Báleygr   作:清助

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第二十話「愚者たちの日常・後」

 大理石の光沢が湯気の中に鈍く輝く。

 壁には獅子の像。口から流れ出るお湯は無駄な豪華さを醸し出していた。

 何故か真下にはその水を受け止める巨大な獅子おどし。サウナ室へ続くドアの隣にはでかでかと富士山らしき山の絵が描かれている。

 洋風と和風が入り乱れる意味不明な光景だ。優美さと風流さのどちらを目指しているのだろうか。

「うへえ、効くう・・・」

「年寄りみたいな声出さないでくださいよ」

「傷に沁みるんだよ、ほっとけ」

 ウィルの声を適当に流しながら一息つく。

 高所での湯浴みも思ったよりいいもんだ。窓ガラスから一望できる景色は壮大の一言に尽きる。

「ふはははっ!貸切だ!貸切だぞ!」

 オーシャンは妙なテンションで泳いでいた。

 午前の時間帯だからか、確かに人はいない。

「しかし本当になんでも在る所だな、此処は」

 肩を軽く揉み込みながら天井を見上げる。

 病院が階層に混在しているのにすら驚いたのに、選手のケアのためにゲームセンターやカラオケ、果てはこんな風呂場まであるとは。

「テーマパークみたいですよね。一般の選手たちがフロアマスターを目指している気持ちもよくわかります」

 名声だけでなく快適な暮らしも保障されるのだ。闘技場だけの運営ならここまでメジャーな場所にもならなかっただろう。

 世界各地にコロシアムなら他にも存在するが、観光名所として有名なのは天空闘技場くらいだ。

 闘いの聖地とはよく言ったものである。

「つーか、ハルド達と一緒じゃなかったのかよオーシャンは。誘うなら普通そっちだろうが」

 ふいにその事を思い出して声をかける。

 雰囲気的にもあの男は好きそうだ。

 徒党を組んでいる筈なのに、オーシャンは単独行動を見かけることが多いような気がする。

「うぐっ」

 痛いところを突かれたように泳ぐのを止める赤毛の青年。

「それはだな……」

 獅子おどしが傾いて浴場に軽快な音を響かせる。

 湯船から立ち上がって、オーシャンはびしりとこちらを指差してきた。

「ふ、ふっ・・・・・・あろうことか僕の強さを理解して貰えなかったようでね。英雄は常に孤独が付きまとうものなのさ・・・・・・」

「つまり弱すぎてハブられたと」

「はっきり言わないでくれたまえ」

「とりあえず前を隠してくれませんか?」

 俺だけでなくウィルにまで白い目で見られ、湯船に崩れる男。こいつ弄るの意外に楽しいな。

 ――と、覚えのある濃密な気配が浴場に近づいてきた。

「この気配・・・・・・」

 隣のウィルの目が細められる。

 がらがらと入り口が開く。

「む……やはり居たか……」

 熊のような巨躯を露に、ハルドがそんな声をあげた。岩盤に似た上半身の筋肉が湯気の向こうから見える。後ろには仲間の男も見えた。俺たちの方を見やる視線は相変わらず鋭い。顔が腫れているのはウィルとの試合のせいだろう。

