とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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上杉君がやべー四女から逃げられない話。


五つ子強くて?ニューゲーム⑥

「──では、期待しているよ」

 

 通話を終え、息を吐いてチェアの背凭れに体を預けた。

 電話の相手は学力の乏しい娘達を無事に卒業させる為に雇った高校生の家庭教師だ。

 娘の携帯を通じて彼と交わした会話は至ってシンプルなものだった。家庭教師の仕事に対する労いの言葉と娘達の学習の進捗状況の確認、そしてあるノルマを与えた。

 

 中間試験も近い。そこで五人の誰か一人でも赤点を取れば家庭教師を解雇する、と。

 

 それを伝えた時、電話の向こうから何故か歓喜のような雄叫びが聞こえて眉を顰めたが、余程自信があるのだと受け止めた。

 彼の家庭状況は知っている。自身の能力を雇い主にアピールできるチャンスだと踏んで己を鼓舞しただろう。あわよくば給料値上げの交渉材料に、とでも考えているのかもしれない。

 

 実際、ノルマを課したと言っても形だけのもので終わるだろうと予測している。

 娘の五月を通じて彼の様子は報告を受けているが、中々に優秀な男だった。

 鬼門であると考えていた姉妹との関係は意外にも良好だと聞く。早々に全員と打ち解け、無事に家庭教師として受け入れられたそうだ。それだけ信頼に足る人柄だったのだろう。

 それに加え、娘達から聞く彼の仕事ぶりには目を見張るものがあった。家庭教師の日以外にも自主的に放課後に勉強会を開くなどして姉妹の勉学のサポートをしており、粉骨砕身で彼女達の学力向上に努力しているらしい。

 学年トップの頭脳を誇り、癖のある娘達と打ち解けられる人柄も持ち合わせ、さらに仕事への責任と熱意も十二分にある。

 五月の報告を聞く限りでは非の打ち所がない家庭教師だ。最初は娘と同級生の男子生徒、それも『あの男』の息子を家庭教師として雇うのに懐疑的ではあったが、どうやら杞憂で終わったようだ。

 彼ならば、この程度のノルマは難無くクリアするだろう。その時は彼に対する報酬も底上げてもいいと考えている。バイトの日以外にも娘の世話を見ているのなら、それに対して正当な報酬は支払われるべきだ。

 

 雇い主として、家庭教師である上杉風太郎の働きには高い評価と期待を寄せていた。

 

「……」

 

 だが、その一方で親として彼には言葉では言い表せない妙な不安を同時に抱いていた。

 理由や理屈のない直感のような曖昧な概念で思考するのは馬鹿らしいが、それでも何故か胸騒ぎがする。

 

 ──ふと、昔に彼女達五人に問われた、ある言葉が頭を過った。

 

『ねえ、お父さん。聞いていい?』

『将来、もしも私たちに好きな人ができて』

『その好きな人が五人とも同じ人で』

『全員がその人の傍にずっといたいって言ったら』

『許してくれる?』

 

 まだ、姉妹全員が同じ服装、同じ髪型、同じ口調をしていた頃だった。父親としてまだ彼女達と接して間もなかったある日に娘達にそんな言葉を投げ掛けられた。

 幼い彼女達は未だ恋を言葉でしか知らないような、無垢な少女だ。五つ子特有の何でも五等分で共有したいと願っていた時期なのだろう。

 そんな彼女達に現実的な常識を説くよりも、少女らしい夢を見せる方が父親としては正しい行動なのだと判断した。

 

『君たちが本当にその人を心から愛しているのなら、好きにしなさい』

 

 その時に気付くべきだった。彼女達五人がとても無垢とは言えない強烈な感情を秘めた瞳をしていた事に。

 

 そうすれば、今から五年後の未来に当時の自分を絞め殺したいほど後悔する事はなかったのに。

 

 

 

 ◇

 

 

 土曜日。習慣となった家庭教師の日がやってきた。中間試験も迫っており、気の抜けない時期だ。

 更に昨日は雇い主である彼女達の父親から試験で一人でも赤点を取れば解雇するとノルマまで言い渡されてしまった。

 風太郎の見込みでは今の彼女達が全員赤点を取らずに試験をクリアできるのは正直、厳しいと感じている。

 出会った時と比べたら目に見えて成長が見られるものの、未だに姉妹全員苦手な教科が克服できていない。中でも勉強を苦手とする四葉が一番の難点だろう。

 今から試験への対策を取り組んで、はたして間に合うかどうか微妙なところだ。下手をすれば、このまま自分は家庭教師を辞めさせられる……。

 

 そう、“辞めさせられる”のだ。

 

 

 このノルマの話を聞いた時、風太郎は思わずその場でガッツポーズをして狂喜乱舞した。携帯を借りた五月の目の前だとか関係なしに雄叫びを上げた。

 

 ヤッタ! 逃げられる! 奴らからおさらばだ! イエス! オ~イエス! イエス! イエス! イエスッ!!

