終幕のあと   作:盤坂万

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 空に太陽が一つ限りというのは人類が地球のみで生命活動を営んでいた時代の常識であるが、実際に複数太陽が存在する星系には、確認出来うる限りどんな生命も活動をすることができないという。

 非常に比喩的で独善的な表現ではあるが、やはり人類は頭上に二つ以上の太陽を仰ぐことはできず、今や単一政体にまとまったこの銀河において、全人類の太陽たる統治者は銀河帝国皇帝アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムただひとりである。

 全人類がローエングラム朝の臣民となったのはほんの三年ほど前だが、様々な事情や思惑によってその支配に浴さない集団も当然ながら数多く存在する。つい先だってバーラト星系内の自治を認められた旧自由惑星同盟に属する人たちですら、厳密には帝国臣民として存在しているわけだから、政治体制の思想を帝国と異とするなどということではない。

 新王朝下にあって共和主義者は今後思想犯には問われないだろう。したがってそれ以外の不支配層とは単純に犯罪者やテロリストなどということになる。

 そしてここにも銀河帝国皇帝を太陽と仰ぎ見ることをよしとしない人たちの群れがある。帝都フェザーンからそれほど遠くもない、リップシュタット戦役後打ち捨てられたままになっているとある補給基地には、ゾフィー・ドロテア・フォン・メルカッツの率いる商船団を軽く蹴散らし、シュナイダーとポプラン擁するフェザーン宇宙港第三警備隊と互角以上に渡り合ったロート・アドラーを構成する下部組織の一団の姿があった。

 一団は傭兵崩れの盗賊集団のように世間では言われているが、内実はそこそこ統率の取られている集団でどちらかと言うと軍隊然とした秩序をまとっている。旧地球教の狂信的なテロリスト集団であるロート・アドラーの中にあって、この一団だけが異彩を放っていた。

 

 

 投棄されたかのように見える補給基地は電波封鎖が施されているらしく、よほど近づかなければ活動していることに気付かないほど静かである。ここにあることを知らねば、無数にある隕石小惑星群に混ざりこんで発見することも難しい。

 民間輸送船に偽装された船が、帝国軍士官を載せてこの補給基地に到着したのは、シュナイダーたちがワーレンの元帥府を訪れた日から三日後のことだった。

 基地に降り立った帝国軍士官は有能なビジネスマンを思わせる顔立ちの少壮の男だった。軍装ではなく一般人の装いだが、身のこなしや視線の配り方で、訓練された人物であることが知れる。

「これは准将閣下」

 敬礼を寄越しながら近づいてくる男に油断なく視線を向けるが、相手が知れると准将と呼ばれた男はほっとしたように表情を緩めた。

「クローゼ曹長、壮健そうで何よりだ。公は自室かな?」

 堅い握手を交わすと、クローゼ曹長に勧められた煙草を申し訳なさそうに断って目的の人物の居場所を尋ねた。

「きっと食堂でしょう。結局誰とも口をきかぬくせに、ここにいると寝るとき以外、必ず食堂におられます」

「お寂しいのだろう。お前がお相手して差し上げればよかろうに」

 そう言われると曹長は困ったように笑って「いや……」と言葉を濁した。

「艦内にカシュニッツ軍曹がいる。ぜひ声をかけてやってくれ」

「おお、今日はカシュニッツですか。久しいですね」

 ドックに停泊する輸送艦を親指で男が指すと、クローゼ曹長は嬉しそうに応えてそちらに向かう。よく整理された構内を見渡し、男は少し安堵したように吐息すると、施設の奥へと続く回廊へ足を向けた。

 

 

 室内にはよどんだ空気が滞っていて、多くの紫煙が垂直に天頂方向へと立ち上り、薄汚れた天井でわだかまっていた。もとは食堂だったが酒場のような風情に変わっている。

 男が探す人物は食堂のほぼ真ん中に座を占めていたが、食堂にはたくさんの兵員が詰めているにもかかわらず彼の周囲にだけ、はばかるように人影がなかった。男が食堂に入ると、それに気付いた何人かが立ち上がって敬礼を送ってきたが、軽くそれらに応じると、他には座ったままでいいと仕草で合図を送る。髪をかきあげて少し気持ちを落ち着けてから、男は目的の人物へと近づいた。

