クロエはゲームセンターでぶらぶら歩いていく。アテもないように、気だるそうにさまよっていく。
ネクサスのセントラル、そこに建つ城の形をした巨大な施設「キャッスル」にないものはない――そこまで言わしめるのだからゲームセンターだってあってもおかしくないな、とクロエは思った。
ゴーグルをかぶり古めかしい形の長銃の形をしたコントローラを振り回すプレイヤーを遠目に見て、VRガンシューティングの最新作だな、とクロエはすぐに分かった。こんな状況でなければ1回くらい遊んでみたいものだ。
シーもアコニットも、アニーも近くにいない。
ひとりで行動していて、本当に気だるそうに、ごく自然に人気のない場所へ歩みを進めるクロエ。しかし内心はとても焦っていた。
携帯電話で今の時刻を確認する。午後1時50分――第二のゲームの制限時間まで1時間半を切っている。アニーの財布を取り戻せばそこでゲームは終わるはずだ。だがクロエは嫌な予感がしてならない。
いまのクロエたちは財布を取り戻すためにある作戦を実行に移している。
財布を盗んだグループが、先に送られたヒントにある「監視体制のゆるい場所」を把握し行動していることを前提に考え、クロエが目的のグループを誘い出して釣り上げようとしているのだった。
作戦の内容はとても単純だ。クロエがヒントにある光点――人気のない、監視体制のゆるい場所――に単独で向かい、残りの3人は少し離れた場所で機を伺う。そして都合よくクロエに絡んでくるやつがいればアコニットが合流し、2人で一斉に締め上げる。
だがこの作戦には問題があった。財布を盗んだグループがどこに出るかの予想はついたが、いつどこに絶対現れるかという情報を掴むに至っていない。
そしてこのゲームの目標は「盗まれたアニーの財布を『取り戻す』こと」にある。盗んだグループを締め上げるのに成功したとしても、彼らがすでに財布を持っていない可能性すらあり得るのだ。
どうせ金持ちの令嬢の財布だ。中には高額の紙幣や親のなんとかカードがぎっしり詰まっている高級品に違いない。財布自体にも相当な価値がつくに決まっている。
頭のいい悪い奴なら中身を抜き取り足がつかないように財布も売り飛ばすのだろう。そうして得た金銭をなにに使うのか――そこまで考えてクロエは頭を振った。そこまで考えるのは自分の役割ではない。
なにがなんでもアニーの財布を取り返し、フィルの命をつなぎとめる。それが今の自分に出来ることなのだ。
「ねえ、どうしたの、そんなところで。もしかして人を待っている? それとも迷った?」
チャラい3人組――間違いない。アニーに見せれば「こいつらよ」と叫びだすことだろう。3人組のリーダーらしい、背の低い少年がどこか浮ついた笑顔を貼り付けてクロエにゆっくりと迫ってきた。
クロエはコートのポケットに入れていた携帯電話の画面にそっと触る。そうすることでアコニットに合図が出せるようになっている。
AR眼鏡がいまのアコニットの位置と到着予測地点を割り出してウィンドウに投影する。なにもしていなくてもAR眼鏡はアップデートを続けているらしく、これもゲームマスターのヒントの一部なのかもしれないとクロエは思った。
「だまってちゃわからないよ、ねえ、どうなのさ?」
少し困ったように笑いながら少年が近づく。だがその視線はクロエを凝視している。彼女が手を突っ込んでいるコートのポケット。
次の瞬間には笑顔を貼り付けている少年が下卑た表情をあらわにするに違いない。意識を集中していたクロエは、不意をつくように踏み込んだ少年の手を掴んで捻り上げ、そのまま背負っていた壁に思い切り押しつける。
「がはっ!?」
「あなたたち、財布を盗んだでしょう?」
「くそっ、なんでこんなに強いんだよ!」
「前もって言っていなかったわね、ごめんなさいね」
「ちくしょう、お前ら、やっちまえ!」
苦しそうにしているからかその声にハリはない。しかしそれは助けが来なかった理由ではない。クロエが少年を壁に押し付けたときには、彼女のAR眼鏡はアコニットの到着を通知していたのだ。
「なっ……誰だよあんた!」
アコニットはそれに答えることなく、手刀を首に打ち込んで気絶させた残りの2人を壁に寄りかからせた。ちょっと見ただけなら気持ちよく寝ているように見えなくもないな、とクロエは思う。
「うそだろ、おい、ちくしょう」
「さあ話してもらうわよ。あんたたちが盗んだ財布はどこ?」
「なんだってんだこれ……いてて、お前ら、こんなことしてただで済むと思うなよ」
「こっちだって下がれない事情があるのよ。さあ取引よ。私たちに盗んだものを返して解放されるか、警備の人間に突き出されて面倒なことになるか、どちらを選ぶ?」
