一度死んだ私のヒーローアカデミア~Centipede Queen~ 作:燐2
|彡サッ
私はあのお方の指示で、彼女に近づくことになった。
最初に出会った時の印象は、いい意味でも悪い意味でも大人びと人だった。
困っている人がいれば、同世代とは思えない広い知識で助言をくれる。
無表情でいることが多いから、何を考えているか分からない時はあると思ったけど、雰囲気で感情が読み取れるちょっと面白い人。
家族の話、特に兄の話になると周囲に花が咲いているような本当に嬉しそう雰囲気で、こんな兄思いの妹っているんだなって思ったり。
でも、自分のことになるとまるで自分のことを使い捨ての道具のように冷酷になる。それがちょっと怖いかな。
きっと、あの
まぁ、私は雄英学園にスパイとして送られたし、何気ない本当の友達にはなれないのはちょっと残念だけど。
もちろん、百合ちゃんの正体のことは予め教えられた。ヴィジランテ『オールフォーワン』の話題になると個性で見なければ分からないけど口元がピクピクと動揺を表しているのは見てて面白かった。
……コードネーム『鵺』。
それが、百合ちゃんが対峙しているヴィラン名。あのお方の慈悲を頂きながらも、それを汚した愚か者。
私がここにいたのも予知系の個性を持っている同僚からだった。百合ちゃんがここにいるのは流石に聞いてなかったけど、あのお方にはきっと何かしらの考えがあるのだろう。実際、百合ちゃんに多くの人たちと一緒に助けられてお願いされた涙目の女の子を宥めていると、連絡が頭の中に強制的に届けられた。
『このエンターテイメントを世界に流しなさい』
一部ではヒーローが役立たずの証明と言われたUSJ消滅事件の動画。
あれは動画だった。編集のする際は人が見えやすいように多少弄ったりもした。
でも、配信するとなると全く違う。生の映像が、場景が、感情がそのまま流れてしまう。
しかも、あの動画の時とは違い、指定がないってことは私のチャンネルで流せということだ。
私は、バックから配信機材をドローンに装備させて操作し始めた。
これをすれば、どんな結果になろうとまた世間のヒーローを見る目が変わるのだろう。
その先に私の望む未来があるのだろうか。
でも、今は――――
「百合ちゃん、大丈夫だよね」
例え、仕組まれた運命の舞台の上でも。
私―――写原 念々は暗雲が広がりつつある空を見上げた。
「あ゛のお方゛はどこだぁぁ??!!!」
空間を侵食する黒い瘴気と狂乱の餓鬼の慟哭と共に振り下ろされる一振りは正に災害だった。災害国とも呼ばれるこの国でそれを前提に強度を高められた建物たちは剛腕の振るいに生じる衝撃破だけでも罅が入るほどで、その軌道の間は並大抵な防御手段を用意しなければ一瞬にて肉塊すら残らないほどの破壊力が込められている。何より、それほどの纏う瘴気によって正確な背丈は把握できないが、大体ビル五階相当の巨体ながら残像が残らないほどの速度で動き回る俊敏さ。
「さぁね!!バカスで!女の子と遊んでいるじゃない?!」
「ふざけるなぁぁ!!!」
昼時の空に悲鳴と破砕音が空を揺らした。破壊の嵐を巻き起こす諸悪の根源を横目に百合は誰よりも事態の収拾に勤めていた。
相手の個性の全貌がまだ把握できていないが、それでも怪力と速度だけ並のプロヒーローでは木偶の坊にしかならないことを見極めていた。
「(本当に!助かる!!)」
内心愚痴吐きながら、あらゆる個性を使ってヴィランの攻撃を空に流したり、人気の少ない場所に逃がす。大多数のヴィランは夜に活動を主にするが、今は多くの人々が出歩く真昼の時間だ。道路には所狭しと行列の車が、歩道には様々な目的で足を進めていた民間人がいた。
流石に目に映るその全てを守ることは難しいが、幸福なことに相手は確かな理性で百合自身に照準を絞っているおかげで、大通りや人口密集地などを見極めつつ行動すれば、最低限の被害に抑えることが出来る。
「あともう少しかな…!」
“弾性”で建物と人の被害を避けながら。
“セメント”で地形を変えながら人を遠ざけつつ。
“念動”で巻き上がった車や人を救出しながら。
“操血”で崩壊しそうな建物は簡易的に補強する。
街外まであともう少し―――!
