とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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上杉君がやべー次女と花火を見る話。


五つ子強くて?ニューゲーム⑤

 化かし化かされ化かし合う。

 姉妹たちが本当の自分の姿でいる方が珍しくなったのは、いつからだろうか。

 僅かな所作や仕草で彼女たちを見分けられるようになると彼女たちの祖父は言っていた。

 だが、こんな形で彼女たちを見分けられるようになるとは思わなかった。

 毎日、誰かが誰かに化けて嘘をつく。眩しく感じていた姉妹の笑顔が次第にくすんで、その瞳も濁ってしまった。

 こうなった原因は分かっている。その解決法も。あの時と同じだ。結局、何も変わらない。

 

 ──ただ、『不要なカード』を切り捨てればいい。それだけのシンプルな方法だ。それで全て丸く収まる。そう信じていた。

 

 

 どうして、と絶望と執着の混じり合う長女に問われた。

 

 ──俺には誰か一人を選ぶ事なんて出来なかった。

 

 どうして、と怒りと悲しみを浮かべた次女に問われた。

 

 ──誰かを選ぶとお前達の絆を壊してしまうから。

 

 どうして、と涙を零しながら詰め寄る三女に問われた。

 

 ──お前達には五人一緒にただ笑顔でいて欲しい。

 

 どうして、と今にも泣きそうな笑顔で四女に問われた。

 

 ──それがお前たち姉妹に望む理想の関係だから。

 

 どうして、と驚愕で顔をこわばらせた五女に問われた。

 

 ──俺達は友人だと、そう言ったのはお前だろう。

 

 特定の誰かではなく、五人全員と出会えたから俺は変われた。だから、姉妹の誰か一人を選ぶ事なんて出来る筈がなかった。

 それが正しい選択だと、最善なのだと疑いもしなかった。彼女達にはずっと五人で過ごして欲しいと心の底から願っていた。

  

 けど、それは間違いだったのだろう。彼女達に自分の望む理想を押し付けてしまった。

 本当に正しい答えを選んでいたら、きっと彼女達を悲しませる事なんてなかった筈だ。

 もしかしたら、俺は一番してはいけない選択肢を選んでしまったのではないだろうか。

 もし誰か一人を選んでいたのなら、こんな結末を迎える事はなかったのかもしれない。

 覆水後に返らず。いくら後悔しても、もう遅い。時計の針は決して戻せないのだから。

 

 

 ずっと五人一緒がいいんだね、フータロー君は。

 

 あんたがそう言うなら癪だけど仕方がないわね。

 

 それがフータローが望んだ『公平』ならいいよ。

 

 上杉さんがそれで笑顔になれるなら構いません。

 

 それがあなたの願いなら私たちが叶えましょう。

 

 

 ─────五人一緒に。あなたと共に。永久に。

 

 

 

 ああ、失念していた。

 彼女達がどうしようもなく馬鹿で素直に言う事を聞かない厄介な連中だという事を。

 

 

 

 

 ◇

 

 

「………ねえ、起きて」

 

 誰かの声がした。体を揺られながら徐々に意識が覚醒していく。

 体が物凄く怠い。まるで苦手な運動をした後のような気怠さだ。おまけに腰の辺りも痛む。それに口元が何故かべたべたとして気持ち悪い。

 この体の不快感は以前にも経験した事がある。そうだ、あれは確か───。

 

「起きてお兄ちゃん!」

 

 耳元で響いた声に目を開くと自分の顔を覗き見るらいはの顔が映った。

 

「らいは、か」

「あ、やっと起きた。おはようお兄ちゃん。もう夜だけど」

「夜……?」

 

 覚醒しきっていない頭を動かして部屋の壁時計を確認すると七時を回っていた。窓から見える外の景色は既に暗闇が包んでいる。

 不思議と、夜空に浮かぶ月がいつもより綺麗に見えた。

 

「なんでらいはが……確か友達と花火大会に行った筈だろ?」

 

 今日は父も仕事で、らいはも帰るのが遅いと聞いて家は自分一人だった筈。絶好の勉強日和と思って卓袱台に筆記用具やノートを広げて勉強に明け暮れていたのは覚えている。

 頭がぼうっとする。記憶が曖昧だ。何故、寝てしまっていたんだ。勉強を張り切りすぎたかのだろうか。

 

『上杉君はどうして勉強をするのですか』

 

 ……いや、違う。今日は一日中勉強をしようとして彼女が訪問してきたんだ。

 だんだんと記憶が蘇っていく。そうだ思い出した。給料を渡しに来た五月に勉強を教えて欲しいと言われ、そしてその途中で───。

 

