とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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時系列は十一月頃です。


日常編
ある雨の日の三玖


 図書室の窓から見える止む気配のない雨に三玖は思わずため息を吐いた。

 

(家を出る時はあんなに晴れていたのに……)

 

 十一月だというのに、まるで梅雨のように激しく降り注ぐ雨に少しだけ憂鬱な気分になる。

 別に雨が特段嫌いというわけではないが湿気て前髪が張り付くのはやはり鬱陶しい。

 朝、家を出る際に五月に言われて姉妹全員傘を持って来たが、この激しい雨だと傘を差しても靴やタイツは濡れるだろう。

 

(……フータローまだかな)

 

 恒例となった放課後の勉強会。期末試験を控え、一段と気迫のこもった風太郎に他の姉妹たちは例の如く逃げ出した。当然、それを見過ごす彼ではなく中野姉妹専用家庭教師は今頃、彼女たちを追いかけ回っているだろう。

 

(たぶん、今日は四葉と二人かな)

 

 比較的に出席率の高い一花は仕事が入っているため、今日は来られないと聞いている。

 残り三人だが、あの二乃が素直に参加するとは思えないし、最近は仲が改善されつつあるとはいえ五月もまだまだ素直ではない。

 そうなると今日は四葉と二人か。そう予測していると図書室の扉がやや乱暴気味に開かれ、背の高い男子生徒が顔を見せた。その表情は誰が見ても不機嫌そうだ。

 

「遅かったね、フータロー。他のみんなは?」

 

 校内を走り回ったのか、額に汗を浮かべる風太郎に三玖は労いの言葉をかける。彼の後ろに他の姉妹の姿が見えないことから大体の予測は付くが一応は聞いてみた。

 

「ダメだった。全くどいつもこいつも……」

「一花は仕事だから仕方がないよ」

「だからって勉強を粗末にしていい理由にはならない。仕事で学習時間が不足しているだろうとわざわざ課題を作ってやったのに一花の奴、受け取らずに逃げやがって」

 

 苦虫をダース単位で噛み潰したような顔をする風太郎の手には夏季休暇に出される学校の課題よりも分厚そうなプリントの束が握られている。

 流石にそんな物を渡されたら自分でも逃げ出すな、と三玖は一花に同情した。

 

「二乃と五月は?」

「五月はちょっとな……」

「また喧嘩したんだね」

「べ、別に喧嘩なんてしてない。少し発破をかけたらあいつが拗ねただけだ」

 

 バツの悪そうに答える風太郎を見て三玖は二人が交わした会話を容易に想像できた。どうせいつもの売り言葉に買い言葉で五月が怒ったんだろう。頬を膨らませる五月の顔が脳裏に浮かんだ。

 ただ、前のように大きく擦れ違う事はないだろう。あの林間学校以来、五月も風太郎に少しずつ信頼を寄せるようになっているのは見ていて分かった。

 

「二乃に関してだが、五月を説得してる間に逃げられた。メール送っても無視しやがる」

「……二乃には後で私から言っておくよ」

 

 風太郎が倒れたあの日から二乃も一応は放課後の勉強会に顔を見せるようになったが、それでも参加率は低い。

 二乃とは何かと折り合いが悪い自分が注意すればまた口論になるだろうが、少しでも風太郎の負担が減るのなら構わないと三玖は決心した。

 

「……? そういえば四葉もいないんだ」

 

 あのうさぎの耳を模したかのような特徴的なリボン頭の彼女の姿が見当たらない。今日は四葉と二人で勉強会をすると思っていた三玖は首を傾げた。

 

「最初は参加してくれるって話だったんだがな。急遽、バスケ部から助っ人を頼まれたそうだ」

 

 頼まれたら断れない彼女らしい理由だ。勉強会自体には普段から参加してくれるので風太郎も無理には言えないのだろう。これが試験一週間前なら話は別だろうが。

 

(でも、そうなると……)

 

 自分たち以外に殆ど人気を感じない図書室を見まわす。普段ならもう少し他の生徒もいるのだが、雨が激しくなる前に帰宅しようと考える生徒が多かったのだろう。今いるのは受付で暇そうに欠伸をしている司書くらいだろうか。閑散とした図書室を激しく地面を叩く雨の音だけが支配していた。

 今更になって風太郎と二人きりの空間にいると気付き、三玖は自身の鼓動が高鳴るのを感じた。

 

「しかし、三玖一人だけか……」

 

 一方の風太郎はそんな三玖の事など露知らず別の事で頭を悩ませていた。もちろん家庭教師の業務についてだ。五人全員の勉学を任されている身としては、これだけ集まりの悪いようでは勉強会の意味がない。

 一人だけ成績を上げればいいのではない。あの欠点ばかりのアホ姉妹全員の成績を引き上げなければならないのだ。その為の破格の給料だ。それに三玖も自分ひとりだけならあまりやる気も出ないだろう。勉強というのは一人でするものだと風太郎は考えているが、どうにもこの姉妹に関してはそれに当てはまらないと気付き始めた。

