とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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すげー家庭教師の終わりの始まり。


外典 フー君強くてニューゲーム!⑧

 この胸の高鳴りも、体の内から溢れ出てしまいそうな滾る熱も、何も考えれなくなるような蕩けるような幸福感も、二乃にとってはどれも始めての経験であった。まるで稲妻に打たれたかのような衝撃。これが恋と言うのだろう。これが愛と言うのだろう。ずっと探していた青い鳥はこんなにも近くにいた。ようやくその事実に気付いてしまった。

 一目惚れ、とは少し違う気がする。確かに金髪の鬘を被った彼の容姿に心を奪われたが、それだけでは決してない。

 拒絶をしても手を差し伸べてくれる彼に、姉妹の為に尽くしてくれる彼に、花火大会で人混みに押され躓きそうになった自分の手を取ってくれた彼に、少しづつではあるが既にその中身には惹かれていた。

 

「……あ、あんた、どうして」

「お前達が決められた道とは別の方向に逃げて行くのが見えたからな。追いかけて来た。ほら、立てるか?」

「うん……あっ」

 

 差し伸ばされた手を取って立とうとしたが、思った以上に足腰に力が入らない。

 そのまま崩れ落ちそうになった二乃であったが、その前に風太郎が二乃の手を掴んで抱き寄せた。

  

「っと、大丈夫か?」

「……ッ!」

 

 引き寄せる勢いのまま彼の胸元に顔を埋めた。初めて嗅いだ彼の香りが二乃の鼻孔を擽る。走って探していたのだろう。じんわりと汗と男性特有の匂いがする。でも不思議と不快ではない。

 ああ、これが彼の匂いなんだ。これが彼の温もりなんだ。頭の隅でそんな事を思い浮かべながら、体は硬直して動けなかった。今度は力が入らないからじゃない。ただ動きたくないからこうしているんだ。もう少しだけ、このまま彼に密着した状態が続いて欲しかった。

 じっと胸元にしがみつく自分をきっと風太郎は不審がるだろう。けれど、それを口にする事は決してなくそれどころか。

 

「……落ち着くまで掴んでろ」

 

 そう言って自分を受け入れたまま頭を触れるように撫でてくれた。

 

 ──本当にずるい。

 

 頬を朱色に染めながら心の中で悪態をつく。彼はきっと暗闇の森で迷子になっていた自分が怯えていたと思い、安心させようと頭を撫でてくれたのだろう。それはまるで娘を心配する父のようでもあり、妹を宥める兄のようでもあり、淑女の扱いに手馴れた紳士のようでもある。

 それが二乃は気に食わなかった。こっちはこんなにも胸の鼓動を速くし、体を火照らせているというのに彼は何とも思っていないなんて余りに不公平だ。

 いっそ、このまま好きだと言ってしまおうか。最速で最短で真っ直ぐに一直線に胸の響きを、この思いを伝えたら、そうすれば風太郎も少しは慌てふためき、その涼しい顔を崩す事ができるかもしれない。

 間違いなく冷静さを失っているであろう二乃の頭脳がそんな馬鹿げた事を思い描き初めていたが、流石に行動には移さなかった。

 だってそうだ。もし今仮に彼へ告白しても間違いなく断られるに違いない。自分は姉妹の中で彼に一番辛辣な態度を取ってきたし、こうして優しさを向けられても、その大きさは姉妹と比較すれば一番下な筈だ。

 

「あんたは、私のこと……どう思ってるの?」

 

 ……だから、なのだろうか。そんな言葉が自然と口から零れ出していた。

 

「どういう意味だ?」

「あんたは私のこと、嫌いだと思ってた」

「……」

「私、あんたに酷いこと言ってたし勉強会も参加してないし……どうして私に優しくしてくれるの?」

 

 最悪のファーストコンタクトを思い出し、さっきまで滾っていた胸の熱が急激に冷えていくように感じた。いくら想いを自覚したからと言っても一方通行では意味がない。

 風太郎が最初に家に来た時、彼は自分の淹れた紅茶を飲まなかったが、もし飲んで強制的に排除していたなら、いま自分を包み込んでいるこの優しさすらも向けられる事がなかったかもしれない。そう思うだけで背筋が凍る想いだった。

 恋は戦だとも言うが、自分の初陣はもしかしたら勝ち目のない負け戦なのかもしれない。

 漸く自覚した初めての恋が最初から報われる事がないと分かっていたのなら、こんな想いなんて気付きたくなかった。

 溢れ出そうになる涙を堪えながら風太郎の言葉を待つ。けれど中々返事を返してくれない。不安になって彼の顔を見上げた。

 そこには呆れるように笑う彼がいた。

 

