警部がジムリーダーサカキに目をつけたようです 作:rairaibou(風)
午前八時十二分、タナーリ国際空港、カントー地方と世界とを結ぶ玄関口となっているその空港には、世界中の利用者が集まる。
ロサンゼルスからの直行便は、十時間以上のフライトで、乗客の負担も大きかったが、天候がよく、更にパイロットの質も良かったのだろうか、乗客たちはそれぞれ満足げな表情をしながら、スーツケースや大きな荷物を手に関税チェックと入国手続きの順番を待っている。
彼等の殆どは、一刻も早くカントーに足を踏み入れたかった。カントーと言えば、ジムシステムをいち早く導入し、質の高いトレーナーを数多く有する世界でも有数のポケモン文化圏だった。
ロサンゼルスからの乗客たちは、期待を胸に律儀に列に並んでいたが、その中に一人、明らかにその列を乱しながら、右往左往している男がいた。
その男は、とてもパスポートを有する旅行客には見えなかった。頭はボサボサ、薄汚れてよれよれのレインコートを着た中年の男で、首から小さな黒のカバンを下げている。
更にその男は、キョロキョロと周りを見回して、赤いスーツケースを持っている女性を見つけるや否や、のそのそと近づいていき声をかける。
「あのう……すみません、奥さん。ちょっとばかし、そのスーツケースを確認させてもらえませんか? あたしスーツケースを無くしちゃいましてね……いや、ホントはカミさんので……だから女物なんですよ」
女性の返答を聞く気もないのだろう、男は屈んでそのスーツケースを物色する。
「あ、こりゃどうもすみません奥さん、これは違うようですね……あたしのは取っ手がグラグラしてるんで……しかもよく見たらこりゃ新品みたいですなあ、カミさんのはもう傷だらけですから……長く使ってますからねえ」
訝しげな視線を投げかける女性に臆することなく、男は挨拶もそこそこに、再び物色を再開する。
警備員の男は、男をつまみ出すかどうかを真剣に考えていた、状況から察するに彼がロサンゼルスからの乗客であることは間違いないのだが、風貌から察するに彼が限りなくホームレスに等しい存在だということも間違いなかったからだ。
経験上、その警備員の男はそのようなことがありうることを知っていた。こそ泥や置き引き犯が乗客のふりをしてカモの物色をすることは無くはない。
運が悪い、ということはあるものだ、よりにもよってこんな日に。
警備員の男は、その中年男と同じく周りを見回しながら右往左往している女性を見ながら思った。しかし彼が彼女に対して警戒を持つことはない。なぜならばその女性は、青を基調とした制服に身を包み、黄色の星印がついた帽子をかぶっている。つまり彼女は警察官、ジュンサーだった。
彼女が誰を探しているのか、警備員は知っていた。だからこそ話がややこしい。
その便には、ロサンゼルス市警きっての腕利き刑事が乗っているはずだった。なんでも警察間交流の一環で研修に来るらしい。
ロサンゼルス市警の腕利きとなれば、幾多もの修羅場をくぐり抜けた犯罪のエキスパートに違いない。まさかその前でこそ泥に逃げられる醜態をさらす訳にはいかないだろう。
警備員がその男の処遇について悩んでいるその間にも、その男は鞄漁りをやめない。
「ちょいとすいません、そのスーツケース確認させてはもらえませんか……あ、よく見りゃこれ、オレンジ色ですなあ」
ついに警備員は騒ぎを起こす覚悟を決めた、生唾を飲み込んでから、男のもとに歩み寄る、彼女を追うようにその男に向かっていった、念のためにと、腰のベルトにセットしているモンスターボールに手をやりながら。
「なにかお困りですか?」
妙に粉っぽいレインコートに手をかけながら、警備員がその男に声をかける。
「ああ、実はスーツケースを無くしちまいまして、別にあたしのものがなくなるのは良いんですがね、あのスーツケースはカミさんが気に入ってる品で、無くしちまうと怒られるんだ」
「預り証を拝見させてもらっても?」
男はその言葉に困ったように表情を歪ませる。
「いや……実は無くしちまってね……まったく参ったもんですよ、あたしゃロンドンでも似たようなことやって……」
「では、パスポートを」
「ああ、そうだ。ロンドンでもそんな話になりました。貴重品はこのカバンに入れることにしてるんで」
そそくさと妙に手慣れた動きで首からかけたバッグから取り出されたパスポートの中身を確認し、思わず声を上げそうになるほどにぎょっとして、パチパチとまばたきをして再びそれを確認したのちに、目線を上げてジュンサーを探した。
キョロキョロしていたジュンサーは、すぐにその警備員の視線に気づき、ぱっと表情を明るくさせて近づいてくる。このパスポートが本物だったとしても、はたまたこそ泥にスられた盗品であろうと、どっちみち彼女の管轄だ。
警備員に近づいたジュンサーは、その中年男に話しかける。
「コロンボ警部! お待ちしておりました!」
コロンボ、と呼ばれたその中年男は、頭をかきながら彼女に振り返った。
「はあ……」
その表情を確認し、ジュンサーは大げさなほどにビシッと敬礼して挨拶する。
「私はジュンサーです! 部長命令でお迎えに上がりました! コロンボ警部!、長旅お疲れ様でした!」
「ああ、あなた警察の人……いや申し訳ないんだけどね、あたしスーツケースを失くしちゃって……もう少し待ってもらえないかな」
警備員は、彼等のやり取りを信じられないと言った表情で眺めていた。本当にこの男がロサンゼルス市警きっての敏腕刑事なのだろうか。自分のスーツケースさえまともに探すことができないこの男が。
