比企谷が会議室を出て行ったので一人で書類に目を通していると、比企谷と入れ違いに背後の扉から葉山くんが会議室に入ってくるのが視界に映った。
葉山くんは付箋が沢山挟まったファイルを机に置くと、その中から雪ノ下さんに話しに行った。ホント、よく働く人だな葉山くんは。有志の出し物やクラスでの用事もあるだろうに。
感心してばかりだと仕事が進まない、続きを再開しよう。あー怠い、怠いけど手抜きはカスだしちゃんとやらないと。
「手伝おうか? 真鶴さん」
「えっ?」
なんか葉山くんが話しかけてきたんですけど。びっくりした。
「嬉しいけど、葉山くん自分の分の仕事はいいの?」
「一応ノルマは達成……したかどうかは今審査してるんだけど、結果出るまでは手が空くし何か手伝える事あれば俺も力になるよ」
「まじ? わーありがと! えと、じゃあこっちの束の見直ししてもらっていいかな?」
一応笑顔を作って当たり障りない人格で応対する。葉山くんは葉山くんで、爽やかな笑顔で「分かった」と答えてくれた。
「隣、いいかな?」
「うん、いいよー」
葉山くんが尋ねてきたので明るく返す。彼は、先程まで比企谷が座っていた椅子に腰を下ろした。
またもや男子と二人並んで作業をする。なんか変な気分だ、比企谷は比企谷で、葉山くんは葉山くんで他の男子とは違った気分をさせられる。
「真鶴さんって比企谷と仲良いよね」
不意に、葉山くんが話しかけてきた。
「そう思う?」
「ああ。まさかあの比企谷と普通に話せる女子が他のクラスにいるとは思わなかった」
「そか。まあ確かに、あいつの性格じゃまず第一印象で人にはよく思われないよね」
そう、深く関わってるのならまだしも、あいつの性格はおおよそ人に好かれない。人は他人をちゃんと知ろうとしない生き物なのだから、内面の一番外側が分かりやすく無害でない限りは好印象を抱かないのだ。
「こんな事言うのはどうかと思うけど、私と比企谷は仲良くないと思うよ」
思うよ、じゃなくて仲良くない。
私があいつを拒否ってるんじゃなく、あいつが私の事を嫌ってるから。なんて言い方をすると私もあいつとの関係を拒絶してるのと大差無いのかもしれない。
とにかくあいつは私が嫌いなんだ。当たり前だけど。
「そうかな。俺はそうは思わないけどな」
「その心は?」
「心、か。見たままの感想だけど、仲良くないっていう割には君は比企谷を何かと気にかけて近付いてる……ように思える。それに、比企谷も悪態をついたりする割には君を突き放さず、会話を楽しんでるように見える。あくまで主観的に見てだけどね」
「そっか、そんな風に見えてたんだね」
葉山くんの意見、比企谷の事に関してはよく分からないが私についての部分は外れてはいなかった。
「そうだね、私はあいつに近寄ってる。でもそれはあいつに気に入られたいとか、あいつが好きだからとかじゃないよ。単純に興味があるだけ」
「へえ」
「葉山くんも葉山くんで、何かと比企谷の事を気にしてるようだけど。あいつの事好きなの?」
とおどけて言ってみると、彼は困ったように苦笑しそれとなく否定した。
「い、いや。そんなんじゃないさ。言うなれば君と同じで、俺もあいつに興味があるんだ。いや、見張ってると言ったほうが正しいのかな」
「見張ってる……」
普段ぼっちを自称する、つまり他者に干渉する事など本来は無いであろう比企谷を見張る必要などあるのだろうか。
あいつが何かの危険因子になり得る、そんな風には私には思えなかった。少なくとも、自分から近付かない限りあいつは無害だ。いた所でいないのと変わらない、そんな存在の筈だ。
まあでもあいつ本人は他人との関係を切り離してる分確かに計算外の事を当然のようにしでかすから意外性があるのは確かだ。