 

 風太郎には彼女達の父親がまるで窮地に手を差し伸べてくれた救世主のように思えた。

 自ら“辞める”のではない。“辞めさせられる”のだ。似ているようでこれには天と地ほどの違いがある。

 あの花火大会を境に風太郎の中での中野姉妹への恐怖心は限界にまで膨れ上がり天元突破した。あれ以降、姉妹達の顔をまともに見る事が出来なくなっていた。

 それも当然だ。二乃が堂々としでかした『行為』によって、寝ている自分が姉妹に何をされていたのか嫌でも察してしまったのだから。

 毎度毎度起きたら口元がベタついていたのも、シーツや枕が湿っていたのも、妙な赤いシミがあったのも、全てあの姉妹が寝ている自分を使ってエンジョイ&エキサイティングしたせいだ。

 もはや拭う事のできない一生モノのトラウマである。下手をすれば女性そのものが嫌になって今後まともな恋愛など出来ないのではないかと危惧してしまう。

 もし、自分が今後誰か女性とそういう男女の関係になった時が来たとしても、間違いなくその瞬間にあの五つ子達の顔が脳裏に浮かぶ事になるだろう。

 文字通り、風太郎の身と心に『中野姉妹』を刻まれた。

 

 ──あの姉妹は危険過ぎる。

 

 花火大会の翌日、真っ先に思い浮かんだのは家庭教師のバイトを即座に辞める選択だったが、それは直ぐに却下した。

 もしも家庭教師を辞めるなんて言い出したら彼女達が何をしでかすか想像も付かないからだ。

 薬を盛って寝てる自分を襲ってきたような連中だ。携帯のアドレスも自宅の住所も知られているし、愛しい妹もその手中に墜ちた今では下手に彼女達を刺激するのはあまりにも軽率だ。

 それなら生徒と教師という関係を形だけでも保って彼女達の動きを牽制した方が、まだマシだろう。少なくとも今は耐えるしかない。

 

 切れる札が少なく現状維持という選択を余儀なくされていたが、ここにきて新たに切れる手札が増えたのは僥倖だ。

 

 自ら辞めるのではないく、雇い主によって解雇される。

 

 彼女達から解放される筋書きの中で、最もスマートなあらすじだ。流石の中野姉妹も親の決めた方針なら従わざるを得ないだろう。

 風太郎の給料はあくまでも彼女達からではなく、彼女達の父から支給されている。金の切れ目が縁の切れ目だ。

 家庭教師を辞めさせられたら何の遺恨もなく中野姉妹にさよならを言い渡せる。既に自身の貞操とは強制的にさよならをさせられたのだ。十分な対価だろう。

 

 しかし、まだ安心してはいけない。ここで重要なのは自分が『雇い主によって』辞めさせられた、という建前だ。それを何としても証明しなければならない。

 仮に風太郎が家庭教師の仕事に対して手を抜いて、彼女達が赤点を取ってもあの姉妹は決して納得しないだろう。何かと御託を並べて家庭教師を続投させられる可能性が十二分にあり得る。

 ならば、どうするか。答えは簡単だ。そんな下らない言い訳を出来なくすればいい。

 

(一切、手を抜かない。奴らに全力で勉強を叩きこみ、その上で解雇される。我ながら完璧な幕切れだ)

 

 下手に策を弄するよりもシンプルな方が確実だ。全力で彼女達の教育をして、その結果、中野姉妹が赤点を取れば上杉風太郎が家庭教師として相応しくないという揺るがない証明となる。

 大丈夫だ。今のところ、彼女達があのノルマを達成するなど不可能に近い。中野姉妹の頭の出来は自分が一番よく理解している。

 

