文化祭が近付き、その準備の為に下校時刻外の教室利用が可能となり校内はどこも慌ただしくなった。
ダンボールを運ぶ軍団と鉢合わせたり、絵の具がつきたての看板やらなんやらがブービートラップのように張り巡らされていたり、まだ文化祭は先だというのに皆気持ちが早っている。
……だりぃ。道を塞ぐな浮かれやがって、邪魔臭い。
うちのクラスは腐海の貴婦人
初めこそ文実なんかに俺を巻き込んだクラスメート、ひいては平塚先生を憎んではいたが、今になって思えばそれは良い采配だった。
実行委員会の開始時刻は四時。ショートホームルームが終わった時点ではまだ時間がある為、教室においての役割が無い俺は奉仕部の部室を目指していた。
「やっはろー」
由比ヶ浜に挨拶に合わせ、雪ノ下は顔を上げ、若干俯いたのちに躊躇いがちに口を開く。
「……こんにちは」
俺は「おう」とだけ返し、いつもの長机の端の席に着く。
そこからしばらく、雪ノ下が文実だった話や俺が人柱にされた話をする。しかしいつもより、時が、間が、全てがちぐはぐで会話に違和感と、気持ち悪さを覚えていた。
というか、言葉の節々に棘が出ていたと思う。
別に雪ノ下に向けたものではない。自身に嫌気がさし、自分で刺す為の棘が喉を裂いて口から漏れ出るのだ。
雪ノ下は俺の言葉にさして答えを用いない。視線は文庫本に落ち、まるで他の物を拒絶しているかのように見えた。
時を刻む秒針の音のみが空間に響く。由比ヶ浜はその静寂を嫌ったのか、深く息を吐いた。
「えっと……、委員会って今日もあるんでしょ? 私もクラスの方の話し合いに出ないといけないんだよね……」
「ああ、そうだ。俺も文実があるからしばらく部活来れないから」
由比ヶ浜が続けようとした言葉を俺が代弁し、さらにそれに重ねるように雪ノ下も本を閉じ口を開いた。
「……ちょうどよかった。私も今日その話をしようと思っていたから。とりあえず文化祭が終わるまで部活は中止しようと思うの」
まあ妥当だ。委員会の仕事、クラスの出し物の仕事、文実もそうだが曲がりなりにもクラスの一員でありこれからの時期仕事をする機会が増えてくると考えれば部活に顔を出すのが労力を増やす一つのロスになる事は否めない。
仕事なんかしたくないけど、せざるを得ない立場だからしょうがない。まったく、八幡働くの好きじゃないのに。
話にオチがつき俺はさっさと部室を出ようと扉に手を掛けると、その退路を断つかのようにコンコンと向こう側からノックされた。ノックの主、1人じゃなく複数人いるのか、くすくすと笑う声が聞こえている。
「どうぞ」
雪ノ下が入室を許可すると、扉が開かれ相模と、他2人のモブみたいな女子が入ってきた。
「失礼しまーす。奉仕部ってここで合ってますよねー」
3人はくすくす笑いながら、というか相模は俺の顔を品定めするかのような瞳で観察した。これ、あれだ。真鶴が最初来た時とまるっきり同じ視線だ。
「さがみん? どしたの?」
「えー?」
えー? じゃなくさっさと要件を話せ。なんで俺と由比ヶ浜を交互に見てんだよ相模。
背後のモブ女子も同じ顔をしてるが、もう1人のモブ女子は打って変わって意外そうな顔をしていた。俺の顔に何か付いてるのだろうか。
「何かご用かしら?」
いつまでも用件を話しださない相模に真鶴の時と同種の苛立ちを覚えたのか、雪ノ下は普段より数段増しの冷たい声音を放った。
「ひえっ……。急にごめん、なさい」
短い悲鳴を出しかけた相模が謝罪を言って、語尾を正した。
「えっと、相談事があって……真鶴さんがそれなら奉仕部行けばって言ったから……だよね? 遥」
「えっ、う、うん!」
雪ノ下の敵意に怖気付いたのかここで彼女には目を合わせず、同じく震え上がっている仲間に目配せをした。
「真鶴さんが、ねぇ……」
その『真鶴』という単語が更に雪ノ下の放つ冷気の温度を下げてるのだが、本人達は知る由も無い。
「う、うち、実行委員長やることになったけどさ、こう自信がないっていうか……。だから、」
「助けてほしい、ということね」
相模の言葉を最後まで聞かず、そう言うと分かりきっていた雪ノ下が口にする。
