『中野家の五つ子』と名付けられたグループラインは彼女達の電子上での家族会議の場であり、同時にガールズトークの場でもある。
五人で彼を射止めると決めた時からここで話題に挙がるのは専ら彼の事ばかりだ。
今日は彼が他の女と何度話したかとか、彼に色目使う女はいなかったとか、彼とどんなシチュエーションで致すのが至高であるかとか、彼は意外と可愛い声を出すとか、彼の何処が敏感だとか、自分の時は何分持っただとか。
年相応の微笑ましいやり取りが幾度となく繰り広げられている。今日は近い将来訪れる彼との間に宿る命にどんな名前を付けるかが議題だった。
『やっぱり名前って重要よね』
『私は謙信がいい』
『二人の名前から一文字づつ取るってのもいいよね』
『二人の名前から、なるほど。私と上杉君なら五月と風太郎から一文字づつとって
林間学校中も普段と変わらないテンポのいい姉妹達同士のトーク。そんな彼女達の憩いの場に今、爆弾が投げ込まれた。
『フータロー君からのキスとってもきもちよかったよ』
『それと、私もフータロー君から見分けてもらえたの』
沈黙を続けていた長女から送られてきた小学生並みの語彙で綴られた言葉に他の姉妹達は電撃が走った。
彼女達中野姉妹は上杉風太郎に対して並々ならぬ想いを寄せている。
もはや彼をその手中に収める為なら過程や方法などどうでもよいと全員が共通する思想であるが、その中で敢えて誰が一番手段を択ばないかと問われたら間違いなく長女を指さす結果となるだろう。
風太郎によって三玖が見分けられて真っ先に動いたのは彼女だった。
しかし前回と違い、今ではもう姉妹全員に彼女のやり方は知れ渡っている。だから他の姉妹は焦らなかった。
彼女の目的は分かっている。どうせ三玖辺りに変装して五つ子ゲームと称し彼を襲う魂胆だろう。
それなら別に放置しても構わない。三玖以外の姉妹も似たような事を企てていたし、先にヤるよりも後からヤった方が彼の記憶に深く刻みつける事ができるのではないかという思惑があったからだ。
初めての経験は確かに強く深く印象に残るだろうが、二度目三度目となると話は別だ。古い経験より新しい経験が上から積み重なる。だから先手ではなく後手が有利と判断して静観していた。
しかし、結果は違った。先に動いた一花はとんでもなく大きなアドバンテージを得てしまった。
自分達から風太郎に対してのキスは何度もした。今まで食べてきたパンの枚数を覚えている人間がいないように、今まで彼にキスをした回数など既に覚えていない。彼女達にとってはそれほど当たり前の行為だからだ。
だが、彼から自分達へのキスとなると話は別である。
彼の性格はよく知っている。伊達や酔狂でそんな真似をする男では決してない。
彼からのキス。それはつまり彼からの求愛行動に他ならない。
一足先に彼から見分けたという絶対的なアドバンテージを築きその心理的余裕もあって、けっこう吞気していた三玖ですらこれにはビビった。出遅れた三人など顔面蒼白でスマホを持つ手が震えている。
妹達の反応を知ってか知らずか、それだけでは終わらない。一花からの通知は続く。
『キスはフータローくんからしたをいれてくれたの』
『だからおかえしにわたしのしたにいれてあげたよ』
『ふーたろーくんのすごかったよ』
『わたしのふーたろーくん』
『わたしのふーたろーくんのふーたろーくん』
暫くの間、怪文が流されていた。興奮が治まらないのが文字から伝わってくる。
妹たちは姉の狂気に気圧されながらも、ただ流れてくる文字を目で追うしか出来なかった。
『私、思うんだ。フータロー君のお嫁さんってのはさ、お嫁さんになろうとした瞬間に失格なんだって。互いに愛し合ってこそなんだよ』
『みんな、今の状態だとアウトじゃないかな』
ようやく冷静になったのか、最後にそう綴って一花からの連続通知は終わった。
と同時に姉妹達はスマホを強く握りしめた。
一見、宣戦布告とも煽りとも取れる一花からのメッセージ。しかしそうではない事を姉妹達はもちろん理解していた。
もし本当に彼女が姉妹を出し抜くつもりならわざわざ情報を開示したりはしない。そんな愚かな女ではない。
最後の最後まで秘匿し、風太郎との関係を盤石の布陣にした筈だ。その後でグループラインに流れていたのは今のような怪文ではなく彼との相思相愛の様を取った写真だっただろう。
彼女に宣戦布告なんて言葉はない。あるのは終わった後の勝利宣言だけ。
中野一花とはそういう
ならば何故、彼女が姉妹たちにこんなメッセージを送ったのか。
そこには別の意味が込められていたのだ。
『来なよ"高み"へ』
あれにはきっとそういった意味が込められていたに違いない。最後の言葉は
自分達の目指していた未来は何だ。
彼を肉の愛玩具として愛の無い関係を持つことか。否。
彼の傍でただいたずらに心を向けられないまま過ごす事か。否ッ!!