しかしジュンサーは、彼がコロンボであり、ロサンゼルス市警きっての敏腕刑事であるということを疑ってはいないようだった。良く言えば人を外見で判断しない、悪く言えば少し抜けていると言ったところだろうか。
「それは我々カントー警察局にお任せください! 必ず見つけます!」
「ああ、そう……たのもしいね」
コロンボは彼女に少しはにかむと、今度は警備員の方を見て「そういうことなんで……」と言う。
警備員はやはりまだ懐疑的な視線をコロンボに向けていたが、それ以上自分が語ることがないことになんとなくホッと思った。
タナーリ国際空港からカントー地方へと続く道路を、ジュンサーが運転する小型自動車が走っていた。
助手席のコロンボは窓から見える風景を「ほう」とか「へえ」とか言いながら眺めている。
「カメラをカバンに入れちまってたんですよ」と、コロンボは椅子に座り直しながら呟く。
「まあ、カメラを持っていたとしても、寄り道はできなさそうだけどね」
コロンボの言葉に、ジュンサーが「どうしてそう思われますか?」と、少し驚いた表情で問う。
コロンボは再び流れる景色に気を取られながら答える。
「気を悪くしないでくださいね……出迎えが巡査一人ってのは少しさみしいもんがある。なにか大きな事件が起きて、あたしにまで手を回せないと言ったところなんでしょう?」
「素晴らしい!」と、ジュンサーは興奮に頬を赤くしてそう叫んだ。
「さすがはコロンボ警部! 今少し大きな騒動が起きていて、失礼ながら一巡査である私が、数日ではありますがコロンボ警部の視察のご案内をすることになりました! ロサンゼルス市警きっての腕利きとの評判のコロンボ警部から、私もいろいろと学びたい所存であります!」
コロンボは額を掻いた、そのような全力の称賛をここまで間近に聞いたのは久々のことで、思わず照れてしまったのだ。
「研修と言っても、二週間程度のものですよ……ちょっと長い旅行と変わりゃしない。だけど、ロサンゼルスじゃあまず間違いなくポケモンを見ることはないから、ぜひとも見てみたいもんですなあ。カミさんがね、あのピカチュウとかいうポケモンが好きで……ああ、そうだ、写真を撮ってこいと言われていたのに、カメラが無いんだ」
カントーと言えば、不思議な生物であるポケモン文化圏として有名だ。
「私が用意しましょう」と、ジュンサーが言う。
「素晴らしいものではありませんが、どちらもなんとかなります」
「そりゃありがたいですけど……カメラはともかくピカチュウとなると難しいでしょう」
「いえ、ピカチュウは私が持っていますから、それを撮ればよろしいかと」
へえ、と、コロンボが感嘆する。
「それはつまりあれですか。ボールに仕舞っているとかいう」
「はい! 外に出るときにはボールの中に入って一緒に移動しています」
「ひゃあ、たまげたねえ……カントーの警察官は優秀なトレーナーでもあるとは聞いてはいたけど、君のような子までそうだとは思わなかったよ。あたしも犬飼ってるけどね……これが全然言うことを聞かないんだ」
「いえ、私はトレーナーとしては未熟なもので、バッジも二つしか持っていませんし……」
「バッジ?」
コロンボの疑問形に、ジュンサーはハッとして、彼がカントーのシステムについて知らない人間であることを思い出した。
「失礼しました。カントーには八つのジムが存在していて、認定されるとバッジをいただくことができるんです。もちろんその数が多ければ多いほどトレーナーとしての実力も上だということで、私の二つというのは正直、あまり優れているというわけではありません」
少し落ち込んだ風な彼女に、コロンボは励ますように言う。
「あたしも射撃の腕が壊滅的でね、ここだけの話、いつも代役にやってもらってるんだ。もう何年も撃っていないから、弾の入れ替え方すらも怪しい」
ふふ、とコロンボが笑うのに、ジュンサーも「ありがとうございます」と、礼を言った。
しばらく車内の中を沈黙が流れたが、パトカーが交通量の多い道路から少し逸れたあたりでコロンボが問う。
「ところで、どんな騒ぎが起こってるの?」
ジュンサーは軽快に答える。それは本来関係者以外には漏らしてはいけない事案だったが、彼女はコロンボを信頼しきっていた。
「はい、実は先程言ったジムで火事が起きまして、しかも現場からは遺体が……」
「放火殺人!」
コロンボは額に手を当て天を仰ぎながらつぶやく。
「いえ、まだそうと決まったわけではありませんが……状況から考えると……」
「どこに行っても血なまぐさい事件は起こるもんですなあ、ロンドンに行ったときもメキシコに行ったときにも殺人事件があって……やれんもんですなあ」
「ええ、しかも被害にあったのがトキワジムなので、近年では最も大きい事件になるかもしれません」
「トキワジムというと?」
「八つ目のバッジを管理する、カントーの中で最も位の高いジムです。実力者揃いのジムで、ジムリーダーのサカキさんも世界的に有名な――」
「サカキだって!?」
ジュンサーの言葉を遮って、コロンボが叫ぶ。
「サカキさんって、あのバカでかいポケモンを使うあのサカキさん? なんかのテレビで見たことがある」
「ええ、おそらくはそのサカキさんで間違いないかと」
「はぁなるほど……そりゃあ警察も全力をつくさなきゃなりませんなあ」
「全くです」と、ジュンサーは答えた。
刑事コロンボの持つ強烈な個性の一つにレインコートがあります。
これは私達がその名を聞いて想像する雨合羽のようなものではなく、スーツの上から着る外套に近く、種類的にはバルカラーコート、もしくはステンカラーコートと呼ばれるもののようです。