実行委員長、つまり文化祭実行委員を纏め上げる長。その仕事の責任は重大で任せられる事も多く重い仕事もあるだろう、そんなのは誰だって尻込みするものだ。そして相模は任命した時のコメントで自身のスキルアップを他者に担わせたり人気者の葉山に言い伏せられてしまうくらいその場のノリで生きてて率先して仕事をするタイプではないのが伺える。
正直、相模は器ではなかった。そして助けてやるべき人間でもない、自分が軽率に巻いてしまった種なのだから。
「……自身の成長、あなたはそれを自身の目的として掲げたけれど、私が手を貸すのはそれに反することではないのかしら」
何を今更、と言う感じではあるが本人が他人任せな事に自覚無いのだからあえてこの場で言ってやったのだろう。
……雪ノ下、無視やレスポンスの悪さだけなら隠せていた葛藤が苛立ちとして表層に現れている。元より溜め込んでいたであろう何かが、真鶴という単語をきっかけとして怒りに換算されているのだろうか。
相模は怯みながらも懸命に脆そうな笑い顔を維持し、言葉を続ける。
「そうなんだけどぉ、それはそれとしてみんなに迷惑かけるのが一番まずいっていうか、失敗したくないじゃない? そ、それにさ、誰かと協力して成し遂げる事もうちの成長の一つだと思うし、そういうのって大切じゃん。……真鶴さんが、雪ノ下さんは相談自体は結構真面目に考えてくれるって言ってたし」
ピギッ。
わあ、空間にヒビが入った。そんな気がした、その『真鶴』って単語は雪ノ下の前では禁句にしようぜ相模。
いや、本来の雪ノ下ならあんな奴相手にしないしカスほどの印象も抱かないんだろうが。……今は、少しタイミングが悪い。
「そ、それにうちもクラスの一員だからさ、やっぱりクラスの方にもちゃんと協力したいっていうかさ。全然出ないって言うのは申し訳ないし。……ねえ、結衣ちゃん」
決して相模に向けられてるわけではないが、依然として凍てつく波動を放っている雪ノ下の視線から逃れるように相模は由比ヶ浜に意見を求める。
「う、うん。そだね。あたしも誰かとやるって方が好きなタイプだし……」
由比ヶ浜は話を振られ、僅かに間を置いて考えるが相模の言う事に意識を傾け賛同した。
「だよね〜。そういうイベント通してもっと仲良くなりたいし、そのためにはやっぱ成功させなきゃ!」
由比ヶ浜の支援を受け、押され気味だった相模が強めの語尾でそう言い切った。横の二人も「だよねー」と言いたげな顔で頷いている。さっきまでの恐怖心はどこ飛んでった、単純か。
まあ、なんだかな。この件も、結局真鶴の時と同じで相模が自分で招いた事態の尻拭い、とまではまだいかないがケツ持ちを雪ノ下に頼んでいる形だ。
由比ヶ浜は渋い顔をしている。それは恐らく、俺も。
真鶴の時は自業自得だがしかし被害者である事に変わりはなかった。だが依頼は受けなかった。今回は自分で調子乗っておきながらそれは被害者などではなく「文化祭実行委員長」という肩書きを欲しいが為のエゴなのだ。
箔を付けたい、と言えば聞こえはいいがこの仕事を仮に遂行できたとして相模がその経験値を自身のスキルに取り入れる事、いわゆるスキルアップする事はないだろう。単に周りへの体裁を気にし虚勢を張る為、外部のバックアップを求めている奴が得られる達成感など底が見えるというもの。
調子に乗って身を乗り出してそのツケを他人に払ってもらおうなんて虫の良い話あるかと言ってやりたい。失敗を戒めて一歩成長する、それが人間だとは言うが相模のしてる事はまるででしゃばりで自分の身の丈に合わない事でさえも首を突っ込みたがる子供のやる事だ。
こんな遅くになって自分の限界はすぐそこだと気付いても、それを助けてやる義理は雪ノ下にはないし相模以外に持ち得ない。自分の問題だ。
「……構わないわ。要約するとあなたの補佐をすればいいということなのでしょう」
「えっ、いいの!? ありがとー!!」
雪ノ下の返しに相模は喜びを体現する。
「私自身実行委員なわけだし、その範囲から外れない程度なら」
冷め切ったままそういう雪ノ下に、相模達は能天気に喜び浮かれている。一方由比ヶ浜は、そんな雪ノ下に驚きのこもった視線を向けている。