あの時も……私が興味を抱くきっかけになった事件の時もあいつの思考は全く読めなかったし。
「良ければなんだけど、比企谷に興味を抱いたきっかけとか、どんな風に出会ったとか聞いてもいいかな」
「えーなにそれ。他人の人間関係聞き出すとか葉山くんちょっとだけキモいよ? わら」
「……君が比企谷と話すと、雪ノ下さんや結衣が困ったような顔をする。まあ教室に来た時も、結衣は君を警戒し、優美子を使ってまでして君を追い返した。そんな場面を見せられると、何があったか気にもなるさ」
そう語る葉山くんの目は、まるで私を視察するかのように鋭くなっていた。
だから素直に答えてやった。
「中学の頃のともだ……違うな。中学の頃のただの同級生だよ」
「友達、とは言わないんだね」
「言ったらあいつは嫌がるだろうからね」
「ははっ、流石の比企谷でも女子からの友達呼びを拒絶したりは」「そういう事じゃないんだ」
彼の言葉を遮る。
「私はあいつを一度拒絶したんだよ。それこそ最低な形で。あの頃のあいつは目障りだったから」
「……」
私の告白に、葉山くんは目の色を変える。先程までの観察の目ではなく、それは相手に敵意に似た何かの目。なんだこの人、比企谷のセコムか。
「でも、再会してから私はあいつに助けられた。いや、助けてって言ったのは私だしあいつの意思なんか一切無視してそうさせたのも私なんだけど、あいつは私の思い通りには動かず、自分だけリスクを背負うやり方で私を助けたんだ」
「あいつがそんな事を……」
「うん。だから興味が湧いたんだよ」
書類に目を通したままだが、意識は完全に横にいる葉山くんに向いていた。
比企谷と一緒にいると変な感じがするのは当たり前だ、一緒にいるはずじゃない相手なのだから。
でもこの人と一緒にいて変に思うのは、きっと私はこの人と似てるからなんだと思う。
私は私が嫌いだ。雪ノ下さんみたいなタイプも分かりやすく嫌いだが、一番嫌いなのは自分みたいな他人なんだと思う。
丁度横に座ってる、葉山くんみたいな人とか。
「……葉山くんは、興味無い人にも愛想良く接せれて、自分の居心地の良い空間を守ろうとしてる。それで、その空間を崩しかねないと思ってる要素を恐れ、見張ってる。思ったんだけど、私と葉山くんって似てるのかもね」
「そうかな」
「そうだよ。だって、多分だけど葉山くんもさ、比企谷とは友達になれないと思ってるでしょ?」
「……だね」
「ほら。そういう所が似てるんだよ、私達」
「失礼しまーす」
話してる最中に比企谷が会議室に戻ってきた。その背後にはあいつのクラスメートで奉仕部の仲間でもある由比ヶ浜さんがいた。
比企谷が帰ってくると同時に、葉山くんは「これ、終わらせといたからね」と言って席を離れた。
戻ってきた比企谷と由比ヶ浜さんは企画書類の作成に着手していたが、由比ヶ浜さんの指示は擬音が多くアバウトでそれに対し比企谷が困り果てている。
由比ヶ浜さんが真面目そのものな態度で仕事している為か、心なしか会議室のピリついた、焦燥に駆られた雰囲気を払拭させていた。今までにない穏やかな時間が会議室に流れている。
「遅れてごめんなさーい! あ、葉山くんこっちいたんだ!」
その空気を引き裂くように、ガラガラガラッと扉を開けた相模さんが能天気な声でそう言った。
後ろにはゆっこと遥もいる。あいつら、なに平然としてんの? と睨むと、遥は私の視線に気付いたようで慌てて顔の前で両手を合わせた。問答無用、殺す。
「相模さん、ここに決裁印を。書類上の審査は問題ないと思うわ。不備についても……」
葉山くんに歩み寄ろうとした相模さんの前に雪ノ下さんが立ちはだかった。彼女の仕事話に相模さんはしばし無表情で見つめ、すぐに笑顔を取り繕って周りに良い子アピールして書類を受け取った。