「公、宇宙港の警備隊と戦闘になったとか」

 男は自分よりかなり年少の男、と言うより少年と言った方がいいだろう。彼に対して、丁重さと横柄さを織り交ぜた口調で静かに話しかける。半分眠っていたような様子の少年は、物憂げに両目を薄く開けたが声をかけた男を顧みず応答する。

「准将か。わざわざ様子を見に来なくてもいいのだぞ」

「そうは参りません。座っても?」

 許可を求められて少年は右手を対面の椅子に向けて指さす。それを受けて大柄な男はゆっくりと席に着いた。テーブルには戦場食であるレーションが、半ばまでであるが行儀よく片づけられている。大男が正面に座るなり少年は傍らにあったカップ代わりのコッフェルを隠すように手元に引き寄せた。

「もう少し召し上がらねばなりませんな」

 対面にかけた男を薄目で見て、少年は再び目を閉じた。コッフェルを覆う右手に、年に似つかわしくない幼児用の玩具が握られているのを見て、男はここに来た目的を思い出した。軽く咳ばらいをすると、それを合図のように少年は切れ長の目を再度開く。

「バーラト星系の共和主義者たちに自治の許しが出ます」

「そうか。ではようやく……」

 右手の玩具に目をやり、少年は遠い目をした。年の頃は十一、二歳といったところか、少し痩せすぎていて身長もそれほど高くないだろう。しかし年長者を前に気負いのない振る舞いは、日頃から大人に対してそうした対応をしていることが窺い知れる。支配者然とした様子は堂に入っていた。

「ハイネセンが共和主義者たちの自治政府に委ねられても、精神病患者である伯爵を移送することはないと思われます。今でもそれほど厳重な警備がされているわけではありませんが、自治政府下での決行の方がより成功率は高まりましょう。ハイネセンへの潜入も容易かと思われます」

 小声ではあるが男の声は腹に響く重たさを帯びている。声には少年を気遣う成分も微量に含まれていたが、多くは推し量るような、相手から何かを引き出すような伺い立てする雰囲気が醸し出されている。室内の乾いた空気が男の発する低音に響くのを肌で感じて、少年はわずかばかり身じろぎをした。

 最初からそうだったと少年は靄のかかったような過去の記憶を思い出す。男ははじめからいつも観察するような冷たい目でこちらを眺めていた。言葉の端々には優れた教養と冷たい知性を感じた。支配者に媚びず端然とし、そして仄かに嘲りを灯したような暗い微笑を放つ男の視線を、少年は九割の苛立ちと一割の怯みをもって浴びていた。

 これは誰の記憶か、ずっと長い間少年の邪魔をしていたあの悪魔のような子供の魂の持つものに違いない。だが彼は自分で、自分はあの子供から生まれた存在であることを今でははっきりと理解している。あの子供の、サイオキシン麻薬によって毒された精神から分離した、安定を得るために引き離された精神、それが自分の正体であると。

「子細は卿に任せる。しかし決行には私も連れていけ。もしこの願いを違えるのであれば……」

 静かに言い募る少年に大男は諦めたように笑い声を漏らし渋面を作って見せた。

「公、願いとは、仰りようも随分と変わられた」

「准将、私は変わったのではない。もう違う人間だよ。あの悪魔のような子供はとっくに死んだんだ」

 少しの沈黙を挟んで、准将と呼ばれた大男は「そうなのでしょうが……」とため息交じりに答えた。話題を変えるためか、少年は自分の背後にある給仕用のカウンターの奥へ振り返って視線を投じる。

「アードルフ、准将に何か身体の温まるものを」

 気を利かせてカウンターの奥に姿を隠している老人に呼び掛ける。アードルフと呼ばれた老人が現れて、二人の方に頭を下げた。横目でそれを確認した男は、その老人がかつての新・無憂宮で見かけた侍従の一人であると思い出した。それほど記憶力に自信のある身ではないが、あれはなかなか見間違えようのない容貌をしているので容易に掘り出すことができた。おそらくアードルフ老人が不幸な身の上に陥っているのを見つけて、少年がここへ連れてきたに違いない。本当に当時のあの手の付けられなかった子供と目の前の泰然としている少年が同一人物であるとは、世の中何が起こるか判らないものだと思わざを得ない。