 

「どうする? これだけ集まりが悪いんじゃ今日はお開きにして自習にしてもいいが」

「えっ?」

 

 姉妹の成績を考えれば一日でも時間は惜しいが、他の姉妹がいないなら三玖もモチベーションはあまり上がらないだろう。それならいっその事、勉強会は明日にして今日は帰って彼女たちの学習課題の作成と自身の予習をしようと風太郎は三玖に提案した。

 そんな風太郎の提案に三玖は勢いよく顔を上げ、慌てて口を開いた。

 

「わ、私はフータローと勉強したい」

「なに……?」

 

 まさか三玖の口からそんな答えが返ってくるとは思っておらず、風太郎は目を丸くした。

 ここ最近、三玖が勉強に向き合うようになってきたとは思ってきたが、それでも歴史以外の科目は嫌いの傾向がある。だから、自習という提案も喜ぶと思っていたが、まさか自主的に、しかも一人でも勉強したいと言い出すとは。

 三玖の目に見えて感じ取れる成長に風太郎は口元を綻ばせた。生徒がやる気を示してるのだ。それを無下にする家庭教師がどこにいるものか。

 

「そうか、ならやるか二人で」

 

 もちろん三玖からすれば目的は勉強よりも風太郎と一緒にいたいというのが本音だが、学生恋愛など下らないと豪語する彼に三玖の淡い想いなど気付く筈もない。

 三玖とて彼が自分の真意に気づいていない事なんて分かっているが、今はただ目の前の想い人と過ごす時間が増えた事が素直に嬉しかった。

 

 三玖の隣の席に風太郎が座り、鞄から筆記用具と問題集を出して机に広げた。科目は三玖の苦手な英語だ。

 

「……うん、二人で」

 

 ─────────

 ──────────

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 ノートにひたすら単語を書き写し時折、風太郎が作成した小テストを解く。英文の訳し方が分からない時は逐一、風太郎がフォローしながら三玖はペンを進めていった。

 淡々とした作業に思えるが、三玖にとっては緊張と幸福が混じり合った時間だった。

 分からない個所を教えてもらう時、風太郎が吐息のかかる距離まで顔を近づけてくる。他のみんなと勉強会をしている時では決してありえない距離。とにかく近いのだ。普段以上に。

 風太郎と隣同士で、ツーマンセルで勉強を教えてもらった経験は三玖にはない。いつも以上に近い距離の彼にずっと緊張していた。

 だけど指摘して距離を置かれるのは嫌だし、何より真剣に自分に教えてくれる彼に水を差したくない。高鳴る心臓の音と赤面した顔を必死に得意のポーカーフェイスで誤魔化しながらできるだけ無心にペンを走らせた。

 

「───よし、今日はこれくらいにするか」

「つ、疲れた……」

 

 キリのいいところまで三玖が問題を解いたところで、風太郎が持っていた参考書をパタンと閉じ、勉強会の終わりを告げた。

 時計を見ると気づけば図書室の利用時間ギリギリの時刻になっていた。ここまで疲れた勉強会は初めてかもしれない、と三玖は大きく嘆息した。

 

「お疲れさま。よくやったな」

「……うん、フータローのおかげ」

 

 彼からこうして労いの言葉をかけられるのは珍しいかもしれない。いや、正確には三玖一人に対してだ。普段なら姉妹全員に向けられる言葉が今はこうして三玖が独り占めしている。それに少しばかりの罪悪感はある。特に自身と同じ想いを抱く一花に対しては。

 だけど、そうじゃないと三玖は首を振る。

 

(……平等じゃなくて、公平に)

 

 あの林間学校で彼が口にした言葉に三玖は衝撃を受けた。

 姉妹はみんな平等に。それが今までの自分にとっての常識だったから。だからこそ、《公平》という言葉は三玖にとってはまさに天啓だった。

 

(フータローと勉強する機会はみんな同じ。だから今日の勉強会は公平……うん、公平)

 

 そう自分に言い聞かせるとさっきまで感じていた罪悪感はすっかりと胸の内から消えた。そうだ公平に。一花にも遠慮はしないと宣言したんだ。今日はただ、彼と過ごす時間が他のみんなよりも少しばかり増えた。それを素直に喜ぼう。

 それに今日は風太郎と二人きりで帰れる。これは勉強会に唯一参加した自分へのご褒美だと三玖は思うことにした。

 二人で図書室を後にし、校舎の玄関に行くまでに姉妹の事や三玖の好きな戦国武将の会話に花を咲かせた。敢えて今日の勉強の事について話題にしなかったのは、疲れた様子の三玖に対する風太郎なりの気遣いだったのかもしれない。

 三玖は風太郎との会話を楽しみながら、このまま彼と一緒に帰れる事に気分が高揚していた。ところが、そんな三玖の期待を裏切るかのように風太郎は玄関口で突如立ち止まり、口を開いた。

