とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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上杉君がやべー姉妹に絡まれる話。


五つ子強くて?ニューゲーム①

 今日は妙に落ち着かない。

 いつも通り食堂で『焼肉定食焼肉抜き』を注文し、定位置となった席で単語帳を眺めながら食事をしていると周囲から強い視線を感じた。

 自分が学校でそれなりに浮いた存在だと自覚している風太郎はいつものことだと最初は気にも留めていなかったが、今日はどうにも様子が違うようだ。

 普段の嘲笑が込められたような視線ではない。言葉で表すなら『狙われる』とでも言うのだろうか。そんな刺すような視線だ。

 気になって辺りを見回すと、少し離れたテーブル席から五人の女性徒の集団がこちらをじっと見ていたのに気付いた。

 見慣れない顔に見慣れない制服を身に纏ったその五人組は食堂の中で注目を浴びていた。

 全員が人目を引く整った容姿をしていたから、というのもあるが恰好が随分と個性豊かだ。

 短髪でピアスをした女、サイドテールに髪飾りをした女、ヘッドホンを首に掛けた女、悪目立ちするリボン頭の女、センスの欠片もない星形のヘアピンを付けた女。

 そして何よりも、それぞれ髪型や装飾が違う彼女達がみな同じ顔をしていたのが目立っていた。

 

 珍妙な集団だ。制服も違うし転校生だろうか。

 

 まあ自分には関係ないだろう。さっき感じた視線もきっと気のせいだ。彼女達を一瞥し、視線を手元の単語帳に戻そうとして─────五人と目が合ってしまった。

 

「……ッ!」

 

 その瞬間、風太郎は思わず身震いした。何故ならその五人組が自分と目が合った途端に全員同時に笑みを浮かべたからだ。

 背筋が凍るとは正にこの事だろう。見知らぬ相手、しかも同じ顔をした五人の人間がいきなり同時に同じ表情を浮かべたのだ。下手なホラー映画よりもよっぽどホラーな光景だ。

 

 風太郎はすぐさま目を逸らし乗っていたご飯と味噌汁を胃に流し込み、足早に食堂を後にした。

 あれは関わらない方がいい。何か、ろくでもない事に巻き込まれる気がする。

 理屈はない。だが予感がした。

 

 そしてその予感は的中する事になる。

 

 その日の午後。五人組の一人がなんと自分のクラスへ転校してきた。あの星型のヘアピンをした彼女だ。中野五月、という名前らしい。

 その名前に風太郎は偶然にも聞き覚えがあった。つい先ほど妹からの電話で耳にした名前と同じだ。

 明日から自分が家庭教師として受け持つ生徒の名前と。 

 

 黒板の前で自己紹介をする五月に周りのクラスメイト達は一斉に湧いた。容姿端麗の女子が転校して来たんだ。彼女を歓迎するのも頷ける。

 だが、その中で風太郎はたった一人だけ、他の連中のように彼女を歓迎出来なかった。

 

 見ているのだ。自分の顔を教室に入ってきてからずっと。

 

 しかも、こちらを射抜くその眼光に何か強烈な感情の色を感じる。

 ぐるぐると強い執念が渦巻いているような、そんな眼だ。勿論、会ったばかりの彼女にそんな視線を向けられるような覚えは一切ない。

 

 五月と顔を合わせる事に恐怖を感じた風太郎は彼女の自己紹介が終わるまで、ずっと顔を伏せてやり過ごそうとした。

 

 しかしその僅かな抵抗は無駄に終わる。

 

「──また、よろしくお願いしますね。上杉君」

 

 自己紹介を終えた五月が自身の席に戻る最中、風太郎の座席を通り過ぎる際に彼女が自分にだけ聞こえる程度の声で囁いた。

 その言葉は彼を震えあがらせるには十分過ぎた。

 

 何故、あいつは名乗ってもいない俺の名前を知っていたんだ。

 また、とはどういう意味だ。

 

 五月の言葉の意味を理解できないままその日の晩、風太郎は明日のバイトへの不安で中々寝付く事が出来なかった。

 

 

 

