『───私にはあなたが必要だもん』
『彼女』の夢を見るは久しぶりだ。それも、こうして夢だと自覚して見るのは初めてだと思う。
はっきりと意識はあるのに、あの出会いを夢で見せられるのは何とも言い難い心境だ。特に『彼女』の正体を知った今は。
だが、その正体が何であれ俺に変革も齎したのは間違いなくこの黄金のように輝く『彼女』の微笑みだった。その事実は決して変わらない。
要らないカードとして切り捨てた自分を拾ってくれた『彼女』は俺にとって、今も心に灯と熱を与えてくれる太陽だ。
『一緒に行こうよ』
最初は訳の分からない奴だと思って拒絶していた。何よりあの時は一人でいたかった。誰かと一緒にいると自分が余計に惨めに感じたから。
それなのに『彼女』は俺の後ろを付いてきた。何度も来るなと言ったのに全く言う事を聞いてくれず、挙句の果てに俺が必要だなんて言って。
結局、俺の方から折れて一緒に行動する事になった。思えば『彼女』のこういう自分を決して曲げない頑固な所は面影としてあの姉妹に残っていたのかもしれない。
『ねえ、フータロー君……このカメラに写っている女の子、誰?』
『あ! おいコラ! 勝手に人のカメラいじるんじゃねえ!』
『誰?』
『と、友達だ』
『何でその子の写真ばかりなの?』
『お前には関係ないだろ……』
『……ふーん、そう』
ああ、そう言えばこんな事もあったな。好奇心旺盛な『彼女』に持っていたカメラを勝手に見られてしまった。
中身の写真は当時思春期真っ盛りだった俺にとって誰にも見られたくない代物だった。だからそれを勝手に見た『彼女』に怒ろうとしたけど、只ならぬ雰囲気に萎縮してしまった記憶がある。
あの時の『彼女』は何故か話しかけるのも躊躇われる程、ピリピリとしていた。不機嫌、なんて生易しいものじゃない。
『……あ、そうだ。ねえ、今度はあそこに行こうよ』
『あそこってどこだよ』
『そんなの決まってるよ……京都なんだし』
『清水寺か?』
『安井金比羅宮』
『はあ? どこだよそれ。行きたいなら一人で行ってくれ』
『いいから、いいから……ほら行こ?』
半ば無理矢理に握ってきた『彼女』の小さな手を、振りほどく事が出来なかった。
別に異性と手を繋ぐくらい今まで友人と遊んだ時に何度も経験していた筈なのに、どうしてか彼女の手の感触や温もりが特別に感じて、ずっと掌に残っていた。
『彼女』に手を握られたまま連れられた場所がどんな所なのか、その時の俺よく知らなかった。京都の寺や神社なんて清水寺くらしか知らない無知なガキで、どれも似たようなモノだと思っていたからだ。
その神社で俺は『彼女』に小さい穴の開いた特徴的な碑をくぐり抜けさせられた。何でも”不要な縁”を断ち切って”良縁”を結ぶのだとか。正直、この手の話はあまり興味がなかったので殆ど聞き流していた。
その後も御守りを買ったり、他の有名な観光地を回ったり。あと『彼女』はその場その場で屋台を見かけては買って食べていた気がする。そう言えば行く先々で写真を無理矢理二人で撮らされたな。
後でカメラを確認したらそれぞれ別の場所で五枚も同じポーズの写真が残っていて呆れた記憶がある。
結局は『彼女』に振り回されてばかりだった。
けど、不思議と不快感はなくて、むしろ悪くないと感じている自分がいて。共に居る内に自然と『彼女』と共に笑みを浮かべていた。忘れもしない、たった二人の京都での修学旅行。
子どもの身で一日中随分と歩いたと思う。疲れてへばってないか後ろを歩く『彼女』の様子を窺うと肩で息をして酷く疲労した表情を見せていた。休憩が必要だと判断して何処か休める場所を探してたが、また振り向くと今度はケロりと余裕そうな表情を浮かべていて、体力があるのかないのかよく分からない子だった。
