Báleygr   作:清助

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第十八話「覆いなる嘘」

 PDVCフィルムというものをご存知だろうか。

 科学名で言えばポリ塩化ビニデリン。

 塩素を含むビニリデン基を重合させた、非晶性の熱可塑性樹脂に属する合成樹脂である。単体で使われる例はほとんど無く、塩化ビニルまたはアクリロニトリルなどとの共重合体が通常は使用される。

 フィルムは自己粘着力を持ち、無色透明で適度な熱安定性に優れ、耐水性や保存性にも大変機能的だ。一般的に使用されるようになるまでは戦争時の重火器の保存に使われていたらしい。

 家庭でも使われることになったのは1960年ほどのこと。

 戦後ダウケミカルのラドウィックとアイアンズという二人の技術者が、ピクニックに行った際にこのフィルムを使用し、レタスを包んだことが発端だという。

 現在使われている馴染みある名称は「サランラップ」。

「……」

「……やっぱり持続時間がなあ。あともう少しで降参させられたのに」

 ため息をつきながら視線を戻すと、じと目をしたラヴェンナがいた。

 瞳には涙のあとがあるので若干可愛い。

 噛み付くような大振りのテレホンパンチに「NDK?NDK?」と意味なく叫びながら後退する。試合はまだ終わっていない。

 野菜炒めの残り物からヒントを得たのは、食材を保存するために必要なサランラップだった。修行のために最寄のスーパーで大量に買い込んだときは、店員さんの視線が痛かったものだ。

 

 

 

 

 

 

 離れた物体を瞬時に己のステルスオーラで包み、一定時間存在を希薄化させる能力

 ――≪覆いなる嘘(フェリーニ)

 

 

 

 

 

 

 完全に補助能力だ。

 俺の本質は自分のオーラを隠すこと。

 放出系要素を伴う離れた物体に関して、オーラに〝サランラップ〟の性質変化を加えることで、オーラそのものの保存性と低消費コストを実現した。

 オーラを吸収する性質を持つオーラ?

 できるわけがない。

 そんな事ができたら俺は物語の主人公である。

「発動条件だとか……この円は……」

「ああ」

 俺は思い出したかのように円を解除した。

「全部ブラフ。手軽さが売りです」

 サランラップだけに。

 喋るだけならプライスレスである。

 オーラを吸収して広がったように見えた円も、実際は隠していたオーラを解除しただけだ。もちろん消したように見せた念人形も隠しただけである。

 憤怒でラヴェンナの体表面が震度7くらいになっていたのでもう2歩後退しとく。

 間髪入れずに怒りに任せた念人形の突撃が襲来してきた。

 『覆いなる嘘(フェリーニ)』発動。

 念人形たちを闘牛士のように俺のオーラで覆う。

 7人の小人は瞬く間に気配すら消える。物体と違ってオーラそのものなので、包んでしまえば意識してもどこにいるかわからない。先ほどのように時間が経てば、やがて声ははっきり認識できるようになり、いずれ解けてしまうだろう。

 念人形での攻撃は、カウンター時以外はオートではなくリモート。

 手元にあるならまだしも、見えないところに存在するラジコンを操縦するのは難しいはずだ。ましてや完全なステルス状態。

 さながらリモコンがあるのにテレビ本体が存在していない状態だ。

 純粋な操作系でもない限り、放出系能力者のラヴェンナでは隠している間、念人形は使えまい。

「……だから、なんなの?」

 ラヴェンナの呟きに、俺は笑うしかなった。

 流れ落ちた血液が思考から熱を奪っていく。

 相手の攻撃を無力化しても、決定打が俺にはない。

 結局このまま能力を使い続けて持久戦にもっていっても、ダメージを受けすぎている俺の負けである。

「根競べだ。悪いな」

「本当、面倒くさいわね」

 俺も彼女も、それはわかっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは天空闘技場200階クラスで初試合をした後のことだった。

「……ん?」

 ウィルとの修行をさぼるためにこっそり部屋を抜け出した俺は、夕暮れの廊下を歩いていた。今日の試合は終わり、辺りに人通りは少ない。茜色に彩られた廊下は静寂に満ちている。

 その先に、手すりに寄りかかりながら賢明に歩いている人影を見つける。

 白いカチューシャに白い患者服。黄金色の髪から全身に至るまで包帯がぐるぐる巻かれ、片足を引きずる様は痛々しい。

 ミモザだ。

 担当の医者経由で聞いた話では、運が悪ければこの先一生満足に動けるような身体ではなくなってしまうかもしれないとの事だった。

 そうした原因が自分自身だったので声をかけようが迷ったが、目の前でバランスを崩した彼女が床に倒れこみそうになるのを黙って見ていられなかった。

「おっと……」

 条件反射で試行した能力を解除して、ミモザの肩を急いで支えにいく。

「ありがとうございま……あ、ルカさん……」

「どうも」

 そうして何も考えないで行った自分に若干後悔した。

 つい最近生死をかけて戦った相手に対して、どう接していいのかわからず気まずくなった。鼻腔を汗の匂いが刺激する。抱きとめた身体は年相応の少女のようで、折れそうなくらいに細い。   