 翌日。寝不足と今日から始まる家庭教師の憂鬱感で重くなった足をなんとか引きずりながら家を出た直ぐの事だった。

 

「おはよう。フータロー」

 

 余りに自然な挨拶だった。まるで旧知の間柄で交わされるような、日常でのやり取り。親愛の情が籠った優しい声だった。

 

 当然、風太郎は彼女の事など知る筈もない。

 

 ヘッドホンをした少女に後ろからいきなり声をかけられた風太郎は思わず悲鳴を上げそうになった。振り向いて彼女の姿を確認するとその顔に見覚えがあった。

 昨日の五人組の一人。長い前髪で片目が隠れているが、よく見ればあの転校生と同じ顔だ。

 何故ここにいる。そもそも何故当然のように俺の名前を知っている。何故馴れ馴れしく名前で呼ぶ。

 疑問は尽きないがそれを言葉にする勇気よりも恐怖の方が何倍も上回って口にする事は出来なかった。

 何より、その声色は優しいのに瞳が昨日の五月と同じく強烈な感情を秘めていたのが、たまらなく恐ろしかった。

 

「お、おはよう」

 

 無視するのも怖いので一応は挨拶を返すと、彼女は顔を綻ばせ慣れた様子で風太郎と肩を並べた。まるでこの位置が当然だと言わんばかりだ。

 まさか、このまま一緒に登校する気なのだろうか。恐る恐る表情を伺うと前髪を揺らしながら彼女は首を傾げた。

 

「何してるの? 行こうよフータロー」

 

 そのまさかだった。

 

 それからは道中で特に会話もなく学校に着いた。聞きたい事は山ほどあったが、風太郎から話かける事は決してしなかった。藪蛇になる可能性があるからだ。下手な発言をして、この謎の同行者の機嫌を損ねるのは気が引けた。

 とは言え見知らぬ女生徒と無言のまま登校するのも、それはそれで精神的に辛かったのは確かだ。加えて互いの肩や腕が触れそうな距離を常に保ちながら歩いてきたのも居心地が悪かった。

 途中、何度もこのまま走り去って巻いてしまおうかと考えたが体力のない自分では余りにリスクが高すぎるので結局、実行に移す事は出来なかった。

 

「三玖、あんたやっぱり抜け駆けしてたわね」

 

 学校の正門に到着し、ようやくこの女生徒に解放されると安堵したのも束の間、後ろから来た黒塗りの高級車から声がした。

 振り向くとサイドテールに髪飾りを着けた長い髪の少女が車から降りながら隣の三玖と呼ばれた少女を睨み付けた。

 

「むっ。二乃」

 

 二乃、それが彼女の名前なのだろう。名前らしき単語を口にした三玖は彼女に対してむっと頬を膨らませて睨み返していた。不穏な空気が流れる。

 風太郎は学校に来て早々帰りたいと強く願った。真面目に勉強をするようになって学校をサボりたいと思ったのは今日が初めてだ。

 

「ふん、まあいいわ」

 

 二乃は鼻を鳴らして三玖から視線を外した。そして今度はその瞳が風太郎を捉えた。

 改めて見ると、やはり同じ顔だ。彼女も昨日の五人組の一人なのだろう。

 そして顔だけではなく、その瞳に宿したモノも同じだ。ねっとりとまるで嘗め回すかのような視線が風太郎の全身を這う。身の危険を感じた風太郎は無意識に彼女と距離を取ろうとしていた。

 

「────今度は絶対に離さないから」

 

 たった一言。それだけ呟いて二乃は風太郎を通り過ぎて行った。間違いない。あれは獲物を捉えた獣。それもただの獣ではない。血に飢えた凶暴な獣だ。

 

 今度とは何だ。離さないとはどういう事だ。

 風太郎は震える足を何とか動かして駆け足で教室へと向かった。

 通り過ぎた彼女の言葉もそうだが、あの場に残っていたら隣にいた三玖と、車から出てきた残りの三人に絡まれると思ったからだ。朝からこれ以上、精神と肉体を摩耗したくはない。

 

