周囲の注目を浴びるその客には見覚えがあった。クロエの知り合いで、彼女を敵視している少女だった。きれいな長い金髪を揺らし、白いブランド物のコートを目立たせ、その整った美少女然とした顔立ちは怒りに歪んでいた。
「アニー? どうしてここに?」
「どうしたもこうしたもない! 聞いたわよ、あんた、フィル様と旅行ですって!?」
「いや、まあ、そうだったんだけ――」
「フィル様はどこ!?」
アニー・ルンデン。目の前で怒鳴り散らす少女にクロエはため息をついた。
同級生のフィルに恋心を抱いているらしいのだが、それが災いして、フィルと親友の間柄にあるクロエを目の敵にしているのだった。
「フィルは――」
誘拐されたの。言おうとしてそこで止めた。思い切って事情を打ち明けて「パーティメンバー」にしても良かったかもしれないが、まったくそりの合わない人間と一緒にいて良いことが起きるとは思えなかった。それに下手に事情を知られればそこでゲームオーバーでもある。それだけは避けねばならない。
「――先に行ったわ」
「行った? どこに?」
「決まってるでしょ。ネクサス。そこに行くのに旅行しているんだから」
「知ってるわよそのことは。で、フィル様はネクサスにいるのね?」
「そう。私は事情があって遅れて行くのよ」
クロエの言い訳は聞かずにアニーは駆け出した。礼のひとつも言わずに立ち去られたクロエは、しかしこれがマシな方だとため息をついて呼び鈴のボタンを押す。
そして彼女は自分の中でなにかプツリと切れたような感覚を覚えた。アニーの態度に怒ったのではない。十分前から起きた非日常と、突然現れたアニーというありふれた日常と、それが衝突して非日常に抵抗しようとする気持ちが保てなくなったのだ。
だから涙を流している。抑えられなかったのは涙だけではない。小粒の涙は次第に大粒になり、口からは徐々に嗚咽が漏れ出していく。
まるで映画で見た狂人のようだと自分の声を聞きながらクロエは思った。怒りも湧いてテーブルを強く何度も何度も叩いている。表情だって憎しみに歪んでいるのが分かる。だが止められない。溢れ出した感情はどうしても止められないのだ。
「お客様? お客様!」
聞いた覚えのある声だった。テーブルに突っ伏したクロエが顔を上げると、この店で軽く話をした猫のアニマノイドの店員がそこにいた。
「大丈夫ですかッ」
言葉にならない声を上げながらクロエは猫のアニマノイドに寄りかかる。涙で制服が汚れるのも分かったし、自分の態度が周りに迷惑をかけていることも知っている。だが止められない。絶望と怒りがどうしようもない衝動を沸き立たせているのだ。
「お客様、落ち着いて!」
「うあああっ、わあああ!」
「ええっとこういう時は……うん、このままついてきて!」
寄りかかるクロエを連れながら猫のアニマノイドは店の裏側に移動し、部屋のドアを開ける。
休憩室と札の貼られたそこはロッカーとテーブルとふんわりしたソファーが並んでいて、クロエはソファーに投げ出されるように横にされた。
それでもクロエが泣き止むことはなかった。次第に落ち着いてきてはいるが、嗚咽が止まる気配がない。そんな様子のクロエにそっと猫のアニマノイドが近づき、黒コートを脱がせてソファの上に畳んでいく。
灰色のセーターにスラックス姿になったクロエに目線をあわせるようにしゃがみ、猫のアニマノイドは口を開いた。
「大丈夫? お茶でも飲むかい?」
「……水がいい、えぐっ」
「お水だね。ちょっと待ってて」
冷蔵庫からミネラルウォーターのビンを持ってきた店員はテーブルの上にドンと置き、クロエの注意をひかせた。
顔を真赤にしながら涙するクロエは一礼し、そのビンに手を伸ばす。フタを開けて口をつけ一息つく。なにも事態は好転していないが、ようやく落ち着きを取り戻した実感を得た。
「なんかただごとじゃない雰囲気だったけど」
