規則的な振動と音が三半規管に響く。
極限まで意識を研ぎ澄ませる。
指先で変化させていたオーラは形状を徐々に変えていった。
変化系のオーラ修行は、念そのものを覚えるよりも随分と簡単な作業だ。
オーラを消して汗を拭う。
視線を窓辺に寄越すと、果てない海が広がっていた。反対側に視点を移動すると、アメリカのような広い荒野が横たわる。向かうは山脈。僅かに上り坂。
空はやや暗いのが残念だ。
この分だと、夜辺りに雨が降るかもしれない。
鋼の車両はその役割に従い、銀色の線路の上で煙を吐き出しながら黙々と走っていた。
飛空挺での移動はもう飽き飽きしていた所だ。
ハンター協会本部が存在するスワルダニシティから飛行船に乗って数時間、パドギワ共和国の東部に位置する天空闘技場への道のりは、空と陸を経由する。
長時間空中にいた後だと、こういった西部劇のような列車での移動も趣があっていいものだった。
自然と笑みがこぼれる。
「……うっぷ」
「吐くなよ」
現実逃避という壮大な想いに囚われながら、視線だけ正面に戻して釘を刺しておく。
兄弟弟子のウィルが青い顔をしていた。修行を共にしていれば、誰でも彼の念の習得速度の速さには驚嘆するだろう。
性格も至って真面目だ。
癖のある師匠たちに比べると、俺たちの中では最も常識人である。ちなみに俺は常識人殿堂入りしているので余計な詮索は不要だ。
まあそんなウィルにも、乗り物酔いという弱点があったみたいだ。
師匠の強烈なしごきにも弱音を吐かなかった彼が、別の意味で吐きそうである。
見続けているとこちらまで気持ち悪くなってしまうので、被害を避けるために視線を隣に移す。
隣の座席では師匠とキシュハが向かいあって弁当を豪快に食べていた。
こちらも変なところで似たもの兄妹である。
「キシュハさん……あなたの念で、うっぷ……治療とか出来ま、せん?」
紫色にまで変色した顔でウィルが訴えた。
大きなエビフライを頬張っていたキシュハはそれを確認すると、僅かに眉間に皺を寄せる。
「乗り物酔いは……自律神経の失調状態で、あくまで……臓器関係しか操作できないわたしの能力で治療は……ごくん、無理よ、ごめんなさい」
「申し訳なさそうに言っているところ悪いが、もぐもぐしながら話しても説得力はないな」
「む、そういう兄さんはエロ本読むか、食べるかどちらかにしたら?」
「俺にしてみればどっちもどっちだぞ」
「……おえっぷ」
片手で器用にページをめくりながら卵焼きを摘む師匠に対して、キシュハが呆れながらに言う。
どうでもいいがお前も箸を置け。
横にいるウィルが大量の食べ物をかきこむ二人の様子を見て余計体調を悪化させている。不憫だ。
「酔い止め飲んでそれなら、いっそ睡眠薬でも飲む? あ、お弁当食べないなら貰っとくわね」
「う………お願いし――」
言いかけたウィルが前方に屈む。
そのままリバースされては堪らないので、咄嗟に弁当を包んでいた紙袋を差し出す。ぎりぎり間に合った。
キシュハがウィルの背中を撫でて心配そうに振舞う。その視線が彼の弁当に固定されていなければ女神のようである。
――列車は変わらず進む。
昼食も終わりうとうとと転寝を漕いでいると、俺たちのいるコンパートメントの外に人の気配が近づいてくる事を感知する。
「失礼」と扉を開けてきたのは軍服姿の警官が二人。
入ってきたのはそれだけだったが、外の方にも似たような気配が何人かいた。
一瞬師匠が何かやらかしたのか、と隣を見たが、同じことを考えていたらしく見つめあう形になった。これには肩を竦めるしかない。
「なにか?」
代表という形で師匠が憮然と訪ねる。
どうでもいいがあんたはいい加減卑猥な書物から意識を外した方がいい。
警官は師匠の持っているアレな本に顔を僅かに顰めるが、おほんと気を取り直して姿勢を正した。
「身分証の確認をさせて頂きたい」
その言葉に俺は眉を寄せた。