 ここに来て風太郎はようやくあの五人組の関係に薄々と察しが付いてきた。

 顔が同じで同じ車で登校してきた。金持ち家庭の恐らくは姉妹。そして着ていた制服を見る限り全員同じ学年。つまりは世にも珍しい五つ子なのだろう。

 五つ子なんて冗談みたいな連中が存在するなんて俄かに信じられなかったが、実際に同じ顔を五人見ているので認めざるを得ない。

 そこでふと、ある事を思い出す。昨日、妹のらいはと話した時に出た家庭教師のバイトの報酬の件だ。何でも相場の五倍だとか。この『五』という数字が頭の中で妙に引っかかった。

 

 昨日、食堂で睨まれた『五』人組。

 生徒はその内の一人である中野『五』月。

 彼女たち中野姉妹は『五』つ子。

 そして『五』倍の報酬。

 

 頭の中で決して認めたくない真実が浮かび上がる。

 

 どうやら生徒は五月だけじゃないようだ。風太郎の胃がキリキリと痛み始めた。

 

 昼休み。午前の授業中ずっと斜め後ろの席に座る五月から視線を受けながら、それでも何とか耐えた風太郎は四限目終了のチャイムと共に食堂へと駆け出した。

 一刻も早くあの五月の眼から逃げたしたかったからだ。

 昨日今日と体力がないのに走り回る事が多いとボヤきながらも、何とかいつもの席を確保した。

 これからどうしたものか。風太郎は定食のお新香に箸を付けながら頭を悩ませた。

 いつまでも逃げる訳には行かないだろう。どの道、今日の放課後には彼女達五人と対面する事になるのだから。

 しかし昨日や今朝の光景が若干トラウマになって足が竦んでしまう。

 

「上杉さん」

「ヒィェアア!?」

 

 一度は彼女達と面と向かって話してみようか、そんな思考が突如目の前に出現したデカリボンによって一瞬で消し飛んだ。風太郎は自分の心臓が止まったのではないかと錯覚した。

 また同じ顔だ。今度はウサギの耳を模したかのようはリボン頭。しかもやたらと距離が近い。今にも顔と顔が触れかねない程の至近距離だ。

 

「もうっ! そんなに驚かなくてもいいじゃないですか」

「きゅ、急に話しかけてきたそっちが悪いんだろうが……」

「あっ、確かにそうですね! えへへ、すみません」

 

 頬を膨らませて怒ったかと思えば、今度は素直に謝罪する彼女に風太郎はやや拍子抜けした。

 何とかいうか、ここに来てようやく普通の反応をする人間と会えたからだ。

 今までの三人はまるで知り合いかのように絡んできて、意味深な台詞を吐きながら怖い視線を飛ばしてきたが、目の前の彼女はどうにも違うように思えた。

 

 

「……それで、何の用だ?」

「あっ、その前に自己紹介がまだでしたね。私、四葉って言います」

「四葉……苗字は中野か?」

「はい! よくご存知で」

「似た顔の奴がうちのクラスに昨日転校して来たからな」

 

 やはりそうだった。つまり、この四葉と名乗った彼女も今日から自分が受け持つ生徒という事になる。

 丁度いい。一度彼女達とバイトの前に対話をしておきたかった所だ。

 まずは比較的まともそうな目の前でにこやかに笑みを浮かべる四葉から情報を得ようと決めた。どうせ話しをするなら、まともそうな奴がいい。何よりも目が怖くない。これだけで随分と気が楽だ。

 

「確か姉妹、なんだろ? 何でも五つ子だとか」

「そうなんですよ! さすがは上杉さん。何でもご存知ですね。五月がいつもお世話になってます」

「……」

 

 一方的に絡まれている。否、睨まれているのは世話になると言うのだろうか。

 勿論、口にするような愚かな真似はしない。

 

「あっ、用というのは先に挨拶をと思いまして。今日からでしたもんね、上杉さんの家庭教師」

「知っていたのか?」

「はい、もちろん」

「なるほど……そういう事か」

 

