「だぁーっ、なんか人少なくないですかー? こんなん仕事終わりませんよー!」
仕事を割り振られ、書面に目を通していた真鶴が身体を起こし濁音入り混じった声で言った。
翌週の実行委員会。二人助っ人が加わったはいいがそれでも出席者は前回に比べ減っている。俺と、雪ノ下と執行部と残り数人、比較するまでもなかった。
葉山は勿論の事、意外に真鶴もしっかり仕事をこなしてるからこそ、その雰囲気をぶち破るような一言もこの空間では許容された。
めぐり先輩は困ったように唸らながら言う。
「連絡は、してるんだけどね。やっぱり相模さんの提案、ちゃんとダメって言えばよかったかな……」
「相模さんの提案? ってなんですか?」
真鶴がめぐり先輩に尋ねる。そういえばこいつ、あの時この場にはいなかったな。
「前に雪ノ下さんのお姉さんで総武高OBの陽乃さんって人が来て、その、はるさんの話を聞いた相模さんが文化祭を楽しむためだとかなんとかで、クラスの方も大事って……それで、少しこっちの仕事のペースを落として、みたいな話をした事があってね」
「はあ。仕事のペースを落としてクラスも大事に、ですか。……言い分は分からないでもないんですけど、ゆとりを持たせたい的な意見ならこっちの仕事滞ってるしこっちにも時間割くのが普通じゃないんですか?」
苛立ちは含めていないが、しかし純粋に理解出来ないといった風な口調で真鶴は言葉を発した。めぐり先輩は悪くないのに「そ、そうだよね」とあたふたしてるし。
真鶴……少しは攻撃的な性格が剥がれたと思ったのに。無意識とはいえお前は誰かを追い込まないと気が済まないのか。
困ってるめぐり先輩を庇うように、雪ノ下は書類から目を離し口を挟んだ。
「問題ないわ。各部署からの申請の審査、承認は私の方でしておくから。決裁までは問題なく進められると思います」
「そういう事が言いたいんじゃないけど……はあ」
雪ノ下の発言に、真鶴は言い返す事なく作業を再開する。相変わらず人前では偽りの顔を貼り付けているが、それでも隠しきれない程彼女も疲労がたまっていた。
雪ノ下が嫌いと言ってたあいつだ、多分雪ノ下に張り合ってあいつに次ぐ量の仕事を持ち帰ってまでしてこなしてるからストレスでも溜まってるのだろう。
小声で「遥もサボってるし。あのバカ殺す、六億回は殺す」とか宣ってるし。身の丈に合う分の仕事してくれりゃそれだけで十分なのに、なにがあいつをそこまで駆り立ててるんだろうな。
各人が作業を再開し、再び静寂が会議室を支配する。この重苦しい空気を嫌ってかめぐり先輩は出席している全員に声をかけて回った。
「ちょっと集まりは悪いけど、ちゃんと来てくれる人もいるし、真鶴さんもお手伝いさんなのに毎日来てくれるし、頑張るしかないね。 頼りにしてるよ!」
「ははは、そりゃどうも……」
俺にもちゃんと声をかけてくれた。それはいいんだが、何故俺の時だけ真鶴の名を出すんだ。俺が気にし過ぎなだけか?
鞄を置き今日の仕事を確認しようとしたら、背後から肩と、横から腕を同時に叩かれた。
背後にはいくつものファイルを抱えた葉山がそこに立っていて、横には少し離れた席に座っていた真鶴が立っていた。
「なあ「ねえ……あっ」」
同時に声掛けて同時に互いの存在に気づくな。なに俺を挟んで少女漫画みたいな事してんだよ、プロぼっちの俺をいたぶるのがそんなに楽しいかよ。八幡泣く。
「ご、ごめん」
「ううんこっちこそ。比企谷に用があったんだよね? 俺のは大した用事でもないしどうぞ」
「んーん、私こそ大した事ないからいいよ。自分でなんとかしてみる」
だから人を挟んでラブコメの波動を放つなって。お前らに板挟みにされて波動直撃してる俺の身にもなってくれよ。両方の波状攻撃をいっぺんに受けて死にかけてるからね?