ろくに確認せずにハンコを押すだけの赤ちゃんにも出来る作業。それを受け取り再度確認しファイリングしていく雪ノ下さん。これ、相模さんのいる意味はあるのだろうか。
ろくに仕事せず、確認もせず、単純作業のみこなし、その確認すら他人に任せる。本来部外者である葉山くん、それに由比ヶ浜さんは、その適当な処理の仕方に思う所があるといった雰囲気を醸していた。勿論私も。
ふと、微笑を湛えた葉山くんが相模さんに話しかけた。
「お疲れ、相模さんはクラスの方行ってたの?」
「うん、そうそう!」
「そっか。調子はどう?」
「じゅんちょーに進んでるかな」
それまで機械的に作業していた相模さんが手を止め、ぶりっ子全開な様子で葉山くんの方を向いた。
「ああ、そうじゃなくてさ。文実のほう。クラスの方は優美子がちゃんとやってるみたいだからさ」
わっ、怖い怖い。葉山くん、明確に毒を噴射したよ今。明らかに文実サボってる事に対しての確認を取ってんじゃんやば。
「あー、三浦さん、いつもと違って超元気だよねー、頼りになるっていうか」
何言ってんのあの人。言葉の真意を掴めなかったの、それとも話を逸らしてるの? どちらにせよ葉山くんの神経を逆撫でしてるけど。
それからしばらく葉山くんと相模さんの応酬は続いた。葉山くんは遠回しに相模さんの責任追及をし、相模さんはそれをのらりくらりと躱し話を逸らす。正直、仕事しながら聞いてて気持ちのいい物じゃなかった。
しばらくしてから比企谷達が書類を書き終えたようで、それを雪ノ下さんに渡し決裁印を押すという無意味な行程に移った。雪ノ下さん、一度それをそのままファイリングしようとしてたし、そんな細かなミスをするくらいあの人も疲労が溜まってるようだ。
「相模さん。ここに印を」
相模さんはそれまでしていたおしゃべりを止めて書類を受け取る。
「あ、はーい。てか、うちのハンコ渡しておくから押しちゃっていいよ?」
それは、最早ハンコを押すという簡単かつ重要な委員長としての仕事さえも放棄し友達と話したいという、身勝手な願望からくる提案だった。
見かねた城廻先輩が苦言を呈する。
「相模さん、それはちょっとよくないよ」
「えー? でも効率よくないじゃないですか。大事なのは形式じゃなくて仲間だと思うんですよねー。ほら、委任っていうんですか?」
……なにそれむかつく。
そりゃ、ロクに見もしない相模さんの決裁を待つより雪ノ下さんに任せる方が効率はいいのかもしれない。でも、それすら放棄するんだったら相模さん、委員長である資格ないと思うんですけど。
「雪ノ下さんがよければ、いいけど……」
城廻先輩がそう言う。でもそんなの、むかつく。
「確かにそっちのが効率いいけど、じゃあ南ちゃんはこの文実で何をしてくれるわけ?」
むかつくからつい、頭より先に口が出てしまった。
そこで初めて、相模さんは私の存在に気付いた。
「え、弓弦ちゃん? なんでここにいるの?」
「人が足らないって聞いたから助っ人」
「そ、そうなんだ。ありがとねー」
「……」
それでも能天気に、相模さんは私に感謝などを伝えてきた。
そこから私は追加で攻撃を仕掛ける事はしなかった。相模さんにそんな事を聞いても、どうせ中々答えは出してこないだろうし。小さい声で曖昧に何か言われてもイライラが増すだけだろうから回答は求めなかった。
「はい、雪ノ下さん。リストのチェックは一通り終わったから」
「分かったわ」
雪ノ下さんにさっさと書類を渡し、その日は皆より早く帰った。まだ家で処理する書類は沢山あるし、こんな所で問答するつもりはなかった。
それに、きっと余裕がなくなった私はすぐに苛立ちが顔と態度に出てしまうと思った。
正直あの場で、皆みたいにいつまでも我慢を続けられる自信はなかったし、こうして一人で帰る事がこの場合正しかったんだと思った。