 こんな小さな少女が何故試合中、あんなにも恐ろしく感じたのか、今となってはわからない。

 詰まりそうになった声を必死に絞り出す。

「……リハビリか?」

「え……、あ、はい。そうです」

 肩を支えながら場を繋げるために話しかけると、ミモザも拙いながらも微笑んで返してくれた。

 そのまま長い廊下を二人で歩いていく。

「ラヴェンナの奴は? あいつなら真っ先に手伝いそうだけど」

 歩きながら何気に双子想いな片割れを思い出した。そういえばいつも重箱の隅を突いてくるような煩いやつがいない。ミモザは言いにくそうに俯く。

「えと、黙って抜けてきてしまってたり……。お医者さんからまだ動かない方が良いって言われているんですよね」

 ラヴェンナには秘密ですよ、とミモザはぎこちなく笑った。

 俺も笑い返す。果たして上手く笑えているだろうか。

 無意識のうちに絆創膏の貼られた彼女の頬をなぞっていた。

「……ルカさん?」

 小首を傾げたミモザに、俺は羞恥を隠す。

「あー、悪いっ。そういえばミモザとラヴェンナってどっちが姉なんだ?」

「わたしですよ、一応。ラヴェンナには頼ってばかりですけどね」

「確かに意外だ」

「はっきり言い過ぎです」

 頬を膨らませて楽しそうに小突かれた。そのまま軽い雑談を始める。

 しばらくして展望ロビーに出た。

 地平線の向こうの雲に隠れていく太陽が、誰もいない空間を暖かい色で染め上げている。

「そこの、椅子までお願いできます?」

 窓辺に置かれている車椅子を指差してミモザは小さく言った。

 断る理由はない。静かに頷いて一緒に歩いていく。完全に支えようとしたら「自分の力で」と軽く手で押し退けられたので、いつでも支えられるように神経を張り詰めていた。

 一歩の足取りは小さく頼りなかった。真一文字に結んだ口元が、奇妙な方向に捻じ曲がっていくのを自分自身で止めることはできない。

 長い時間をかけて、ようやく車椅子にミモザは腰を下ろした。

 耐えられなくなった。

「悪かった、ごめん」

「……?」

「いや、勝負とはいえ、なんつーか、やり過ぎたというか……」

 そう言わなければ俺自身が嫌な思いを抱えたままなので、結局独りよがりの謝罪だ。その事を含めての懺悔だった。不思議そうにこちらを見ているミモザに、そこまで気づかないでくれるように願った。

 彼女は何かを言いかけたが、開いた口を人差し指で押さえて、もう一度面白そうに開いた。

「許しません。ラヴェンナに仕返しして貰います」

「……そうかい」

 ただの悪ふざけと受け取って適当に返答しとく。

「それともこう言って欲しいですか? 女の子を殴っちゃいけません、とか」

 ミモザの言葉に俺は嫌そうな顔をしていただろう。実際あれだけ本気で人間を殴りまくったのは人生初だったのだ。一般的な日本人男性の価値観はそう消えるものではない。あ、キシュハという生命体は例外だ。

 沈んでいく夕日を眺めながらミモザが深く呼吸する。

 俺も横に並んでいた待合椅子に腰掛けた。

 見渡す地平線はどこまでも白い雲の海だった。

 しばらく静かにしていたミモザの口が開く。

「自分から戦うことを選んだんです。わたしは女だからとか、子供だからとか、そういう事で差別されたくはないです。負けた事が自分の責任なら、この傷はわたしが弱いから悪いんです」

「……」

「それでも、何かしらの責任をルカさんが感じているなら……」

 口元を押さえながら唸る包帯少女。

 こちらを向いて何の気なしに続けた。

「今度わたしが誰かに殴られそうになったら助けてください」

「なんだそりゃ」

「シンデレラは王子様に憧れるものなんです」

「はいはい……」

 脱力した俺を差し置いて、ミモザは満足したように何度も頷いた。まあこの時の約束は、思いがけず後日果たすことになったのだが。

「じゃあ俺、もう部屋に戻るから」

 反動を利用して軽く椅子から立ち上がる。

 胸の重みは少し楽になった気がした。

「あ、はい」

「送っていこうか、お姫様?」

 からかったつもりで言ったのだが、当の姫君は薄く微笑んだまま優雅に首を横にふった。

「もう少し、景色でも見ています」

「そうか」

 ロビーから出て行こうとかぶりを振って、何気なくミモザの方に向き直る。

「ミモザ」

「はい?」

「どうしてあの試合、戦い続けることができた?」

 本当は一番聞きたかった事だった。

 そこまでぼろぼろになってまで戦う意味なんてないだろう。

 そう言いたいのは我慢する。

 ただ、なんとなく。

 なんとなく、昔自分が捨ててしまったものを、彼女はまだ持っているような気がしたのだ。

 彼女はしばらく考えて、かみ締めるように口を開く。

 夕焼けが彼女の頬を静かに撫でていた。

「結局はきっと、負けたくなかったから、なんでしょうね」

 何に、とは聞かなかった。

 言葉にすればきっと陳腐で幼稚で、その価値が霞のように消えてしまうから。

 揺らめく炎のように、いつかその想いが尽きて灰になっても、彼女の意思はこれからも続いていくのだろう。

「……怪我、早く治せよ」

「はい」

 その場をあとにする。

 曲がり角を曲がると、壁に腕を組んで寄りかかっている少女が一人。

 金色の髪の上で、赤いリボンが気難しそうに揺れている。

 すれ違うついでに余計なお世話を入れておく。

「優しくしてやれよ、妹君」

「わかってるわよ」

 言葉は当たり前のように返された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 念人形の攻撃をサイドステップでかわす。