 

「それじゃ、今日はこれで。また明日な三玖」

「………え?」

 

 あまりにも自然な流れで放った別れの言葉に三玖は思わず首を傾げた。

 そんな三玖に風太郎も同じように首を傾げる。

 

「どうかしたか?」

「なんで?」

「……?」

 

 風太郎の家の場所は知らないが、途中までの帰路は一緒だった筈。なのにこの場で別れの挨拶をするなんて、まるでここで別れるみたいではないか。『なんで』という言葉に三玖はそれだけの意味を含ませた。

 もちろん、こんな短い言葉でそれらの意味が伝わるとは思っていない。もしそれだけで伝わる仲なら今頃は三玖の想いも風太郎に伝わっている筈だ。

 だから今度は具体的に言葉にして聞いた。

 

「私と一緒に帰らないの? フータロー」

 

 不安そうに三玖が聞くと風太郎は空の両手を見せつけた。そこで初めて三玖は彼が傘を持っていない事に気づいた。

 

「実は今日、傘を忘れてな……」

「そうなの?」

 

 何かと用意の良い風太郎にしては珍しいと思ったが、それと同時にこの学年一位の秀才でも傘を忘れる事があるんだな、と妙な親近感を抱いた。別に完璧ではないのだ、この上杉風太郎という少年も。

 最初に会った時は、頭は良いが他人に対してどこか高圧的な嫌な人だと思っていた。けれど、それは彼を表面的にしか知らなかっただけ。

 本当は面倒見がよくて、責任感も強くて、そして意外と体力がなくて、自分が作ったとても上手とは言い難い料理を美味しいと言うほど貧乏舌で、初対面の時には予想もしなかった意外な面をこの数か月の間に見てきた。

 そんな風太郎を知っていく内に彼の優しさに、暖かさに、気付けば三玖はどうしようもなく惹かれてしまっていた。

 

「この様子だと当分は止みそうにないし三玖は先に帰ってくれ。俺は雨の勢いがマシになるまで学校に残るから」

 

 風太郎はそうは言うものの素直には従えない。三玖からすれば風太郎と一緒に過ごせるせっかくのチャンスなのだ。

 

「職員室に行けば先生が傘を貸してくれると思うけど」

「万が一に壊して弁償させられる羽目になったらどうする。そんな金はない」

「……前から思ってたけどフータローってケチ」

「うっさい」

 

 せっかく出した案を一蹴された。いい案だと思ったのに。どうしようかと三玖は頭を悩ませたが、ふと手元の傘を見て閃いた。

 

「フータロー」

「なんだ? 俺の事はいいから先に……」

「私の傘を使えばいい」

「三玖の? ならお前はどうするんだ」

「もちろん、私もこの傘を使う」

「……つまり一緒に傘を差しながら帰れと?」

「いい案だと思う」

 

 いつものポーカーフェイスで提案するが、内心では心臓の鼓動がバクバクと聞こえる。我ながら大胆な事を言っているなと三玖は思った。

 

「ありがたい提案だが、それだと三玖も濡れるだろ。風邪でもひいたらどうするんだ」

 

 三玖の持っている傘はそれほど大きくはない。背の高い風太郎と一緒だと多少は濡れるだろう。

 だが、そんな返しは分かっていたと言わんばかりに三玖もすぐさま反論する。

 

「でも、フータローも濡れて帰るつもりでしょ? せっかく治ったのにまた熱出したら嫌だよ」

「それは……」

 

 痛いところを突かれたと風太郎は眉を顰めた。

 林間学校で熱を出して入院した際は姉妹側が全額費用を負担したのだ。五月を探すためとは言え、あの時に無茶をしたのは自分だ。

 治ったばかりなのに、また熱でも出したら流石に気が引ける。

 

「……分かった。なら途中まで頼む」

「うんっ」

 

 ようやく折れてくれた風太郎に微笑みながら三玖は傘を差し出した。

 

「帰ろ、フータロー」

「ああ」

 

 三玖から差し出された傘を手に取り風太郎は傘を開いた。男の風太郎が差すと少し小さい、可愛らしい傘だ。

 そこへ三玖が離れないようにそっと身を寄せる。濡れないように、離れないように。風太郎もそんな三玖を傘も持ってない手で彼女が濡れないように自分に引き寄せた。

 

「……っ!」

 

 より一層高鳴る胸の鼓動。もしかしたら雨が降っていなければ、この距離にいる風太郎に自分の鼓動が聞こえてしまうのではないかと錯覚するほどだ。

 自制心と湧き出る高揚感に我慢できずに、三玖は思わず抱いていたその言葉を口にした。

 

「……すき」

 

 呟いたその小さな言葉は傘を打ち付ける雨音に打ち消された。

 今は届かなくてもいい。だけど、いつの日かは……。

 

 次は晴れた日に。他の音に打ち消されない声で。

 

 もう一度、同じ言葉を伝えようと三玖は心に誓った。

 

 

 


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