翌日。
問題です。過剰なストレスを短時間で受けた場合、1日経ってそれが回復する事はあるでしょうか。答えはノーだクソ怠い。
登校して早々、学校の喧騒と教室前のたむろと葉山グループの中身のない拡声器トークで精神に追い打ちを受けて俺は死の淵を机の上で行き来していた。
だー、なんもやる気起きねえ。駄目だ、小町セラピーが通じねえ相手がいるなんて思わなかった。チラつくんだよなあ、あの不快な笑顔が。
「八幡、おはよ」
? なんだい今の耽美な音色は? 天使のラッパ? 天界の鐘? 俺の目の前には何が現れたって言うんだろう?
「あ……戸塚……戸塚? ……戸塚ぁぁ」
なんだ、エンジェルがいたのか。びっくりした。
「わああ八幡!? どうしたの急に抱きついてきて!」
「戸塚ぁ、頭を撫でて、くれないか」
「えぇ!? ……ぼ、ぼくで、いいの?」
「お前じゃなきゃ駄目なの」
「わかった……じゃあ」
あ、戸塚のおててが僕の頭部を優しく撫でている。あー、頼んだらやってくれるだなんて、戸塚は本当に天使だなあ。
「え……ヒッキーとさいちゃん、何してるの?」
その声で現実に戻された。腕枕から片目だけ外界を覗かせると、俺の顔を見て「こいつ頭大丈夫か?」とでも言いたげな由比ヶ浜の姿と、その後方でヤバい奴を見る目で俺を凝視している葉山グループの面々が映った。
「ヒキタニくん、っべーしょ! なんか様子おかしいべ?」
そうだな、様子おかしいな。戸部、お前声デカすぎ。離れてて一番鮮明に聞こえるのはお前の声なんだ、ボリューム落とせ。
「ヒッキー、昨日の事引きずってるの?」
「引きずってるとか言うな、俺は微塵も気にしちゃいない。あんなの日常茶飯事だ」
「日常茶飯事だったら今こんなにゲンナリしてるわけなくない? 明らかにいつもより目がヤバイよ?」
「そんな事ない。なんだかんだ戸塚のおかげでメンタルの大部分が修復した。ありがとな、戸塚」
「よく分からないけど、八幡が喜んでくれるならそれでいい、かな!」
天使だなあ〜。
という一時的な平和を手にした日の昼。奴は再びやってきた。
「あのー、比企谷くんっていますか?」
助けて誰か、あの女だ。
いや、俺に友人と呼べる存在なんていないしクラス内で俺を知る人物なんてそんないないしいたとしても由比ヶ浜か戸塚か
「ヒキタニくん? ヒキタニくんならあそこの席だべ」
戸部エェェェェェェ!!! 何でよりによってお前が出てくるんだ戸部ェェ!! せめて比企谷? 誰? って反応示せよお前の中での俺はヒキタニなんだろおおおおおお!!?
くそっ、めんどくさい。このまま寝たフリを続けるか、そうだそうしよう。何を言われても、何をされても、俺は一貫して寝たフリだ。クソッ、教室出るタイミング逃したから今日は断食か……!
あれ、なんか俺今テンション高いな。何でだ? 疲れの蓄積と中途半端に睡眠取ったからか? そのおかげで変なテンションの高さと手の震えが止まらなくなってるのか? まるでヤク中だな。
「比企谷」
来た……っ!
「寝てんの? ……寝たふり?」
無反応、無反応、無反応。
「……うざ。無視すんなっての」
ゲシッ。足を蹴られた。こいつ、しかも周りから見えないよう壁際の足で蹴りやがった。
「……ねえ、昨日なんで帰ったの? まじであり得ないんだけど」
真鶴が急接近し、耳打ちでそう俺に向けて呟く。すごいな、女の子に耳打ちされて恐怖って抱けるものなんだ。
「……え、まじで寝てる?」
半信半疑なのか、真鶴は俺の両脇に手を突っ込み指でこしょぐりあげてきた。
「うっ!? うひゃひゃはっひゃぺぷひょっ!!? ……あ、」
思った以上のこしょばくて奇声を上げてしまった。周囲の注目を集めてしまっている。
「おはよ、比企谷」
こいつ何を笑顔で挨拶したんじゃボケ。しかもまた偽物の笑顔で、その顔を見ると胸糞悪くなるから二度と向けないでほしい。
「……何しに来たんだよ、お前」
「んー、むかついたからやり返しに来た」
「やり返しにって……別のクラスにまで来て何をしでかすつもりなんだよ」
「冗談だよ、流石にこんな目立つ所で変な事はしない。……でも、昨日のアレはうざかったの本当。私これでも比企谷来るまで1時間くらい外で退屈してたんだけど」
「はあ? ……んな事言われても知らねえよ」
「私が比企谷に嫌われてるのは知ってるけど、結構ガチで今ストーカー怖いんだからね? これでも必死にあんたに縋ってるつもりなんだけど」