「お前達を全員笑顔で卒業させる」

「えっ?」

「最初に言っただろ。当然そこにはお前も含まれている」

「……」

「だから、俺がお前を嫌うなんて有り得ない。この先もずっと」

「……ッ!?」

 

 ああ、本当にずるい。風太郎はまるで自分の心を読んでいるかのようにこちらが真に求める言葉を与えてくれる。

 ずっと、と彼は言った。ずっと上杉風太郎は中野二乃を嫌う事がないと言ったんだ。病める時も、健やかな時も、富める時も、貧しき時も。

 それはまるで永遠の愛を誓う言葉のようで、陽だまりのような彼の温もりは再び二乃の胸に情熱の火を灯した。

 芽生えたこの想いを彼に届ける事が出来るのか。他の姉妹と並び、抜き去る事が出来るのか。

 出来る。出来るのだ。諦めてかけていたこの初恋は決して無駄ではない。

 光明が差した。まだ私は戦える。私も他の姉妹と同じ位置に居たのだ。嬉しさのあまり踊り出してしまいそうになった。そうだ、踊りと言えばキャンプファイヤーだ。例の伝説もあるし誘ってみたらどうだろうか。

 せっかくだ。誘うならこれを機に最も親しくなりたい。まずは呼び名からだ。

 

 ──上杉くん?……ううん、違う。もっと親しく呼ばなきゃ。風太郎、フータロー……フー君、うん! フー君よ!

 

 不思議と胸から湧き出た彼の呼び名は妙にしっくりきた。まるで前にもそう呼んだ事があるような、ずっとそう呼んでいたような、奇妙な感覚。

 何処か懐かしさすら感じるその呼び名をそのまま口にしようとした。

 

 その時だった。

 

「……それに本当に嫌だったら、二度も馬鹿共の面倒を見ねえよ」

「──」

 

 虚をつかれた思いがした。ぽつりと独り言のように呟いたそれを二乃は確かに聞いた。聞いてしまった。聞こえてしまったのだ。

 二度目、というのは自分達の事を指すのだろう。だとしたら一度目は誰を。

 ……そんなのは決まっている。”前の生徒”だ。

 風太郎が自分達姉妹の前で時折口にする女の子。ただの『家庭教師と生徒』の関係には思えない彼女とはどうやら喧嘩別れをしたようで、彼は未だにそれを引き摺っている節が見受けられる。

 後悔があるのだ。未練があるのだ。後ろめたさがあるのだ。だから彼は今度こそはと自分達に真摯に向き合ってくれる。

 ああ、それはつまり……。

 

 ──もしかして、私達にその子を重ねているの?

 

 瞬間、二乃の中で腸が煮えくり返しそうな程の強烈な感情の奔流が巻き起こった。

 中野二乃は五つ子だ。今まで何度も他の姉妹に間違われた事があるし、人気者の姉と思って話しかけられて勝手に落胆された事もあった。

 けれど、姉妹と間違われる事や他の姉妹と重ねて見られる事に内心では不快感など微塵もなかった。当然だ。そうする事で大好きな姉妹と似ていると、大好きな姉妹と繋がっていると実感させられるのだから。

 

 だが、姉妹以外の人間と重ねられて見られるのは初めてであり、そして何よりも耐え難き屈辱でもあった。

 よりにもよって想いを寄せる風太郎からそんな目で見られていたという事実に虫唾が走る。彼が向けてくれた優しさも、誠実さも、自分のモノだと思っていたのに、その中に余計な不純物が混ざっていたなんて。

 赦せる筈がない。許容できる筈がない。なんて忌々しい存在なんだ"前の生徒"は。想い人に寄生し彼をいつまでも蝕む寄生虫、いや寄生獣か。何とも厭らしい獣がいたものだ。

 その子がどんな顔をしているのか知らないが本当に最低な女だ。多分今まで知った人間の中でこんなに悪いことをした奴はいない。消さなきゃ。彼の思い出の中でいつまでもいちゃダメな女だ。一体その子は何考えているのだろう。

 本当に気持ち悪い。彼女を語る風太郎の情愛に溢れたあの表情を思い出すだけで吐き気がする。

 

 ──いいわ。特別に赦してあげる。

 

 胸に滾る熱い情熱の赤い火が黒いドロドロとした感情と混じりあって赤黒い炎へ変貌していく。

 自分も彼を憧れた王子様と重ねて見たのだ。自分達を過去の女と重ねるのを寛大な心で赦してあげよう。これでお相子だ。

 