そうではない。原初の願いはそうではないのだ。
何の為の二度目だ。何の為のリベンジだ。何の為のやり直しだ。
性を発散する為の人生ではない。
愛を全うする為の人生である。
一花はそれを姉妹たちに思い出させたのだ。
グループラインに再びメッセージが流れた。
たった一言、次は自分が動く、との旨を伝えて。
長女一花が見せた希望の花。それを魅せられて今までのように静観できるほど、冷静でいられる筈がない。
彼女の愛は止まらない。止まる愛などハナから持ち合わせてはいない。恋は、愛は、常に加速するものだ。
林間学校二日目。長い夜はまだ続く。
◇
流石にもう今日は何もないだろう。その筈だ。そうだと言ってくれ。
一花との五つ子ゲームを無事クリアし、そのクリア報酬として何度も激しく搾り取られた風太郎はフラフラになりながらも何とか肝試しから帰還できた。
事の最中、近くに誰かがいたような気配を感じたがきっと気のせいだ。あんな光景を誰かに見らていたら自分達は間違いなく今頃、教師に呼び出されているに決まっている。
(しかし危なかった……危うく逝きかけたぜ。いや、既に何度もイかされたが)
念の為、林間学校前に四葉と五月に渡された例の栄養ドリンクを携帯していて助かった。
それを飲み干し何とか事無き得た。昨日は夜から朝まで立て続けに絞られて更に一花を相手だ。いくら人並み程度に性欲が戻ってきたとは言えこれでは身が持たない。あのドリンク、成分は怪しいが効果は如何やら本物のようだ。
飲んでいる所を一花に見つかり取り上げられて彼女が口移しに互いに飲んで更に連戦する羽目になったが、何事もデメリットが付き添うものだと割り切った。
(暫くあいつもこれで満足するだろ……)
事が終わってコテージまでの帰り道、ずっと一花は満足そうな笑みを浮かべながら自身の腕にしがみついていた。まるでもう二度と離すものかと言わんばかりに。
こればかりは誤魔化しようがなく何人かの生徒に見られてしまったが仕方がない。腕を組んでる姿か男女が合体している姿、どっちが目撃されて不味いか何て分かり切った質問だ。まだマシだと思うしかない。
それに何故か、いつものように離れろと強く彼女に言えなかった。
一花が本当に嬉しそうに、幸せを嚙み締めるかのように腕を組んでいたからか、それとも浮かべる表情があの京都の彼女と重なったからかは分からない。
ただ確かなのは、段々と彼女達の行動に対して自分の許容範囲が広がっているという事実だ。
間違いなく、上杉風太郎は中野姉妹に毒されている。それを身をもって実感した。
(……あの時はその場のテンションだったとはいえ、俺は何て真似を)
先程の光景を浮かべながら前髪を弄った。思い出すだけでも心臓が煩い。
いくら彼女達の正体を暴くためとは言えもっと他に手段はあっただろう。自ら彼女達の唇を奪って正体を確かめるなど、馬鹿馬鹿しいにも程がある。何をやっているんだ。これでは無理矢理、襲ってきた中野姉妹とやっている事が同じではないか。
(あの時はあれが最善だった。結果論だとしても、だ)
全く無駄な行為だったかと言われると、決してそう言えないのも事実だ。あの偽三玖を見破る最大の手掛かりとなったのは間違いなく彼女との口付けだった。
こればかりは言葉では言い表せないのだが、確かにああする事で一花だと感じ取れた。それは否定できない。
(しかし、残りの三人も同じ方法を使って見破るのか……?)
