とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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架け橋。

 怒涛の春休みを終え、新学期が始まってから暫く経った。

 普段はクラスメイトの顔や名前など気にも留めない風太郎だが、四葉の推薦によって不本意ながらも着く事になった学級長の立場の都合上、そうもいかなくなった。

 未だ姉妹の見分けが付かないクラスメイトから『中野姉妹専門窓口』として毎日話しかけられる内に嫌でもクラスメイトの顔と名前を覚えてしまった。

 

 それもこれも彼女たちが全員同じクラスになったのが原因だろう。

 

 流石に自身の生徒である中野姉妹全員がクラスメイトになったのは風太郎も面食らった。

 神の気まぐれか。はたまた何者かの作為による陰謀か。五つ子全員が同じクラスなんてどう考えても有り得ない。しかし、いくら思考を巡らせようと答えは出ないので、とりあえずは目の前の現実を受け入れる事にした。

 あの姉妹に理屈や常識というものが通用しないのは半年以上の近い付き合いの中で嫌という程に思い知らされたからだ。考えるだけ無駄である。

 きっと何か目には見えない糸で彼女達は強く深く繋がっているのだろう。オカルト染みた考えは好みではないが、あの姉妹を見ているとそんな風に考えてしまう自分がいる。それ自体は構わない。決して悪い事ではないのだから。

 

 問題はその強固な糸に最近は自分までも巻き込まれ絡みつかれているのではないか、という事についてだ。

 先日の家族旅行で鉢合わせした時もそうだ。疲弊した心と体を休めるどころか姉妹達の問題解決の為の奔走し、何とか無事に事が済んだかと思えば、最後に大きな爆弾を抱えてしまった。

 ここまで来ると何か因縁のようなものを感じざるを得ない。

 

 そして今、目の前で行われた席替えの結果もそうだ。

 

(前門の虎、後門の狼……いや、四面楚歌か?)

 

 窓際から二列目、後ろから二番目の席。風太郎にとって黒板から遠いこの場所はあまり歓迎できた席ではないが、これだけなら別に文句はない。どんな場所であれ集中すれば授業を受けるのに影響はないからだ。

 座席の位置だけなら何も問題がなかった。

 

「お隣さんだね、フータロー」

 

 窓際の席に座る三玖は花が咲くように頬をゆるませた。

 同じクラスに五人も姉妹がいるのだ。一人くらいなら誰かと隣合わせになっても不思議ではない。

 

「あら、隣だなんて奇遇ね」

 

 三玖とは正反対に位置する席の二乃が風太郎に声をかけながら三玖を牽制するように視線を向ける。

 三玖を除いてもまだ四人もいるのだ。中野姉妹に挟み撃ちにされる座席でも、あり得なくはないだろう。

 

「こんなに近くだと授業中に寝ちゃったらフータロー君にばれちゃうね」

 

 三玖の前の座席。椅子の背もたれに肘を付きながら一花が照れ臭そうに頬を掻いた。

 この辺りから風太郎の胃がキリキリと痛みを訴え始めた。あり得るのだろうか、こんな事。周りのクラスメイト達から「上杉君やべえ」「学級長すげえ」などのざわめきが聞こえる。

 自分は何もヤバくないし凄くもない。凄くやべえのはあいつらの悪運と頭の出来だ。俺を巻き込むな。そう叫べたらどれだけ楽だったろうか。

 

「せっかく近くの席になれたのです。これで授業で分からない事があっても直ぐに聞けますね」

 

 風太郎の前の席。目の前で五月が頭頂部から生えるその特徴的な毛束を揺らしながら振り向く。どんな確率だこれは。頭の中で数式を組み立てようとしたが、途中で止めた。確率的にあり得ない事象でも目の前で起きているのなら受け入れるしかないのだ。中野姉妹に常識は通用しない。

 

「凄い偶然ですね、上杉さん! みんな一緒ですよ!」

 

 後ろの席から発せられた四葉の言葉に心の底から同意した。本当に凄い偶然だ。抽選で行われた席替えで自分を玉にした矢倉囲いを組むなど神の悪戯としか思えない。

 もしかして今なら宝くじを買えば当たるのではないか。そうだ帰りに買って帰ろう。当たればきっと妹のらいはも喜んでくれる。

 