どういうことだと言いたいのか、少年はしばらく答えない。だが5秒経つ頃には絞り出すように口を開いていた。クロエが力を込めたからだった。
「わかった、おれは持ってねえ。でも話すよ、だから解いてくれ」
「あなたがいま持っているわけじゃないのね。誰が持っているのか教えたら逃してあげる」
「ロンさんだ。狼のアニマノイドのロンさんがリーダーなんだ、盗んだものはロンさんのところに集めてる」
「そう。じゃあ、その人はどこにいるわけ?」
「東の島だ。そこにある工事現場の小屋を俺たちの基地にしているんだ」
直後、AR眼鏡がネクサスの地図を投影し、東の島の部分を拡大して示してきた。
さらに工事現場一覧という別ウィンドウを投影し、それが透過して地図のウィンドウと重なる。東の島にある工事現場は一つしかなく、冬季期間であることを理由に今は工事が進んでいないという情報も手に入れる。
情報収集という点ではこの道具はかなり便利だな、と感心しながらクロエは拘束の手を緩める。
「ホントに放すのか……おい、ロンさんのとこに行くんなら気をつけな」
「え?」
「あの人はマジでキレるんだ。頭もそうだし、一度怒り出したらもう止まらねえ。ロンさんのとこに行くのは止めねえがタダじゃ帰られねえぞ」
「親切にどうも」
逃げ帰るように少年が去っていく。気絶した2人は取り残したままだったが、クロエとアコニットにも足早に誰にも見られずに走り去っていた。
護身のためにアコニットから手ほどきを受けていたのがこんなところで役に立つとは思わなかった。クロエは東の島へ渡る地下鉄に乗りながらそんなことを考えていた。
海の下を透明なトンネルを通る地下鉄は、窓から幻想的な景色を楽しむ人々でいっぱいだった。冬の寒さで凍った海の氷を下から見上げる機会など誰にとっても早々ない。
それはクロエもシーも同じだ。おまけに地下鉄はゆっくり運行している。誰もがこの景色を長く楽しめている。
アコニットとアニーのふたりとは別行動をしているのは、クロエとアニーの仲が悪いからだ。それを理解してアコニットが「二手に分かれて東の島で合流しよう」と提言していた。その心配りにクロエは心の中で感謝を捧げる。
クロエとシーは隣の席で窓から海を見上げる。質素な装飾ながらふんわりした座り心地の座席に体を休ませながら、もうじき始まる緊張の交渉に気持ちが硬くなるのをクロエは自覚する。
「ねえクロちゃん」
「え?」
「さっきは大丈夫だった? 怪我はしていない?」
「うん。アコニットさんがうまく教えてくれたおかげ」
「そうなんだ。クロちゃんは強いんだね」
照れて顔が赤くなるのを覚えながらもクロエはシーの顔を真っ直ぐに見つめる。縦に割れた瞳は嘘をついていないと堂々と宣言しているように見えた。
「ところでクロちゃん……あのアニーって子とはうまくいってないの?」
「ああ、うん、そうだね」
「どうして?」
「どうしてって……向こうから突っかかってきて、なにも改善する気配がないし。だったらもうなにも望めないって思わない?」
「そりゃそうかもだけどさ。ちょっと話しただけだけど、悪い子じゃないんだなってのはわかったよ」
「外っ面だけ良いのよ、あいつは」
「ホントに嫌いなんだね、仲直りができればいいのにねえ……」
ため息をついてシーは困ったように笑った。小さく体が揺れてオレンジの長髪と尻尾もゆっくり振れていた。きっとシーは誰とでも仲良くなれるんだろうな、とクロエは思う。
それはひょっとすると魔法なのかもしれない。誰とでも仲良くなれる――少なくとも嫌われることがない人間がいるなら、それはきっと魔法使いみたいに「存在しない」存在なのだろう。
「ところでクロちゃん」
「なに?」
「気になってたんだけど、クロちゃんの名前、もう一回教えてもらえる?」
よく分からないことを言うな、とクロエは首を傾げたが、再び名乗るのは渋ることでもない。すぐに「クロエ・ブルームだ」と口を開くと、今度はシーが首を傾げている。
「フィルくんってメーベルの人でしょう、だからフィル・メーベルって名前だよね」
「ああ、うん」
「クロちゃんはメーベル家の養女なんだから、クロエ・メーベルになるんじゃないの?」
確かにそうだ。これまで慌ただしかったからそんな疑問も出てこなかったに違いない。そう考えたクロエは、しかし言葉に詰まってなかなか答えられないでいた。
「あー、クロちゃん?」
「それは……えっと、名乗りたくなかったの。メーベルを名乗りたくなかったのよ」
「どうして?」
「不相応だと思って」
よく分からないと言わんばかりにシーはより深く首を傾げた。
「なによ、不相応って」
