「おつかれ、比企谷」
中学時代の因縁の相手、真鶴弓弦と再会してから五日目の事。ファーストコンタクトの日から数えて金曜日の今日、またしても真鶴に帰り際に声を掛けられた。
真鶴の問題はもう解決したと言ってもいいはずだ。
平塚先生によると一昨日警察からそのストーカー先輩の元に注意勧告が出されたと聞く。まあ実害は受けてないからそれ以上の介入は出来なかったらしいが、それでも平塚先生曰く先輩とやらは素直にそれを聞き入れ反省しているらしい。
それが1日置いて今日、もう二度と見ないだろうと思っていた小憎たらしい真鶴が、駐輪場で俺を待ち伏せていた。
「その顔やめてよ。怖いって」
生まれて初めてこいつに怖がられた。定石だ。だがそれくらい今の俺は純粋にこいつに苛ついているらしい。
自覚が無いから無意識に手を出してしまいそうで怖いな……。
「何してんの、嫌がらせかよ」
「そんなしょーもない事するわけないじゃん。ただ一緒に帰ろって待ってただけだし」
「嫌がらせじゃねえかふざけんな」
「えー、あんまし酷い事言うとまた泣くよ?」
「知るか。お前なんかの涙に踊らされる程生半可なぼっちじゃないんだよこっちは。泣きたきゃ泣け、俺は帰る」
「とりあえず話くらいは聞いてよ」
言いながら、真鶴は俺の腕をガシッと掴んで来た。慌てて払いバックステップで距離を取ると、真鶴はその仕草に不機嫌そうな表情を浮かべた。
「うざ……。一つ頼みがあるんだけど、聞いてくれないかな。比企g「嫌d「うっさい」
食い気味に否定の言葉を出したら食い気味にその言葉を否定された。
そして真鶴は、近くにあった自転車のサドルに鞄を置いて中から少し高そうなチョコ菓子の箱を出した。
「食べる?」
「いらん」
「なんで? 嫌いな相手からお菓子を貰うのが嫌だから?」
「そりゃあ……」
そうですよ、と肯定する。多分最後らへんは声が尻すぼみになって相手に聞こえたかどうか分からないんだが、俺の反応を見て真鶴は「そういう事なんだよ」と言いながら鞄に戻した。
「これ、例の先輩から貰ったんだ。『これでどうか許してもらえないかな? 友達からまたやり直したいんだ』って言われながら渡された」
「うわぁ……」
「これは私の憶測でしかないんだけど、なんだかんだ先輩まだ諦めてない感じしない?」
その憶測はまあ当たりだろうな。意中の相手にストーカー認定をされ、警察に頼られた上に警告されて、その上でまだ関係を持続させたいだなんて常人なら思わないはずだ。
実質的なデメリット、通報やその他諸々のリスクに比べると関係を続けていくメリットが少ない。一度猜疑心を持たれた相手に心の許しを得るのなんてよっぽど不可能なのは誰だって分かるはずだ。それなのに諦めず近寄ってくるという事は、自分をストーカーだと認めたフリをした上で大丈夫なラインを伺うつもりなのだ。
先輩には真鶴から離れようという意志は全くなく、むしろ今まで以上に厳かに綿密に接近する事だろう。
「で? だからなんだよ」
「私の彼氏役をやって欲しいんだけど」
「グフォッ!?」
どうせ帰宅時のボディーガードを頼まれる程度だろうと思っていたら予想外のブローが突き刺さって思わず吹き出してしまった。
「……何、その反応」
「いや何もかもがあり得ないだろ。よりによって俺にする頼みじゃなくねえかそれ」
「なんで? 同中で帰り道近所だし一番私にとって都合が良いの比企谷じゃん。私はただ単に先輩に対して牽制したいだけなの」
「お前が昔しでかした事と、俺がお前をどう思ってるのかという事と、俺がお前と行動するとどんだけストレスを抱えるかという事を念頭に入れて考え直せ」
「やだ、私が比企谷のストレスとか知るわけないじゃん」
こいつ殺してやろうか?
いかん、あまりの衝撃発言につい手が出てしまいそうになってしまった。抑えろ、真鶴なんかに手を出したら例えデコピンでも次の日には学校一の嫌われ者になってる可能性が大いにある。ただでさえぼっちなのに『いたいけな少女に暴力を振るう不良野郎』なんて不名誉な肩書きを加えられたら三年になってからの進路にも影響してしまう可能性大だ。
かと言って飲み込められない要望だ。こいつ何も分かってないし何も変わってない、昔のまま。そりゃ人は簡単に変われるものではないと俺自身定義してはいるが、ここまで等身大の『トラウマを与えた真鶴弓弦』に「彼氏役をやって欲しい」だなんて言われるとは思わなかった。なんの反省も罪悪感もないんだな……。
「……ふざけんな。その話には乗らない、いい加減お前は俺を馬鹿にしすぎなんだよ」
「えー、私が先輩にめちゃくちゃに犯されて殺されてもいいの?」
「……知らん」
「は? ひど、そこはどもれよクソ谷。まじ空気読めないわあんた」
俺の一言に不機嫌がピークに達した真鶴は俺のシャツの襟を掴むと強引に顔を引き耳打ちする。
「……昔の比企谷がした事とか、ぜーんぶ学校中にばら撒いてもいいんだけど。私の影響力って結構凄いんだよ、比企谷もそれくらいは分かってるよね?」
「……外道女」
まさかの急展開、俺のありとあらゆる黒歴史が人質にされてしまった。
プロぼっちを謳う俺だが流石に過去のあれこれを学校中にばら撒かれて変な噂を立てられ奇異の視線で見られ、ついでに面白おかしく名前や逸話を織り交ぜたジョークネタの定番にされ総武高の笑いのネタのフリー素材にされてしまう未来を想像すると、それは脅しの材料としては十分だった。
「で、どうする? 私のお願い、聞いてくれるのかくれないのか」
「お願いだと? 恐喝の間違いだろ、人の弱みに付け込んで無理やり要望を呑ませようとするのは。言っとくが、お前のしてる事は恐喝罪に適用されるんだぞ」
「だから? 恐喝罪とか知らないし、それって捕まるの? もし捕まるってんで通報とかされたら先にみんなに言いふらすからいいよ。したら私が捕まった後それも噂に加味されて余計厄介な事になると、私は思うけどなあー」
「この……」
やばい、八幡ここ近年で一番腹立ってる。葉山を相手にした時なんかよりやっぱど苛つくんだけど、戸部達自称ウェーイ系(笑)も霞んでしまうほどこいつの事許容出来ないんだけど。
というかこいつ、この前ガチ泣きした際に俺に謝罪してなかったか? お願いと一緒くたになってて誠意がこもった物ではなかったが、それでも自分のしでかした事に対し自覚してるような言動をこいつしてたよな。それが何、ここに来てふりだしに戻ってるんだけど?