「どうぞ、大佐」

 物思いが数回目の前を通り過ぎるほどの沈黙を挟んで、ようやく湯気の立つ飲み物が運ばれてきた。しわがれた声の老人が寄越したのは、少年が使っているのと同じコッフェルである。注がれているのはどうやらホットワインだった。

「アードルフ、彼はもう准将だよ」

 少年が訂正するのに会釈だけを返して老人はゆっくりと席から離れていく。男はその後ろ姿を見送りながら、コッフェルに口を寄せて香りの飛びかけている液体を少し含んで静かに嚥下する。微かに残るアルコールと液体の熱さで喉が温まるのを感じた。

「物資欠乏の折だ。ロクなワインがないがそうすればいくらか飲めるだろう」

 男の感想を敏感に察したのだろう。少年が言い訳を口にしてみせた。少年の言い訳には乗らず、彼が右手に隠すように握るコッフェルに視線を送る。

「公は何をお飲みに?」

「……秘密だ」

 そういって少年は自分のコッフェルに口をつけた。男と同じものを飲んでいるのだろう。

「公の身にアルコールはあまりよろしくありませんな。お控えくださいますよう」

 大人がそれらしいことを言うものだ、と思うでもなかったがここで彼に諫言できるものはこの男をおいてほかにはないから仕方がない。それを嫌がるかと覚悟していたが、想像に反して少年はこの日初めて柔らかく笑った。

「言うな。何年もの間、酒毒など及びもつかぬ毒を盛られ続けていたのだ。とうに免疫ができているし、今更健康に留意したところでいくらも持たないだろう。見ろ、この矮躯を」

 少年は静かに立ち上がると色素の薄い碧眼で男を見下ろす。少年の言う小さな身体に、ただでさえ弱い照明が隠れて男に影が覆いかぶさった。その陰の中、少年の碧眼だけが消えかける暖炉の炎のように瞬いて見える。十四歳になるというのに、公式には五つも年齢を減じて偽らさせられている小さな身体は、せいぜい十歳そこそこにしか見えない。

「公……」

「まあいい、生きてあるうちにサイオキシン麻薬の、地球教残党の掃滅を成さねばな。目的も意味もなくなった人生だが、それくらい成さねば死んでも死に切れぬ」

 男は少年の声に黙然と頷いた。男は少年の決意が何によって生まれたのか子細に承知している。だからこそ、せめて少年の決意を叶えるためにこうして帝国軍に復帰し職責についているのである。

「准将、あまり長居してはよくない。まだしばらく帝国軍に追われる立場を擬態する必要がある」

 ほんの少し興奮気味だった少年は気を取り直すと椅子に掛けながら穏やかに言った。男は軽く頭を下げて目を伏せた。

「かしこまりました。ところで些事ですが、先日のフェザーン首都星周辺での戦闘のことで」

「あまり煩く言うな。ワルキューレを駆るくらいしか今の私には能がない。部隊を指揮するなどできぬでな」

 少年がため息混じりに小言はたくさんだと呟く。

「いえ、そのことではなく、敵対した部隊のことでして」

「ああ」と相槌を打つと仄かに微笑ってみせる。「あれはなかなか手応えのある相手だった。あとの警備隊の方が骨があったが、なんとも逃げざまが軽妙で面白かったな。あれがどうかしたのか?」

「はい」と男は言うや鋭い視線を放った。「どうやら亡くなったメルカッツ提督のご息女の指揮する部隊であると知れました」

 少年が切れ長の目に驚きを灯した。しばらく男の言葉の真贋をはかるように瞳をしろくろさせていたが、やがて思考を巡らせるのを諦めた様子で再び瞼をおろした。

「なぜとは考えるまい。理由など考えても仕方ないし、そうなっているからにはそうなる理由や経緯があるのだろうからな」

「…………」

「しかしいずれは会って話をしたいな。提督の恩には報いたい。信用できる大人というものがいることを、身をもって教えてくれた幾人かの一人だから」

 少年はそう感想を述べると右手をそっと挙げてもう話したくないという意思を示し、男はそれに応じて軽く黙礼すると席を立った。

「准将、私はいつ死んでもいいと思っている。しかし卿らに救われた命だ。卿らの使いたいように使ってもらって構わぬし、卿らが生きよと言うなら生きられるその日まで生きる。今日はわざわざ来てもらって無聊が慰められた。まことにありがとう」