「真鶴さん、見た所疲れ溜まってるみたいだし無理せず人に頼った方がいいよ。俺はまだ余力あるし」
そういって爽やかアピールをする葉山。言っておくが、お前も疲労がたまってるのがわかるくらいには笑顔がぎこちないぞ。
「……分かった。じゃあ少しの間比企谷借りるね」
俺は物か。というか俺の手を借りるのに葉山の許諾を求めてんじゃねえよ。
「で、比企谷、作業中悪いんだけど少しだけ手を貸して。有志団体のリストのチェック、ちょっと量が多くて一人だと見落としあるかもだから」
「構わんが……それ、葉山の管轄だろ。なら葉山に教えてもらった方が早いんじゃないか。その間手が止まる葉山の分は俺の方で処理すればいいし」
葉山は有志団体の取り纏めを主にやってる筈だ。有志のリストに目を通すってのは詰まる所その取り纏めの延長線上にある。
一度扱った仕事内容なら、葉山も手早く目を通せるもんだと思うのだが。
「ま、まあ確かにそう、だね」
こちらの意図が通じたのか真鶴は俺の指摘を飲んだ。しかしまた不貞腐れたような顔をしてる、なにこいつ葉山のこと嫌いなの? 葉山ざまあ。
「いや、比企谷が手伝ってあげた方がいいんじゃないか。俺は有志団体の取り纏めをしてるだけで逐一その内容をチェックしてるわけじゃないからな」
「っ、だってよ比企谷!」
「お、おう。そうか」
いや別に仕事を手伝ってやるのはいいんだけどね。なんでこんなやり取りでそんなに浮き沈み激しいの?
「あーでも比企谷も自分の仕事あるし、自分がしてもらってばっかだとアレだからこれ終わったらあんたの仕事も手伝うよ」
「気持ちは嬉しいがお前がいるおかげで本来俺に来るべき仕事が三分の二くらいまで減ってるからそれには及ばないぞ」
「ゆーてそんなに減ってないんだね……」
「そもそもの仕事量が多いからな。人員不足ってより、次から次へと外部から舞い込んでくる仕事が一因ってのもあるんだが」
「確かにねー」
そう言ったきり二人で黙々と、横に並んで作業に明け暮れる。と言っても出来上がったリストの紙面に目を通してるだけなのだが。
しかしこいつ、前々から思ってたんだが髪の量多くないか? 長さはそんなに無いんだが、いかんせんボリューミーだからか、横に並ぶと髪の位置が近くてシャンプーの匂い? か分からんが良い匂いするんだが。
これが世に女の子の匂いと形容されるものなのだろうか。確かに甘いな、しかしこんな香りをこいつが出しているだなんて……もっと清廉潔白な美少女が漂わせるならわかるんだが。
「……比企谷、顔近いんだけど」
「えっ、す、すまん!!」
俺とした事が、いつの間にやら女の子の香りに洗脳されていたようだ。恐ろしいな、自然界の摂理が今の数秒間に凝縮されてたわ。カマキリだったら食われてたとまである。ぎゃー。
真鶴の方を見る。彼女は相変わらず紙面に目を通しているが、なんだか心なしか耳や頬が赤くなっているように思えた。おそらく照明が真上にあるからそれが肌に反射してそう見えるだけなんだろうが。
「……ねえ、仕事して」
「はい、ごめんなさい」
よくよく見ると整った横顔をチラ見してたら、不愉快そうな声音で真鶴から注意を受けた。だって俺も男の子なんだもん、仕方ないんだもん!