そうやって『彼女』の心配ばかりをしてたが、逆に俺の方が先に体力に限界が来てしまった。
適当に見つけたベンチで二人並んで座って休んでいる時だった。余程、疲れていだんだと思う。
『彼女』に奢って貰ったジュースを飲んだ途端にこてんと眠ってしまった。
次に目が覚めると『彼女』の顔が間近にあって、自分が膝枕をされていたのに気付き慌てて飛び起きた。
驚いた? と悪戯が成功した子どものようにクスクスと笑う『彼女』に何をすんだと、怒った。
だけど内心では『彼女』に対して怒りなんて微塵もなくて、本当は赤くなった頬を誤魔化す為にそんな振りをしていたんだ。
あの時、目と鼻の先にあった『彼女』の整った顔に、心臓の鼓動が自分でも聞こえるくらい煩かったのが今でも印象深く残っている。
『──私たち、きっとまた会えるよ』
『彼女』と過ごした時間は今まで過ごしたどんな時間よりも早く過ぎ去っていったように感じた。
夕暮れ時には『彼女』との別れの時が迫っていた。
人を探していると言っていた『彼女』の目的の人は父親だったらしい。その人と無事に合流し、俺も別れた自分の班を見つけて二人きりの旅行も閉幕となった。
別れ際、落ちる夕日にも負けないくらいの眩い笑みを『彼女』は再び俺に向けてた。
『どんなに離れていても、必ず。だって私達にはあなたが必要だから───またね、上杉風太郎君』
手を振る『彼女』とこちらに一礼をしたその父親を見送って、暫く呆然と立ち尽くしていた。
あっという間に過ぎ去った京都の思い出の余韻に浸りながら、俺はその日を境に変わろうと決意した。
この二人きりの修学旅行で彼女が自分を必要としてくれたように。
いつか誰かに必要とされる人間になるために。
……けど、もしかしたら『誰か』なんてただの詭弁なのかもしれない。
不特定の『誰か』じゃない。俺が本当に必要とされたかったのは、あの日から何も変わっていないのではないか、そんな事を考える自分がいた。
本当は自分でも分かっていたのかもしれない。でも、それを認めたくはなかった。認められる筈がなかった。
だってそうだろう。また『彼女』に必要とされたいから、そんな理由の為にこの五年間全てを断ち切ってずっと勉強してきただなんて。
馬鹿馬鹿しい。それじゃあまるで、俺が『彼女』を───。
◇
「上杉君、着きましたよ」
五月に体を揺すられ瞼を開けると猛吹雪で白一色となった景色と今日泊まる予定の旅館が車の窓から見えた。
肌を刺すような寒さと、妙に頭に残っている先程の夢のせいだろうか。寝起きなのに脳は直ぐに覚醒していた。
「……五月か。ああ、悪い。寝ちまってたのか」
「無理もないですよ。昨日はらいはちゃんにずっと付きっ切りだったんですから」
「そのらいはの件でお前たちには借りがあるな。助かったよ、本当に」
林間学校をリムジンで出発するなんて、相変わらず金持ちのやる事はスケールが違うと実感させられる。
普段なら派手な連中だと悪態を付いていた所だが、昨日はその派手さに救われた。
昨日、風太郎は姉妹達の買い物に渋々付き合わされていた。一花に服を貢がれ、二乃と三玖に下着の柄を選ばせられ、四葉と五月にマムシやらスッポンやらが調合された怪しげなドリンク剤を渡されと中々に濃い買い物だった。姉妹達の買い物の筈なのに何故か自分に物を次々と渡してくる彼女達に疲弊しながら、ようやく帰れると思った時だった。
妹の通う小学校から電話があった。らいはが熱を出して倒れたと。
体の弱いらいはが倒れたと聞いて風太郎は気が気でなかった。すぐさま走って家に帰ろうとした彼だったが、それに待ったをかけたのは中野姉妹だった。