 四葉の言葉に風太郎はようやく合点がいった。

 どうやら彼女達が自分の名前や顔を知っていたのは家庭教師のバイトを通じた情報のようだ。

 名前はともかく、顔まで知られていたのは謎だが親父が見つけてきた仕事だし、その際に写真でも見せたのだろうと勝手に推測した。

 家庭教師の仕事がどんなものか詳しくはないが、事前に教師の顔写真を生徒に見せる事があっても別に不自然ではない。

 

「謎が解けたよ」

「謎、ですか?」

「ああ。お前たちが俺の名前を知っていたのは予め家庭教師が俺だって知らされていたからなんだよな?」

「……」

 

 それにしても先の三人の態度や、意味深な言葉が気になるが、演技で近づいてこちらを観察していたと考えられなくもない。

 同学年の男子を家庭教師にするのだ。それくらいの警戒心があってもおかしくはないだろう。結局は全部推測でしかないが、手元に判断材料がない以上は自分にそう言い聞かせて納得するしかない。

 何はともあれ、ようやく解けた謎に風太郎は胸をなで下ろした。

 

「いえ、違いますよ」

「えっ」

 

 が、四葉の言葉によってまたしても背筋を凍らせる事になった。

 表情はさっきと変わらず笑顔だ。なのに、いつの間にかその瞳は五つ子だと思わせるような先の三人と同じものを宿していて──。

 

 

 

 

 

「───だって私たち、上杉さんのこと、ずっと前から知っていましたから」

 

 昨日と同じく、風太郎はその場から全速力で逃げた。

 

 

 

  

 放課後。とうとうバイトの時間が迫り、風太郎は中野姉妹が待ち構える高級マンションの玄関口の前に立っていた。今も胃がねじれるように痛い。

 

 今日は散々な日だった。午前は五月の視線、午後はそれに加えて四葉の発した言葉のせいで全く授業に集中出来なかった。お蔭で時間が過ぎるのが一瞬に感じてあっという間にバイトの時間が訪れてしまった。

 時間とは人の意識でこうも短く感じるのか。相対性理論の残酷さに風太郎は涙した。

 しかし泣き言ばかり言ってもいられない。中野姉妹が何やら危険な雰囲気を漂わせているとはいえ、この高額報酬のバイトを無碍にする選択肢など風太郎には最初からなかった。

 全ては家の借金返済のため。大事ならいはの笑顔のため。この程度の事で立ち止まる訳にはいかない。

 

 ……立ち止まる訳にはいかないのだが、足が思うように動いてくれない。緊張、恐怖、不安、そして走り回った疲労で足が竦んでいるというのもあるが、そもそもこういった高級マンションへの出入りの仕方が分からなくて立ち往生していた。

 

 とりあえず、緊張を和らげよう。そうすれば冷静になって出入りする方法もきっと見つかる筈だ。

 風太郎は周りに誰もいないのを確認してからポケットから生徒手帳を取り出した。外でこれを見るのは気が引けるが、今は少しだけ『彼女』に頼りたかった。

 手帳に挟んである写真を大事に広げると共に自然と口元が緩んだ。

 そこに写っていたのは、かつて馬鹿だった自分と感謝と憧れを抱く思い出の彼女。

 写真が色褪せたせいか、彼女の瞳が何だかあの姉妹みたいな目になっているような気がしたが、きっと気のせいだ。

 

 ああ、やはりこの写真を眺めると心が安らぐ。

 太陽のような笑顔を咲かせる写真の彼女からまるで元気を分け与えてもらえるような気がして、今から中野家という虎穴に入らんとする風太郎の暗い気持ちも明るく暖かく照らしてくれた。

 

 今、どこで何をしているのだろうか。

 俺はあの時から変われただろうか。

 変われたのなら、また会えるだろうか。

 もし会えたら、その時はやべー姉妹の家庭教師をした話を聞いて欲しい。

 本当にやべー連中だ。五つ子なんて冗談みたいな存在の上に馴れ馴れしくて目が怖い。

 でも、きっと彼女ならこんな与太話でも笑い飛ばして聞いてくれる筈だ。

 

 少しだけ彼女から勇気を貰ったと同時に初心を思い出した。いつか誰かに必要とされる人間になる為に。それを目的として自分は勉強をしてきた。

 よくよく考えてみると生徒はあれだが、この家庭教師という誰かに必要とされ、誰かに尽くす仕事自体は別に悪くはないのかもしれない。

 

