回想は終わり、今の現状に戻る。
ミモザは恍惚の表情で相変わらずラヴェンナに張り付いているし、張り付かれている本人は「医療系の念能力者としたら、麻酔かそれに準ずる類……」とか地味に良い推論を繰り広げていた。強化系能力者の素晴らしい点についてぶつぶつと語りだしたウィルはこの際視界から除外する。
つまり結論として何一つ現状は変わっていない。現実は非情である。
「で、何これ」
たった今拳を叩き込んだオーシャンに対して、鬼畜女狐は汚物を見るかのような視線を投げていた。
既に物扱いである。ファーストコンタクトで俺と平等かそれ以下に扱われようとしている赤毛の青年に同志が出来たと喜んでいいのかどうか微妙な心境だ。
俺はこの空間に俺以外に正常な返答が出来る生命体がいるとは到底思えなかったので、嫌々ながらため息をついて口を開いた。
「オーシャン。昨日戦った相手だよ」
「患者なのにアロハシャツとか何なのコイツ、医者馬鹿にしてる?」
「同じこと此処の医者も言ってたぞ」
それでも頑なに脱ぐことを拒んだのだ。
念能力の制約条件とかに関係があるのか訊ねたら、何故か憐憫の表情で無いよベイビーと言われた。殴りたかった。
同じ医療に携わる者として何か思うところがあったのか、キシュハはますます不機嫌になる。
「しかも慣れ慣れしい。ここの病室は何時からルカのお友達部屋になったのかしらね」
「勝手に友達認定するなっての。昨日の敵は今日の友理論とかじゃねえの?」
「学会に出したら叩きだされるわね、それ」
「知るか、医者に聞け」
病室自体が少ないのだろうか。
比較的年少組みが多く集まっているこの病室は結果的に転生者だけの特別病棟になってしまったようだ。
「はっ……知らない天井だ……」
渋い顔をしたキシュハに一応の診察をしてもらっていると、気絶していたオーシャンが呻きながら起き上がった。どうやら先ほどの出来事は記憶にないらしく、しきりに首を傾げている。
「あの程度の能力者に怪我を負わされるとか……」
ここ最近安定してきた生ゴミを見るかのような視線でキシュハはそう呟いて、
「何かあった?」
とその瞳を細めて訪ねてきた。
「ミモザの時とは状況が違うわ。あのレベルの念練度の相手に貴方が遅れを取るとは思えない」
性格は壊滅的だが、彼女はここらの機敏には相変わらず鋭いようで安心する。
俺は深いため息をつく。
「邪魔された。ゾル家の執事に」
「ゾル家……そうでしたか」
声を押し殺しながら話すと、心的外傷から復帰したウィルが納得したような表情で口を挟んだ。
キシュハは黙ったままウィルの方に目で問いかける。
「おかしいなとは思っていたんです。未完成の具現化系能力者にああも苦戦するなんて違和感がありましたから」
相槌をうつ。正確にはオーシャンは強化系だったが、この際どうでもいい。誰だってあの剣を見れば勘違いするだろう。
腰を折るのもあれなので話を続ける。
「念弾を食らったよ。明らかな妨害目的のな」
「念弾……あの袈裟斬りの時ですか?」
「そうだ。ちなみに聞くけどウィル、見えたか?」
ウィルは首を横に振った。
「いえ、全く気づきませんでした」
「俺も着弾するまで、いや着弾した後もしばらく気づかないくらい隠密性の高い攻撃だった。まるで自分の能力を食らっているみたいだったよ」
本気で攻撃されていたら死んでいた。
小さな執事の笑みが脳裏に思い浮かぶ。
「『アルカ組』ね」
「……アルカ?」
沈黙を通していたキシュハがそう言い放った。
「紫色の髪の子供と冴えない青年のコンビじゃなかった? 子供の方は相当なレベルの能力者だけど、実際能力が凶悪って言われているのは男の方って話。難易度Sのアルカ・ゾルディック関連の死神解除条件を達成したってことで、その筋じゃかなり有名な二人組みよ」