「らいはちゃん、そろそろフータローは起きたかしら?」

「ッ!?」

 

 聞き覚えのある声。だが、この場所で、我が家で決して聞くことのない筈の声がした。

 ありえない。なんでこいつが。

 あまりの衝撃に辿っていた記憶の糸が途切れてしまった。

 

「あ、二乃さん。いまちょうど起きたよ」

「良かった。今からなら花火も何とか間に合いそうね」

「ま、待て、らいは! なんでそいつがいる!?」

 

 まるで我が物顔のように部屋に入ってきた浴衣姿の二乃に風太郎は目を剝いた。

 状況が理解できない。脳が処理しきれない。

 何故、この女がここにいる。

 何故、当然のようにらいはと会話している。

 

「言ったでしょ、お兄ちゃん。友達と花火大会に行くって。その友達が二乃さん達だよ」

「なん、だと……」

 

 風太郎は言葉を失い崩れ落ちそうになった。

 唯一の心の拠り所を失ってしまったような、そんな喪失感が胸の中にじわりと広がる。

 せめて家の中だけは、家族だけはあの姉妹に侵されない聖域だった筈。

 それが気付けば姉妹の魔の手が届いてしまっていた。

 家の前で待ち構えているならまだ我慢できる。

 インターホンを鳴らして客人として訪れるのも別にいい。

 

 だが家族を手籠めにされて出入りされるのはダメだ。まだ自分への客人として訪れるなら断る事も出来るが、らいはの友人として訪ねられたら彼女の侵入を許さざるを得ない。

 そうなってしまったら終わりだ。これでは安眠出来る場所すらないではないか。

 

「馬鹿な、そんな事が……」

「ほら、突っ立ってないであんたも準備しなさい」

 

 茫然と立ち尽くす風太郎だったが、そんなのはお構いなしに二乃は彼の腕引いた。

 

「じゅ、準備? お前、何を言って……それより五月はどこだ。あいつは俺に」

「決まってるじゃない。花火大会よ。五月は先に行ってるわ」

 

 何が何だかさっぱりだ。しかもこの流れはどうやら自分の意志に関係なく彼女達に付いて行かなければならない事が既に決定しているらしい。

 拒否権がないのなら諦めるしかない。普段は諦めの悪い男だと自負してる風太郎だが、彼女達相手に意地を通せるのなら、今日までの精神的疲労はなかっただろう。

 

 それに、この場にはいない五月には何としても確かめなければならない事がある。

 

「……あれ? お兄ちゃん。怪我したの?」

「怪我?」

「ほら、ここ。畳に赤いシミが付いてるよ。どこか擦りむいたりしたの?」

「ほんとだ。けど怪我なんてした記憶にないが……」

「……」

 

 

 ◇

 

 

「クソッ……どうして俺が花火大会なんぞに参加しなきゃならねえんだ」

 

 浴衣を着た人混みを搔き分けながら、屋台通りを渋々と歩く。秋とはいえ、これだけ人が集まると蒸れるように熱い。

 せっかくの勉強日和がこれでは水の泡だ。額に汗を浮かべた風太郎は隣を歩く二乃に愚痴をぶつけるが、彼女は気にも止めずに聞き流していた。

 

「いいじゃない。ほら、あんたの妹ちゃんも四葉に遊んでもらって喜んでるんだし」

 

 二乃の指差す方に視線をやると合流した四葉とらいはが祭りを存分に楽しんでいるようだった。

 否、正確には口元にソースを付けた四葉をらいはがハンカチで拭って世話をしていた。

 

「あれはどちらかと言うと四葉がらいはに遊んでもらってないか?」

「……そうね」

 

 気まずくなったのか、二乃は四葉達から顔を逸らした。

 そんな二乃に呆れながらも風太郎はずっと感じていた疑問を投げかけた。

 

「そもそも、なんでお前たちとらいはが友達になっているんだよ」

「ほら、前にあんたが私たちの家で寝た事があったでしょ? その時にらいはちゃんと電話で話してる内に仲良くなったのよ」

 

 あの時に何故か五月がらいはの携帯電話を知っていたのを思い出した。

 姉妹がらいはと友達になった経緯よりもそっちが気になったが、何となく聞くのは躊躇われた。何となくだが、聞いてはならない気がして。

 

 まあいい。彼女達への自分の個人情報流出など今更だ。

 