 金はないが、意地があるのが上杉風太郎という男だ。もとより、勉強で手を抜くなど自身のプライドが決して許さない。

 どうせ解放されるなら、彼女達の落ち度によってその手を逃れたい。己の頭の悪さを呪う中野姉妹の顔を見ながら解放されるのが、風太郎にとって一番胸のすく別れ方だ。

 

(結局、俺がやる事は何も変わらない。あのどうしようもない馬鹿どもに勉強を教えるだけだ)

 

 気を引き締め、鬼達の待つマンションへと足を踏み入れた。

 

 

 

「あっ」

「げっ」

 

 エレベーターを上がり、中野家の玄関の扉を開ける。いつもなら五月が律儀に正座をしながら待機しているのだが、そこで待ち受けていた予想外の人物を目にして風太郎は瞼をひくつかせた。

 

「に、二乃……」

「いらっしゃい。ほら、上がって」

 

 

 玄関で出迎えたのは、よりにもよって風太郎が姉妹の中で今一番会いたくない二乃だった。

 どういう心境の変化か、腰にまで掛かっていたその長い髪が肩の辺りでバッサリと切り揃えられている。正確には心境の変化に一つ大きな心当たりがあるのだが、あまり深く考えないでおく。出来ればあれは思い出したくない。

 しかし髪を切るだけで随分と印象が変わるものだ。これであの特徴的なデカリボンでもしていたら四葉と間違いなく勘違いしただろう。むしろ、四葉が待ち構えてくれた方が良かったが。

 姉妹全員がやべーのは間違いないが、前科持ちの四人とそうでない四葉とでは対面する時の緊張感が違う。特に目の前の二乃は一番の凶悪犯だ。

 

「……ちゃんと来てくれたのね」

 

 ぼそりと二乃が呟いた言葉の意味を飲み込むのに少し時間が掛かった。どういう意味だと眉を顰める。

 恐る恐る彼女の顔を窺うと、どこか気まずそうに頬を掻いていた。

 どうやら一応は例の行為について多少は負い目のようなモノを感じているらしい。或いは恥じらいか。

 平気で薬を盛ってくる連中でも今回は流石に事が大きかったようだ。

 思い返してみれば、それが原因か知らないが花火大会から今日までの間、風太郎は二乃とまともに会話をする機会がなかった。自粛していた、とでも言うのだろうか。

 

 中野姉妹のガバガバな倫理観には理解に苦しむ。薬で眠らせて襲うのはセーフで、意識がある状態で襲うのはアウトなのか。それなら最初からやるなと声を大にして言いたい。

 

「仕事だからな」

 

 ぶっきらぼうにそう答えた。実際、彼女達の家を訪れる理由など仕事以外に有り得ない。誰が好き好んで自ら肉食獣の巣穴へと入るような真似をするというのか。

 それに仕事自体も、こうして続けるのは時間の問題だ。中間試験が終われば、きっと自分はこの家に足を運ぶ事は二度とないだろう。

 それを知らないからか、二乃は嬉しそうに頬を緩めた。

 

「ふふ。それでも、フー君に会えて嬉しいわ」

「……そのフー君とかいう間抜けそうな呼び名は止めてくれ」

「いいじゃない。二人きりの時だけ呼ぶんだから」

 

 どうやらあの夜を境にフー君呼びが定着してしまったようだ。恥ずかしいし、例の行為を思い出すので止めて欲しいが、素直に言う事を聞く女でないのは出会ってから今日までの日々で既に身に染みて理解している。

 

(……にしても、やっぱ落ち着かねえ)

 

 とりあえずは中間試験まで家庭教師を続けると決めたが、骨が折れそうだと二乃の顔を見て改めて思った。

 何とか表面上はこうして平静を装って会話をしているが、実際に二乃の顔を見て話すと想像以上にあの夜が脳裏に浮かぶ。

 しかもこれは二乃に限った話ではない。他の四人も同様だ。同じ顔というのはつくづく厄介だ。意識がある状態で行為をしたのは二乃一人なのに、顔が同じせいで嫌でも他の四人にあの夜の二乃が重なる。

 そのせいでこの一週間、二乃以外の四人に絡まれた時は気が気でなかった。今まで通り生徒と教師という関係を押し通すのは厳しいだろう。

 ああもドストレートに色情をぶち込まれていたら、いつか正気を保てなくなる。好し悪しはともかく、嫌でも彼女達が『異性』だという事を刻みこまれた。

 