なんかいつの間にか平塚先生が会議室に来てて雪ノ下やめぐり先輩となにやら会話をしていたが、その内容が頭に入ってこない。ここまで真鶴が近くに居た事がないから、動揺してるのだろうか。
「……比企谷、目悪いの? さっきから手が止まってるけど」
「いや、そんな事は」
「目薬使う?」
そう言って差し出された目薬を見る。
「……いや、俺目薬嫌いだからやめとくわ」
「そ」
あまりにも短い音だけ出して、真鶴は目薬を引っ込めた。
……思ったんだけど、このリストに目を通すって作業、密着する意味なくない? なんで俺ら横に座ってんの?
いや、理屈は分かる。最初の内は一つのPCに映ったエクセルの画面を見て不備がないか確かめていたんだが、そもそもそのエクセルをプリントした紙面を見てたわけだからPC見る必要なくなって申請書類と並べてチェックしてるわけだ。
つまり、最初一緒に一つの画面を見てたから密着してるのであって、この状態は結果論というか。
近いわ。
他人の髪の匂いが鼻腔にダイレクトとか近距離すぎるだろ、人生でもそうない出来事だぞ。
と思ったんだが、そういや俺一度事故でこいつを抱きとめた事があったんだった。あの時に比べたら距離離れてるのか、うん。
というか最近疑問に思ってたんだが、こいつみたいに小柄な女の子がブッカブカに着てるカーディガン。あれさ、なんでジャストのサイズで着ないの? 女子高生って何かとスカート短くするじゃん、それと相まってスカートの布がちょっとしか見えなくてビッチっぽく見えるんだが。
その、なんというか、紙面に目を落としてると視界の端にチラチラと、真鶴の足が見えるわけだ。足というか、太ももというか。いや、太ももなんだが細いというか、本当にこいつ飯食ってんのか? 肌も白いし、なんか血管が透けて」「ねえ!」
ビシッ。突如横の真鶴に肩を入れられた。
何故だか怒った様子の真鶴が小声で、俺に対し非難してくる。
「人の足についてあれこれ考察しないでよ。まじきもいんだけど、クソ谷」
「口に出てたのか……」
「口に出てたのか、じゃなくて。……はあ、もうほんとまじなんなのあんた」
「いや違うんだよ誤解してるぞお前。俺は決してお前なんかに邪な事は考えないし仮に考えてたとしてそれは男として当然の摂理であり」
「こほん」
静かな空間では咳払い一つでさえも人の意識を集めてしまう。
つまり俺らのひそひそ話は周りに筒抜けである。咳払いによって俺の言い訳を遮った主が雪ノ下であると気付きそちらを向くと、いつもより数倍増しの冷たさを秘めた雪ノ下がこちらを睨んでいた。
「……二F担当者。企画申請書類が出ていないのだけれど」
それと会議室での私語は謹んで欲しいのだけれど、という副音声が聞こえた気がした。
それは相模が書いて出すはずの書類なんだが……まああまりにも俺らがうるさいから引き離して静かにする手段としてそれを差し向けたといった所か。そうだな、きっとそうだごめんなさい。
「……わり、書くわ」
「そう。本日中に提出」
あまりにも事務的すぎる言い方をする雪ノ下から書類を受け取る。真鶴の横……に座る必要はない。一言添えて離れる事としよう。
「悪い、俺が協力出来るのはここまでだわ」
「ん、分かった。ありがとね」
さっきまで烈火の如く怒っていたのに、それが嘘のようにアッサリしていた。こいつ切り替え凄まじく早いよなー。
真鶴に話を付け、早速書類を書き始める。……いや、書く内容がぼっちかつ美術2の俺には難易度が高く設定されている。俺一人の力じゃこれは解決出来ないっぽいな。
「葉山……はいないのか」
むぅん。さっき俺に任せてきた仕事を未だにしてるのかと思ったんだが、どうやらそっちは片付けクラスの方に顔を出してるらしい。
仕方ない、クラスに残っている筈の由比ヶ浜にでも頼るか。
俺は用紙をまとめると、会議室を後にした。