「完全にその通りでございますよ、畜生め」
納得した。
遥か上位の念能力者だったのだ。能力の片鱗を見た気がしたが、ポルナレフ現象に遭遇するレベルの訳のわからない妨害だった。
しかしながら、真剣試合を邪魔されるような心当たりが未だに思いつかない。
理論的に生きることを信条としている俺としては、今回のようなケースは酷く理不尽に感じた。
「んー、目的はなんだったんだか」
「殴りたい顔をしていたとか」
「ちょうど目の前に殴りたい顔があったな、納得」
いちいち女狐の相手もしていられない。
返答を求めるかのように何気なくオーシャンの方に視線を向けると、何故かラヴェンナに蹴られていた。
経緯とかキャラ違うだろとか色々思考の余地があるが、そこらへんはギャグの神様に丸投げしとく。
俺の視線を追ったウィルが乾いた笑い声をあげる。
「向こう側の空気が完全にコメディですね」
「ラブが前につかない辺り悲しいよな」
「とりあえず病室なんだから静かに出来ないのかしら」
シリアス路線を走っていた俺たちがなんだか馬鹿らしくなってくる。と、優男を蹴り飛ばして鼻息を荒くしていたラヴェンナが不意に病室の出口の方に視線を移した。
おそらく策敵系の念能力者である彼女のことだ。何かに気がついたのだろう。
数泊遅れて覚えのある濃密な気配が病室に近づいてくるのを自身も知覚する。
「これは……」
ウィルとキシュハも気づいたようで扉に視線を寄越す。
気配は近づき、病室の扉が静かな音を立てて開かれた。蹴られた頬を押さえていたオーシャンが、入ってきた人物を見て破顔する。
「やあ、見舞い品は持ってきてくれたかい? ちなみに僕はバナナが好物だよ」
「残念だが林檎しかないぞ……」
重厚で静かな声が室内に響く。
「ん……これは中々……」
長身に黒スーツ。きっちりとした群青色のネクタイの似合う様はこの場の環境には似つかわしくない。
樋熊を思わせる体躯を覆っているのは歪で力強いオーラ。
ハルド・ムトーだった。
これまた意外な大物が来たものだ。
黒の暗殺者はベッドにいるオーシャンに向けて軽く手を上げながら、迷いなく近づいていく。その後ろには二人の人物。
狐目の青年と垂れ目の制服少女。ハルドの仲間だろうか、どちらも実力としては申し分ないオーラだ。
少女の方はこちらにぺこりと軽く頭を下げた。隣のほうでウィルが釣られて頭を下げるのが見えた。
傍を通るときにこちらに暗殺者の視線が流される。
その瞳孔は俺やウィルを見た後、この場には似つかわしくない日本人形を思わせる容姿のキシュハに焦点を合わせる。
何かを感じたのか、ハルドは目を細めて「ほう……」と小さく呟いた。
オーラ量はともかくとして錬度だけで判断するなら、この場で最も強いのは文句なく彼女だ。単純な念の技量だけで言えば師匠に勝るとも劣らない。
そしてそのオーラは医療系の念能力に携わっている故か、誰よりも精錬にして静寂に満ちている。 決してハルドのような表の人間が無意識に警戒するような、いわゆる「死」を連想させるオーラではない。
とんとんと自らの米神を指で叩くと、身に纏っていたオーラをハルドは露散させた。
俺やウィルだけならともかく、今は己よりも上と判断できるキシュハがいる。悪戯に威嚇して俺たちを刺激するだけ無駄だと悟ったようだ。
最初に200階クラスに来た時にオーラを出して――主にウィルなんちゃらさんのせい――周囲を刺激したのは俺たちなのだ。このくらいの物騒な挨拶はむしろ正常な対応とも言える。
「傷の具合は……聞くまでもないか」
「もちろん完治さ」
一通り目を通したハルド組はオーシャンと会話を再開し始めた。
どうやら彼はいつの間にかこの天空闘技場の勢力の一つに入っていたようだ。そのまま一言二言穏やかな会話を開始し始める。