「……別の奴に頼めよ。いるだろ、友達なんか沢山」
「だーかーら、部活あるからクラスの人らとは時間合わないし同じ方向の奴なんてあの時間まで残ってんの比企谷くらいなんだって」
「……」
迷惑だなあ、ただただ。消去法で頼られても困る、せめてちゃんとした理由を提示してくれないと。
「ねえ比企谷、どうしたらあんたは私を助けてくれんの?」
はあ? 何言ってんのこいつ、俺は誰も助けねえよ。戸塚と小町以外。
そもそも前提として過去を忘れ去ってるかのようにお気楽なコミュニケーションを図って来ているが、加害者にとっては些細な事も被害者にとっては一生の傷になるんだよ。そう心のノートに書いてあっただろ、知らんけど。
「……あの、仮に私がお願いって形で比企谷を頼ったら、一緒に帰ってくれる?」
突然そう言い出すと、真鶴は身を乗り出し上目遣いで懇願して来た。
こいつも一応世間でいう美少女に区分されるくらいには顔は整っている。だから仮にこいつ以外にこれをされたら流石の八幡ハートもメトロノームばりに揺れまくるとは思うが、生憎こいつの『媚び顔』は中学の時に散々見ている。むしろ怖いと思えるまである。
だから、そんな媚び媚びな顔をされても一切揺らがないし何の感想も抱かない。
「知るか。そんな仮面で頼み込んでくる内は絶対お前と帰ってなんかやんない。お前も知ってる通り、俺はお前が嫌いなんだ」
「……は? 何お前、いきなりしゃしゃるじゃん?」
しまった、精神の成長と疲れと慣れからついこいつの扱い方を誤ってしまった。
先程は変な事はしないと言っていたが、前言撤回と言わんばかりに不機嫌そうな顔をしている。声も段々とボリューム上がってってるし、これは爆発するのも時間の問題だ。
「ヒッキー、真鶴さん、何話してるの?」
「由比ヶ浜、と……
爆発寸前といったタイミングで助け舟が出た。由比ヶ浜と、何故かその横に三浦がいる。三浦は腰に手を当て、これまた不機嫌そうな、というか威圧するような表情で真鶴を見下している。
「ひゃっ!? え、な、なに? え、だれ?」
先程までキレかけていた真鶴も、ガチの威圧モードに入った三浦を見て恐れを抱いたようだ。
「あーし、今機嫌悪いんだけどさー。ヒキオに飲み物買ってもらおうと思ったら変な女いるんだけど。あんた誰?」
「へっ? あ、私は、その、比企谷の、同中の、」
「ふーんそう。興味ないわ、どっか行ってくれる?」
「え、で、でも、」
「でもなに? あーしもう喉カラカラなんですけど? じゃあ代わりになんか買って来てくれんの? じゃああーしヨーグルッペな?」
「ヨ、ヨーグルッペ? って、なん、」
「……」
「買って、きます」
三浦に無言で凄まれた真鶴は涙目になりながら退散して行った。
「ふぅ、ありがとー
「よく分からないけど気にすんなし」
由比ヶ浜に感謝された三浦は葉山グループの輪の中に戻って行った。由比ヶ浜は俺の脇に残り、怪訝そうな目で俺を見てくる。
「大丈夫? ヒッキー」
「なにが」
「さっきのだよ。あの人、またなんか嫌な事言って来たんじゃない?」
「さあな。俺からしたらあいつは存在自体嫌だし何を言ったところで不快だ。だから助け舟を出したお前の判断には感謝してる。サンキューな」
「……ヒッキー、昔あの人と何があったの?」
「……多分いつか話したぞ。八幡の黒歴史公開の下りで。まあ俺が黒歴史としてストックしてる失敗談の、最後の項があいつってだけの話だ」
「そうなんだ。あの人、可愛いのにね」
「見た目だけな。中身は誰よりも、引き合いに出すならお前らよりも醜いよ」
「ア、アタシらは別に醜くないし! そーゆー捻くれた見方でしか物事を測れないヒッキーの方がよっぽどだし!!」
「事実を言うな事実を。泣いちゃうだろ」
「あっ、ごめん! そんなつもりじゃ」
素直すぎるだろ由比ヶ浜。真鶴に会った後の清涼剤に一番なるの、意外とこいつかもしれない。良い意味で気が抜けるからな。
「あ、そうだヒッキー。今日アタシ優美子達と遊びに行くからゆきのんに伝えておいてくれない?」
「構わんが」
「ありがとー! 今度ゆきのんとヒッキーも一緒に3人でどこか遊びに行こうね!」
「それはいいや」
「ひどい!!」
などと平和なやり取りをしながら、俺は少し先の未来に対する不安を馳せていた。
また帰り、真鶴に待ち伏せされてたらどうしよう。いや、流石にヨーグルッペ買いに行ったから今日中には帰ってこないか。ヨーグルッペってなんだ。