 半分現実逃避をしながら風太郎は彼女達からは決して逃れられない自身の運命を悟った。

 

 

 ◇

 

(クソッ……なんてザマだ)

 

 先ほどから全く授業に集中できない。席替えを終えてから授業が始まり、早くもペンを投げ出したくなった。

 授業の内容自体は既に全て予習済みではあるが、前年度の期末試験で彼女達の為とはいえ、成績を落としている身だ。慢心など出来る筈もない。

 なのに、黒板の文字や教師の声に集中できない。これでは彼女達を導く家庭教師として失格だ。

 

(全部、この席が悪い)

 

 環境のせいで勉強ができないなど馬鹿や怠け者がする言い訳だと思っていたが、今はその意見に強く賛同できる。なるほど。確かに勉強をする上で環境は重要だ。こんな場所で集中などできる筈がない。

 さっきから感じるのだ。四方八方から、特に左右からは己を嘗め回すようなねっとりとした視線が。

 

 今も、窓際の方から強い視線を感じる。風太郎は少しだけ黒板から目を逸らして窓際側の席を横目で見た。

 

 すると想像通り、ずっとこちらに視線を飛ばしていたであろう三玖と目が合う。

 彼女はあっと小さく声を漏らし何度か瞬きしたかと思えば、微笑みながら風太郎に手を振った。

 頭を抱えたくなる。今は授業中ではないのか。視線を向ける場所が違うだろう。そして何故手を振る。これが授業中でなければ風太郎はそう声に出していた。

 しかし、彼女の手元をよく見るとノートはしっかりと黒板を写しているようだった。別にサボっている訳ではないらしい。

 

(……どの道、注意散漫なのに変わりはない。後で注意しておくか)

 

 ノートを丸写しする事だけが何も授業ではない。教師の解説を聞き、それを咀嚼して理解し、問題を解いて初めて学習と言えるのだ。それに彼女達も無事に進級できたとはいえ、まだまだアホには変わりない。ここで気を抜かれては困る。

 次に指導する際はいつもよりも厳しくしようと気合いを入れた、その時だった。

 

「……っ」

 

 三玖とは正反対の方角から小さい何かが風太郎の後頭部に目掛けて飛んできた。

 机の上に落ちたそれを拾い上げる。最初はゴミかと思ったが、どうやら丸めたメモの切れ端のようだ。広げて中身を確認すると見覚えのある丸文字で『授業に集中しろ』と書かれていた。

 誰の仕業か、考えるまでもない。

 

 紙の飛んできた方向を振り向くと、不機嫌そうな二乃が頬杖を付きながらもう片方の手でペンをくるくると回していた。

 

(集中しろはこっちの台詞だ!)

 

 言葉の代わりに睨み付けてやったが、それがどう伝わったのか二乃は自分に向いた風太郎からの視線に、にやりと口の端を吊り上げた。まるで悪戯が成功した子どものような……いや、子どもが浮かべるにしては少々妖艶ががった笑みだ。

 またしても頭を抱えそうになる。何がそんなに楽しいんだ。授業中に遊ぶな。小声で文句の一つでもぶつけようしたが、二乃も三玖と同様にノートはしっかりと取っていたのでその気も失せた。

 

(……やりにくい)

 

 心底そう思った。左右の二人でこれなのだ。残りの三人はどうなのだろうか。ちゃんと授業を受けているのだろうか。一度、気になりだすと不安がだんだん胸の中で大きく膨らんでいく。

 流石にそろそろ授業に集中せねばと思いつつも、つい三玖の前の席に座る一花に視線を向けた。

 普段から彼女の眠る姿をよく目撃している風太郎にとってはある意味一番の要注意人物だ。授業中に眠られては家庭教師としてたまったものではない。

 

 だが、そんな風太郎の心配は杞憂に終わった。

 

(あいつはちゃんと授業を受けているようだな……良かった)

 

 得意科目の授業だからだろうか。斜め後ろの席から見える一花は集中してペンを動かしていた。真剣に授業に取り組む彼女に風太郎はほっと胸を撫で下ろす。

 ドジなところもあるが、何だかんだ言っても五つ子の長女なだけある。きっと同じクラスになった妹達への模範となるようしっかりと勉学に励んでいるのだろう。

 そんな一花の姿に風太郎は珍しくも素直に感心しながら、自分も彼女に負けないよう集中しようとして────。

 

