珍しい事が起きた。
昼の時間や授業の合間なんかに無意味に俺の元まで来て話し掛けてくる真鶴が、今日は一度も姿を現さなかった。
なんだ、俺の知らぬ水面下で問題が解決したのか? だとしたら大団円だ、もう無理してあいつに付き合う必要も無くなるのだから。
カースト最底辺の俺が、まさにカーストを意識してそうな
部室に向かう途中、窓ガラスがビリビリと震えている事に気付く。今日はやけに風が強い、台風でも近付いているのだろうか。
なんか、折角真鶴の顔を見ずに過ごした無難な1日だってのに天候が不穏な空気を生み出している。なにこれ、ラスボス戦みたいな雰囲気なんだけど。いつもより廊下暗いし。
「君、比企谷くんだよね」
「あん?」
薄暗い廊下をボーッと歩いていたら、なんか男子生徒に話しかけられた。
……この人、真鶴の事を見てた人だ。いわゆるストーカー先輩。なんだ、今回の件のそれこそラスボスじゃないか。
え? なに? 俺フラグ立ててから回収するまでが早過ぎない? なんなの、あと何回変身残してんの?
って冗談を言ってる場合じゃないな。例のストーカー本人が、真鶴とつるんでた俺に直に会いに来たのだ。もしかしなくても、それは俺に対する、こいつからの挑戦状。もしくは攻撃、脅しという線もある。
「ちょっと話があるんだけど、来てくれるよね」
来てくれる“かな”ではなく、来てくれる“よね”。もうその口振りからして俺から優位を取ろうとしてるのは目に見えていた。
「あー、その、俺これから部活で」
「今日は休もっか」
「いや、そうは問屋が卸さないというか……部長に心無い言葉で口撃を受けたくないというか」
「わけを話せばわかってくれるだろ。少し会話するだけなんだし」
どうあっても俺を逃がしてはくれないようだ。なんで今日、なんで今なんだ。てか別の機会に回してもいいだろって思う。
……まあ、いつかはこうなると思っていたし、これを機に真鶴との縁が切れるのならばそれも御の字か。気は乗らないけど。
「……分かりました。で、どこで話し合うんすか。出来れば脅迫とか受けたくないんで人目のつく所がいいんすけど」
「ありがとう」
うわー、心の一切こもってないありがとうだー、意識疎通拒絶の醍醐味であるありがとうだー。
ストーカーなんかする奴だから予想はついてたけど、こいつめんどくせぇなあ。
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先輩は思った通りの行動を取ってくれた。
比企谷の事を遠目で観察していた私は、部室に行く途中であろう比企谷が先輩に捕まったのを目視するとその後を追った。
今朝、植木先輩を呼び出し「あの、私の事好いてくれてるのは嬉しいんですけど……私には比企谷くんがいるので……その、2人の男子を同時に好きになるのは難しいというかなんというか……困ります」みたいな小っ恥ずかしい、馬鹿らしいセリフを吐いてやったらその日の内にこんな手立てを取るとは。
正直こんなんで人が動くとは思ってなかったが、案外私には人を操る才能があるのかもしれない。馬鹿な人限定だが。
というかよくあんなセリフで相手方にちょっかいかけようと思うな。あの文面だったら普通に自分の存在が邪魔なんだなって思って手を引くものじゃないの? ストーカーするような執念深い人が簡単に諦めるわけはないんだけどさ。
まあ先輩のおめでたい頭が勝手に「比企谷に手を引かせれば自分の事を見てくれる」と思い込んでくれたのは上々だ。後は、比企谷に一方的な嫉みを抱いてて、比企谷のボソボソっとした喋り方にキレ始めた辺りで先生を投入すればいい。
あっは、私まじ天才じゃんやば。
2人の後を追うと、2人は授業以外では生徒が一切立ち寄らない化学室に不法侵入していった。確かに鍵が壊れてて実質入りたい放題だけど、選ぶ場所が陰気すぎる。あと職員室少し遠いし。
うぅ、この部屋臭いから聞き耳立てたく無いんだけど。うざいなー。
「比企谷くん。正直に答えて欲しいんだけど、真鶴さんとはどういった関係なんだ?」
お、始まった始まった。想定通り……ではなく苛立った様子の先輩に対し全然比企谷ビクビクしてないけど。なんか呆れたような顔で余裕かましてるし、何あの顔むかつくな。
「真鶴と俺の関係? あー、そうだな……」
意外とハキハキ喋ってるし。なんだよあいつ、全然どもらないじゃんどうしたの? もしかして私と会話する内に会話に慣れちゃったのかな。
こんな所であんましハキハキと自分の意思を表明されると先輩も素直に飲み込んじゃいそうで怖いんだけど。もっと低くて聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームでボソボソどもりながら喋ってくれないかな。
「セフレ、って言えば分かるか?」
「えっ?」
えっ?
