文化祭のスローガンにいちゃもんが付き、臨時で新たなスローガンを決める会議が開かれる事となった。
途中雪ノ下が体調を崩し欠席するという事態が発生し一時は文実の進みが滞るかと思ったが、その遅れはめぐり先輩や執行部の面々、その時来ていた文実の精鋭達による尽力で微々たる物となった。
しかし、仕事量は増える一方でやはり文実内の秩序は均衡を失いつつある。文化祭のスローガン決めの会議に、文実委員ではない陽乃さんや葉山、真鶴が出席しているのがそれを証明していた。
会議は一向に始まらず、会議室内は雑談の喧騒で溢れかえっていた。場を諌める役職であるはずの相模が筆頭となって友達とくっちゃべってる以上、今の形に疑問を抱く者はいないのだろう。バカチンどもが。
「……」
隣に座る葉山が何か言いたげな視線で相模を見ている。相模の方はその視線に気付きチラチラとそちらを見ているのだが、意図は汲み取れずにいた。陽乃さんは平塚先生と何かを話し合っており、真鶴は俺の前の列の左端で友達の話に適当に相槌を打ちながら携帯をいじっている。
この場で意見を言えそうな面子がこぞってこのザマだ。雪ノ下も疲弊しきっててボーッとしてるし。全体的にモチベーションが著しく低い状態というのが、俯瞰して見て取れる構図だった。
「相模さん、雪ノ下さん。みんな揃ったけど」
見兼ねためぐり先輩が相模に声を掛けると、相模はおしゃべりを中断し雪ノ下の方を見た。
それに合わせ周りの視線も雪ノ下に集まった。雪ノ下はそれでもボーッと議事録を見つめていて、周りのことなど目に映ってないようだった。
「雪ノ下さん?」
「え……?」
相模に声をかけられて、雪ノ下がはっと顔を上げ状況把握を始める。
雪ノ下は気を張ったように表情を変える。
「それでは委員会を始めます」
かくして、文化祭のスローガン決めの会議がようやく開始した。俺が校長先生ならみんなが黙るまでの時間を計測して伝えてやりたい気分だった。
文化祭のスローガン。始めはそのアイデアを挙手制で募っていたが、協調性も積極性も欠いた今のこのメンバーでは有用な意見など出やしなかった。そんな中、葉山が挙手をし提示した『紙に書いてアイデアを募り後で説明してもらう』という形式を取る事となった。
この方法なら表に出ない“根は真面目な奴”みたいな連中も臆せずアイデアを出すことができる。葉山らしい無難な案だ、とてもいいと思う。俺は勿論何も書かない、人の心を動かすような素敵なスローガンなど一生かけても思いつかないからな。
紙が回収され、スローガンが記入されているものがホワイトボードに一つ一つ板書されていく。
・友情・努力・勝利
ありがちだが、まあそんな感じのスローガンが多い。こういう場では最早あるあるだ。
『八紘一宇』
確かに何かを作り上げる場であればそれなりに相応しい言葉だと思うが思想が強すぎる。これ、如何にも書きそうな奴に心当たりあるな……。
『ONE FOR ALL』
これもありがちな奴だ。1人はみんなのために、の横文字版。イケイケな小学生がそのまま成長したような連中が好みそうな。
「ああいうの、ちょっといいよな」
と葉山が言い出した。そうそう、お前みたいな奴は好きそうだよな、こういうの。
そうか? と鼻息で返事してやる。すると葉山は肩を竦めてわざわざ俺にだけ聞こえるようなトーンで話しかけてきた。
「一人はみんなのために。俺は結構好きなんだ、ああいうの」
「なんだ、そんなことか。簡単だろ」
そう言ってやると葉山が「えっ?」と声をあげた。こういう誰かが誰かを、といった内容の言葉を良い意味で捉えてるからこそ、その実現を人は難しい物だと、理想論だと語る。
実現は至って簡単なのだ。
「一人に傷を負わせてそいつを排除する。……一人はみんなのために。よくやってることだろ」