 ほんの少しだけバイトに対して前向きになれた。今ならあの怖い姉妹達を相手にやれそうな気がする。

 心に熱を滾らせた風太郎はやる気に満ち溢れていた。

 

「フータロー君」

 

 が、それも長くは続かなかった。

 

「ひっ」

 

 写真を見てつい感傷に浸っていたせいか、後ろから迫っていた脅威に気付けなかった。

 耳元で息を吹きかけるように名前を囁かれ、思わず生徒手帳を落としそうになる。

 

「な、なにしやがる!」

 

 勢いよく振り向くと、またしても同じ顔。今まで見たことのない髪型から、まだ会った事のない最後の姉妹のようだ。

 風太郎の反応が可笑しかったのか、彼女はくつくつと喉を鳴らして笑っている。

 

「あなたが私たちの家庭教師でしょ? 上杉風太郎君」

「っ……そういうお前は中野姉妹の一人か?」

「うん。私は中野一花だよ。こんな所で立ち止まってないで早く上がりなよ。みんな待ってるからさ」

「あ、いや……どうにも、ここの出入りの仕方が分からなくて」

「それならお姉さんに付いてきて。案内するから」

「え、あ、ああ、頼む……」

 

 一花と名乗った少女はどこか揶揄うような笑みを浮かべながら風太郎をマンションの中へと案内した。

 今のところ、出会った姉妹の中では四葉同様に話が通じそうだが、決して油断は出来ない。安心していた四葉があれだったのだ。気を抜ける筈がない。

 やべー奴、やべー奴、やべー奴、やべー奴と四人続いて最後の一人がまともな人間なんて事が果たしてあるのだろうか。

 風太郎は四葉の時と同じ轍は踏まないと、気を引き締めて彼女の後に続いた。

 

 

 

「ここ、階数が高いからね。エレベーターも結構待つ事があるんだ」

 

 ホールでエレベーターが降りて来るのを待つ最中、気さくに話かけてくる一花に風太郎は相槌を打ちながら彼女の背中を眺めていた。

 話を聞くところによると彼女が姉妹の長女らしい。何だかんだ姉としての責務を感じたりだとか、妹達の欲しがるモノを自分も欲しがる悪い癖があったりだとか。そんな五つ子特有の苦労話や愚痴を語っていた。

 自身も長男なことあってか一花の話に共感できる部分もあり、風太郎もいつの間にか警戒心を解いて彼女に耳を傾けていた。

 

「こう見えても五つ子ってね、意外と好みが別れるんだよ」

「そうなのか?」

「好きな食べ物とか、好きな飲み物とか、好きな動物とか好きな番組とか、他にもたくさん……でも、どうしても『欲しいモノ』に限ってみんなも欲しがったりするんだよね。しかも誰も絶対に譲ろうとはしないの。そういう時、どうすると思う?」

「知らん」

「いいから、いいから。答えてみてよ」

「……普通に考えれば五人で分けるんじゃないか?」

「うん。五等分に……だけどその『欲しいモノ』が分けれないモノだったら?」

「じゃんけんとかで勝った奴が得ればいいだろ。公平に決めたなら無理に平等である必要もない」

「……私もそう思ってたんだけどね」

「……?」

「例えばさ、競ってる間に『欲しいモノ』が姉妹以外の誰かの手に渡ったら、意味がないでしょ?」

「それはそうだが……」

「ねえ、フータロー君。そういう場合はどうしたらいいと思う?」

 

 一花はエレベーターの扉を見つめながら、振り向かずに風太郎に問いかける。

 その言葉はさっきまでの雑談と違って、どこか真剣味を帯びているように思えた。

 何だか話が急に妙な方向に向かっているような気がするが、本人は至って真面目そうだったので風太郎もあまり気にせず質問の答えを考えた。

 もしかしたら家庭教師になる自分を何か試しているのかもしれない。

 

「そうだな……分けるのが無理で他人に盗られるのが嫌なら最初から五人で確保して、それから全員で共有する、とか? 何も物理的に分けるだけが五等分じゃないだろ」

 