(このままじゃ俺の方がおかしくなっちまう……)

 

 家庭教師を辞めて姉妹と距離を置きたいのは彼女達が怖いというのは勿論ある。

 だがそれとは別に、このままでは自分が彼女達に対して何か妙な情を抱かないかという不安が風太郎の中で徐々に膨れ上がっていた。

 

 現にその傾向が、あの花火大会の夜に見られた。

 

『お願い……もう、私達を置いていかないで』

『もう、二度と離れないで』

 

 あの夜。最初はただ色に溺れ、欲望のままに動いていた二乃が次第に涙声になり、風太郎に跨りながら、ずっとその言葉を繰り返していた。

 今にも消え入りそうな声で震える彼女を見て自分が何を思ったのか、正直覚えてはいない。

 薬で火照った頭で思考が正常にできていなかった影響なのか、それとも彼女と同様に色に溺れてしまったからなのか。

 

 ──あろうことか、震える二乃に自ら手を伸ばして抱きしめていた。

 

 何故、そんな真似をしたのか分からない。無理矢理唇を奪って、押し倒して襲ってきた女だというのに。

 ただ、そうすることで泣き止んでくれた彼女に自分が安堵していたのが、あの夜で一番印象深く記憶に染み付いていた。

 

 

 ◇

 

 

「ば、馬鹿な、ありえない……」

 

 中間試験に出そうな範囲をピックアップして作ったお手製のテストを姉妹に出題し、採点を終えた風太郎はその結果に愕然とした。

 

「うん、今日のは手応えあったかな」

「前に比べたら調子がいいわ」

「この感じなら中間試験本番もいけそう」

「うーん、私はまだ全然ダメダメだよ……」

「大丈夫ですよ、四葉。まだ時間はあります。それに私たちには上杉君が付いていますから」

 

 姉妹が各々テストの感想を述べているが、その表情は四葉を除いて清々しいほど明るかった。

 それもそうだ。五人中四人が全教科赤点のラインを超えるという偉業を成し遂げているのだから。

 その一方で風太郎は彼女達の想定外の成長に顔から血の気が引いていた。

 脳裏に家庭教師続投の文字が浮かび上がる。

 

(何だこれは……何が起きているッ!?)

 

 自分の採点ミスかと考え、もう一度彼女達の答案用紙を一から見直してみるも点数に変動はない。

 テスト形式で授業をしたのは初回と合わせて今回が二回目だが、その時と比べてあまりにも数値の上げ幅が大きすぎる。

 問題を解く所はずっと観察していたため、カンニングのような不正行為も考えにくい。まさか、今まで彼女達は本気を出していなかったとでも言うのだろうか。

 

(いや、それなら四葉だけが前回と比べて点数に変化があまりないのはおかしい)

 

 四葉も確かに前回に比べれば点数が上がってはいるのだが、風太郎の予想範囲内だ。他の四人があまりにも不自然過ぎる。

 何かあったとしか思えない。四葉以外の四人に大きな変革を与えたきっかけが。

 

(待てよ。四葉以外の四人だと……?)

 

 一つ、思い当たる節がある。奇しくも彼女達四人にはある共通点がある。しかもそれは風太郎自身に深く関わりがあるものだった。

 ───四人とも、笑顔で『卒業』しているのだ。風太郎を使って。

 

(ふざけるな! そんな事で勉強が出来るようになってたまるか!!)

 

 馬鹿げた妄想だと一蹴した。こんな事があっていい筈がない。

 まだ『やればできる子』なら分かる。勉強が嫌いなだけで苦手ではないという人間もいるだろう。仮に嫌いでも努力次第で成績はいくらでも伸ばせると自身が証明している。

 だが『ヤればできる子』なんて存在を風太郎は認める訳にはいかなかった。脳内ピンクの猿に人の叡智が宿る筈がない。それで勉強が出来るなら自分の苦労は何だったんだ。

 そんな事は有り得ない。有り得ないのに、彼女達のテストの結果がそれを完全には否定できなくしていた。

 フラストレーションを発散する事で勉強へのモチベーションに繋がった、とでも云うのだろうか。

 

「これならフータロー君もお父さんに家庭教師を辞めさせられる心配もないね」

「……え?」

 

 返却された答案用紙を眺めてながら嬉しそうに呟いた一花の言葉に風太郎は固まった。

 