お前達の現状がそうだ、という旨の視線を送るつもりで会議室を見渡そうとした。視界の端に、苦虫を噛み潰したかのような顔で俯く真鶴が居た。……ああ、あいつにとっては耳が痛い言葉だったか。
「比企谷……、お前」
隣の葉山にも鋭い視線を向けられ、周囲の意識もほんの数秒こちらに集中する。
良からぬ注目を浴びる中、書記に当てていた友達と何か相談していた相模が立ち上がる事で全員の意識がそちらへ向いた。
「じゃあ、最後。うちらのほうから『絆 〜ともに助け合う文化祭〜』っていうのも……」
「なにそれ寒い」
相模が意気揚々と自分達で考えたスローガンを板書しようとしたら、俺の座る席の左斜め前方、二Dの連中がこぞって座るエリアからヤジが飛んだ。
ヤジの主は真鶴だった。
周囲がざわつく。外面だけは良くする、誰に対しても当たり障りなく丁度良い関係を作るのが得意な真鶴が途端に場をかき乱すような事を言ったのだ。
俺からしたら自然な発言も、周りからしたら全くのキャラ違いなのだろう。
「え、と……寒いってのは」
「んー? んー……いや、ごめん空調効き過ぎだなーって思って」
若干眉をヒクつかせた相模に真意を問われると真鶴はいつものように作り上げた真鶴スマイルで全く関係のない言葉を打ち返した。
「でもそれに関しては一考の余地あるんじゃない? 文実全体の出席率はそんな良くないしその分一部の仕事量に偏りが出てるしさ。そこら辺にバラツキがある以上、これから結束してかないと『絆』って単語に納得を示さない人もいるかもじゃない?」
そしてすぐさま相模が何かを言い返す暇も与えずに、真鶴は笑顔のまま“提案”という形で相模のアイデアに問題があるとやんわりと指摘する。
「……確かにそうかもね。ありがと、弓弦ちゃん」
「いえいえ」
真鶴の変化球すぎる否定を前向きに捉えた相模が僅かに目を伏せながらも安堵したかのように感謝を伝える。だがそのやり方じゃ、貧乏くじを引いた連中の不平不満はちっとも解消されないし相模に今までの惨状を伝える事も出来ない。
真鶴の曖昧なやり方は結局何も変えられない。やらないのと同じ。それに比べ俺は性格が悪い分、言いたい事は言ってやりたい性分なのである。
「俺からもひとついいか?」
「……うん、いいよ。どうぞ」
お行儀良く挙手をすると相模は一瞬訝しげな顔をしながらも発言の許可を下した。
「紙には書かなかったんだが、『人 〜よく見たら片方楽してる文化祭〜』とかどうだろう? 今の文実を鑑みるとしっくりくると思うんだが」
……そして訪れる静寂。
俺の発言はこの場に核爆弾を落としたようだ。相模もめぐり先輩も葉山も真鶴も、誰一人として何も言わない。ただ俺を見て、俺の発言を聞いて固まっていた。
雪ノ下でさえ開いた口が塞がらないといった感じで、呆れに近い無表情で俺を見ている。
「あっはははははっ! 何、なのこの空間! バカだ、バカが二人もっ! あははっ、ひ、ひぃ〜! あー。ダメだお腹痛い」
そんな中ただ一人だけ、陽乃さんだけが大爆笑をかました。平塚先生はそれに対になるような睨み顔で、俺に発言の意図の説明を求める。
「えー、人という字は人と人とが支え合って、とか言ってますけど、片方寄りかかってんじゃないっすか。誰か犠牲になる事を容認してるのが『人』って概念だと思うんですよね。だから、この文化祭に、文実に、ふさわしいかな〜と」
「犠牲、というのは具体的に何を指す」
「俺とか超犠牲でしょ。アホみたいに仕事させられるし、ていうか人の仕事押し付けられてるし。それともこれが委員長言うところの『ともに助け合う』ってことなんですかね。助け合ったことがないんで俺はよく知らないんですけど」
そう言ってのけると全員の視線が相模に集中した。相模はわなわなと震えている、それに対し周りは口々に囁き声で文句なりなんなりを伝搬させていく。
おかしいな、真鶴が言った皮肉を馬鹿にも分かりやすく言い直しただけなのにな。みんな鈍感すぎやしないかい?