 ──覚悟していてね、フー君。

 

 いつの日か、その獣との黴の生えた思い出を"素敵な今(中野二乃)"で塗りつぶされる覚悟を。獣との思い出が彼の中から一片の欠片なく全て消え去るその日を。

 やるなら徹底的にだ。乙女に灯った淡い火はたった一日で決して消えない執念の劫火と成った。

 

 ◇

 

 つくづく天は己の味方をしている。

 風太郎と再会してから何もかもが自分の都合の良い方向に進んでいる実感が一花にはあった。

 花火大会の時に受けた映画のオーディションも見事合格し、彼との関係も一歩ずつであるが進んでいる。この間も彼の妹とショッピングをして彼女が望む物を全て買ってあげて交友を深めた。上杉家の外堀は着実に埋まってきている。仕事も恋も順調だ。

 更に、自分の立ち位置が姉妹の中で誰よりも優位に立っているというのは幸運と呼ぶに他ならない。

 風太郎の自宅の住所を唯一姉妹の中で知り、同じクラスに彼の親友もいるので情報的なアドバンテージも持ち合わせている。彼の趣味趣向登校時間持ち合わせている全ての下着の柄枚数一日のトイレの回数時間まで全て知り尽くした。まさに無敵だ。他の姉妹が敵う道理がない。

 

 そもそも妹達は甘いのだ。本気で恋をするという事は本気でライバルを蹴落とすと同義である。彼女達には足りないのだ。彼を手に入れようとする鉄の意志と鋼の強さが足りていない。

 例えば、ほぼ間違いなく自分と同じ想いを風太郎に向けているであろう五月は彼と同じクラスという自身の持っている強力なカードを活かしきれていない。最近二人揃って勉強会に少し遅れて来るので放課後に二人きりの時間を満喫しているのだろうが、ぬるい。それだけで満足していては彼を落とせる筈がない。

 一花なら放課後だけでは飽き足らず、休み時間も昼休みも四六時中彼に付きまとって周りに関係をアピールして牽制しつつ彼との時間を更に確保する。彼の親友に聞いた話だと意外と彼は陰で女子に人気があるらしい。確かに頭が良くてかっこよくて背が高くて頼りになる我らが中野姉妹専属家庭教師だ。不敬であるが姉妹以外にもそういった感情を向ける女子がいても不思議ではない。そんな羽虫共に彼を取られるなど微塵も思ってはいないが、警戒をしておくのに越したことはないだろう。一花ならそこまで徹底する。

 

 五月以外の妹達も、三玖は彼に対して少なからず悪く思ってはいなさそうだが、何故か余裕を感じるのが少し不気味だ。しかし動きを見せない以上は今のところ自分の優勢は依然変わりない筈である。

 二乃は未だ参戦していないが、時間の問題だと思われる。口では文句を言いつつも彼に段々と心を開いている。想いを自覚した際の彼女の爆発力は中々に脅威かもしれないが、それでも所詮は暴走機関車。暴走はしても決められた道しか走れないのが彼女だ。ならばその線路に軽く仕掛けをすれば勝手に脱線して自滅するだろう。特に問題はない。

 

 そうなると残ったのは彼女だけだ。一番厄介で、一番狡猾で、一番強大な、あのリボン頭。

 

 ──全く酷いよね、四葉は。私のフータロー君を勝手に盗ろうとするなんて。

 

 四葉のお蔭で風太郎とは出会えた。それ自体には大いに感謝している。感謝してもしきれない。何度ありがとうと心の中で呟いたか。

 だが、あくまでも彼女は自分達を結び付けた恋のキューピットという役目だ。もう出番は終わったのだ。ならば舞台から大人しくご退場願いたい。ここからは結ばれた男女のラブロマンスが始まるのだから。

 恋のキューピットが勝手に人の男に手を出すのは宜しくないだろう。そんな筋書きは誰も望んじゃいない。

 

 ──昼休みにフータロー君をいつも独占してるの、私が気付いてないと思ってるのかな?

