「挨拶も済んだ様だし、早速作戦開始しようか。」
太宰さんがそう云って探偵社を後にした。続いて国木田さんが。僕も其れに続く。囮役なんて、僕に務まるのだろうか。不安が頭の中を過ぎる。一階へ続く階段を降り乍ら、太宰さんは振り返って僕を見た。
「敦君、今回君はあくまで囮だ。だから、人前で呉々も異能を使わない事。それと、目の色は変わっていないから、絶対に見られない様にするんだ。最後に、何かあれば、ちゃんと私達を呼ぶ事。いいね?」
「はい、分かりました。」
そうだ、是の作戦は僕だけじゃないんだ。太宰さんも、国木田さんもいる。其れに、是は楓香さんの身の安全の確保の為でもあるんだ。僕が頑張らずして、一体誰がやるって云うんだ。先刻迄あった不安はもう無い。気付けば、もう一階迄降り切ってもう少しで入り口だった。僕の前にいた筈の二人は何時の間にか僕の後ろにいる。僕が振り返れば、二人は僕を激励する様に一度頷いた。僕も頷き返して、建物から出ていった。
其れからどれ位時間が経ったか、約三十分。僕はあの日、楓香さんがしていた様に、フードを目深に被り、髪に隠れた耳にはイヤリング型盗聴器を付けて右手に携帯を持ち、偶に画面を見乍ら、楓香さんの家に向かっていた。太宰さん達は僕から八十米程離れている。何故か太宰さんがすれ違う女性に「麗しいお嬢さん。若し良ければ私と心中してくれませんか?」って云って、その横で国木田さんが「やめんか!」なんて云ってる気がするが気のせいだろう。それか、普段通りにして不審を持たせない為かもしれないが。そんな事を考えつつ、僕は可能な限り人通りの多い通りを歩いた。商店街を抜ける時、よくおばさんやおじさんに声をかけられたが、軽く会釈して通り過ぎた。暫くして、携帯画面にある地図の方向は路地に向かっていた。人どころか猫一匹いない、陽の光が全く当たらない薄暗い路地に。
「何時もこんな処を通っているのか。」
小さく呟いて陽の光が当たる方へ、路地の奥へ歩いた。一歩、また一歩と慎重に、然れど早く足を進ませる。こんな場所、ストーカーからしたら何かしらの行動を起こすのには絶好の場所だ。後、数歩で、陽のあたる場所に届く。僕は安堵の表情を浮かべた。途端、足が重たくなった。何が起きた、そう思って足を見れば、足が地面に、否、
「やァ、初めまして、かな? 橘楓香さん。否、中島敦、そう云った方が正しいかね?」
「・・・!? 何故、其れを・・・・・・!」
ストーカーの詞に目を見開く。次の瞬間、僕はストーカーに拳を振ろうと、振り返るが、足が固定されている為、バランスを崩し、倒れてしまった。地面に手を付いて勢いづけて立ち上がろうとしたが、誤算だった。地面についた手に迄黒くてドロドロした見た目の、触れている筈なのに何も感じない影が付き纏う。背中に冷たい汗が伝う。足に付いている影はもう膝辺りまで沈んでいる。
「何とも不運だったねェ。あの女に関わったばかりにこんな事になってしまって。」
「五月蝿い・・・!お前に何が・・・」
お前に何が分かるんだ、そう云おうとした。だけど、云えなかった。影が、腰の辺りまで来た影が僕の口を塞いだ。ストーカーは僕の目線に合う高さに迄しゃがむ。
「そう云えば、君は何時ぞやの懸賞金七十億の人虎じゃあないか。もう懸賞金は消えてしまッたけど、君は色々と使えそうだし、一寸一緒に来て貰おうかね。」
そう云うと同時に、影に沈む速さが加速した。先刻迄ノロノロしていたけど、真逆ここ迄加速するとは。
「もう時期君のお仲間が来るからね、早くしないとね。」
虎の研ぎ澄まされた聴覚を使って聞けば、焦りがよく分かる程急いでいる足音が聞こえた。恐らく、僕に付いている盗聴器から聞こえた声等で緊急事態を悟ったのだろう。
「いいお仲間さんだねェ。でも、一寸遅かったかな。」
遅い? 未だ胸の辺りなのにか? そう思った矢先、左右から大きな黒いモノが頭から覆い被さってきた。薄くなっていく意識の中、足音が段々大きくなっていくのが分かった。最後に僕が聞いたのは、太宰さんが僕を呼ぶ声だった。
ーーーーーー
「敦君!!」
そう叫び乍ら、私達は今回の作戦で囮を務めた彼が曲がった路地を目掛けて走る。あの時、彼に渡した盗聴器越しに聞こえたのは彼の声と、彼――敦君ではない、別の男の声。男は敦君を連れ去ろうとしている。彼を如何やって使用するか、彼の珍しい容姿を利用して人身売買のオークションにでもかけるのか? 其れとも、男に絶対服従か何かをさせるのか? 否、彼奴の、
「敦君の身柄、お借りしますね? 武装探偵社の御二方。」
そう云って男は消えていく。まるで、影に消える様だった。国木田君が走り出す。
「待てっ!」
後数歩と云った所で男の姿は完全に消えた。
「やられた・・・・・・。」
何も無い狭い空間に私の声が響く。薄暗い路地に残ったのは、私と国木田君の二人だけになった。