「……親友が、さらわれて――」
口をつぐんだがもう遅かった。驚愕に満ちた表情の店員が凍りついたようにクロエを見つめている。
「――本当は言っちゃダメなんだけど、私、監視されていて、何をしても何を言っても奴らに見られてる」
「深い、事情が……ありそうだね。もし喋っていいなら相談にのるよ。もう仕事は上がる時間だし」
「あなたを巻き込むつもりはなかった。でも……巻き込んでしまった。もうあなたが協力してくれないと、親友が、私の親友が、殺されてしまう」
「っ……私は大丈夫。協力するし、仲間にだってなるよ。それで? あなたのお話を聞かせてくれるかな?」
詳しい事情を知らないのに仲間になることを快諾してくれた猫のアニマノイドに、クロエは感謝してもしきれなかった。深く頷いてからクロエはこれまでの経緯を語る。
「もともとここへは親友とふたりで旅行に来ていたの。あの遊園地『ネクサス』に遊びに行こうって誘ってくれて、でもこの駅を出たところで誘拐されてしまった。警察に通報しようとしたんだけど、すぐに誘拐犯から親友の――フィル・メーベルっていうんだけど、フィルの携帯電話を使って私に連絡をとってきた」
「メーベルってことは、もしかしてメーベルグループの?」
世界的に強い影響力を持つ巨大産業グループ。その会長、ウィンストンの息子こそがフィルである。
きっと誘拐犯は超がつくほどの大富豪の息子を大金目当てに誘拐したのだろうとシーが考えているに違いない。そうクロエは察して、とりあえず頷いた。
「でも誘拐犯の狙いはお金じゃなかった」
「へ?」
「奴が言うには『命のかかったゲーム』とやらをしたいんだって。それにしては誰かが傷つくとかそういうのは嫌そうな物言いをしていたけど」
「そのゲームっていうのは?」
「最初に3人パーティを組んで、それからいろんな指示を飛ばすって。その後のことは追って伝えてくるみたい」
「てことは、もうひとり協力者を集めてネクサスに行かないといけないんだね。分かった、それなら協力できる。誰にも誘拐事件が起きていることを言わないって約束する。そうだ、私の名前はね、シーっていうの」
胸元の名札をつまんで示し、クロエが見やすいように傾ける。そうしながらシーと名乗った猫のアニマノイドは言葉を続けた。
「シー・タビー・ケー。シーって呼んで。あなたのお名前は?」
「……クロエ。クロエ・ブルーム」
「じゃあクロちゃんか! あれ? いや、クロくん?」
なんでそこで迷うんだ、とクロエは声に出しそうになってやめた。だが表情が変わるのだけは止められない。
「あー、その、中性的な顔立ちっていうの? そんな感じでかっこいいし、かわいいし! それに声もちょっと低くて落ち着いててスレンダー美人で――」
「体つきが女らしくないし?」
「――そこまでは言ってないよ!」
言ってなくても思っているはずだとクロエは確信した。暖かさを求めてセーターを選んだが、シーの目線は不自然に胸元をうろついていた。セーターは体の線を強調する服でもあるが、クロエの胸元がそれでもあまり膨らまないことは彼女自身がよく知っていた。
「とにかく! クロエちゃんはクロちゃんだね」
「クロ、かあ。フィーもそう言ってた」
「フィー?」
「ああっと、フィルのニックネーム。フィーとクロって呼び合ってるんだ」
「ホントに仲が良いんだね。よし、それじゃあ、ネクサスへ向かおう。地下道を使えば渋滞はないよ」
「地下道? そんなものがあるの?」
「ネクサスに住んでいるとか、従業員だとかの専用の道があるんだ。ここからネクサスに伸びてる地下鉄とは別の地下鉄があるし、車が走る道路だってある」
「それをシーは使えるってことなのね?」
「うん。クロちゃん、もうひとりのパーティメンバーってアテがある? 申し訳ないけどこっちはそんなに人脈がなくてね」
「実は1人だけ信用できる人がいるの。移動中に連絡をとってみる」