……? 何言ってんのあいつ。セフレってなに? セックスフレンド的な奴? どんな妄想? え、やば。
ちょっと待って待って展開が読めないんだけどなにこれ。どうなってんの? 当たり前だけど先輩めっちゃ狼狽してるし。そんな先輩に対して、比企谷は見下すような、嘲るような口調で言葉を続ける。
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まず最初に、これは奉仕部の依頼じゃない。真鶴が卑怯な手を使って俺を脅し、無関係な俺を巻き込んで起きた事態だ。本当なら今この瞬間、このストーカー先輩に言い寄られるなんて事はあり得ない筈だった。
だからこの傍迷惑な問題には、誰にも理解されなくとも俺独自のやり方を貫くことが出来る。咎められる謂れはない、俺は被害者なのだから。
俺が真鶴のお守りをしなきゃならない理由はこの男が真鶴に付きまとうからで、俺が真鶴と離れ離れになる為にはこの男を真鶴から引き剝がさなければならない。
矢印の方向がこいつから真鶴、真鶴から俺に向いている現状、こいつから真鶴を引き剥がす為に一番手っ取り早いのはこいつから俺に矢印を向ける事だ。で、こいつが真鶴のどこに惚れたのかは知らんが、少なからず真鶴に愛情と呼べるものを抱いてるとしたら、俺が真鶴を『不幸』にしてやってると吹き込めば、自ずとこいつは俺にだけ、敵意や憎悪といった『強い意識』を向けるようになる。
する事は簡単で、俺は悪人になり真鶴に男性への恐怖を与えてる事にすればいい。
有る事無い事でっち上げた所で、俺は真鶴に干渉しないし真鶴も俺に大して干渉したがらない人種だから関係のない話だ。こいつが勝手にそう思い込み、勝手に自分の中でルールを敷いてくれればそれだけでいい。
それに俺が嫌いな真鶴なら、あいつの尊厳や人格をどれだけ貶す事になろうが、貶める事になろうが、全く何も感じないしそれが手っ取り早いのだから俺はやはりこの手段を取る事にした。
「セフレ……セフレって、それはつまり真鶴さんと」
「ああ。ヤッた。何度も犯した、家でも学校でもな。まあセフレっつっても、俺が一方的にあいつの弱みを握ってて逆らえないようにしてるんだけどな」
善良な人間なら嫌な顔をしそうな、そんな嗤いを含めて言う。
「なっ……!」
「そんな顔すんなよ。あんた俺を責める資格ないんだぜ? あんただって、真鶴が嫌がってんのにストーカーしてたんだからな。警察から注意受けたんだろ? 駄目だろ、そんな事しちゃ」
事実を突きつけての糾弾。ストーカー先輩は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべる。自覚かどうかは分からないが、ストーカー扱いに対し思う事はあるようだ。
「そんな事! 僕は純粋に真鶴さんにアプローチしてただけで!!」
そうなんだ。知らなかった、と言っても、ストーカーは自分が度を過ぎた行為をしてると自覚してないケースが多いからな。真鶴の怯えようを見た感じ、こいつもそっちタイプなんだろう。
だが、それさえも材料にする。こいつが俺に憎悪を抱き、こいつが真鶴に気を遣い近付かないようにする為に。念には念を入れる。