 そもそも、その『欲しいモノ』とやらが何か分からない以上、明確な答えなど思いつかない。

 少なくとも食べ物では無さそうだなと思いながら風太郎は一花に自分なりの答えを提示した。

 

 同時にエレベーターが降りて来て扉が開いた。

 

「────やっぱり、フータロー君もそう思うよね」

 

 先にエレベーターに乗り込んだ一花がそう言いながら風太郎に振り向いて微笑んだ。

 その時になってようやく風太郎は一花が彼女達の姉妹だと実感できた。

 

 何故なら、風太郎を射抜くその瞳がやはり他の姉妹と同様に強い感情を秘めたものだったから。

 

 

 

 一花に連れられ、中野家に招かれた風太郎はそのままリビングへと案内された。先ほどの一花との会話が妙に頭に残ったが気にしても仕方がない。今は仕事が優先だ。思考を切り替え、改めて彼女達五人と対峙した。

 テーブルを挟んだ向こう側のソファーに同じ顔が五つも並んだ光景はやはり圧巻だった。気圧される。それにやっぱり目が怖い。

 だが、ようやくここまで来たのだ。後は無事に授業を済ませたら、とりあえず今日のところは一安心だ。

 五人の視線を浴びながら手短に自己紹介を済ませた風太郎は姉妹たちに自作の簡易的なテストを配布して解くよう指示した。意外にも彼女達は従順で、大人しく用紙を受け取って各々ペンを進めていった。

 

 初日の今日はこのテストを受けさせて彼女達の得手不得手を知るだけで十分だろう。最終的な設定目標を考えれば十分に余裕がある。

 

 家庭教師の依頼主である彼女達の父親からのオーダーは姉妹全員が無事に卒業をする事だ。想像以上に難易度の低い設定目標に最初は風太郎も耳を疑ったが、聞き間違いではなかった。

 流石に難関大学に合格させろ、のような無理難題を素人で高校生の自分に押し付ける事はない思っていたが、まさかただ単に卒業させるだけのような簡単な目標だとは思わなかった。

 高校の卒業など余程のアホでもない限り家庭教師を雇う必要すらないとは思うが、金持ちの親バカが娘を想って念には念を入れたのだろう。

 

 そう高を括っていた。

 

「何とも言えんな、これは……」

 

 一通り姉妹の採点を済ませた風太郎は余りにも微妙な採点結果にどう反応していいのか困り果てていた。

 結論から言うと彼女達はアホだった。

 基礎が理解できているかどうかを確認する為に比較的難易度の低い問題しか出題していなかったが、ミスが目立つ。少々彼女達を侮っていたのかもしれない。

 確かにこの成績では卒業も危うい。家庭教師を雇った彼女達の父の判断はどうやら正しかったようだ。それでも何故自分のような同級生を雇ったのかは謎だが。

 

「うーん。一度はやった筈なのになあ」

「まあ、久しぶりにやったらこんなもんよね」

「大丈夫、今はフータローがいる」

「うん、上杉さんにまた教えてもらえばいいんだよ」

「そうですね。その為に彼が家庭教師としているんですから」

 

 だが、悲観するほどのアホでもないらしい。意外にも勉強に対して意欲があるようだし、何故か知らないが自分への信頼も不自然なくらい高い。

 後者に関しては全く身に覚えがないので正直怖いが今は気にしないでおく。とにかく、やる気があるのは良い事だ。己を高める意志を持ち続ければ必ず実を結ぶ事を風太郎は自身で証明している。

 それにアホだと言っても十分に改善が期待できる程度のレベルだ。採点していて気付いたが、全員にそれぞれ得意な科目がある事も見て取れる。長所を伸ばしながら短所をカバーしていけば、無事に卒業させる事も十分に実現可能である。

 もしこれで全員やる気がなく、その上に姉妹の合計が百点のようなミラクル級のアホ五人なら流石に風太郎も匙を投げたかもしれないが、これなら何とかなりそうだ。

 

「全員やる気があるようで何よりだ。お前たちもいきなりのテストで疲れただろう。後はゆっくりと休むといい。では、初日だし今日はこれでお開きということで俺はこれで……」