「ったく、どんなコミュニケーション能力してやがる。普通、電話で話しただけの小学生とそこまで仲良くなるか?」

「話してみると良い子で可愛かったから仲良くなりたいと思っただけよ」

「確かにうちの妹は良い子で可愛い。つい友達にしたくなるのも仕方ないな」

 

 意外と話が分かる奴かもしれない。風太郎は初めて二乃に心を許しかけた。

 

「それに、将来の事を考えたら挨拶は速い方がいいし」

「何の話だ?」

「後になれば分かるわ。それまで楽しみにしてて」

「……?」

 

 まるで子どもが悪巧みをするかのような笑みを浮かべる二乃に風太郎は嫌な予感がした。

 彼女達が何かを企むなんてろくでもない事に違いない。

 

「……にしても意外だな」

「何が?」

「てっきり姉妹揃って来ているかと思ったんだが」

 

 いつも五人揃って常に自分を囲っている中野姉妹だが、今日はやけに人数が少なかった。

 普段なら気付けば後ろにいる三玖も、最近出会う毎に何かと飲み物や食べ物を差し出してくる一花もいない。

 それに風太郎にとって今現在一番の懸念事項である五月の姿も見当たらなかった。

 

「五月なら屋台を食べ歩きしてるわ。運動した後だからお腹空いてたんでしょうね。三玖はその付添。五月、一人だと迷子になるからね。二人とは後で合流する予定よ」

「運動……?」

 

 妙にその言葉が引っかかったが、とりあえずは納得した。しかしそれだとまだ一人足りない。

 

「一花はどうしたんだ?」

「仕事。今度やる大きい映画のオーディション受けに行ってるわ」

「……オーディション?」

 

 いきなり飛び出た不可思議な単語に首を傾げると、二乃は意外そうに目を大きくした。

 

「あら、まだ聞いてないの? 一花、女優の卵なのよ」

「は? 女優……?」

「意外ね。一花の部屋で二人が一緒に寝た時に言ってるかと思ったけど」

「ご、誤解を招くような言い方は止めろ!! 別にあの時は特に何も話してない。起きた時に状況の確認をしただけだ」

「……」

 

 思い返してみれば、確かに姉妹の中でも一花だけは放課後に姉妹に囲まれて帰る中で姿を見せない日が時々あった気がする。彼女がいなかったのは仕事が理由だったのだろう。

 そもそも五人に囲まれて帰宅する事自体が異質な為、そんな些細な事に気付く筈がなかった。

 

「しかしあいつが女優ねえ……全く想像できねえ」

「勉強が遅れるか心配?」

「いいや、それに関しては全く」

「え?」

「今のところ家庭教師の日にはちゃんと授業を受けているし、予習もしているようだ。仕事をしながらそれが出来ているなら何も心配はない」

 

 一花の仕事には驚いたが、勉強を疎かにしている様子は今のところ見受けられない。

 勉強と仕事を両立させる苦労は風太郎も身に染みて実感している。それをしっかりとこなしている一花に風太郎は好感が持てた。

 長女として妹達の模範となろうとしているのだろう。彼女のそういったところは素直に尊敬できる。

 最近では三玖も一花に感化されたのか、最初に比べて自分に圧かけてくる事も少なくなった気がする。何というか心に余裕が出来たように感じた。

 

「……ふーん、そう」

 

 突如、二乃がつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「ほんっと、ズルいわ。一番余裕がなかったのは一花だったのに、じゃんけんで勝った途端に余裕ぶって、三玖も同じよ。五月だっていつもの食欲に戻ったし、私だって絶対に……」

「な、なんだよ、いきなり……」

 

 急に機嫌を損ねてぶつぶつと独り言を呟きだした二乃に風太郎は戦慄した。

 時々あるのだ。彼女達を話していると突然、まるでスイッチが入ったかのように態度が豹変する事が。

 つい先日もそうだった。日直でクラスの女子と事務的な会話を二言三言交わした時に五月から普段よりも強烈な視線を送られ、何故か後から三玖と二乃に何を話したか尋問され、一花に言ってもいないその女子の名前を確認され、四葉がその女子の様子を視察しに行った。

 本当にこの姉妹は何が地雷なのか分からない。

 

「こっちの話よ。まあいいわ。ようやく私の番だしね。ほら行きましょ」

「行くってどこに」

「今日はビルの屋上を貸し切って花火を見るの。その特等席に向かうのよ」

 

 何とか機嫌を直してくれたようだが、今度は流れるように飛び出たセレブ発言に風太郎は眉をひくつかせた。

 金持ちというのは、やる事のスケールが庶民とは違うと思い知らされる。

 