足で走るよりも車の方が速いと、普段彼女達が登校で使っているリムジンを手配してくれた。そればかりか、中野姉妹の父が経営する病院まで紹介してくれて、らいはを病院で診てもらう事ができた。
「心配性だよね、フータロー君って。ただの風邪って診断されたのに寝ずに一晩中らいはちゃんを看病したなんて」
「あの子は体が弱いんだ。これくらい当然だ」
「それで寝落ちして林間学校に遅刻なんだから世話ないわよ」
「別に俺は参加できなくても……」
「ダメですよ上杉君。らいはちゃんと約束したんでしょう?」
「林間学校でたくさんの思い出を作る。それがらいはちゃんへの最高のお土産ですよ、上杉さん」
「たくさん作ろうね、フータロー。何があっても忘れられない思い出をたくさん」
愛する妹を盾にされると何も言い返せない。らいはの件については素直に感謝しているが、それはそれとして今でも林間学校はあまり乗り気ではなかった。
昨日の一花と三玖の意味深な会話が妙に頭に残っていたからだろう。この林間学校で何かろくでもない事が起きるのではないかという胸騒ぎがしていた。
だから寝落ちして、時計の針がバスの出発時間を過ぎていたのを見た時は思わずほっと胸を撫で下ろしていた。あの中野姉妹も今頃は全員バスに乗っているだろうし、これで数日は何も心配なく過ごせる。
意図せず手に入った束の間の休息に安堵した風太郎だったが、その直後にインターホンのベル音と共に襲来した中野姉妹全員を目の当たりにして震えながら膝を付いた。
本当は何となく分かっていた。どうせこんな事だろうと。希望を与えられ、それを奪われる。その瞬間に浮かべる自分の表情にきっと愉悦を覚える運命の女神がきっといるに違いない。
帰ってきた父親と元気の戻った妹に見送られ、風太郎は中野姉妹に連行されながらリムジンで林間学校に参加することになった。
「でも残念ね。せっかく車の中で前みたいに『五つ子ゲーム』しようと思ってたのに、あんたが寝ちゃってたから出来なかったわ」
「五つ子ゲーム? なんだそりゃ」
「簡単に言えば、五人が誰か判別できない状態で誰かを当てるゲームよ。正解したら勝ちのシンプルなルール。私達らしいでしょ?」
「また随分と難易度の高そうなゲームだな」
未だにヘッドホンやデカリボンのような装飾品がなければ姉妹の判別が付かない風太郎は自分では到底クリアできそうにないと思った。
それに名前は可愛らしいが主催がこの姉妹なので何となくおぞましさが漂うゲームだ。正解出来なかったら罰ゲームで肉体か精神を五等分にされるのではないだろうか。
まあ流石にそんなオカルト染みた事は起きないだろう。それにいくらやべー中野姉妹でも高々ゲームにそこまでムキにならない筈だ。風太郎は馬鹿馬鹿しい妄想を止めた。
「……まあいいわ。本当のゲームはこれからなんだから」
意味深に呟かれた二乃の言葉は幸か不幸か風太郎には届いてなかった。
風太郎がこの『五つ子ゲーム』がゲームであるが遊びでないと知るのはその日の夜だった。
◇
「このまま無事に帰れるのか、俺は……」
露天風呂の湯船に浸かりながら風太郎は深く息を吐いた。
この際、林間学校に参加するのはいい。今更グダグダと文句を言っても仕方がないし、らいはに思い出話を持ち帰る約束をした以上はそれに全力で応えようとは思っている。
これが普通の林間学校なら風太郎も気分を変えて行事を楽しもうと思っていた。確かに勉学の足しにはならないが、元々の性分が悪ガキだったため本音で言えばこの手の行事は好きか嫌いかと問われたら決して嫌いではなかった。