 

 屋上でリボンを外し雌の顔をしながら普段とは違う媚びたような口調で彼に語りかける彼女の姿を目撃した時は爪が掌に食い込むほど拳を握りしめた。そのまま声を掛けて二人きりの時間を邪魔しても良かったが、そうなると間違いなく彼の目の前で言い合いになる。

 それだけはダメだ。彼の前で醜態を曝け出したくはない。男の前で弱みは見せても醜さは晒さない。それが淑女というものだ。

 だから敢えて黙認した。しかし我慢にも限界というものがある。仏の顔も三度まで。長女の顔は一度だけ。

 この林間学校に向かう前日、一花は四葉を呼び出していた。彼女もきっと林間学校で何か動きを見せるだろう。その企みの前に。

 できれば穏便に事を済まそうとしたのだ。全力で蹴落とすと言ってもそれは他の女の場合だ。大事な妹となると少しだけ話が変わる。無意識に手心を加えてしまうのは仕方がない事だ。

 なるべく優しく、諭すように、棘のない言い方でオブラートに包みながら彼女に問うた。

 

『泥棒は良くないよ? 四葉』 

 

 最初、四葉は何を言われたのか分からなかったのか首を傾げたが、漸く言葉の意味を飲み込めたのか手に持っていたココアの入ったスチール缶を凹ませていた。

 しかし返事しない彼女に一花は意味が伝わってなかったのかと思い、今度はもっと分かりやすく言葉を選んだ。

 これならお馬鹿な四葉にも伝わるだろうと、お姉さんらしく気を利かせて。

 

『なんだか最近、妙に仲が良いみたいだけどさ。悪いけどフータロー君の事は諦めてくれないかな。彼、お姉さんのだよ?』

 

 次の瞬間、四葉は缶を完全に握り潰し、中身を一花の頭にぶちまけていた。

 そこから先は特に語る必要もない。ただ単に"よくある姉妹喧嘩"をしただけである。

 幼い時にも何度もしたのだ。今更そう珍しくもない。五つ子とはいえ性格は違う。意見の食い違いはよくある事だ。

 私達は仲良し姉妹。喧嘩するほど仲が良いと言うだろう。

 

 結局、四葉とは"話し合い"では解決しなかった。仕方がない。こうなった以上は現実を突きつけるしかないだろう。風太郎が自分を選ぶという非情な現実を。

 彼の口から直接好意を拒絶されれば間違いなく四葉は酷く悲しむ。それこそ立ち直れない程に。

 だから一花は姉として辛くないよう諭したのだが、残念ながら姉の気遣いは妹には届かなかった。

 姉の心妹知らず。自分が正しいと信じ、分からぬと逃げ、知らず、聞かず。その果てにある終局はきっと姉妹の仲を修復できない程に引き裂く結果が待ち受けている。

 ならばそうなる前に姉としてここで妹の叶わぬ恋に引導を渡してやるのが己の役目だ。

 

 この林間学校で必ずや彼と添い遂げてみせる。

 今の友達以上恋人未満の関係も悪くはないが、関係をはっきりさせなければ四葉のように他の妹達も勘違いをしてしまう。そうなれば姉妹間同士で血で血を洗う醜い争いは避けられない。分かるのだ。彼女達が行き着くであろう想いの重さが。たとえ相手が血を分けた姉妹であろうとも厭わない程の強烈な愛をいずれ育む事になる。

 その前に終わらせよう。取り返しのつかない事態になる前に全て。

 

 ──だからフータロー君は私と結ばれるんだ。今日、ここで。

 

 林間学校最終日、全てに決着を付けんとする一花は決意の火を瞳に宿していた。

 

 その火の灯った一花の瞳が虚無へと変わったのはその日の午後の事であった。

 

 林間学校三日目は各自でスキーや登山、川釣りに参加できる自由行動だ。風太郎の親友であり一花のクラスメイトである武田から予め彼がどれに参加するかは既にリサーチ済みである。ここで彼と一日共に行動をしてそのまま夜のキャンプファイヤーに誘う魂胆だ。

 しかし何事も思い通りにはいかないのが人生というものである。ここまで順風満帆に彼との距離を詰めてきた一花であったが、いざ玉を取ろうとした時に限って妨害が入る。

 

「……奇遇だね、みんなスキーを選ぶなんて」

「私が登山や川釣りなんて地味な事する筈ないでしょ」

「フータローもスキーを選ぶ気がしたから」

「あはは、ほんと奇遇だねぇ……一花」

「上杉君の姿が見えませんね」

 

 頬をひくつかせながら一花は集った妹達四人を眺めた。同じ顔と体でも性格趣味趣向は別々なのが中野姉妹の筈。普段なら間違いなくバラけるというのに、どうしてこんな時に限って同じ個所に固まるんだろう。

 彼と同じクラスである五月がスキーを選ぶのは予想していたが、他の三人は想定外だ。特に四葉が此処にいるのがおかしい。彼女には事前に風太郎が登山を選ぶとフェイクの情報を流して誘導していた筈なのに。

 