病室に正常な空気が戻っていた。
思いのほか肩透かしの事態に、俺たちは顔を見合わせて文字通り肩を竦めるしかない。
止めていた堅の修行を再開する。
5分でギブアップしている横で――もちろんオーラ量がハルド達にばれないように能力を使っていたという言い訳をさせてもらう――ウィル様が余裕で続けてらっしゃたのは後の反省点だ。
俺はウィルと久しぶりに他愛無い話で時間を潰すことにした。
――とはいっても、師匠の読むエロ本の周期的変更論について局地的見解をという意味のわからない会議になってしまったが。
いつものごとく俺の見舞い品であるはずの林檎を食べつくしたキシュハは、珍しくミモザ達に手招きされて女の園にするすると入っていった。
すぐに女性特有の黄色い談合が始まる。なんだ、この温度差。
そこへ羨ましそうな視線を向けているハルド組の方の制服少女が視界に入る。
こちらはこちらで男性陣の間で盛り上がっているようだ。
どうでもいいがオーシャンの声が煩すぎて、ハルドと狐目の青年の声がかなり聞きとりづらい。
微かに聞こえてくる会話内容が、俺の実力や念能力について議論しているところが若干気がかりだったりする。
そのうち退屈そうにしていたハルド組みの少女を、目聡く見つけたミモザが輪の中に引きずり込んで行くのが見えた。
「女性陣は仲がよろしいようで」
「羽目を外すのも大事だと思いますよ」
何時も通り安定の全自動皮肉生産機として稼動した俺に、ウィルは笑い返した。
全くの同意見だが、歩く氷塊のようなキシュハが普通に女の子しているのは違和感しか覚えない。誰か俺に眼科を紹介してくれ。
「ルカと言ったか」
「ん?」
ちらりと視線をあげるとハルドが俺に声をかけてきていた。
「何か用か?」
眠る野獣のような視線はどことなく師匠を思わせるが、こちらの方がよりギラギラしている。例えて言うなら師匠は獅子で、こちらは熊というべきか。
獰猛な笑みで目の前の好敵手は口を開いた。
「思っていた以上に強いようだな。どうだ? 次の試合、やらないか?」
「…………アッー!」
「そういう意味じゃないと思います」
とりあえず茶々を入れようとしたら、横からウィルが冷静に突っ込んできた。というかなぜ知ってるし。そしてミモザが何気に反応していたのは忘れとく。
頭に疑問符を浮かべている常識人という名のハルドに対して、俺はへらへらと笑い返した。
「止めとくよ。パスだ」
「ほう……俺では役不足か?」
片眉を吊り上げて面白そうに訪ねて来るハルド。
「役不足なのはこっちだよ。熱い戦いがしたいのなら、お隣のウィル戦闘大臣へバトンタッチだ」
じと目で睨んでくる隣人は当然スルーする。
俺の能力は突き詰めればオーラの攻防力でアドバンテージを取り、戦況を有利にしていく戦闘補助タイプだ。
初めからその攻防力そのものにアドバンテージがある格上の能力者とはなるべくやりあいたくない。
勝てないこともないだろうが、実力が離れすぎていると逆転の目がほとんどないことが俺の能力の浪漫の無さに繋がる。
前の試合を見るに、ハルドは俺と同じく近接タイプの変化系能力者。
オーラ量も質も明らかに上と判る相手である。しかもこのタイミングで声をかけてきたということは、ある程度こちらの能力に当たりをつけてきたか、そうでなくても勝てる程度の実力と判断したかだ。
それこそ本来この能力は奇襲向き。
闘技場のような場所で正々堂々とはいかなく、実力が遥か上であろうハルドには尚更である。
さらにもう一つ確定事項。
「それにだ……」
「それに?」
俺はハルドから顔を逸らした。
視界の端で揺れる赤いリボン。
向こうも「そろそろ」だとわかっていたのだろう。
視線が交錯する。
「先約が、いるもんで」
ラヴェンナが静かに笑っていた。