だが残念ながら今回の林間学校は『普通』ではない。既に一日目からしてリムジンで現地に向かって明日から途中参加するなどという破天荒な行動をしている。それだけならまだしも、同行するのはいつ爆発するかもしれないダイナマイトの五つ子と共にだ。
この林間学校での己の行く末を憂いながら風太郎は旅館に着いて一花が放った言葉を思い出していた。
『部屋、一つしか確保出来なかったんだって。だから今日はフータロー君も私たちと一緒の部屋だよ』
あの時、何を言われたのか一瞬分からなかった。正確には脳が理解を拒んでいた。
聞き間違いでなければ死刑宣告にも似た言葉を一花が口にした気がしたが流石に気のせいだろう。
──そう願ったが現実は非情だった。本来四人が寝泊まりするのを想定した部屋に六人の男女がぶち込まれた。
姉妹と同じ部屋に案内された時の風太郎の顔はそれこそ人生の終わりを迎えたのような生気の抜けた表情だった。
「まだこっちの気持ちの整理も付いてないってのに……」
車の中では寝ていたし、寝起きの会話でもあまり姉妹を意識せずに済んだが同じ部屋となるとそうはいかない。
風太郎は未だに彼女達との接し方に答えを出せていないままだった。
その状態であの五人と同じ部屋で寝泊まりをするなんて、今までの経験から推測すれば何が起きるかなんて猿でも分かる。というか連中が猿になる。
このままでは間違いなくまた過ちが起きる。中野姉妹を何とか真っ当な人間にしたいという目的を掲げる風太郎にとっては看過できない状況だ。
流されて再び肉体関係を持てばそれこそ歯止めが効かなくなる。その先に待ち受ける未来に風太郎が望む彼女達の笑顔はない。
「……そもそも五対一で敵う訳ねえじゃねえか」
ただでさえ男女の性差による肉体的アドバンテージは非力な風太郎と体力オバケの四葉の時点で皆無に等しいのに、数まで劣るとなると抵抗すらできない。それに中野姉妹は馬鹿だが間抜けではない。同じ手段は喰らわないと身構えても彼女達は必ずこちらの想像を超えてくる。次はどんな搦め手を使ってくるのか思い浮かべるだけで身の毛がよだつ。
戦局はこちらが圧倒的に不利な状況だ。四面楚歌とはまさにこの事だろう。打開するには風太郎一人では決して覆せない戦力差だ。
(一人では覆せない、か……)
ふと、ある妙案が浮かんだ。
「五対一なら無理だが、四対二ならどうだ……?」
強靭無敵に思える最強の五つ子ペンタゴンだが、一つだけ僅かな、それも開いているかどうかも怪しい程の小さな『穴』があった。そこを穿てば或いは──。
(一人、確実に俺と五年前に京都で遭っている奴がいる。そうだ『彼女』があの中にいる筈だ)
まだ誰なのか特定すら出来ていないが、もしかしたらこの状況を打破できる突破口に成り得るかもしれない。
「……僅かだが光明が見えたぜ」
◇
「ヤるわよ」
「ひぃぃ!!!」
風呂から上がり、部屋に戻ってきた風太郎に二乃が開口一番にドストレートの剛速球をぶちかましてきた。
「ヤ、ヤるって何を……」
「昼間に言ったでしょ。『五つ子ゲーム』よ」
咄嗟に部屋の隅へと後退りした風太郎だったが、想像した事と違って安堵したと同時に即座にそれを想像した自分に自己嫌悪した。
相当毒されているようだ。もう彼女達が何かを『やる』なんて言い出したら『ヤる』にしか聞こえない。下半身で物事を判断する男子中学生でももう少しマシな思考回路をしているだろうに。
「……ちなみに聞くが拒否権は?」
「別に先に寝ててもいいわよ」
「その場合、寝てる間に私たちがフータロー君に罰ゲームの『イタズラ』をしちゃうかもしれないけど」
「フータローはそっちの方がいい?」