やべえ。流星街とそう変わらないスラムから逃げるような形で此処まで来たので、その類のものは持ち合わせにない。
どうごまかそうか内心どぎまぎしていると、内ポケットを漁った師匠が目線を下にやったまま、何処かで見たことのあるカードを取り出した。
「これでいいか?」
記載された名前と共にそれを見た警官の背筋が慌てて伸びる。
「失礼しました。ブラックリストハンターの方でしたか」
「そうだ。こいつらの身元の保証はオレがしよう」
ちゃっかりとハンターライセンスを懐に戻しながら師匠が続ける。
「随分と大げさな取締りをしているようだが何かあったか?」
コンパートメントの外の様子を言っているのだろう。実際に隣の部屋からもそれらしき声が聞こえてくる。
警官たちは顔を見合わせて逡巡すると、視線を戻して口を開く。
「危険な脱獄犯がこちらの車両に乗り込んだとの情報を得たので、現在捜索中であります。次の駅で我々の応援部隊が待機していますので、お手数ながら乗り換えの準備をお願いします」
「ふむ……警戒しておこう」
「ご協力感謝します!」
びしりと敬礼した警官が部屋から出て行こうとする。
その背中に師匠が声をかける。
「ちなみに脱獄犯の名は?」
警官は今度こそ返答に詰まった。
何か戸惑っている雰囲気だ。二人で視線だけの会話を交錯する。片方が場を取り持つように奇妙に笑った。口内の金歯が鈍く光る。
「ジョネス……です」
「……ほう」
師匠はようやく本を閉じた。
聞いていたキシュハがぴくりと顔を動かしたのがわかった。
空気が少しだけ変わる。何処かで聞いたことのある名前のような気がするが、いまいち馴染みのない名だ。
警官たちが部屋を離れていくのを見送りながら、隣を肘でつつく。
「ハンターライセンス持ってたのかよ」
「便利だからな」
腕を組んだままの短い返答が続く。
「……やらないぞ」
「あんたは俺のことを何だと思っているんだ」
黙ってこっそり売って夜逃げしようとかちょっとしか思っていない。ちょっとしか。
恨みがましく師匠を見やると、彼は天井のネットから荷物を取っていた。
袋からごそごそと3本の棒を取り出して手際よく組み立て始める。
顔を顰めたキシュハが口を開く。
「兄さん、また麻袋に入れてきたの?」
「悪い。忘れていた」
「せっかくベルトに着けられるようにしたのに……」
聞いているこっちは何のことか判らない。
かちゃかちゃと念入りに組み立てる音が車内に響いた。
徐々に長くなっていく。
連結する度に大事そうに表面を磨いていた。
思い出したかのように師匠が呟く。
「そういえばルカはスラム出身か」
「ん、ああそうだ」
「身分証は?」
「ねーよ、気づいたら孤児院にいた」
「そうか」
また黙って作業に戻る師匠。
なんでもないかのように扱われて少々傷つく。
こちらの世界に来た当初は割と大変だったのだ。流星街とは言わなくてもそこそこ治安の悪いところにいた。悲鳴や血の臭いは日常的だったし、実際一緒に暮らしていた孤児院の子供たちも何人か死んだり行方不明になったりした。
前世で平和な日本に生まれたことが、どれだけ幸せなことだったかあの経験で良く理解できた。
――しかし身分か。
先ほどの時のように面倒なことが起こらないように、暇があればハンターライセンスでも取りに行ってみてもいいかもしれない。
警笛が鳴らされる。
駅が近いようだ。
警官に言われたとおりに乗り換えの準備をしようと軽い伸びをした。
窓ガラスを見ると緩いカーブを描いたレールの先、無人の荒野にパトカーの音と黒い車両が集合している。
脱獄犯一人に随分と大げさな展開だ。
俺はそう思いながら横目で確認していた疑問を口に出す。
「ところで、なんで戦闘準備してるんだ?」
師匠が組み立て終えた物の全長は、子供一人分ほどの長さだ。
通常のそれとは違い、やや短い印象。
長い棒の表面には見慣れない文字が刻まれている。
神字というものなのだろう。
その証拠に、凝で見てみると僅かに念の気配が漏れている。