 何故か一花と目が合った。

 

(……なんでこのタイミングでこっちを見た)

 

 一花は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべ、すぐさま笑顔に変えて風太郎にウインクを送った。

 

 まさかこの席位置で目が合うとは想定外だった。

 何故わざわざ振り向いた。今は授業中だぞ。前の黒板を見ろ。口にすれば自分にも跳ね返ってくる言葉を何とか飲み込んで風太郎は一花からすぐさま目を逸らした。

 最近は鳴りを潜めているが、何かと自分を揶揄ってくる自称お姉さんの一花である。きっと授業が終わった後にこの事をネタにされるに違いない。ならば、さっさと目を逸らすのが得策だ。

 

(……とりあえず、懸念していた一花が真面目に授業を受けいただけで良しとするか)

 

 本当は後ろの四葉から発せられる背中に感じる視線も気にならないと言えば嘘になるが、自分の勘違いの可能性だってある。流石に振り向いてわざわざ確認するような真似も出来ない。

 なら、ちゃんと授業を受けていたかどうかは後で本人に聞けばいいだけの事。

 四葉に関しては授業を受けているかよりも内容に付いていけているかを確認した方がいいかもしれないが。

 

 嘘の吐けない彼女の事だ。もし授業に付いていけないなら、その時に素直に白状するだろう。

 

(残りは五月だが……まあ、こいつなら何も問題ないだろう)

 

 目の前の席に座る五月の背中を眺めた。跳ねた頭頂部の毛束が彼女がペンを動かすのに連動して微妙に揺れ動いている。

 五月も他の姉妹同様にアホに違いはないが真面目ではある。授業はしっかりと集中しているだろう。

 去年、一応は同じクラスだった時に彼女の授業態度はよく目にしている。

 

(俺もしっかりしないとな……)

 

 こんな腑抜けた状態では五月に小言を言われかねない。それだけは御免だ。

 深く呼吸して心を落ち着かせる。

 ──よし、これで行ける。

 

 今度こそはとペンを動かそうとして、またしてもトラブルが起きた。

 

「あっ」

 

 机の端に置いていた消しゴムが手に当たり、前の方に転がり落ちてしまった。

 出端を挫かれ、風太郎は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。今日は何かと集中力を削ぐ出来事が多すぎる。

 思わず舌打ちしながら、床に落ちた屈んでを拾おうとして───先に目の前の消しゴムが別方向から伸びた手によって拾われた。

 

「どうぞ」

 

 顔を上げた風太郎の瞳に消しゴムを差し出す五月の姿が映った。

 何故か体が硬直した。

 想像以上に彼女の顔が近い。あまりに近すぎる。

 『この顔』はダメだ。『五月』の顔はダメなんだ。

 

 その時、あの旅行の最後に起きた光景が脳裏を過ぎった。

 

 鳴り響く鐘の音。

 紅潮する彼女の頬。

 覆い被さった彼女の体から伝わる熱。

 

 そして唇に触れたあの────。

 

「……」

「上杉君?」

「あ、ああ……ありがとう。五月」

 

 五月の声に我に返る。

 怪訝そうな顔をする五月に礼を言い、すぐさま席に着いて大きく溜息を吐いた。

 何とかノートを取ろうとするが、ペンを握り締める手に力が入らない。

 重症だ。これでは授業どころではない。

 

 ようやく気付いた。気付いてしまったのだ。

 集中できないのは彼女たちの視線のせいではない。

 

 自分が過度に彼女達を気にしているからだと。

 

 その原因に大きな心当たりがあった。

 

 

 ◇

 

 

「……」

 

 昼休み。人出の少ない校舎の屋上でフェンスに凭れながら風太郎は一人で黙々と菓子パンを口に運んでいた。

 午前の授業を反省し午後の授業に向けて少しでも集中できるように糖分が豊富な低単価で高カロリーのパンを購買で選んだが少々後悔した。口の中で強烈な甘さが広がる。

 

(水じゃなくてコーヒーにすれば良かったか)

 