「まだ寝るには早いと思いますよ」
「上杉さん、せっかくですしヤりましょうよ」
「……」
実質拒否権など存在しないようなものだった。どうやらこの『五つ子ゲーム』とやらに参加するしかないらしい。
そして恐らく自分はこのゲームをクリアする事はできない。待ち受けるは罰ゲーム。どの道詰んでいた。
しかし、まだ諦めるには早い。僅かだが希望は残っている。それに賭けるしかない。
「分かった。付き合ってやるよ。お前たちには昨日の件で借りがあるしな。ただし、その前に一つ聞きたい事がある」
ごくりと唾を飲み込んだ。口にすればきっと後には戻れない。
意を決して風太郎は彼女達に問いかけた。
「この中で昔、俺に会った事ある人ー?」
挙手するようにジェスチャーしながら五つ子をそれぞれ見たが誰も動かなかった。
しん、と部屋が静まり返える。誰も口を開かず、五人の視線が風太郎に注いだ。
大丈夫だ。問題はない。これは想定の範囲内だ。
「……お前たちの中で一人、確実に俺と出会った事がある奴がいる筈だ。それを確かめたい」
五人の顔を見渡しながら言葉を紡ぐ。ここで怯んではいけない。
恐れず、堂々と。
「最初に会った時に名乗り出なかったという事は何か事情があるのだろうと思う。それは俺も理解している。だが、それでも名乗り出て欲しい。俺はそいつに用がある」
もしかしたら『彼女』はあの時と今とで全く違う自分を知られる事を恐れているのかもしれない。
そうだとしたら風太郎がやる事は決まっている。
『彼女』が自分に一歩踏み出せないというのなら、こちらから一歩近付けばいい。
「俺と過ごしたのは半日程度の時間だ。それも五年も前に。俺と出会った事なんて忘れているかもしれない。だから、思い出してもらう為にもその子と出会った経緯を今ここで話そう」
『彼女』を特定し、説得してこちらに招き入れる。他の四人はともかく、昔に出会った『彼女』なら、きっと話が通じる筈だ。
あの子なら姉妹を真っ当な人間に戻す事に強力してくれるに違いない。そして、あの時の礼も言いたい。
恥も外聞もかなぐり捨てて、風太郎は五つ子に五年前の出会いを語った。
「……ねえ、フータロー君。一ついいかな」
五年前の出来事を語り終え、真っ先に口を開いたのは一花だった。
「なんだ、一花」
「その五年前の子、フータロー君はどう思ってるの?」
「……は?」
意図の見えない質問に風太郎は首を傾げた。
外見の特徴や性格を聞かれるならまだしも、どう思っているかなんて聞いてどうするのだろう。
何故か、昼間に見た夢が脳裏を過ったが頭を振って追い払った。
「……今はそんな事、関係ないだろ」
「いいえ、あります。あなたがどのような想いでその子と再会を望むのか私たちは知りたいのです」
一花に続いて五月までそんな事を言い出した。面倒な事になってきたなと内心で舌打ちをした。
「……さっき語った通りだ。『彼女』には恩義がある。当時の礼を言いたいだけだ」
本命は『彼女』を説得してこちら側に付いてもらう事だが、礼をしたいというのは決して嘘ではない。
中野姉妹に下手に嘘を吐くのは悪手だ。なら真実を混ぜて語るのがセオリーとなる。
が、それすらも簡単に通じる相手ではなかった。
「本当にそれだけ?」
「なに?」
「フータロー、本当にお礼を言いたいだけなの?」
三玖の指摘にドキリとさせられた。風太郎の頬に一筋の汗が流れる。
どういう意味だ。まさかこちらの意図に勘付かれたのか。
だがここで臆する訳にはいかない。このままでは自分は彼女達の餌食だ。何としても足掻く。
「それ以外に何がある。他意はない」
「嘘はダメですよ、上杉さん」
「嘘って、どういう意味だ。別に嘘なんて」