五つ子ゲームはまだ継続していると見て間違いない。残りの三人も明日以降、一花と同じように接触してくる筈。その度に同じ方法を使えばどうなるのか目に見えている。
待ち受ける結末は今日の一花と同じだ。間違いなく搾り取られる。しかも内一人は無尽蔵のエネルギーを持った四葉だ。一滴たりとも残しはしないだろう。そうなれば本格的に命の危機だ。
もうこの際、日を分けて来るなら風太郎も一人一人姉妹の挑戦を受け入れるつもりだった。クリア特典も込みでだ。
一人を相手ならまだ多少余裕がある。だが、日に何人もは勘弁して欲しい。ただでさえ一度では満足しない欲深い連中なのにそれを何人もとなると己のフー君が持たない。今だってジンジンと痛むのだ。これ以上、彼を酷使させてはいけない。労働基準法に違反する。せめて週二日の休息は与えてあげたい。
(……とりあえず今日はベッドに横になりながら他に見破る方法を考えてから寝るか)
何はともあれ、今日のイベントは無事に終了だ。不本意だった肝試し係の役目も一応は果たしたし、少し早いが今日はもうベッドにもぐろう。
「あっ、見つけた」
そう決めて割り当てられた部屋に帰ろうとした風太郎だったが、聞き覚えのある声が彼を呼び止めた。
そのまま振り向かないで逃げる事が出来たらどれだけ幸せだっただろうか。額に冷や汗を浮かべながら風太郎は渋々と振り返った。
◇
適材適所、餅は餅屋、人には得手不得手というものがある。
わざわざ不得手なものを強いるのは無駄な行為だとつくづく思う。
ただでさえ体力がないのに加えて姉妹との連続運動で体力を消耗した自分に丸太を運べとは拷問か何かだろうか。
風太郎は肩で息をしながら自分と共に丸太を持つ中野姉妹の一人である彼女を恨めしそうに睨みつけた。
「もう、そんなに睨まないでよフータロー君。仕方ないでしょ? さっきの肝試しで一組の男子が一人倒れちゃって人手が足らなくなっちゃったんだから」
「だからって、な、何で俺なんだ……も、もう、休ませてくれ」
「それはフータロー君がたまたま暇そうにしてたからだよ。ほら頑張って! これで最後なんだから」
女子ならともかく男子が肝試しで倒れるなんて情けない。なんで俺がそんな情けない男の為に丸太を運ぶ羽目になるんだ。
見知らぬ男子に恨み辛みを募らせながら風太郎は明日のキャンプファイヤーで使う丸太を何とか倉庫へと運びこんだ。
「はぁ、はぁ、疲れた……もうダメだ」
「お疲れ様。私もちょっと疲れたな。ここで少し休んでから戻ろっか」
「あ、ああ……そう、しよう」
倉庫の壁にもたれながらそのまま座り込んだ。もう暫く動けそうにない。ただ丸太を運ぶだけなら非力な風太郎でもここまで消耗しなかっただろうが、今日は事情が違う。丸太を運ぶだけではなく自身の丸太を酷使したのだ。足も腰も既に限界である。
「ふふっ」
「……何が可笑しい」
未だに呼吸が整わない風太郎の隣で彼女も座りこんで体を引っ付けながら微笑んだ。
「また二人きりになれたね、フータロー君」
「俺は日に何度もこんな目に合うとは思わなかったがな」
「もう、つれないなあ」
風太郎は自身の肩に何かが乗せられた感覚がした。
わざわざ首を動かして確認しなくても分かる。隣の彼女が自分の肩に頭を預けてきたんだ。
鬱陶しい。疲れているんだ。やめろ。
昔の自分なら直ぐに口から出たであろう言葉は喉元にすら届かず、ただ黙ってそれを受け入れていた。
短いながらもサラサラとした彼女の髪が首筋にあたって僅かにくすぐったい。
「ねえ、フータロー君」
「なんだ」
「どうして、さっきはキスしてくれたの?」
「……」
答える気はなかった。向こうも風太郎の反応を分かっていたのか沈黙を返した風太郎にそのまま言葉を続ける。
「好きになってくれたから? そうだよね、そうじゃないと君がキスなんて」
「───いつまで白々しく一花の真似を続けるつもりだ」
「えっ?」
「気付いていないのか? 俺は一度もお前の事を"一花"と呼んではいない」
「ッ!!」
風太郎は隣の彼女の顔を凝視した。
なるほど。やはり似ている。顔だけ見れば間違いなく一花だ。何一つ違いないし、先の会話も二人しか知らない内容だ。
だが、そんな常識が通用しないのは知っている。きっとこの姉妹の事だ。あのキスの件や見破った事も既に姉妹全員に共有させているのだろう。