 コストパフォーマンスを考えて容量の多い水をパンと一緒に購入したが失敗だったかもしれない。

 大抵の物は美味いと感じて食べれるが、今日は気分的にもう少し落ち着いた味付けが良かった。それこそ、いつもの焼肉定食焼肉抜きのような。

 同じ二百円でもやはりあの定食の方が満足感はある。おまけに水も飲み放題だ。

 

(流石に今日は食堂に行く気は起きねえ)

 

 あの食堂は現在悩みの種である中野姉妹も利用している。少なくとも今は彼女たちの顔を直視できそうにない。

 同じクラスなので午後からの授業はどうしようもないが、せめて昼休みの間くらいは距離を置きたかった。

 一度、落ち着いて気持ちを整理する必要がある。そうでないとまた思い出してしまう。

 

 再びあの時の光景がフラッシュバックしそうになり、馬鹿馬鹿しいと首を振った。

 

(……あれは事故だ)

 

 そう自分の中で処理した筈だ。なのに、彼女たちの顔を近くで見ると嫌でも思い出す。

 このままでは不味い。家庭教師としての業務に支障をきたす恐れがある。

 

(仮に事故じゃなかったとしても、あんな事を故意にする奴なんて……)

 

 そんな事をふと思ったが再び姉妹の顔が脳裏に浮かび上がりそうになり、またしても首を振った。

 やめだ。考えれば考えるほどドツボに嵌る。やはりあの出来事はなかった事にして綺麗に忘れるのがベターなのだろう。

 ベストは彼女の正体を暴いて真意を確かめるのがいいのだろうが、それが出来れば苦労はしない。かつて『写真の子』かどうかを姉妹に訪ねた時とは訳が違う。

 現状は放置しか手がない。あの時の相手が誰であれ、向こうから何も言ってこない以上はこちらからは対処のしようがない。

 

「あっ、上杉さん!」

 

 パンも食べ終わり、残った昼休みの時間を先ほどの授業の復習に費やそうとした風太郎に聞き覚えのある声がかけられた。

 声の方向に恐る恐る視線を向けると悪目立ちするウサギの耳のようなリボン頭が視界に映った。

 

「よ、四葉」

「探しましたよ上杉さん。今日は食堂じゃないんですね」

 

 そう言って当然のように隣に並び立つ四葉に風太郎は緊張の汗を額に浮かべる。

 こういう時に同じ顔というのは厄介だ。嫌でもあの光景を思い出してしまう。

 しかもタチが悪い事にこの中野姉妹はどうにも普段から距離が近い。こちらのパーソナルエリアなど知った事かと言わんばかりに自分と体が近いのだ。その中でも四葉は特にだ。今も互いの肩が触れ合いそうな距離にいる。

 出会った当初は風太郎もそんな彼女達に戸惑う事が多かったが、次第に彼女達の距離間はこういうものなのだと納得して特に意識する事も無くなった。

 

 それが今更になって、また意識させれられるハメになるとは思いもしなかった。

 

「あ、ああ。そういうお前はもう昼食は済ませたのか?」

 

(馬鹿な……何故ここにいる!?)

 

 この時間の食堂は人で溢れかえっている筈だ。食べ終わるにしても早すぎる。それを見越してわざわざこんな所で昼食を済ませたというのに。

 自分は彼女達からは決して逃れられない運命だとでも云うのか。

 

 なるべく動揺を顔に出さず、平静を装いながら四葉に訪ねた。

 

「はい! 今日は二乃がみんなの分のお弁当を作ってくれたので教室で食べたんですよ」

「そ、そうだったのか」

「ここの食堂のご飯も美味しいですけど、やっぱり二乃の料理が一番ですね!」

「そうか……それで、何か俺に用か?」

「あっ、そうでした。はい、どうぞ」

 

 そう言って四葉から差し出されのは楕円形の弁当箱だった。桜色をしたその弁当箱は一目で女子が使うようなものだと判断できる。

 風太郎は四葉の意図が分からず、怪訝そうな表情を浮かべた。

 

「お弁当です」

「いや、見れば分かる。俺が聞きたいのは……」

「もう、上杉さんったら。お弁当を渡す前に教室からいなくなっちゃったから探すのに苦労しましたよ。でも甘いですね! 上杉さんの場所なら匂いで分かります!」

「話を聞け。なんで俺にその弁当を渡そうとする」

「二乃が上杉さんの分も作ってきたんですよ」

「二乃が? なんで……」

「五個も六個も作る材料は変わらないからって。あと食べなさすぎてバイト先のケーキ屋さんで倒れられたら困るとも言ってました」

「……」

 