「比企谷……」
不意に傍の方から名前を呼ばれた気がした。見ると、やはり真鶴がこちらを見ていて、しかし俺が目を向けるとすぐにフイッと顔を逸らした。
真鶴はまるでつまんなそうな、不機嫌そうな態度をあからさまに取りながらも周りの連中同様、雪ノ下の方を見つめて俺の戯言に対する裁断を待った。
「比企谷くん」
不特定多数の視線を受けた雪ノ下は少しだけ議事録で顔を隠し方を震わせていたが、すぐに短い吐息を吐いてモードを切り替えると顔を上げて俺の名を呼んだ。
その表情はとても暖かく、可憐で、穏やかな少女のような笑顔で染まっていた。
「却っ下」
ですよねー。
俺のアイデアが却下され、本日の会議にはこれにて終了。スローガンは今日出た案を元に明日決定する事となり、更に重ねて雪ノ下の「以降の作業については全員全日参加にすれば、この遅れも充分取り戻せる」という言葉によりこの場にいる全員が強制出席を承諾させられた。
雪ノ下一人の発言でもこの状況を作るのは可能だったろうが、そこは真鶴の「これから結束してかないと」ってセリフが出たからだろうか、雪ノ下の判断に嫌そうな顔をする奴はいなかった。
ただ、皆が俺の傍を通るとき、こちらに向けられる視線がチクリと痛かった。小声で俺を非難するような人までいる。
文実メンバーがあらかた去って残されたいつもの執行部の面々。その中で一人、浮かない顔をしていためぐり先輩がそっと俺の近くまで来た。
「残念だな……。真面目な子だと思ってたよ……」
そう、めぐり先輩は悲しそうに呟いた。
真面目な子だと思われる、それは文実メンバー内でも全日参加しあれだけの仕事量をこなしてたからこその信頼による対価みたいなもんだ。俺の意思と関係なく勝手にそうレッテルを貼られ、こうしてボロを出して失望させてしまう。
後悔と共にため息が溢れる。だから嫌だったんだ、と悔いながらも気合を入れて立ち上がると真鶴が前を通った。
「あんたさ、なんでああいう事言うわけ?」
「俺がそうしたかったからだが」
「なにそれ。呆れる、そういう所だって。比企谷の怠い所」
「なんなんだよお前……空気を読まずに雰囲気を悪化させた事を非難してるのか」
「それもある。わざわざあんな言い方して場をかき乱して。だから今回も比企谷が敵視されてる。それでいいわけ?」
真鶴は俺を睨むでも無く、ただただ、悲しいような困ったような顔で、俺の顔を責めるように見つめている。
「……俺みたいな奴があんな言い方をするから伝わるんだろうが。ろくな会話をしてこなかった奴が如何に真意を分かりやすく伝えるか、そこに特化した最良の方法だった。ならそれでよかったって言えるだろ」
ただ思った通りの文章を口に出す。
「重要な事が伝わってないじゃん。めぐり先輩、あんたの事単に不真面目な奴って思ってる。ちゃんと働いて周りの事考えてるのに、自分が楽したいだけの奴って思ってるんだよ?」
噛みしめるようなトーンで、ゆっくりと苦しげに真鶴は言う。
「そこは勘定に入ってないからな。俺が伝えたかったのは必要な事だけ。サボってた奴らに対してサボってる事と、それの割りを食ってる奴がいる事を伝えるのが優先事項だ。それ以外の事でどう思われようが関係ないし、悪印象を抱かれたのならそれはもう拭えない一つの解でしかない」
「……そ。やっぱり分かんないわ、あんたの事」
そう言って、真鶴も会議室から去って行った。
悪しく思えたのならそれでも構わない。それで十全に事が運ぶのなら安い物だ。
結局あの場にいた大多数が俺とは無縁の赤の他人なのだから、わずかな繋がりがある『今』に重点を置き仕事をしてもらって俺の負担を減らせればそれでいい。俺の事をどう思おうが、自分がしてきた事に負い目を感じてその分仕事をしてくれればそれで成功への近道になるし効率的にも良い筈だ。
その後どう思われようが知ったこっちゃない、こっちは仕事でやってんだ。少しでも楽をする方法を模索してなにが悪い。
俺も会議室を出ようとドアの方は歩み寄ると、雪ノ下がそこに立っているのが見えた。
俺は言われるセリフを脳内でシミュレートし、それに対する返答を用意して彼女の視界の内側まで歩みを進めた。