「……彼氏役は無理だ。お前の彼氏とか死んでもなりたくない」
「それはこっちも願い下げなんですけど」
こっちから断ってんだからそれに重ねてくんなよ、一々俺の心を抉って来やがるなこいつ。つか一度告白して振られてその上ネタにされた相手に対しまた好きになるわけねーだろ。
「役だって言ってんじゃん。何ガチになってんの?」
「役でも無理だ、お前と近距離でイチャコラするなら死んだ方がマシ」
「はあ? …………そんなに私ブスじゃないと思うんだけど」
「見かけの話じゃないから。中身が生理的に無理なんだよ。だから彼氏役は無理。絶対無理」
「……あそ」
心の内を素直に述べると不機嫌を通り越し、少し暗い顔をして真鶴は俺から目を逸らした。
「だから『彼氏役』っていう明確な立ち位置は定めず、ただある程度近くにいる事くらいならまあ、いいんじゃねえの」
「……っ、まじ?」
こちら側の、一億歩くらい譲歩した提案に真鶴は目を丸くして真偽を尋ねてきた。
「まじ? ってなんだよ。言うこと聞かないと黒歴史バラされるんだろ。なら保身に走るのは当然だろ」
「いやそんな事するわけないじゃん馬鹿じゃないの」
何言ってんのこいつ? みたいな目で見られても困るのですが。それを発言者であるあなた自身に向けられるの微塵も納得出来ないのですが。
「どうせ何を言っても比企谷には断られると思ったから極端な話を出しただけでそんな事するわけなくない? 人の秘密バラしたら私だって立場無くなるし」
「……その程度の事は分かってるのか。なら余計に腹立たしいわ」
「そんな睨まないでって。確かにさっきのは冗談にしても笑えない話だったって分かってるし。それはごめんて」
「お前……」
「あ、でももう比企谷言ったから訂正は無しだかんね。今更さっきの無しは通用しないから」
後になって黒歴史をバラす気はありませんだなんてふざけた事を抜かした真鶴がそれを禁止にするのか……なんというか、本当合わねえなこいつとは。
こういうタイプの人間と仲良くないにしても同じグループに居れる奴らの気が知れないわ。俺だったら初日に心が折れるとまである、実際今週の月曜日から若干鬱気味な気がするし。
そこからまた自転車で一緒に帰ったが、さして話題も無いし今回も無言だろうと思っていたが、前とは異なりなんかやけに真鶴の方から話を振ってきた。奉仕部の奴らとどんな関係なのか、だの彼女はいるのか、だのクラスの人と遊んだりしないの、だの。
趣味の話題なんかも聞かれて互いに読んでる漫画を出し合ったりしたが、俺と真鶴は見事に読んでる漫画のジャンルが異なっており趣味は全く合わないらしい。特に盛り上がる事もなく終わった。
地元に戻り、真鶴の家の近くまで来て突然彼女が買いたい物があると言ってコンビニに入っていった。「一緒に来ないの?」などと聞かれたが特に目的もないしこいつの買い物に付き合ってるより1人になった方が気が楽なのでしっしと手で追い払い、コンビニの横にある駐車場で時間を潰していた。
はあ……ストレッサーだ。あいつ。
「お待たせー。はいこれ」
ふと小走りに駆けてくる音がすると思ったら真鶴が背後からMAXコーヒー、いわゆるマッカンを俺の後頭部に軽くぶつけてきた。暴行罪だ。
「マッカン……コンビニに売ってたのか?」
「んーん、無かった。だから近くの自販機まで行って買ってきたよ」
「はあ? なんで」
「だって比企谷これ好きだったじゃん」
「……なんで知ってるんだよ」
「なんで知らないと思われてんの。中三の頃はそこそこ付き合いあったじゃん」
「……」
一々嫌な事を思い出すような話ばかりするなこいつは。てか、いくらマッカンとはいえ嫌いな相手からの差し入れは流石に頂けないというか、しかし喉が渇いていたのは事実で無碍にしようにも捨て切れない。
「飲まないの?」
「……」
「……そっか。私から貰った物だから飲めないのか。分かった」
そう言うと真鶴は俺からマッカンを奪って開け、中身を一気に口内に流し込む。全て飲み終えた彼女は「おえっ……甘すぎ」と言いながらコンビニのゴミ箱まで歩き、マッカンを捨てると俺の方をチラリともせずに自転車に跨った。
「帰ろ」
いやに不機嫌そうな声で彼女が言う。なんか、何故だか分からないが俺が悪い事したみたいで納得し切れなかった。というか、喉乾いた。