『ゴ主人!!?』
体の中から、罅が入る、音がした。
「――――ッ」
視界が白黒になって、体が動かなくなった。
躱すことも、防御もできない、衝撃が、来た。
『いいのですか』
『あの程度で僕のユリは死なない。不安なのかい?』
『上手く隠していますけど。いつも、体調悪そうですから』
『ふぅーん…よく見てるじゃないか。関心関心』
『……光が』
『彼らももうすぐで来るし、もう周囲に対してリソースを割かなくても動ける。さぁ、楽しもうじゃないか。このヒーローごっこを』
「聞こえて゛いるのか愚図!あ゛のお方は゛光なんだ。クソったれな世界を焼く真実の光なんだ!!」
なにかがきこえる。
「全てを奪い、与える。選ばれし采配の力ァ!あれはまさしく王だぁ!俺は王の使いにな゛りたい!!既に試練は超えた゛!!あとはあのお方の元に゛戻るだけだ!」
何かが聞こえた。
「お前は同士な゛のか?!敵な゛のか?!どうして何も教えてくれない!!?」
手足、動かせる。
「……死んだか?」
「生きてるよバケモン」
埋もれた瓦礫を一撃で吹っ飛ばして、百合は立ち上がる。
視界には黒い瘴気を纏うヴィランと街外れの廃工場らしい雑多な機材が置かれた空間。
「居場所、だっけ。あなた、彼女に出会ってどうしたいの?」
「あ゛のお方の理想に殉じる!!そのために来た!!」
「あははは、理想?あなたはあの人が王になりたいと、そういう風に見えたの?」
口の中に溜まった真っ黒な血を吐き出す。
「当然だ!下等な生き物の上に立つ絶対強者だッ!!共に世界を巡り見たのだ!!あの人は絶大なる力と謀略によってあるがままに世界を変える!!個性によって歪められたこの世界を正すことができる唯一絶対の光なのだぁぁ!!」
ヴィランの主張に何かを言いかけ息を飲み込む。
「……呆れた。あなたは彼女じゃなくて、彼女の力を妄信しただけの愚者」
百合は、罅割れたような傷が出来た手のひらを見つめ口を開ける。
「光は焼くためじゃない。帰り道を指すための灯台。あの人は王にも怪物にもなれる力を持ってるけど、選ぶのはあの人自身だよ。力に跪くあなたは、最初から何も見てない。だいたい、王の“使い”を名乗るなら――王が手放した瞬間、あなたには何が残るの?」
黒い瘴気の中で瞬き一度。
空気が変わり、瘴気の中から押し殺した喘ぎが漏れる。
まるで冷たい雨の中で行き場所を失った迷子の子供のような哀れさを感じ、百合は握り拳を解いて、手を伸ばした。
「私は別にヒーローじゃない。だから、ここで何もしない選択を取るのなら、新天地で何もかも忘れて別の生き方に進め、あなたにも選ぶ権利ぐらいあるでしょ」
つまり、見逃すと百合は伝えた。
百合は命は守れても、街への甚大な被害は実際に起きてしまっている。彼の癖を考えてしまえば、逮捕後
『……ゴ主人、分カッテイマスカ?』
「せっかくの
それはエゴだった。
前世を思い出す。イリスの
「あ゛ぎゃぎゃぎゃぎゃ」
「あ゛あ、王゛は、そ゛うだ、王、は」
伸ばした手は、既に、今まで以上に拳を握りしめていた。
「――――ぼくを捨てたんだ」
あの日の絶望を思い出したように暗雲を瘴気の中の双眸が見上げた。
「あ゛ぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!!!!!」
大きな瘡蓋が破れた子供が泣き叫ぶように壊れた狂信者が黒い瘴気を幾多の口で吸収して、僅かに認識できていた人間の輪郭から、はっきりと獣の形へと崩れ落ちていった。
最初に認識できたのは顔だ。瘴気の向こうから正面に現れたのは、
だが、その頬は左右とも途中で裂けている。裂け目の奥から、それぞれ別の顎がねじ込まれていた。右の頬からは、涎と瘴気を垂らす
笑っているのか、吠えているのか、叫んでいるのか。
三つの口がばらばらの音程で鳴り、ひとつの顔の上で不協和音を奏でる。
頭頂には、ふたつの異物が生えた。
長く伸びた耳は、くったりと垂れた
角の根本から黒い瘴気がじわじわと滲み出し、耳の先にいくほど生きたアンテナのようにぴくりと震える。百合を捉えた瞬間、耳も角も同時にそちらへ向き、まるで獲物を見つけた捕食者のように形が固定された。