 バイト仲間として、或いは友人として。確かに四葉の話しを第三者が聞けばそう言った理由で弁当を作ってくれたのだと納得出来るが、当の風太郎はそうは思わない。

 

『あんたが好きって言ったのよ』

 

 何せ、二乃に関してはそれ以上の理由に心当たりがあるからだ。

 

(あの時の『五月』の正体……まさか……)

 

「……」

「上杉さん?」

「……悪い。少し考え事をしていた。せっかくだ。いただこう」

「どうぞ食べてください! 二乃もきっと喜びますよ」

 

 さっきまで忘れようと決心していたのに、またあの事を考えてしまう自分がいる。余程重症のようだ。

 やはり今は中野姉妹から距離を置いた方がいい。

 とりあえず四葉から弁当箱を受け取って彼女の用事を済ませてあげよう。そうすれば四葉もこの場から立ち去る筈だ。今はとにかく一人になりたい。

 

「……」

「食べないんですか?」

 

 だが、弁当箱を受け取った後も何故か四葉は立ち去る気配がなかった。

 

「……四葉」

「なんですか?」

「お前の用事は俺に弁当箱を渡す事だったんだよな?」

「そうです!」

「なら用は済んだ筈だろ。何故まだいる」

「いえ、上杉さん一人でお昼を食べるのも寂しいだろうと思いまして。だから私が上杉さんのお話し相手になります!」

「一人で食べるのはいつもの事だが」

「なら今日は私がいるので大丈夫です!」

「……」

 

 違う。そうじゃない。

 しかし、こう見えて四葉も意外と頑固なところがある。こう言い出したら下手に言い訳をしてもきっと彼女はこの場から離れてはくれないだろう。

 だからと言って事情を話す訳にもいかない。

 

「……好きにしろ」

「はい!」

 

 結局、折れる羽目になった。

 

「それにしても上杉さん、もし二乃のお弁当がなかったら今日のお昼はそのパンだけだったんですか?」

「俺はこれだけでも十分だ」

「ダメですよ! ちゃんと食べないと。途中でお腹が空いて午後の授業に集中できなくなりますよ?」

「五月じゃあるまいし。多少は空腹感がある方が集中力は増すんだよ。逆に満腹時の方が内臓に血液が行って逆に集中できなくなるんだぞ?」

「えっ。そうなんですか? なるほど……じゃあ私が今までお昼の授業で寝てしまったのもそれが原因だったんですね」

「は?」

「きょ、今日は大丈夫です! ……たぶん」

「ったく、お前は……」

 

 四葉から貰った二乃の弁当を食べながら、四葉と他愛のない話をした。

 二乃の料理は相変わらず美味いし、四葉は相変わらずのおバカだ。そんな彼女に呆れながらも風太郎は無意識に口元を緩めていた。

 

(あれ……)

 

 そこで、ふと気付いた。いつの間にか自然体で四葉と接している自分に。

 さっきまではあんなに意識していたのに。

 

「上杉さん、やっと元気が出ましたね」

「なに?」

「何だか今日の上杉さん、少し様子が変でした」

「……そうか?」

「はい。何かありましたか?」

 

 人をよく見ているなと思った。姉妹の中でも特に勉強を苦手とする四葉だが、他人の感情の起伏に特に敏感なのもまた彼女だ。

 きっとお人好しな人柄が、こうした周りへの配慮や観察能力を高めたのだろう。

 

 そんな四葉が相手だからだろうか。晒すつもりがなかった胸の内を少しだけ零していた。

 

「何もない、事はないが……」

「もしかして、私達また上杉さんに何かご迷惑を……」

「……どちらかと言えば俺自身の問題だ」

 

 顔を伏せ、地面を見た。四葉の顔を見ながら話すには出来そうになかったからだ。

 

「最近、ある難問にぶつかっていてな。こいつが解けないんだ」

「上杉さんでも解けないくらい難しいんですか?」

「ああ。厄介な事にそいつには教科書に書かれた数式が通用しないんだ。得意の勉強も役に立たない」

 