「四葉達はいいのか?」

「四葉とらいはちゃんには予め言ってるわ。時間までまだ余裕があるし、もう少し遊んでいくんじゃない? それともフータローも二人と一緒に遊びたいのかしら」

「興味ない。その特等席とやらにさっさと行くぞ」

 

 揶揄ってくる二乃を無視して風太郎は溢れる人混みを搔き分けるように前に出た。

 しかし、前から流れてくる人だかりに中々進めない。後ろの方で二乃が人とぶつかったのか、あっ、と彼女の声が聞こえた。

 これでは埒が明かない。仕方ないと、風太郎は溜息を吐いて二乃の元に戻って彼女の手を取って自身の袖口に寄せた。

 

「ったく、人混みが多いな。ほら、掴んでろ」

「……っ!」

「いや、腕じゃなくて袖を……」

「……」

「……もうそのままでいいから案内してくれ」

 

 普段は怖い眼をして距離が近くても全く動じない癖に、なんで今に限ってしおらしいんだ。

 腕を抱きしめて顔を伏せる二乃に若干の気恥ずかしさを覚えながら風太郎は人混みを進んでいった。

 

 ◇

 

「……圧巻だな、流石はセレブ席。本当に俺たち以外誰もいねえ」

「当然でしょ。誰にも邪魔なんかされたくないんだから」

 

 何となく気まずい空気を味わいながら二乃に腕を抱きつかれたたまま、何とか目的地のビルへとたどり着いた。

 屋上はテラスになっており、木製のテーブルの上には予め用意してあったのか何本かのジュースのペットボトルが置かれている。

 

「しかし、四葉達も三玖達も遅いな。来る気配がないが……一緒に花火を見る約束があるんだろ?」

 

 道中、二乃から聞いた話だが中野姉妹は毎年姉妹で花火を見る習慣があるらしい。それが母との思い出だと。

 だからこうして屋上を貸し切ってまで用意をしたらしいが、未だに屋上には自分と二乃以外の姿が見当たらない。

 

「ええ。だけどそれは後よ」

「後?」

「花火大会、一花は間に合わないし。五人揃ってなきゃ意味ないのよ」

「じゃあどうするんだ」

「一花が来た後に買った花火をするわ。規模は小さいけど花火は花火だからね」

「……随分と五人一緒に拘るんだな」

 

 何となく、思った事をそのまま口にしていた。

 仲のいい姉妹だと思っていたが、それにしても五人でいる事にどこか強い拘りを感じる。

 

 風太郎の疑問に二乃は夜空を見上げながらぽつりと呟いた。

 

「──だって五人一緒じゃなきゃ手に入らないモノがあるんだもの」

 

 花火を見る為にこんなビルの屋上を貸し切る事ができる姉妹だ。頭の出来は五人で一人前だが、それ以外は何でも苦も無く手が届く連中だと思っていた。

 そんな彼女達が揃って一体何を欲しているのか少し気になったが、二乃の瞳が夜空よりも暗く濃い黒を宿していたのを見て言葉を飲み込んだ。

 今まで見た中でも、特に圧の感じる瞳は、並々ならぬ感情を秘めているように感じた。

 

「でもせっかく、こんな場所を借りたんだし花火を楽しまないと損よね。はい、あんたの分のジュース」

 

 喉渇いたでしょ、と二乃はテーブルに置いてあったペットボトルを手に取って風太郎に差し出してきた。

 何の変哲もない、ただのペットボトルに入ったジュースだ。

 

 ──だが、もう同じ手は食わない。

 

「……悪いが、それは受け取れない」

 

「どうして?」

 

 ありふれた言葉なのに、二乃が口にしたそれは強烈なプレッシャーを感じた。

 それに、何故だろう。彼女から……彼女達からその言葉で問われたのは初めてではない気がする。

 しかし今はそんな既視感に構っている暇はない。

 

「そのジュースを、もしお前が先に飲んだら、受け取ってもいい」

 

 暗に何かを盛っただろうという疑いを含んだ言い方をしたが、直接の表現は敢えて避けた。

 これは風太郎なりの妥協ラインだ。二乃が手に持ったジュースを飲まなかったらそれでいい。それ以上は彼女を追及はしない。

 このまま引き下がれば、少なくとも二乃とは何もなかった事にするつもりだ。

 

 彼女達とは、出来ればこのまま良き生徒と教師の関係でありたい。

 