肩から下がる右腕は、もう腕だけではなかった。
右の肩だけが、他と比べて異様に膨れ上がっていた。
盛り上がった肩口から突き出しているのは、ただの筋肉ではない。そこには、
濁った瞳と、湿った鼻先。息を吐くたび、鼻腔から黒い瘴気が荒く漏れ出す。
牛の首の付け根――本来なら胴体へと繋がるはずの場所から、今度は
顎の下からぶら下がるように伸びたその腕は、黒と金の縞をまとい、肩を振るたびに牛の頭ごと前へと突き出される。
対して左側は、腕という概念そのものが消失していた。
肩から先に繋がっているのは、一本の巨大な
鱗に覆われた長い首が地を這うように伸び、その先端にある龍の頭部が、百合を見下ろす位置まで持ち上がる。首の付け根には、かつて「肘」だった名残のように瘴気の渦が渦巻いており、その渦が呼吸のたびに膨らんでは縮んだ。
龍の口がわずかに開くと、中から黒紫色に揺らめく光――瘴気を凝縮した
下半身は、ひときわ分かりやすく異様だった。
腰から下は完全に
人間の骨盤などは跡形もなく、猿の上半身がそのまま馬の胴体に刺さったような構造だ。四本の脚は節々まで無駄なく発達し、蹄がアスファルトを踏み締めるたび、地面から衝撃が跳ね返ってくる。
巨体のくせに、重さをまるで感じさせない構えだった。
腰の後ろからは、一本の長い尾がのたうっている。
それは、太く伸びた
鱗に覆われた尾が地面を擦り、時折、先端が高く持ち上がっては、空気を試すように左右へ揺れる。先端の目だけが、やけに冷静で、馬脚が生む振動とは別のリズムで瞬きをした。
背中には、二種類の存在が共存していた。
まず、肩甲骨のあたりからは、巨大な
羽根は一本一本が墨を垂らしたように黒く、広げると人間を何人も包み込めるほどだった。羽ばたき一度で、周囲の瘴気が渦を巻き、砂塵と瓦礫を巻き上げる。
その翼の生え際、背骨の中心からは、場違いなほど大きな
剛体の背中の半分を埋める、ぎょろりとよく動く目が、周囲を落ち着きなく見回している。大きな口はほとんど開かないが、耳だけがぴくぴくと震え続け、聞こえてくるもの全てを本体へと伝えているようだった。
顔は猿。頬に犬と猪。
耳は兎で、角は羊。
右肩は牛で手は虎。左は竜。
尻尾は蛇で、背中には鶏と鼠。
下半身は馬の四足。
十二支すべてを、一本の肉塊に無理やり押し込めた結果として立ち上がった、十二支の怪物。
それは、彼の中で崇拝と怨嗟が腐り合い、やっと形を得た――ただの
「前世でもこれほど人並外れた個性は、探さないと見つからないレベルだね」
『呑気ナコト言ッテル場合デスカ!?!?』
踏み潰さんとする馬脚が踏み込むより一瞬早く、前へ。蹄が落ちる寸前で、今度は横へ。踏み込みの軌道を読ませないよう、速度の上下を意図的に乱しながら滑るような歩法でかすめていく。右から虎の爪が振り抜かれる、進行上にあった錆びた鋼鉄は障害にならないほどの切れ味でバラバラにされた。殺意だけが飛び出してくる軌道に、百合はあえて、半歩だけ遅らせてから身を引いた。ギリギリまで相手の加速を待ち、その瞬間だけ自分の速度を跳ね上げて逃がす。一定ではないリズムで足を運ぶたび、ヴィランの爪は、あと一指分で触れるところを虚空を掻いていた。
「……複合した個性にしたって、本当に厄介だな。『眠り香』に耐性あるみたいだし」
時間にして、まだ数分の邂逅。その一撃だけで意識が飛び、そのダメージが足を揺るわせる。
それだけではない、今は体中の口から僅かに漏れる黒い瘴気を僅かに吸い込んでから個性のコントロールに誤差が生じる。いつもなら意識するより前に動いている血と肉の協調に、僅かなノイズが混じる感覚だった。この程度の濃度でこれなら、一般市民が深く吸い込めば、体調不良どころの話では済まない。個性の制御が乱れ、暴走を引き起こす危険すらある。自身の血でさえこれだけ揺さぶられるのだ。他人の体での負荷は推して知るべしだった。
同時に、ヴィランから漏れ出ている瘴気の全貌が見えてきた。
あれほどの力を最初から使わなかったのは、体への負担を考慮したから。