 腰に巻かれたタオルの上からでもわかるアレを目にした俺は、無意識にケツを手で押さえた。すごく……大きいです……。

「おい見ろウィル、アレをどう思う?」

「言いませんよ」

「元ネタ知ってる時点で自爆してると思うがな」

「……」

 微妙な顔でこちらを見るウィルに、俺は涼しい顔で対応することにした。一人だけ常識人を装おうとしても無駄だ。

 ――いやその考え方だと俺がまるで常識人ではないかのようだ。考えを改めよう。

 嫌な空気が流れる中、ハルドが静かに湯船に浸かった。その背後にいた狐目の男も習うように腰を落ち着ける。

 オーシャンはというと、気まずいのか向こうの方で背泳ぎを始めた。

 何とも言えない感覚が支配する。絶対的な強者であるキシュハがいない時に、会いたくない相手が来てしまったものである。隣の相棒が先ほどからピリピリとしていた。

 厄介ごとが起こらなければいいが。

「腕はもう大丈夫か?」

 フラグ回収ご苦労様です。

「子ども相手に少々本気を出しすぎたな」

 隣まで寄ってきたハルドがウィルに向かってそう言った。自分が試合で与えたダメージの筈なのに白々しい。顔には得意げな微笑が浮かんでいる。

「お構いなく。そちらこそ顔が丸々に膨れてるみたいですけど大丈夫ですか?」

 返す言葉でウィルが斬る。

 陶器が割れるような熱気の空間だ。挟まれている俺の身にもなって欲しい。

「本当の戦いならこちらが勝っていた」

「負け惜しみは止めて下さい。あのまま続いていたら僕の方に分がありました」

「今此処で試合の続きでもしてやろうか?」

「顔の痣を増やしたいなら構いませんよ」

 言葉の応酬が両端で行われる。

 オーラのせいで盛大に風呂が波立った。

 強化系の水見式は水を増やすというより、膨張させるという表現の方が正しい。海でもないのにウィルのオーラで津波が発生して側頭部に襲い掛かった。明確な敵よりもライバルのような関係になるのは結構だが、これ以上は泳いでいるオーシャンが本格的に溺死しそうなので止めて貰いたい。

「威嚇しあうのは勝手だがこっちは怪我人なんだ。勝負がしたいなら他所でやってくれ、お二人さん」

 いらいらを隠さないで俺は言った。

 ついでに親指を立ててサウナ室の方に向ける。

 古来から男たちの間では、密閉空間での我慢大会が部族間の族長を決めるために使われたという。その事を信憑性を上げるために具体的かつ大真面目に二人に伝える。もちろん今思いついた。

「仕方ないですね。倒れても介抱はしないので覚悟してください」

「ふむ、古典的だが良いだろう。ここは一つ我慢比べと行こうか」

 強化系が単純馬鹿ということが科学的に証明されて何よりである。釣られたハルドはもっとどうかと思うが。

 ふっふっふっ、と二人とも妙な笑い声を残しながらサウナ室へ消えていった。俺はもう知らん。

「すんまへんなあ。うちの大将、ウィルはんと引き分けた事がえらいショックみたいで」

 残った俺がようやく緊張を解いて湯船に浸かっていると、特徴的なニュアンスのある声がかかった。ハルドの仲間である華人の男だ。

「いや、こっちのウィルも優等生に見えてすぐ熱くなる奴だから仕方ねえ」

「お互い苦労しますなあ」

「全くだ」

 この男、かなり強い。ミモザ以上ウィル未満といったところか。

 愛想笑いをしながら俺はそう思った。

 先ほど何気に風呂場全体に影響したウィルたちの発。全員が反射的にオーラでガードしていたが、この男の念は金剛石のような錬度の高い纏だった。量こそないが質がいい。地道な修行をしている証拠だ。挙動も武人のそれ。

 念の才能こそないが武芸の達人。そんなイメージだ。

「自己紹介が遅れたん。自分、ユーロウ・リー言います。ハルドはんの一番弟子やらせて頂いとります。どうぞよろしゅう」

「ルカだ。まあ今更言わなくても、もう知ってると思うが」

「耳に蛸ができるほど。ハルドはんがよう闘いたいってぼやいてましたわ」

「男にモテモテでも嬉しくはねえな」

「いやあ、バトルマニアですんませんなあ」

 一番弟子か。

 弟子は師に似るという。道理でハルドに迫る雰囲気だ。

 そういえば俺は3番弟子だった。

 師匠には妹であるキシュハの他に、里の警護を任せているアルバインという優秀な一番弟子がいると聞いた。まだ実際に出会ったことはないが、やはり師匠に似た雰囲気を持つのだろうか。師匠が二人……嫌な光景だ。

「ルカはん?」

「ん?」

「なんやえらいむすっとした態度になってますん。どないしました?」

 想像していたらユーロウに突っ込まれてしまった。

「いや何というか。俺たちの師匠も面倒事が好きな方だから、人のこと言えなかったなと」

「師匠って一度病室であった、あの日本人形みたいな別嬪さん? そんな風には見えへんかったけどなあ」

 キシュハの事を言っているのだろうか。あの歩く食いしん坊万歳に対して別嬪さんの評価とは世も末である。厳密にいうと彼女は師匠ではないが、態々説明するのも癪なので曖昧に肯いておく。