「な、なんで、その事を……」

「五月から聞いたよ。フータロー、お父さんにノルマを課せられたんでしょ?」

「安心して。あんたは絶対に辞めさせないから」

「みんなで必ず試験を乗り越えてみせます」

「ええ必ず。お父さんに上杉君の事を認めてもらいます」

 

 姉妹全員、やる気に満ち溢れていた。前までなら、家庭教師として冥利に尽きる光景だっただろう。

 だけど今の風太郎にとっては死刑宣告をされたような心境だった。

 こんな筈じゃなかった。全力で家庭教師としての業務を全うするも力及ばず、雇い主によって解雇される。思い描いていたのはそういうシナリオだった。

 だけど現実はどうだ。『ヤればできる』中野姉妹の想像以上の成長によってその土台が大きく揺らいでしまった。

 このままでは不味い。とりあえずバイトが終わったら帰って根本的にプランを練り直さなければならない。

 

(お、落ち着け。まだ大丈夫だ。時間はある)

 

 ゆっくり家で風呂にでも浸かりながら考えればきっといい案が浮かび上がる。弱気になってはいけない。

 そう自分を勇気づけていた風太郎に、一花が良い事を思い付いたと言ってぽんと手を叩いた。

 

「試験まであまり時間もないし、お泊まり勉強会ってのはどうかな?」

「は……?」

 

 それのどこが良い事だ。ろくでもない事じゃないか。風太郎に背に滝汗が流れた。

 

「いいアイデアね。もっと勉強も出来るし」

「うん。いいと思う。フータローもそう思うよね?」

「勝手に決めるな。今日はらいはが飯を作って家で待って……」

「大丈夫です。前と同じようにらいはちゃんと貴方のお義父さまには既に許可を得てますから」

 

 もう彼女達からは逃れないのだろうか。風太郎の心にじわりと絶望感が広がった。

 

「それじゃあ、今日はお泊まり決定ですね! 上杉さん、よろしくお願いしますっ!」

 

 自分はチェスや将棋でいう『詰み(チェック・メイト)』にはまってしまったのだと風太郎は四葉の笑顔を見ながら思い知らされた。

 

 

 

「上杉さん、自分の部屋だと思ってくつろいでいいですからね」

 

 結局、中野家で泊まりの勉強会をする羽目になった風太郎は姉妹への授業を終え、風呂と食事を済ませて四葉の部屋に案内されていた。

 前回と同じ轍は踏まないと、口にする水は持参したものだけ飲み、出された料理も注意しながら食べたので、急激な眠気に襲われる事もなかった。

 

(何とか、四葉以外は振り払えたか)

 

 彼女達が生徒という立場を利用して家に泊まらせるなら、こちらは家庭教師という立場を存分に使うまでだ。仕返しとばかりに彼女達にみっちりと勉強を叩き込んだ。それこそ余計な気を起こさせないよう徹底に。

 いくら成長したとはいえ、勉強嫌いのアホ姉妹に変わりはない。風太郎のしごきに耐え切れず、勉強会が終わる頃には全員がぐったりとテーブルに頭を伏せていた。

 そのまま姉妹が各自の部屋へ大人しく戻っていったの確認して胸をなで下ろしていたのだが、何故か四葉だけが戻ってきた。

 彼女曰く『お客様をリビングで寝かせられない』との事だ。風太郎からすれば、そもそも今日は寝るつもり等全くなかった。あんな事があって彼女達の前で寝ている姿を晒せる訳がない。

 リビングで警戒しながら夜が明けるのを待ち、その間に今後のプランを練るつもりだったのだが、四葉に強制的に連行されてそのまま部屋へと連れられた。

 

「……一応、聞くがお前はどこで寝るつもりだ?」

 

 これで自分と一緒に寝るなどと答えたなら、風太郎は無理矢理にでもこの部屋を今すぐに出るつもりだ。

 四葉は今のところシロではあるのだが、他の四人に例があるので油断は決してできない。

 蛙の子は蛙。獣の姉妹は獣。獣との同衾などできる筈がない。

 

「そうですね。上杉さんが寂しいなら私が一緒に」

「出ていく」

「冗談ですよ。今日は三玖の部屋で寝ようかと思ってます」

「ならいい。遠慮なくベッドを使わせてもらう」

 