「真鶴は最近男に対して怯えてるようなんだよ。ま、十中八九俺が無理やり犯しまくったからなんだろうけど。だから、あんたの言う純粋なアプローチってのも俺に汚されたあいつからしたら邪な気持ちを持って近付いてきた怖い男に過ぎないんだろうな。多分あいつはもう一生、グイグイくる男に対し心を開かないと思うわ。だからあんまり虐めてやんなよ? もうあんたの事はストーカーとしか見てないみたいだし、近付かないのがあいつの為なんじゃねえ?」
嘘っぱちからの設定改変からの注意喚起。こいつが真鶴を想ってるのなら、その真鶴の気持ちを汲むよう指示するような発言をして、強制的に俺の言葉を脳に浸透させる。
「ぐっ……お、お前……自分が何を口走ってるのか分かってるのか!!」
憎悪の膨れ上がりつつある目で俺を睨む。それで良い、あんたは俺の手のひらの上だ。
「ああん? あんたがわざわざ人のいない場所に連れてくるから正直に答えてやったんだろ。あ、そうだ、この事他の人とかにバラすなよ。繰り返し言うが俺は真鶴の弱みを握ってるし、言っちまえばこの事自体が弱みだからな。……あんたの大好きな真鶴がこれ以上壊れる姿、見たくないだろ?」
ん〜〜〜自分で言っときながらめちゃくちゃ鳥肌立ったわ今のセリフ。女性の皆さん、こういう悪い男性に気をつけてくださいね、と。
「お前、比企谷ァ!!」
目の前のスト先が猛り狂った。
そりゃそうか、意中の相手が男に脅されてれば当然理性など保てない。ただ、俺だって殴られるのは嫌だ。
「おいおい待てよ、俺は痛い目なんか見たくないぞ? いいのか、俺の逆恨みで真鶴の秘密が学校中にばら撒かれても」
「っ!!?」
「あんたは真鶴が大切なんだろ? あいつは今相当弱ってるんだぜ? 今の状況で俺の持つ秘密や、あいつの現状がもし周りに散布されたら、間違いなくあいつは精神を病む。あんたそこそこあいつと付き合いあったんだろ? そんなあんたでさえもあいつは拒絶してるんだからな」
「くっ……そ、」
「賢明だ。あんたが利口で良かったよ」
正直この手の輩(ストーカーするような奴)がこんな脅しで理性を取り戻すとは思わなかったが、動きが止まったので良かった。八幡奥義を披露しておでこと床がディープキスするような事態は免れたわ。怖かった。
「じゃ、俺は行くから。この事をバラすもバラさないもあんたの自由だが、真鶴の事を想うなら他言しない方がいいよ。あと、あいつに近付くのもやめた方がいいな、好きな相手の幸福をひっそり願ってやれ。……ってな、もう俺には関係ない事だからいいんだけどよ」
これ以上スト先といると気が変わったスト先にボコボコにされそうなので、俺は捨て台詞で追い討ちをかけて早足に退散する。
ガタッ。
化学室を出る直前、扉付近で物音が聞こえた気がした。出た後には誰もいなかったが。
しかし、教室を出た直後、廊下の突き当たりを曲がって行く背には見覚えがあった。
その日は真鶴が駐輪場で待ってるという事もなく、スト先に闇討ちされる事もなく、ただただ平穏な時間が過ぎていった。
風が強いと思ったら奉仕部を出た後に雨なんかも降り出して気分は最悪だったが、これからの事を考えるととても晴れやかな面持ちになっていた事だろう。
俺は、チャリに差していた傘を広げ、強風の中片手運転で帰る。久々の1人での帰り道だった。