「そかあ、何時かお手合わせ願いたいわあ」

 ぬるりとしたオーラが仄かにあがった。ああ、こいつも戦闘狂だ。

 しかも強化系らしく、お湯が溢れ出てるし。どうも俺の周りにはこういう単純馬鹿たちが多い気がする。

「――ん?」

 気の抜けた現状に脱力していると、天井の方から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 盛大に声をあげて泳いでいたオーシャンの頭がちょうどすぐ近くにあったので、神経を研ぎ澄ませながら水面に押し込む。

 ぶくぶくと泡が立つが気にしない。

 あっけに取られているユーロウには静かにするジェスチャーをした。

「……ぶはっ! いきなり何をするん――」

 湯から顔を出したオーシャンが声を荒げるが、そっと口を塞いで同様の動作をする。そのまま親指を立てて、俺は無言で壁の一方向を指した。

 

(――ナっ、海が見える!)

(はいはい、わかったから。ちょっとミモザ、はしゃぎ過ぎよ?)

(でも実家の方、山ばっかだったじゃない? 爺やは心配性だからあんまり湖で水遊びはさせてくれなかったし――)

 

 ゴスロリ双子の声が聞こえる。

 ミモザの方は普段と比べて随分と子どもっぽい声色だった。どうやら人前では猫を被っているようだ。ここまでの経過で事情を察したかのように、ぴくりとユーロウの眉が動く。

 

(だ、誰もいませんよね? なんか貸切りみたいで変な気分です)

 

 弱々しい声が頭上に続く。

 この声はアイシャ嬢か。思わぬ幸運である。

 しかし完全ロリは置いといて、ロリ巨乳と女子高生の裸体が壁の向こうにあるのか。

「……」

 見上げた先にはいかにも覗いてくださいとばかりに開けた壁と天井の隙間。

 振り返るとユーロウが深く頷いていた。

「……行くか」

「ついて行きまっせ、ルカはん」

 神は言っている・・・・・・此処で覗かない定めではないと……。

 俺は全力で戦場紳士(プライベートライアー)を発動、さらに覆いなる男の夢(フェリーニ)も並行させてユーロウの身体に纏った。

 俺達の気配が限りなく薄くなったことに、オーシャンが軽く呻く。

 現在の状況において俺の念は最強だ。

 今この瞬間のために作ったと言っても過言ではない。嘘です。

「ちょ、ちょっと待ちたまえ君たちっ」

 作戦を実行するため立ち上がろうとすると、目的を理解したオーシャンが小声で引き止める。至極真面目な顔でこいつに言われると、なんだか負けたような気がするのは気のせいだろうか。

 俺は厳粛な面持ちで訝しげに問う。

「なにかな軍曹」

「軍曹? いやそれはともかく、淑女たちの裸を覗こうとは男の風上にもおけないだろうに――(キシュハさんて色白で綺麗ですよねー。雪みたいで羨ましいなあ)――何をしているんだルカ君、早く僕にも能力をかけたまえ」

 やれやれ、まさか鬼畜女狐にお熱とは恐れいったぜ。お前こそ真のドMリストだ。ナイスファイト。

 増えた同士へ爽やかに笑いながら能力を施行する。

 男性浴場から一時的にすべての男の気配が消えた。

 今の俺達は名づけて「3人の紳士(バンプ・オブ・チキン)」。決して他人の認識には映らない無敵の紳士たち。

 勇敢にも先陣切って壁を登ろうとするユーロウに、俺は手で静止。

 俺の左手は未だ怪我で上手く動かないので、何らかの安全策がいる。

 そのまま目配せをすると、呼応するようにオーシャンが能力を発現させた。

「エクスカリバー!」

 具現化した剣を数十本、ゆっくりと階段状に並ばせた。もちろん行き着く先は壁の向こうだ。まさに勝利への階段に見えた。

「くっ、さすがにこの数の具現化は堪えるな」

「大丈夫かオーシャン?」

「ああ大丈夫だとも。さあ行こう諸君、僕たちのアヴァロンに・・・・・・」

 強化系にも関わらず、具現化と操作系を無理やり行使しているオーシャンの雄姿に涙が出そうになった。

 彼の努力を無駄にしてはいけない。

 俺は決死の覚悟で階段に脚をかけた。左右に神妙な顔をした二人を従えて上って行く。

 