「あんたさ、よく考えてみなさいよ」
クスクスを嗤う四葉。さらに二乃が腕を組んで風太郎を睨み付けた。
「考える? 何が言いたい二乃」
「五年も前にあった女の子との写真をずっと持ち歩いていて、しかも今も会いたいって思っているんでしょ?」
「……そ、そうだが」
正にその通りだし否定は一切できないのだが、こうして他人に言葉で並べられると何だかむずがゆかった。
「だから、それは礼を言いたいからだって……」
「違うわ、フー君。その子をずっと忘れず、ずっと想って、ずっと会いたいって願っていたなんて……」
またあの夢がリフレインする。
馬鹿馬鹿しいと切り捨てたあの時の妄言。それを風太郎に目掛けて指差しながら二乃は宣言した。
「その気持ち、まさしく恋よ」
「恋ィ!?」
頭を鈍器で殴られたような錯覚がした。
あまりの衝撃に風太郎は素っ頓狂な声を上げた。
「ば、馬鹿な事を言うな! 俺がそんな……」
「誰がどう見たってそうだよ、フータロー君」
「諦めなさい。間違いなく恋よ」
「そうだよ、フータロー。もう認めよう?」
「諦めは肝心ですよ、上杉さん」
「本当は自分でも気付いていたのでしょう?」
なんだこれは。どうしてこうなる。当初の目的は『彼女』を特定してこちら側に引き入れるプランだった。
その為にわざわざ言いたくもない過去を開示したのだ。なのに結果は姉妹に集中口撃される羽目になっている。
一体どこで間違えたのだろうと風太郎を頭を抱えたくなった。
「そんな、そんな事は……」
『彼女』に対して、確かに憧れは抱いていた。だけどそれは別に異性としての好意ではない筈だ。単に自分を変えてくれたきっかけを貰った礼を、あの時に必要だと言ってくれた礼をしたかっただけだ。
その筈なのに、姉妹達にその感情を恋だと指摘されて酷く動揺した。まるで今まで地に足を付けていた場所が大きく崩れ落ちるような感覚だった。
「……仮に、仮にだ。もし俺がそう言った気の迷いを抱いていたとして」
何とか冷静さを保とうと、姉妹の顔を睨み付けた。
このままではいけない。きっとこれは中野姉妹の卑劣な策だ。こちらの動揺を狙ったんだ。そうに違いない。
ならば深く考える必要はない。適当に流して話を本筋に戻せばいい。
「あくまで昔の『彼女』に、だ。決して今のお前たちの誰かにじゃない。そこは勘違いをするな」
「で、結局好きなんでしょ」
「とんだロマンチストね」
「フータローって意外と一途」
「その子をずっと想っていたなんて素敵です!」
「もしその子たちと両想いなら結婚するしかないですね」
「…………ああもう、そういう事でいいから、素直に名乗り出てくれ」
中野姉妹の慈悲なき追撃に風太郎は遂に白旗を揚げた。何やら最後の方で不審なワードが飛び交ったいた気がするが、気に掛ける余裕などなかった。
正直、無理だ。限界だ。頭がパンクしそうだった。
ただでさえ姉妹全員と肉体関係を持った事に負い目を感じているのに、その中に京都の『彼女』がいて、しかもその子に自分が恋をしてただなんて、情報過多にもほどがある。
穴の開いた風船のように、一気に体から力が抜けた。布団に膝を付いて風太郎は頭を垂れた。
「──そっか、好きでいてくれたんだ。今までずっと」
そんな風太郎を頭を両腕で包み込み優しく抱きしめる者がいた。
「……もしかして、一花。お前なのか?」
顔を上げると微笑みを浮かべる一花の顔がすぐそこにあった。
一瞬、一花のその笑みが『彼女』と重なったような錯覚がした。
「──うん、そうだよ。フータロー君」
「そうか、お前が……」
未だに信じ難い。まさか一花だとは思っていなかった。