「待ちなさいよ」

 

 いい感じに締めの挨拶を言ってそのまま帰ろうとしたが、二乃に呼び止められて阻止された。風太郎の頬に一筋の汗が流れる。

 

「な、なんだ? 二乃」

「せっかくだし、夕御飯もついでに食べていきなさいよ」

「お腹、空いたでしょ? 私も作ってあげるよ、フータロー」

「そうですよ、上杉さんっ! みんなで食べましょうよ!」

 

 食事を誘う二乃と三玖。それに便乗する四葉。三人とも表情は柔らかいが、やはり目が怖い。

 しかしここで怯んで流される訳にはいかない。家庭教師の業務を遂行した以上、今日はもうこれでお役御免だ。これ以上中野家に居座る道理もないし、居座りたくもない。

 とにかく今日は疲れたんだ。体を一刻も早く休ませたい。今すぐ帰ってらいはの作る料理を食べ、風呂に入って勉強してから布団に入りたい。

 

「悪いが遠慮しておく。俺は別に飯を食いにここに来たわけじゃない。それに妹が飯を作って待ってるからな」

 

 理由としては完璧だ。嘘偽りもない。流石に家族を理由に出せば彼女達も食い下がるだろう。

 だが甘かった。

 

「それなら大丈夫ですよ。私から、らいはちゃんに連絡しておきましたから」

「なっ」

 

 そう言ってスマホを持つ五月に風太郎は絶句した。まさか予想外の所から詰まされるとは思わなかった。

 何故、らいはの名を知っている。そして何故、らいはの電話番号まで知っている。

 じわじわと、見えない何かに自分の周りが囲まれているような錯覚がした。

 

「これで障害はなくなったね。さ、フータロー君は座ってて。みんなで色々と準備するから」

 

 一花の有無を言わせない圧の籠った笑みに風太郎は従わざるを得なかった。

 

 

 

 予感や直感など普段は宛てにしない風太郎だが、今だけは自身の感じるそれに従った方がいいのではと思った。

 

「食べないのですか?」

「それともお姉さんが食べさせてあげようか?」

「あ、いや……」

 

 五月と一花に催促され、風太郎は慌ててテーブルの上のスプーンを手に取った。

 

 目の前のテーブルに並んだ料理はどれも美味しそうな物ばかりだ。特に洋を中心とした凝った料理が多く、見たこともない名前の分からない料理も並んでいる。フレンチか何かだろうか。風太郎にとっては縁が無さすぎて最早、未知の領域だ。これらは全て二乃が作ったらしい。

 たまに見栄えの悪いオムライスやコロッケが見えるが、こちらは三玖が作ったようで、二乃の料理と並べると浮いて見えるが、別にそんな事は気にしない。

 というより、気にする余裕がなかった。今、風太郎の頭の中にあるのは葛藤だけだ。

 

 果たして、目の前の料理を食べて良いのか、否か。

 

 直感、或いは本能的な危機察知能力的なものが告げている。これは危険だと。

 

「食べられないものでもあったかしら。あんた、生魚以外に苦手なものなかったわよね?」

 

 当然のように自分の好みを言い当てる二乃に今は恐怖を感じる余裕すらない。

 今はこの局面をどうやって切り抜けるかだ。そうだ。腹が減っていない、という設定はどうだろうか。

 

「じ、実は今日は昼に普段より多めに食べていてな。そんなに腹は減って……」

「上杉さん、今日もいつもの定食でしたよね? 何でしたっけ、えっと確か……」

「『焼肉定食焼肉抜き』だよ、四葉。フータローがいつも頼んでいるのは」

「あっ、それだよ三玖!」

「……」

 

 退路は断たれた。もう覚悟決めるしかないようだ。

 いや、そもそもこの直感自体が間違っている可能性もある。本当に彼女達が善意で料理を振る舞ってくれたのに、ありもしない疑いの為に料理を口にしないのは彼女達に対する侮辱だ。信頼関係を揺るがす行為だ。今後の家庭教師の業務に影響を及ぼし兼ねない。