「そう言えば四葉、汗をかいていますがどうしたんですか?」

「実は最初は登山を選んだんだけどね、途中でやっぱスキーがいいかなって思って走って戻ってきたんだよ」

「相変わらず凄い体力」

「逆にあんたは体力が無さすぎなのよ」

「……」

 

 失念していた。四葉の桁外れの身体能力を。

 本当に同じ体なのかと疑いたくなるようなポテンシャルだ。登山途中でスキー場の自分達を見つけて戻って来たのだろう。

 まさか戦略を戦術でひっくり返されるとは夢にも思ってはいなかった。これでは風太郎に近付こうとしても間違いなく妨害される。

 早急に次なる一手を打たなければ。五月はともかく、四葉がこの場にいては身動きも取れない。

 勉強では全く働かない一花の脳が今はフル稼働して妹達の対応を思考していた。

 

「……なに、あれ」

 

 一花の耳に三玖の震えるような声が届いた。

 しかし今はそれを気にしている場合ではない。無視してプランを練り直そうとした。

 

「どういう、こと、ですか……?」

「なんで……」

 

 今度は五月と二乃がまるで信じられないものを見たと言わんばかりに。

 

「……ウソだよね、風太郎君」

 

 四葉の呟いた言葉に一花は思考を中断して即座に姉妹が釘付けになっている方向へと瞳を向けた。

 

「───。」

 

 言葉が、出なかった。

 何も、考えられなかった。

 だってそうだろう。両想いである筈の我らが家庭教師が、見知らぬ女生徒とスキーをしていたのだから。

 彼が影で女子に人気があると一花は知っていた。だから彼を誘う発情した雌猫共が集るくらいは想定済みだ。

 

 だが、そんな畜生相手に彼のあの顔はなんだ?

 どうしてあんなにも楽しそうなんだ。

 どうしてあんなにも嬉しそうなんだ。

 

 どうして、そんな情愛の籠った目を見知らぬ女に向けるのだ。

 

 そんな眼を自分に向けた事があったか。

 そんな顔を自分に向けた事があったか。

 

 どうして。どうして。どうして───。

 

「ふふ。上杉君が楽しんでいるようで何よりだ、ね」

 

 そんな二人を見守るのは瞳を虚無にした五つ子だけではなかった。

 まるで一仕事終えたかのように煌めく笑顔を浮かべる美男子が微笑ましく彼らを眺めていた。

 

「武田、くん……」

「やあ、中野さん。どうかしたのかい?」

「あれ、なに……?」

「ああ、彼女か」

 

 畜生を指差しながら一花は乞うように答えを求めた。

 あれが一体何なのか。あれは一体どういう事なのか。

 

 武田は包み隠さず全てを話してくれた。

 

 風太郎の友である武田はよく彼の事を観察している。それこそ並々ならぬ五つ子達と同じく、いやそれ以上に。

 高校一年の時から風太郎を見てきた武田はある日、彼を見ていて気付いた事があった。

 上杉風太郎はある意味では他人に対して平等な男である。友である武田以外には最低限しか交流を持たず、他の生徒に対してはみな同じ態度で接するのが彼だ。

 そんな彼が、一人だけ妙に視線を向ける女生徒がいる事に武田は気付いた。

 きっと本人も意識していないほど無意識によるものであるそれを勘付く事が出来たのは偏に武田が学校内で一番彼の近くにいたからであろう。

 友である自分とは別に、他の生徒とは違う特別な女生徒。それがどういう意味か鈍くなければ誰でも想像がつく。我が友にそういう人がいるのだと。分かっていても黙っているのが男の友情だ。武田は静観を決め込んだ。

 

 しかしながら、友は視線を向けるばかりで一向に声すらかける気配がない。

 これは如何なものかと思った。最近では新たに家庭教師のバイトまで始めたと話していた友に高校生活を堪能する時間があるのかと。

 このままではいけない。武田は立ち上がった。せめてこの林間学校で架け橋を掛けるくらいはしようと決意したのだ。

 お節介だと自覚しているが、それでも黙って見過ごすことは出来なかった。だからこの林間学校三日目に彼と彼女を引き合わす計画を企て見事に遂行できたのだ。

 お陰で彼の笑顔を見れたと武田は清々しい笑みを浮かべた。

  

「我ながら粋な計らいをしたよ。だがこれも友の為だ。君たちも今は彼の邪魔しないでくれたまえ」

 

 そう言い残して彼は五つ子達の前から姿を消した。

 残された彼女達は未だに虚無を瞳に浮かべながらも、ただじっと風太郎を見つめていた。

 

 ───この日、五人の怪物が産まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




前妻はモブ二人組の前髪ぱっつん子かサイドテールの子かお好みの方を想像してください。

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