 今はとりあえず、四葉の言葉を信用するとしよう。部屋も内側から鍵が掛けられるようなので、念には念を入れて彼女が部屋を出ていったら鍵を閉めた方が良さそうだ。

 ところが、四葉は中々部屋から出ていく気配を見せなかった。

 

「……なんだ」

「いえ、せっかくですし上杉さんとお話でもしようかと思いまして」

「俺はお前と話すことなんてない」

「まあまあ、そんな事を言わずに。いいじゃないですか」

 

 面倒だと心底思った。姉妹共通して、彼女達はどうにも一度言った事は中々曲げない傾向がある。

 このまま居座られても厄介だと判断し、風太郎は深く嘆息した。

 

「分かった。だが条件がある」

「条件、ですか?」

「俺が腰掛けているベッドにそれ以上近付くな。いいか? 今、ここは俺の領域(ベッド)だ。そこに近付いてはいけない。それが条件だ」

「……」

「どうして俺がこんな事を言うのか、お前は……お前達なら分かっているだろう」

 

 安全地帯の確保と言葉による牽制。

 暗に彼女達の自分にしてきた行動を口にする事で先に動きを制限した。

 四葉だけが他の四人の凶行を知らない可能性もなくはなかったが、風太郎の言葉に沈黙を示したという事はおそらくそういう事だ。

 とりあえずこれでベッドは自身の領域になった。

 

「二乃は、大胆ですね。私には絶対に出来ませんよ」

「……」

「二乃だけじゃありません。他のみんなのように……私はまだ」

 

 いつもの、四葉が浮かべている笑みだった。だけど今彼女が浮かべるそれは風太郎にはわざと貼り付けたような面のように思えた。

 

「どうして、お前達はあんな真似をした」

「……」

「俺が気に食わないからか?」

「違います」

「じゃあ、なんで」

「好きだから」

 

 

「……えっ?」

 

 四葉の口にしたそれを風太郎が理解するのに一瞬の間があった。

 そして理解したと同時に困惑した。意味が分からなかった。

 

「な、何を言ってる。好きだと? 会って間もない俺に何をッ」

「言ったじゃないですか。私たち、上杉さんのこと、ずっと前から知っていたって」

 

 四葉の視線が部屋に置かれた机の上へと向けられた。風太郎もそれに釣られて瞳を動かす。

 そして、そこにあった物を目にして風太郎の思考は停止した。

 

 観葉植物が多く飾られたこの部屋で、それらに視線が行って今まで気付かなかった。

 部屋に入った時点でそれに気付くべきだった。

 

「嘘、だろ……」

 

 風太郎の視界に映ったのは一つの写真立てだった。

 五人の幼い少女が並んでいる、よくある写真だ。きっと彼女達の子どもの頃の写真なのだろう。

 みんな笑顔を浮かべ、ピースをしている五人の髪の長い少女たち。

 

 

 ───その写真の少女を風太郎はよく知っていた。見間違える筈がない。今まで何度も眺めて、再会を願っていた少女なのだから。

 

「嘘じゃないよ」

 

 四葉の声が、気付けば耳元でした。あまりの衝撃に、彼女が目の前まで接近していた事に気付くのが遅れてしまったのだ。

 気付いた時にはもう遅い。既に彼女の間合いだ。

 

「ま、まて四葉! それ以上近付くんじゃあない!! ここから先は俺の領域(ベッド)だ!」

 

 茫然としていた自分を何とか振り立たせ、声を荒げた。写真の事は気になるが、今は自分の身の安全が最優先だ。

 必死に説得を試みようと四葉の両肩を抑えようとするが、悲しいかな体のスペックは圧倒的に向こうが上だった。風太郎が力負けすると同時に四葉は何か吹っ切れたような、笑みを浮かべた。

 

「いいえ、上杉さん……私たちの愛の巣(ベッド)です」

 

 そのまま自分の胸元へと飛び込んでくる四葉への抵抗手段など風太郎は持ち合わせていなかった。

 男女での身長差や体格差はあってもそれらでは決して覆すことができない圧倒的で純粋な(パワー)

 薬など要らない。

 言葉など不要。

 あるのは愛による蹂躙。

 ただひたすらに、四葉は己が本能のまま欲望に従った。

 

 

 

 後日、急激に成績の伸びた四葉も赤点ラインを超えるようになり中間試験は無事に姉妹全員突破できた。

 同時に上杉風太郎の中野姉妹専属家庭教師の続投が決定した。

 

 


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