だから驚きはしなかった。むしろ最初から分かっていた。あのコテージで話しかけられた時から既に。
「でも、その様子だと私が誰だかは分からない様子だね」
「……正直に白状すると、そうだ。お前が誰かまでは答えに至ってない」
「なら、確かめてよ。またキスしてよ」
「それは……」
「『私』にはしてくれないの? もう、特定の誰かを好きになっちゃったの?」
「……っ」
『一花』に言い寄られた。体に力が入らなかったせいで踏ん張りが効かず、そのまま地面を背に彼女に押し倒された。
四つん這いになって己にそう問いかける彼女の顔はあまりに必死で、そしてあまりに悲壮感に満ちた表情だった。
見かねた風太郎は視線を逸らしながら違う、と消え入りそうな声で返した。
「違うの?」
「……ああ。お前たちに対して向ける感情を、そもそもまだ把握しきれてないんだ。別に特定の誰かを云々の話じゃない」
「じゃあキスしたのは?」
「……そ、そうする事でしか今の俺はお前たちの判断が付かないと思ったからだ。自分でも気が狂ったとしか思えん。だからあの方法を試すのはもう……んぐッ!?」
だから別の方法を試させてくれ。そう言おうとしたが続きは唇で蓋をさせて言葉にする事が出来なかった。
この強引さに何処かデジャヴを感じる。いや、そんな曖昧なものじゃない。もっとはっきりとしたヴィジョンが浮かぶ。
何だこれは。一花の時よりも鮮明に誰だか分かる。試行回数を重なる程に精度が高くなっているとでもいうのだろうか。決して褒められた行為ではないが、それならそれで自らアクションを起こす必要がなくなるメリットは大きい。
なんせ彼女達は人の唇をまるでおやつ感覚かとでも言わんばかりに隙を見せれば吸い付いてくる。なので五つ子ゲームのクリアも向こうからの行動を待つだけで必然的にクリアに繋がる事になる。
どの道最後は食べられてしまうが、それは共通のエンディングなので回避しようがない。割り切ろう。でないと死んでしまう。
そんな事を考えているとようやく唇が離された。彼女と自身の唇との間に透明の液で出来た橋が薄っすら繋がる。
妙な背徳感を覚えながら風太郎は彼女の名を口にしようとした。
「分かった。お前は」
「待って!」
「な、なんだ」
だが何故か"待った"をかけられてしまった。まさかこの五つ子ゲーム、囲碁や将棋のように"待った"が存在するのだろうか。
「本当に、それだけで分かったの?」
「なに?」
「言っておくけど、外したら大変な事になるわよ」
「た、大変な事だと?」
「最初からやり直しよ」
「……え」
一瞬、思考が完全に停止した。
そして再び脳が動き出した時、同時に風太郎は奥歯をガタガタと震わせて音を鳴らした。
ふざけんな。なんだそれは。そんな理不尽なゲームがあってたまるか。そう怒鳴り散らしたいが、この姉妹は本気だ。ヤると決めたらホントにヤる凄みがある。
ゲームのリセットだと。またあれを最初からヤれというのか。無理だ。まず体が持たない。つまりここでの敗北は死に直結する。
彼女の言う通り、本当にさっきのヴィジョンが正しいのだろうか。不安になってきた。
「それでもいいって言うなら答えを……んむっ!?」
今度はこっちから会話を遮って無理矢理唇を奪った。意趣返しもあったが、単純に外した時のリスクが恐ろしくて急いで確かめようとしたのが大きい。
そのまま彼女の頭に手を回して一花の時と同じように唇を舌でこじ開けて、彼女の舌を強引に絡めとる。
途中、驚いたように彼女が目を見開いて抵抗したが何度も舌を絡めつける事でようやく大人しくなった。
この意外と初心な反応。間違いない。彼女は──。
「もういいだろ、二乃。コテージに戻るぞ」
「う、うん……」
借りてきた猫のように大人しくなった二乃を抱きしめながら風太郎は本日二度目の勝利を納めた。
勿論、そのままただで帰して貰える筈もなく予め二乃が仕込んでいた他の生徒に倉庫の鍵を閉められて二人きりの密室となり夜戦が開催。
それを見越して風太郎は対四葉の為に温存していた栄養ドリンクを惜しみながらも使用し何とか耐えたかに見えたが、二乃も同じく例の栄養ドリンクを所持していた事により状況は一転。
あのドリンクは彼女が作成したモノだと発覚した。成分は風太郎があの花火大会で二乃に飲まされたものと同じである。
互いにそれを飲んで二人は朝が来るまで互いの肉体で暖を取った。