「ふさわしくないってこと。私みたいなのがメーベルの名前を名乗りたくないっていうか……分かる?」
「いや、全然」
「メーベルはただのお金持ちの一族じゃないの。高い地位や財力にあぐらをかいているような人たちじゃない」
「うんうん。嫌な金持ちじゃないよってことか」
「養父のウィンストンさんも、フィーも、能力や才能を持っている。ウィンストンさんがトップに居るメーベルグループがどれだけすごい組織かは分かるでしょう?」
日常生活におけるあらゆるものに関係する企業グループ。それがメーベルグループだ。衣食住で関わっていないものはない。
「確かにそれだけ大きな組織のトップなら、カリスマだとか才能だとかがあったほうが良いのかもね」
「それにフィーはただの学生じゃないの。パワードスーツの設計とかしている会社に技術者として参加しているし、それに古代遺跡の発掘も参加しているんだって。そう聞いたし、写真も見せてもらったことがあるの」
「たくさん手を付けているみたいだけど、学業は大丈夫なの?」
「全部満点ってわけじゃないけど上から数えたほうが早いくらいだって。それはフィーのお友達から教えてもらったわ。……メーベルの人って他もすごいのがばっかりなんだ。だから、ね、分かるでしょ?」
困った顔をしてクロエはシーを見つめるが、それでもシーは理解したような仕草を見せない。本気で考え方や捉え方が違うのだとクロエは驚いた。
「私はクロちゃんと知り合って半日も経ってないからわからないけど。クロちゃん、そんなに自信がないの?」
「メーベルを名乗る自信ってこと?」
「そう」
「ないって話をしてたよね」
「あー……確かに気持ちは分からないでもない。理解は出来るよ、納得ができないだけでさ。そんなことないと思うんだけどな」
シーは一度外の景色――あと少しで東の島につくらしい――を眺めてから再びクロエと目を合わせる。それから言葉を考え、口を開いた。
「クロちゃんさ」
「うん」
「立場が逆だったらどうだと思う?」
「立場って、なんの?」
「さらわれたのがクロちゃんで、助けに行くのがフィルくんだったらってこと。ゲームマスターにクロちゃんがさらわれて、今のクロちゃんの立場にフィルくんがいたらどうなると思う?」
「どうって……」
「フィルくんはクロちゃんと同じように助けようとすると思う? それとも尻尾巻いて逃げ出すかな?」
「フィーなら助けるわ。きっと。多分、いや、絶対助けに来てくれる。そのために頑張ってくれるわ」
確かめるようにクロエは言葉を重ねる。そうしてクロエは予感を確信に変えていった。シーの言うとおりに状況が逆転していたとして、フィルは助けるために奔走してくれるのだ。間違いなく。
「じゃ、クロちゃんは大丈夫だよ」
「どうして?」
「フィルくんがすごいって言ったのはクロちゃんだよ。クロちゃんは同じことをいままさにやっているんだ。だからクロちゃんはすごいの。メーベルを名乗っても誰も馬鹿になんてしないわ。もしした奴がいても、そいつがものをちゃんと見られないだけだもの」
シーの言葉にクロエは身動きを止め、それから静かにうつむいた。何故かは分からないが涙が抑えられない。体が熱くなって震えていた。
「ちょっと泣かないで、どうしたのよ」
「なんか分からないけど嬉しくなったの。嬉しくて、それで」
「そっか……そうか」
シーは言葉を止めたがクロエを見守るのは止めなかった。
そして彼女はあるものを見つけた。クロエが左手の人差し指に指輪をしているのだ。
宝石は埋め込まれていないものの精巧な彫刻が施されている。シーは指輪やこれを扱う店には明るくないが、クロエの指輪が普通の店では売っていないもののように見えた。
「落ちついたかい?」
「……うん、なんとかね」
「そういえばその指輪、だれかにもらったの?」
「指輪ってこれ?」
言いながらクロエは左手の人差し指を示すように動かす。頷いたシーにクロエは言葉を考え、口を開くことにした。
「これ、少し前にフィーからもらったの」
「プレゼントってわけだ」
「実は今日が1周年なの。私がメーベル家に引き取られてちょうど1年。それでちょっと早いけどってフィーがくれたんだ」
「ならクロちゃん、もっと胸張れば良いんだよ。そういうの祝ってくれるんだったら、フィルくんもウィンストンさんもクロちゃんを嫌いだとか思ってるハズがないんだからさ」
「私、考えすぎていたのね。なんだ、そうだったのかもね……」
目を拭いながらクロエは何度か頷き、やっと笑顔を見せた。小さな笑いはやがて地下鉄のアナウンスに紛れて消える。東の島に到着したのだ。
「着いたね。クロちゃん、準備はいい?」
「もちろん。さあ、アニーの財布を取り返しに行こう」