 それに料理に危機感を覚える事自体がおかしい。例えば美味しそうに見える二乃の料理の味が実はとんでもないものだったとしても、貧乏舌の自分なら大抵の味は許容範囲だ。何ら問題ない。それは見栄えの悪い三玖の料理だって同じ事だ。

 

 流石に料理に薬でも盛られているなら話は別だが、そこまでやべー連中ではない筈だ。

 毒殺される覚えも、眠らされる覚えも、麻痺させられる覚えも、一切ない。この料理はきっと、家庭教師の自分への歓迎のもてなしなんだ。

 

 家庭教師如きにそんな事をするか疑問だが、それがきっと金持ちのやり方なんだろう。

 

「いただきます……」

 

 意を決した風太郎はまず手始めに三玖のオムライスから口を付けた。

 その様子を見た三玖は小さく拳を握り、二乃は自分の料理が先に選ばれなかった事に鼻を鳴らした。

 

 食べた感想は普通に美味い、だった。見た目はともかく、味付けは悪くない。

 何度かスプーンを口に運んだ後、今度は二乃の料理を口にする。こちらは見た目通り、美味い。味付けや食感も丁寧な気がするが、正直その辺りはあまり分からない。

 どちらが美味いかと聞かれたら、きっとどっちも美味いと答えただろう。

 

 美味い。

 

 美味い。

 

 …美味い。

 

 ……美味い。

 

 ……眠い。

 

 ………美味い。

 

 ………眠い。

 

 眠い……眠い。

 

 …………あれ?

 

「お、おま……」

「フータロー君、凄く眠そうだね」

「ち、ちが……」

「いいんだよ。あとでちゃんと起こしてあげるから」

「おれ……まちがって……」

「だから、今はおやすみなさい、フータロー君」

「が……ま……」

 

 スプーンを落とし、意識を失ってそのまま床に倒れそうになった風太郎を隣に座っていた一花がそっと抱き抱えて、彼の頭を自身の太ももの上に乗せた。

 

「何だか懐かしいな、この感じ」

「ちょっと、一花。懐かしいってどういう意味よ」

「……したの? フータローに膝枕」

「秘密」

「もう、喧嘩はダメだよ」

「そうですよ。それにもう私たちで競う必要なんてないんですし」

 

 残りの四人も眠る彼の体を囲うように並ぶ。

 

「でも大丈夫かな。上杉さん、一日お借りしちゃって」

「大丈夫ですよ、四葉。らいはちゃんが心配しないように今日は泊まりで家庭教師をする旨を伝えています。勿論、彼のお義父様にも」

「良かったぁ。なら安心だね」

「四葉は本当にらいはちゃんが好きだね」

「当たり前だよ、三玖。だって私たちの義妹なんだよ?」

「四葉の言う通りね」

「今まで同い年の妹しかいなかったから年の離れた妹って、新鮮かも」

 

 眠る彼の左手の指に五人はそれぞれ手を伸ばした。

 

「フータロー君が言ったんだよ? 五人で共有すればいいって。それが五等分だって。だからセンセーの教えはちゃんと守るよ」

 

 意識と信念を貫くと言われる親指に。

 

「あんた、言ったわよね。掴んでろって。だから掴んでいるわ。フータローを。これからもずっと。絶対に離してあげないんだから」

 

 積極性を高め、導いてくれる人差し指に。

 

「今度こそ私はフータローに好きになってもらえる私になる。だから見てて、フータロー。ずっと、ずっと見てて」

 

 他者への理解、他者からの理解される力を高める中指に。

 

「ごめんなさい、上杉さん。あの時、欲しいものはちゃんと頂いたのに。だけど、それだけじゃ足りないんです。ずっと、欲しいんです。あなたの笑顔が」

 

 愛と絆を深め、願いが叶うとされる薬指に。

 

「上杉君。私たち、決めたんです。全てを五等分に。喜びも悲しみも苦しみも。そしてあなたさえも。だってあなたは私たちのパートナーですから」

 

 チャンスを呼び寄せ、異性を惹き付ける小指に。

 

「だからもう」

「絶対に」

「二度と」

「あなたを」

「離さない」

 

 

 

 


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