「気付いていたの?」

「半信半疑だった。一花の時も、三玖の時も、一応は寝てもおかしくはない状況だったからな。だが、今日の五月で確信した」

 

 寝不足でも何でもない今日、いきなり眠気が襲ってきたのは明らかに異常だった。

 本当は五月を呼び出して今日の真相を確かめるつもりだったが、二乃から仕掛けてきたのだから仕方ない。

 

「……そっか。三玖は上手くやったけど、五月はそういうの、苦手だったわね」

 

 二乃は目を伏せて観念したように嘆息した。彼女の漏らしたその言葉は自白したも同然だった。

 

「二乃。今のは何も聞かなかった。何も知らなかった事にする。だからこんな事は……」

 

 何が目的かは尋ねない。そうすれば、金持ちお嬢様のちょっとしたいたずらで済ませる事が出来るのだから。

 そう願う風太郎に二乃は目を開いて不敵な笑みを浮かべた。

 

「──こうすれば満足かしら」

「なッ!?」

 

 突如、二乃は手に持ったジュースを一気に呷った。

 

「二乃!」

 

 風太郎は慌てて二乃のもとに駆け寄った。あの薬の即効性は身に染みて理解している。

 こんな場所で気を失って固いコンクリートの地面に頭をぶつけたら大事だ。

 

「あっぶねえ……」

 

 何とか間に合った。倒れる前に何とか二乃を抱きかかえ、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 

 

 ──だが、その刹那の油断が隙を生んだ。

 

 

 眠っていたと思い込んでいた抱きかかえた二乃の両腕が伸びた。両腕は風太郎の後頭部をしっかりとホールドする。そのまま彼女は体重を掛けて風太郎を押し倒した。

 驚く間もなかった。

 声を上げる事すら出来なかった。

 抵抗する暇もなかった。

 

 二乃は躊躇う事なく、風太郎の口元に自身の唇を押し当てた。

 

 視覚が二乃の顔で埋め尽くされた。柑橘系の香りが彼女の髪から漂う。

 触れた唇をこじ開けて何かが流れ込んでくる。二乃の舌と彼女が口に含んでいたらしいジュースだ。

 舌がジュースの甘味を感じながらも、同時に彼女の舌を絡み取った。

 くちゅくちゅと卑猥な音を立てる口元と、自身の鳴り響くうるさい心臓の鼓動のせいで鼓膜がそれ以外の音が聞き取れない。

 

 五感全てが彼女に犯されていく。

 

「ごほっ、な、なにを……っ!!」

 

 一瞬にも永遠にも思えた彼女の接触を何とか腕で押し返す事によって顔を引き剥がした。

 だけど体に力が入らないせいで、二乃は未だに仰向けになった風太郎の腰の上に馬乗りしている。腰の上で擦り付けるように乗りながら二乃は妖艶に笑い舌なめずりをした。

 

「ねえ、フー君。他の子と意識のある状態でもうキスはしたのかしら?」

 

 フー君、というのが己を指す名称だと直ぐには気付かなかった。そんな事よりも、風太郎は自身の身の異変に焦燥していたからだ。

 今にも沸騰しそうなくらい頬を紅潮させた二乃が風太郎の唇をそっと人差し指で撫でた。

 

「まだよね」

 

 唇に触れていた指がゆっくりと顎、首と下に進みながら撫でていき、そのまま風太郎のシャツのボタンに指を掛けた。

 このままでは不味い。非常に不味い。頭では分かっているのに体がさっきから全く言う事を聞かない。

 

「ふふ、フー君の初めての相手は一花でも三玖でも四葉でも五月でもないの。この二乃よ。残念だったわね」

「……や、めろ」

 

 一つ一つ、ボタンが不慣れな手付きの二乃に外されていく。

 体が異常な程に熱を帯びていて、理性が崩壊しそうになる。

 さっきの行為の生理現象だったとしてもこれは余りに異常だ。

 

「寝てる相手として私が満足すると思うのかしら」

「……やめろ、二乃」

 

 どうしてと自身の身に起きる現象に混乱する風太郎の目に二乃が飲んだペットボトルが視界に入った。

 そうだ。よく見てみると自分と同じように、飲んだ二乃自身もさっきから息を切らして興奮している。

 

 まさか、まさか、そんな……。

 

「五月の後だしね。物足りなくなったら困るでしょ? それに──相手に意識させるからこそ恋なのよ」

「やめろぉおおおおおお!!!」

 

 

 風太郎の叫びは夜空に鳴り響く花火の音に打ち消された。

 

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