 問題を先送りにするのは勿論、一つの解決策だとは思う。

 あの出来事をなかった事にして、ただ忘れて。今まで通り彼女達と接する。

 

 だが、それが本当に正しいのだろうか。

 

 仮にあの出来事をなかった事にして、そしたら次は二乃の言葉と向き合う必要がある。

 返事はいらないと言われたが、いずれは自分自身の中で答えを出さなければならない時が来る筈だ。それも先送りにしていいのだろうか。

 懸念しているのは二乃だけじゃない。あの旅行で偽五月に扮していた三玖についてもだ。

 

「正直、どうしたらいいのか分からん」

 

 答えが出ない。解に導けない。二乃の家出騒動の時と同じだ。

 あの時は、己の無力さに嘆いて、だけどその後に再開した彼女に別れと共にエールを送られた。

 今はもう、あの時のように彼女に言葉を貰う事など──。

 

「上杉さん」

 

 顔を上げると、四葉の顔が直ぐそこにあった。その時、彼女にしては珍しく真剣な表情を浮かべたいたのが風太郎の中で強く印象に残った。

 

「私はおバカだから上杉さんでも解けない問題なんて絶対分かりっこないですが……だけど分かります」

「分からないけど分かるって……何が言いたい」

「分からない問題は、分かる人に教えてもらえばいいんです。私たちがそれぞれの勉強を互いに教えあったように」

「……言っただろ勉強とは違う。それに誰かに教えて貰って解ける問題でもない」

「でも一人じゃずっと解けないままなんですよね。なら、みんなで考えたらいいんです」

「何?」

「えっと何て言えばいいのでしょうか……つまり……」

「誰かに頼れ、って事か」

「そういう事です!」

 

 エッヘンと胸を張る四葉に風太郎は眉根を寄せた。

 

(こんな事、誰に頼れって言うんだ。お前達にか?)

 

 無理だ。お前達の顔を見ていると意識してしまうなんて本人たちに言える筈もない。

 

「そんな相手がいない。先に言っておくがお前達には絶対無理だ」

「なら、それ以外の方はどうですか?」

「それ以外?」

「例えばクラスの人たちとか」

「はあ? そもそも俺にクラスの連中との関わりなんて……」

「何を言ってるんですか。上杉さんは学級長ですよ? 皆さんと毎日お話ししてるじゃないですか」

「それは立場上仕方なく……」

「上杉さんも立派なクラスメイトの一員なんです。きっと皆さんも力になってくれますよ!」

「……」

 

 誰かに頼る。そんな事、考えも付かなかった。ましてクラスの人間になど。

 馬鹿馬鹿しいにも程がある。

 

「連中に頼るくらいなら自分で悩んだ方がマシだ」

「上杉さん……」

 

 そう吐き捨てると四葉は表情を曇らせた。

 

「……が、まあ、お前の話は少しは参考にはなった。ありがとな四葉」

「……! はいっ!」

 

 さっきまでの曇った顔は何処へやら。一瞬でいつもの笑顔に早変わりした四葉に風太郎は小さく笑った。思えば、彼女と一緒にいると笑顔にさせられる事が多い。あの勤労感謝の日もそうだ。

 

 確かに馬鹿馬鹿しいが、それでも四葉の言葉で少しだけ視野は広まった気がした。

 今のところ誰かに頼る気など更々ないが、最悪の手段として頭の片隅に置くくらいはいいのかもしれない。

 

(結局、まだ何も解決していないが……まあ、簡単に解決するならここまで悩みはしないか)

 

 彼女達に囲まれた午後からの授業と放課後のバイト。とりあえず今はどちらも覚悟して挑まなければならないだろう。

 

 

(それにしても、たった半年でここまで変わるとはな)

 

 彼女達との関係だけではない。自分を取り巻くそれ以外の環境も、そして自分自身さえもいつの間にか変わってしまった事に気付いた。

 

 最悪の出会いを果たした姉妹達と信頼関係を結べたのも、断絶していたクラスメイトの関係を結べたのも、目の前で嬉しそうに眩い笑顔を咲かせる彼女が架け橋となってくれたからだろう。

 

 

 

 

 

 

 


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