 後ろの一体をフェリー二で一時離脱させようとするが、流したオーラは器用に回避された。

 代わりに脇腹に2体の突撃が突き刺さる。同時に気配がなかったはずの後頭部の方にも強烈な衝撃が走った。

 こちらの能力で隠した念人形も「慣れ」が生じてしまったのか、ある程度攻撃に参加してくるようになり、逆効果になりつつある。

 食いしばった歯の間から鮮血が漏れ出る。皹の入った右足の激痛に耐えながらかろうじて踏ん張った。

 威力も攻撃速度もあがっている気がする。

 俺が弱くなったのか。

 違う。

 ラヴェンナが強くなったのだ。

 戦いの中で成長するのは何も天才だけに限った話ではない。おそらくこうも本格的な持久戦になったのはラヴェンナも同様だろう。限界まで行使する念能力が、効率や威力の限界を超えて進化する事はそう珍しいことではない。

 流しているのは汗か血か。

 視界はぐるぐると回転しているのに、意識だけはやけにはっきりとしていた。

 猛攻の止まない念人形たちの攻撃も何度食らったかわからなかったが、その動きだけは明確に見えていた。

 まだいける、まだ。

 避ける。ひたすらに避ける。

 どうしても避けられなければ耐える。

 その繰り返しだ。

 途中から業を煮やしたラヴェンナも攻撃に参加してきたが、じっと見つめたまま回避することに専念した。

 盛り上がっていた会場も、いつの間にか熱気は冷めている。俺の耳が聞こえにくくなったせいかもしれない。

「まだ……まだ……」

「いい加減にっ………!」

 苛立ったようにラヴェンナが叫んだ。

 反射で繰り出した拳に7体分のオカエシが発動、俺に直撃する。

「……」

 歯を食いしばって耐えた。

 リングをぎゃりぎゃりと削りながら後退する。倒れてはいけないと思ったから、倒れないように意地を貫く。

 視線をあげると、ラヴェンナが恐ろしいものでも見るかのようにこちらを見ていた。

 ――こんな光景、以前どこかで見たことがあったな。

 観客席に視線をやる。

 ミモザが静かにこちらを見ていた。

 それに僅かに笑みを返す。

 眼前に視線を戻すと、ラヴェンナは立ち尽くしたまま俯いていた。下げられた両手の拳はきつく握りこまれている。

「もういいでしょ……もう十分、十分よ。よくやったわよ、あんたは。よく此処まで粘ってるもんね。びっくりしたわよ――」

 ラヴェンナが叫ぶ。

「だからとっとと倒れなさいっ……!」

 長時間の一方的な殴り合い。

 圧倒的に有利なはずの自分が、汗を流しながら息を激しくさせることなど、彼女は経験してこなかったかもしれない。

 わかる。わかるよ。

 理解不能だよな。俺もだ。

 世の中努力や根性でどうにかなるもんじゃないんだ。

 川に溺れた子供は飛び込んでも助けることができないし、大切な人を銃弾から身を盾にしようが、弾は貫通することもある。

 分相応って言葉があるように、世の中にはどうしても妥協しなきゃいけないことがあるってことが、まともな人間なら理解できるようになってるもんな。

 だけどさ。

「俺の限界を、お前が決めるなよ」

 口を噤んだラヴェンナに接近する。

 右手の先一点にオーラをかき集めて硬を開始。

 隙がある。狙いもばればれだ。

 だが止めない。

 念は揺ぎ無き鋼の意志が勝敗を左右する。

 この一撃に命を込めれば、あるいは届く事だってあるのだ。

 ラヴェンナはかわす素振りは見せなかった。

 酷く難しい顔をして俺を向かい入れる。

 拳が彼女の頬に触れた。

 念人形の追撃は――。

「……」

「……」

 こなかった。

 俺のオーラが完全に尽き、突いた拳は力なく。

 撫でるような動作が彼女の素の防御力を超えることがなかったためだ。

 首から下が言うことを聞かなくなったが、張り付けた笑みは最後まで貫く。

 懲りない唇から、孤独な嘘がこぼれ落ちた。

「俺の……勝ちだな」

「……そうかもね」

 膝から崩れ落ちる形で、今度こそ意識が飛んでいく。

 霞む視界の中で、血に塗れた手のひらが白雪姫の純白の頬を汚していた事に気がついた。

 綺麗なままでは終わらせない、変な意地だけが残った。

 

 

 

 




念能力の元ネタはフェデリコ・フェリーニ。映像の魔術師の異名をもつ映画監督。

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