正直、面食らったが同時に緊張が解けた。とりあえずは第一目標は達成だ。後は一花を説得できれば完璧だ。
「一花、お前にだけ少し話が───」
「ちょっと待ちなさいよ、一花!」
プランを次の段階に移行させようとした風太郎だったが二乃の怒鳴り声によって遮られてしまった。
「もう、なに? 二乃。せっかく感動の再会だったのに」
「また一人だけ抜け駆けなんてずるい」
「そうだよ一花!」
「ズルいです!」
「ごめん、ごめん。ちょっとしたジョークだよ。分かってる。みんなで五等分に、でしょ」
「あんたがやると洒落にならないのよ」
「ま、待て、待ってくれ、どういう事だ!?」
抜け駆けだのジョークだの、さっきからきな臭い言葉が飛び交っている。
まさか一花が『彼女』だというのはフェイクだったのか。ならば本物は一体……。
「言葉で説明するより写真を見た方が早いんじゃない? 今も持ち歩いているんでしょ、あの時の写真」
混乱する風太郎に答えを差し出したのは二乃だった。
彼女に指摘され風太郎は慌てて鞄を漁って生徒手帳を取り出した。何か、胸騒ぎがする。
(ば、馬鹿な……なんで、『彼女』が見えているんだッ!?)
普段手帳に写真を挟む際は過去の自分が上にくるよう折って挟んでいた。それなのに、手元にある手帳には『彼女』が上になって残り半分が見えていない状態で挟まれていた。
(違う……これは、俺が持っていた写真じゃない! すり替えられた!? 何時だ……この写真を確認したのは三玖に盛られた時が最後だった……まさか五月の時か?)
心臓が脈を刻む音が次第に早くなる。手は震え、一筋の汗が風太郎の頬を流れた。
不気味なのはこの写真だ。撮った場所が違うので間違いなく持ち歩いていた写真と別物の筈なのに、こちらを向いてピースをしている『彼女』は自分の持っていた写真と全く同じポーズだった。
恐る恐る写真を取り出し、折りたたまれた残り半分を震える手でゆっくりと開いた。
「ひっ」
小さく悲鳴を上げ、風太郎は思わず写真を落としてしまった。
布団の上に落ちた写真の半分はピースをしている『彼女』が写っている。
───そしてもう半分にはベンチで眠る自分と、それを取り囲む四人の『彼女』が写っていた。
「そんな、そんな馬鹿げた事が……『彼女』は五人いたッ!?」
「……ようやく気付いた? なら満足したよね。さっ、本題に戻ろうか」
「なっ」
気が付けば、自分を中心として中野姉妹に取り囲まれていた。
それも、まるで写真の『彼女』がそのまま成長したかのような全員同じ髪型した姿で。
「驚いた? ウィッグって奴だよ」
「今日の為にみんなで用意してきたんだ」
「口調も昔に戻して」
「本格的な五つ子ゲームを楽しめるように」
「風太郎君は当てれるかな?」
部屋から逃げ出そうとしたが足が竦んで動かなかった。
「風太郎君は、私たちの事が好きだったんだよね」
「だったら大丈夫だよ」
「きっと当てられる」
「だって愛があるもん」
「あなたならきっと分かる筈だよ」
声を上げようとしたが喉がカラカラに乾いて声が出なかった。
「ルールは簡単」
「私たちが一人一人順番に風太郎君に『触れて』」
「誰だか当てれたら風太郎君の勝ち」
「外したらまた当てるまで繰り返すの」
「ね、簡単でしょう?」
思えば、昼間にゲームの概要を聞いた時、勝ちの条件は説明していたが、負けの条件はなかった。負けのないゲームほど理不尽なものはない。
とどのつまり、このゲームは風太郎が勝つまでループするのだ。最初から罰ゲームなんてなかった。
参加した時点で彼女達の勝利だったんだ。
「「「「「さあ、ゲームを始めましょう」」」」」
風太郎にとって人生で最も長い夜が始まった。