恐らく俺と由比ヶ浜の心中は同じだ。この手の依頼は自身の問題として跳ね除けるものだし、事実、真鶴の時はちゃんとしっかり断りを入れていたし。
相模達が礼を言って部室を後にする。その直前、相模から遥と呼ばれていた女子は俺の前で立ち止まりなんか一度ニコッとされて会釈されたが、よく分からないまま三人は退散していった。
「……部活、中止するんじゃなかったの?」
いつもより少し冷たい、僅かにマイナスを帯びた由比ヶ浜の言葉に雪ノ下は肩を震わせ、一瞬顔を上げすぐに目を逸らした。
「……私個人でやることだから。あなたたちが気にすることではないでしょう。……それに、これはきっと真鶴さんの、私への当てつけだから」
ボソッと呟いたセリフは真鶴を言い訳に意見を受け付けなくする為の、卑怯なセリフなように俺には思えた。
「……ゆきのん一人じゃなくて、みんなでやったほうが」
「結構よ。文化祭実行委員会のことなら多少の勝手はわかっているから。私一人でやったほうが効率がいいわ」
「効率って……」
そりゃそうかもしんないけど、と由比ヶ浜は消え入りそうな声で続ける。
雪ノ下は先ほどの事も兼ねて、文庫本の表紙に目を落としたままこれ以上話す気はないという、強固な意思表明を見せた。
雪ノ下雪乃は優秀だ。こいつの言う通り、相模の依頼は一人でなんとかこなしてしまう。そんな気は確かにする。
「……でも、それっておかしいと思う」
言うつもりはなかったが、俺が思っていた事と同種のセリフを吐いた由比ヶ浜は踵を返した。
「……あたし、教室戻るから」
そういってズンズンと教室の外に出ていった由比ヶ浜に注いで俺も出る。
戸を閉める際に、雪ノ下が一人きりで佇む姿が見えた。
教室に戻っていく由比ヶ浜と別れる前にした会話。あいつは雪ノ下が好きだとか、他の子が雪ノ下と仲良くなろうとするのが嫌だとか、そういった話を思い出し、あいつの信頼という思いで満たされた笑顔が脳裏に浮かぶ。
勘の鋭いあいつが、空気を読む事を得意とするあいつが、回り道しか出来ないあいつが、俺に何を伝えたかったのか。それになんとなく気付きつつも、しかしハッキリと言葉にされてない為俺もそれにはとりあえず気付かないフリをして今日を過ごそう。
そんな事を考えながら、俺は会議室に向かう廊下を進んでいた時だった。
「ムッ、八幡ではないか。アイヤ、こんな場所で偶然偶然」
「あっ、比企谷じゃん。おつかれ」
……なんか、材木座と真鶴が一緒に居た。
往来の真ん中で、材木座が書いたであろう書物に真鶴が目を落としていた。材木座の腹を手でパチパチ叩きながら。
「……何してんの、お前ら」
「材木座くんが居たから声掛けて色々話してたら脚本見てほしいって言われて、今読んでる最中」
「ふはっはっは!! 我のクラスは演劇をやるのでな! その脚本を我手ずから用意してやったのだ!! 彼奴等がオリジナル脚本で演劇したいと言い出したのでな!!」
あっ、やばい。いたたたたっ!! やばいよやばいよ、こいつの作風はよく熟知してるしこいつの設定の練り方も理解してる。だからこそ俺の反応はこいつの脚本に対し警笛を鳴らしている。出来れば、触れてはいけないものなのだと、そう鳴らしている。
この脚本とやら、絶対現実の自分の知り合い、それこそ好きな女子や気に食わない奴や自分自身をキャラクター設定に盛り込んでるタイプだよ。で、コテコテの異能バトル戦国武将物だろ、もう痛さの欲張りセットだよ痛い!
「……材木座くん、このヒロインさ。元ネタ誰? 私この子知ってる気がするんだけど」
「ふっ、良い所に着目したな真鶴殿。この子は我と同じクラスのーー」
「えっ……やば」
始まったか、黒歴史のきっかけとなる自作脚本のアポカリプスが。いいか材木座、これからお前は自分の夢小説を女子に読まれて蔑まれる事で人生で一、二を争う屈辱的な思いをする、今回ばかりは俺もお前を応援してるぜ。強く生きろよ。
俺は材木座が真鶴に内容とキャラ設定、裏設定に至るまでを事細かに説明してる隙を狙い、その場を後にし会議室へと歩き出した。