最後に取り出したケースの中には薄い陶器のような刃物。
これも薄っすらとした念の文字が銀色の輝きを放っていた。
それを先端に装着すると、立派な「槍」の全貌が生まれる。おそらくこれが彼の愛用の武器なのだろう。
師匠は片手で重さを確かめるように持ち直して聞いてくる。
「ジョネス、という名前に聞き覚えは?」
「……?」
言われながら片隅に妙なひっかかりを覚える。
聞いたことはあるがいまいちピンと来なかった。そんな俺の様子に、師匠は短くため息をついた。
「こういえば判るか――原作でのトラップタワーの所は読んだか?」
思い出した。
「解体屋ジョネスか」
そういえばそんな奴がいた。
ザバン市史上最悪の殺人鬼、解体屋ジョネス。その驚異的な握力で多くの人間を殺してきた凶悪犯だ。
原作の方では囚人試験官として登場して、キルアに心臓を抜き取られて死んだキャラ。
今は原作開始前なので、当然刑務所にぶち込まれているはずである。
それがなぜ――。
そこまで考えて俺はなんとなく察しがついた。
師匠を見上げると、武器の最終チェックに入っている姿が目に映る。
「ジョネスが今どうしていようと関係ない。今は原作開始前だからな。脱獄していようが死んでいようがそれも関係ない。しかしながらただ一つ、気にかかる事がある……判るか、ルカ?」
「脱獄を手伝った人物がいる……」
「そう、転生者だ。おそらく自身の念解除のために逃がした」
瞬間、大きな爆発音。
まるで線路上を綱渡りのようにぎりぎり走るような甲高い音が辺りに響く。
列車が大きく揺れてあちこちから悲鳴があがった。
脱線はしなかったようだ。
走り続ける列車の窓から顔を出すと、前の方で蒸気とは違った煙が流れ出ているのが見えた。
後方には呆然とした顔で駅に立ち尽くす警察の面々。
止まるどころか列車の速度は増している気がする。どうやら先ほどの爆発は強制イベントの合図らしい。
「暴走列車ってか……」
後ろで冷静な声が聞こえる。
「派手に暴れているな。どうやら周りが見えないほど必死らしい」
「で、どうすんだよ師匠?」
窓辺から身を戻して柔軟をする。
答えは分かりきっていた。
「同胞を確認しだい制圧だ。処遇は後で決める」
実戦はこれが始めてである。
しかしノリノリの師匠を見ていると安心感が違う。師匠は未だに潰れているウィルをちらりと見やると、眠たそうに欠伸をしている妹に顔を向けた。
「ウィルのお守りは任せるぞ」
「了解。気をつけてね」
「ルカは着いて来い」
「あいよ」
俺は思い切り伸びをして答えた。
そうして室内から出るとき、師匠は思い出したかのようにこちらに向き直った。
「相手の意識を奪うには頚椎を手刀で狙え」
本物の対人経験の少ない俺への配慮だろう。
俺は原作のキルアを思い出した。
あんなに綺麗に決めることができるのだろうか。
不安が押し寄せきてつい訊ねてしまう。
「込めるオーラ量はどのくらいだ?」
む、と師匠が唸った。
少し考えて、手にオーラを集める。
「これくらいだ」
「……」
明らかに多い気がする。
疑問の視線を寄越すと、師匠は心外そうな顔をして素早く自分が座っていた席に手刀を繰り出す。
どぼおお、と惨めな音が鳴り響いた。
無言で大穴の開いたシートから手を抜き取った師匠は、酷くまじめな顔で俺に言う。
「これくらいだ」
「相手さんの首が落ちる想像しかできないんだけど」
この人は俺に人殺しをさせたいんだろうか。
内心でも突っ込んでいると、黙っていたキシュハがいい加減な咳をたてた。
彼女の方を向くと、乗り物酔いで相変わらず苦しそうにしているウィルが目に入る。
その頚椎に一閃。
相棒は白目を向いて気絶した。
「このくらいよ」
「…………わかった」
後は相手が懸念通り好戦的な念使いだった時を見越して、オーラ量を見て調節していけばいいだろう。
ウィルは犠牲になったのだ……犠牲の犠牲にな……。
憮然とした師匠についていく形で、俺は列車の前方を目指していった。