 よく喋るようになったものだと思い、少年の視界には映らないだろうが、男はもう一度静かに黙礼をした。忠誠心などというものは最初からないし、現在では臣下であるわけでもない。公式には行方不明のまま生死も知れず、また社会に何の影響力ももたない過去の存在である少年に男が拘る理由があるとすれば、メルカッツがかつて口にした大人の責任というものだろうか。自分が流転に次ぐ流転の中にあって死ぬ日まで生きると考えていることも影響が濃い。少年が口にした、生きられるその日まで生きるというのは、男の持つ現在の死生観に驚くほど似通っていた。

 人が生きてあるのに意味も理由も必要としない二人の連帯感がおぼろげにあるに過ぎなかったが、彼らにとってはさしあたってそれで充分なのだった。

 

 

 補給基地に停泊させていた偵察艦の艦橋に戻ると、男は待機していたカシュニッツ曹長に出航を指示し通信封鎖を解除させた。

「クローゼとは話せたか?」

 男が水を向けると、コンソールから席ごと振り返ったカシュニッツ曹長は嬉しそうに笑った。

「近況報告をと話しておりましたが、気が付くといつもアッシニボイヤ渓谷で開拓をやっていた頃の話にばかりなるから不思議です」

 そうか、と返答して男は沈鬱な表情をした。それに気が付いたカシュニッツはコンソールにそっと向き直ると、何事もなかったかのように張りのある声で不在の間の出来事を上伸する。

「准将、帝都のシュトライト中将より折り返しの指示がありました」

 男は声の主に頷くとすぐに繋ぐよう指示をした。敬礼をした下士官はかつて四散していた旧い彼の部下の一人だった。何人かは行方知れず、また何人かは死んでしまっていたが十三名を復命させることができた。彼らの多くは敗残兵として捕虜の扱いを受け、流刑地で刑務に服していたが、身請け人として男が申し出ると全員が当然のように復命したのだった。安楽なことよりも悲痛な経験ばかりが多い者たちだったが、こういう連帯が家族的なとでも言うのだろうか。長く取り戻そうともがき続けていたものだったが、いざ手にしてみると本当に望んだものだったのかどうか、判らなくなるから度し難い。

 

 

 出港して数分が経つ頃帝都から超高速通信が入り、ディスプレイに口髭を整えた紳士然とした将官が現れて男は敬礼を送った。

「シューマッハ准将、卿に召集命令だ。急ぎフェザーンへ戻りワーレン提督の元帥府へ出頭せよ」

「承知いたしました。ワーレン提督、ということは地球教関連でしょうか」

 相変わらず表情を読み取るのが難しい相手だ、とシューマッハはディスプレイ越しに恩人の様子を窺う。

 銀河帝国正統政府が同盟と共に消滅したのち、ハイネセンで収監されていた彼を今の地位に引き立てたのは、かつてリップシュタット盟約軍でともに現体制であるローエングラム軍と矛を交えたシュトライトである。生前のカイザー・ラインハルトにして「惜しいな」と言わしめた経歴の持ち主を現役に復帰させる際、シューマッハの出した条件はかつての部下たちを探し出し、それぞれの希望する処遇を与えることだけであった。無欲すぎる彼の申し出に底意を疑う者も軍内にはいたが、シュトライトが彼の為人を保証するとなるなり異見は収まったのである。かのオーベルシュタインが健在であれば、シュトライトは別の苦労をせねばならなかったであろうが……。

「まあ、卿になら今話しても問題ないか」

 そう言ってからも数秒沈黙したままディスプレイ越しにシューマッハを観察していたが、最後まで表情を動かさないまま淡々と続く言葉を発した。

「ロート・アドラー討滅の任務とのことだ。何やら協力者を得たらしい」

「ほう、協力者」

 シューマッハが目を細めるのを無表情に眺めていたシュトライトは更に数拍の間無言でいたが、「では」とだけ口にすると敬礼をしたまま画面から姿を消した。通信が終了して画面が暗転した後も、シューマッハは腕を組んで画面に視点を結んでいたが、やがて口元を釣り上げてほくそ笑んだ。


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