瘴気を纏うことは、自身を病魔に侵食させることで、過剰な異能個性を無理やり抑え込むため。
攻撃であり、同時に自身を包む鎧。暴走しかねないほど強烈な十二支の個性因子同士が互いを食い合わないよう、常に濾過し続ける緩衝材としても機能していると推理した。
百合は肺の中に入り込んだ瘴気を、血で包んだ。
毛細血管の一つ一つにまで意識を沈め、侵入した成分だけを選り分ける。瘴気に触れた血液を集め、肺の奥、気道の内側に薄い膜として固定する。
フィルターとしての血膜。
その膜が黒く染まっていくのを感じながら、百合は同時に、全身を巡る血流からも瘴気由来のノイズを削ぎ落としていく。
しかし、それは長く維持できる処理ではない。生身の細胞にとっても、個性因子にとっても、負荷が大きすぎる。フィルターは時間が経てば経つほど厚くなり、やがて呼吸と循環そのものを阻害し始める。
一方のヴィランは、攻撃をやめる気配を見せなかった。
虎の右腕が近距離の斬撃を繰り出し、竜の左腕が中距離へ瘴気のブレスを薙ぎ払う。
蛇の尾は地を這い、足元をすくい上げるように絡みつこうとし、馬脚は常に前後左右へとポジションを移し替えながら右肩の牛角を前に突進と急停止を繰り返す。
背中の鶏の翼からは、瘴気を宿した羽根が雨のように降り注ぎ、背後から生えた鼠の目は死角を補うように百合の軌跡を追い続けている。
例えエクトプラズムで作り出した『分身』を用いしても十二の要素を同時に動員し、ほぼ全方位への制圧攻撃を途切れさせない圧殺戦術を前に百合は舌打ちする。
正面から受け止めることを前提にすれば、どれほど防御を固めても持たない。
瘴気に長く晒されるほどこちらの個性因子は乱れ、個性の処理能力も落ちていく。
『ゴ主人!!早クドウニカシナイト!!』
「分かってる」
百合は、自身の動きのリズムをさらに崩した。
加速と減速、前進と後退、横移動と縦の跳躍。
直線的な機動を意図的に途中で折り曲げ、あえて踏み込みの途中で躊躇したような軌跡を残しながら、ヴィランの間合いに出入りを繰り返す。
対応しようとするたび、十二支のどれかを優先して動かさざるを得ない。その瞬間、使われなかった部位に、ほんのわずかな死んだ時間が生まれる。
全力、ただ殺意だけ振りまく行為。
そこに戦術はなく、条件反射のように破壊し、侵すだけの獣。
「抜刀―――
故に。
「熱核一閃」
無意識を、追い越した。
ダイナマイトが爆発したような一蹴に百合の輪郭が一度だけ滲み、次の瞬間には、鵺の懐の内側にいた。
個性“火吹”。掌から極限まで圧縮された熱が、ただ一条の線として迸った。
通り過ぎた後に残るのは、焼き切られた瘴気の裂け目と、遅れて崩れ落ちる巨躯だけだった。
『ヤリマシタカ!?流石ゴ主人!!』
「………」
感激の声を上げる毘天達を対称に百合は静かに籠った熱を腕を冷やしながら、両断したヴィランを睨んでいた。
「見た目と生まれた場所が違うだけで、個性が商品になり、人間がオマケになった」
「お前たちからすれば、異国の違法な個性実験。被害者数十名で終わるようなこと」
「楽しいか?笑って、ポーズを決めて、瓦礫の上で子供を抱き上げる象徴どもが」
「体中を何度も切り分け混ぜて縫い合わせて死んだら何が悪かったのか分からずゴミ箱だ」
呪詛を撒き散らすように、様々な動物の頭が喋りだす。
毘天たちは呆れたように溜息を零したが、百合は静かに耳を傾けていた。
「胸が痛みますね、二度とこのような悲劇が起きないように、そんな言葉が流れているのに社会は変わらない」
「何故だ?どうしてだ?人間食べなきゃ生けていけないように作っておいて、今度はただの悍ましい害獣として駆除対象だ」
「正しいってなんだ?普通ってなんだ?まともってなんだ?お前たちの普通に、俺の居場所が一度でもあったか?」
「削られた肉も、数にすら入らない死体も、その上に立ってるお前たちの平和を、俺は認めない」
「世界地図のどこにも、最初から俺たちは描かれてないくせに」
「これがお前たちの
「それが
既にイリスから送られた情報から個人的にも少し調べた。