(むー、ぼいんぼいん。ラヴェンナと私って何でこんなに違うのかしら)

(ミモザ、言い方が親父くさいわよ)

 

 

 天国から蟲惑的な天使たちの声が聞こえてくるようだ。そのトランポリンで俺の心も弾ませてくれ。

 ゴールはすぐ其処だった。

 いつもとは違い、多人数にかけている俺とオーシャンの念能力も精度を維持するのがかなり辛い。念能力が剥がれつつあった。

 足元はぐらつき、気配は徐々に漏れつつある。

 能力が解けない事をひたすら祈るしかない。

 どうか持ってくれ、そして届けえええええええ。

「アレ、アレ。ナンカイル?」

 なんかいた。

 ちょうど目の前の壁の上になんかいた。

「バカヤロウ、ノゾキダノゾキ、ヒメニホウコク――」

 フェリー二の超光速展開を用いて全力で二体の人形を隠す。 

 何もいなかった。うん。

 俺たちはお互いに頷きあって、並んで壁の上に身を潜めた。

 勝者のごとき面持ちで静かに下を見下ろす。

 そう其処には無限の可能性が。

 「……!?」

 衝撃。

 スローモーションの世界。

 視界が揺れる。

 攻撃を受けた。理解できるのはそれだけ。

 頭を思い切り殴られたような重い痛み。完全な認識外からの一撃だった。

 あれ? なんかオーシャン戦のデジャブ?

 視線を走らせると、ラヴェンナが笑顔でこちらを見上げていた。

 その豊かな裸体はタオルで覆われている。畜生反則だ。

 念弾か。なぜばれた。いや念人形になんらかの条件反応をつけてればさすがに判るか。

 オーシャンもユーロウもふらついていた。

 やばい。次弾が来る。避けなければ。

 殺す気だあいつ。殺気が試合の比ではない。突っ込みを入れるとかそういうレベルじゃねーから!

「はあっ!」

 放たれた念弾に横にいたユーロウが、俺たちをかばうように腕を振るう。

 衝撃を耐えられず苦悶に浮かぶ戦友の顔。仮にも武闘派の強化系にダメージを与えるとかどんな念量だ。

 それでも助かった。でも駄目だ、次はない。

「総員退避! 戻れっ、戻れええええええええっ!」

 素でダブルハンドマシンガンをしてくる白雪姫に、大慌てで後方の男湯に飛ぶ。背筋を大量の念弾が掠る感触にひやりとした。

 転がりながら受身を取って着地。仲間の安否を確認する。どうやら二人とも無事なようだ。

 ほっとしながら天井を見上げると、綺麗に大穴が開いていた。

「あ、危なかったな」

「三途の川が見えたよ・・・・・・」

「わい、もう懲り懲りや」

 口々にそう言い合う俺たち。失敗をしたとはいえ、たった今死線を潜ってきた仲だ。互いの健闘を称え合い、賛美した。命があって何よりである。

 だが現実は甘くなかったようだ。

「――っ!?」

 凄まじい炸裂音が耳朶を振るわせる。

 湯気が砂塵のごとく浴場を駆け巡った。

 恐る恐る背後を振り向くと、浴場内を跨いでいた人類の壁が粉々に破壊されている。隣のオーシャンが真顔で「壁が・・・・・・壁が壊された・・・・・・」とか呟いている。おい誰か、立体起動装置を貸してくれ。

 タオルをその細い身に巻きつけ、向こう側からゆっくりと出てくるのは灰かぶりの暴君である。ガラスの靴が神々しく輝いておられる。

 その傍らには、容易に心臓を止めるだろう暴力的な念を手に集中させた死の外科医。眼に光がないように見えるのは俺の気のせいだと思いたい。

 ああ、終わった。

 俺たちは儚い慈愛に満ちた顔で、週末の終末を受け入れた。

 ――数十分後、日頃の疲れを癒すために風呂場に来た担当医が、夢破れた3体の土左衛門を見つけて心的外傷を抱えることになる。

 ついでにサウナ室でぶっ倒れていた盛大なアホ2名も病棟に纏めて回収された。

 嫌な事件だったね……。

 

 

 

 

 

 

 


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