ただ携帯で、その地域のことを検索すれば誰もが見ることが出来るありきたりな情報。
それだけでも、彼がどんな過酷な環境で育ってきたのか、容易に想像できてしまう。
だからこそ、イリスは静かに再生が始まったヴィラン―――鵺を前に口を開いた。
「ありがとう、ごめん」
「「「「―――――」」」」
「君にとって私はヒーローのように見えた。救ってほしかった、希望を抱けるそう感じる存在になったんだよね」
そこで言葉を切り、イリスはほんの少しだけ視線を落とす。
「でもね、私は未来を約束できない。この先の世界が良くなるなんて、綺麗事は言えない。前の人生で、どうしようもない未来なんていくらでもあるって、嫌というほど知ったから」
「きっと、君がここでどれだけ叫んでも、この社会は簡単には変わらない。君の過去も、奪われたものも、元には戻らない。君が撒き散らす絶望を晴らすために、全部を明け渡す気にもなれない」
「私は、ここで君を殺すつもりでいる。もう境界を越えた、生かしておいてあげられるほど、私は優しくなれない、君は賢くなれない。仮に君を改心できたとしても、その過程で消費される時間や資材を別のことに使えば、もっとたくさんの人を救うことが出来てしまう」
それでも、とイリスは顔を上げた。
「せめて、この短い時間だけは、君自身のものにしてほしい。誰かに怒り狂うだけでもなく、誰かを呪うためでもなく、君が君のために選んだ終わり方で、全うしてほしい。そんな姿になっても誰かの未来を憂いてくれる優しい君に私ができる、唯一の“ヒーローらしいこと”なんだと思う」
言葉が落ちて、静寂が訪れた。
次の瞬間、その静寂を噛み砕くように、十二の獣が一斉に喉を震わせる。
猿の顔が歯を剥き、犬が吠え、猪が低く唸る。兎の耳はびくりと震え、羊の角の根元から怒りにも似た熱が滲む。牛の頭は鼻息荒く瘴気を吐き、虎の腕は溢れる怒りに任せるように爪が出し。竜が深く唸り、蛇の尾が地面を叩き、鶏の翼がばさりと音を立て、鼠の口が何かを呟く。馬脚がアスファルトを抉る振動が、全ての声を下から支えていた。
吠えているようで、縋っているようで、泣いているようでもある――どの感情にも最後まで決めきれない、支離滅裂な咆哮だった。
百合に向けた憎悪も、イリスに向けた崇拝も、過去に抱いた呪いも。
胸の奥で絡まりあっていたものが、ひとつひとつ形を成しかけては、指先からこぼれ落ちていく。
「優しい」と呼ばれたことが、最後の楔になりかけていた。
それを受け入れてしまえば、自分は何か別のものになってしまう。怪物でも兵器でもなく使いでもなく、ただの「人間」に引き戻されてしまう。その予感だけが、何よりも恐ろしかった。
「―――そうか、そんなものに頼らなければ自由になれないのか」
龍の口から見えた細いアンプル達が鋭牙によって嚙み砕かれた。
これは、逃げ道だった。
痛みも、後悔も、優しさも、全部まとめて燃やし尽くすための、最後のスイッチ。
十二の頭が、同時に黙る。
完全な再生を果たした鵺の本体だけが、わずかに俯いた。
百合に対する感情も。イリスに対する感情も。世界に対する感情も。
ひとつ残らず、握り潰すように内側へ押し込んでいく。何かを好きになる権利も、何かを憎み抜く権利も、全て自分で投げ捨てた。
ガラス片と一緒に流れ込んだ液体が、体中を巡り焼く。
血管の内側を逆流し、十二の獣へ同時に注ぎ込まれていく。牛の頭が痙攣し、虎の腕が暴れ、竜の首がのたうち、蛇尾が空を裂く。翼が大きく広がり、鼠の大きな目が白く反転した。
黒い瘴気が、一段と濃くなる。
人格も記憶も、過去も未来も、“君”という輪郭を形作っていたものが、違法薬剤の炎に飲み込まれていく。
残ったのは、ただの衝動だけ。
壊したい。喰らいたい。終わりたい。
誰のためでもなく、自分のためでもなく、理由すら必要としない、純粋な本能だけがそこにあった。
十二の喉が、今度こそ同じ方向を向いて吠える。
憎悪でも、悲哀でも、救済でもない。
名前を持たない叫びが、暗雲の下で轟く。
その瞬間、ヴィラン――鵺は、ようやく完全な「
体はしんどいのに頭の中は物語でいっぱい