とある五つ子の(非)日常   作:いぶりーす

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暴走機関車の二乃につられて暴走気味のフー君がイチャコラする話。


もしも二乃なら。

 男女間の恋愛において勝敗なんてものはあるのだろうか。

 例えば同じ異性に惚れた二人がいて片方が結ばれたのなら明確に勝者と敗者に別れるのだろうが、少なくとも男と女の間で芽生えた恋愛で勝っただの負けただのはない筈だ。互いに結ばれているのだから二人とも幸福だ。敗者などいない。

 だが、『惚れた弱み』や『好きになった方が負け』なんて言葉がある以上はやはり勝敗があるのだろう。

 そして勝者と敗者で区別するなら自分はきっと彼女に負けてしまったのだと思う。それも完膚なきまでに。

 

「んっ」

 

 唇に張りのある柔らかい感触。今日まで何度触れてきただろうか。

 最初はただ触れるだけだった。互いの唇を合わせるだけの拙い行為。

 それが回数を重ねる事にエスカレートして互いに吸うように激しくなり、最後は舌まで絡めるようになった。流石に舌を絡めるのは時と場所を選ぶが。

 しかしこの触れるだけの行為ですら、もう何度もした筈なのに未だに慣れはしない。

 体の芯から湧く熱が己の思考能力を悉く奪ってしまう。その癖、頭では否定しても体が勝手に何度も求めてしまうのだから若い肉体にとっては中毒性のあるドラックに匹敵するのではないだろうか。

 

「……二乃、仕事中だぞ」

「でも、今は休憩時間でしょ?」

「そういう問題じゃない。場所を弁えろって言ったんだ」

 

 少なくともバイト先の休憩所でするような行為じゃない。誰かに見られたらどうするんだ。

 自重するように二乃を咎めたが、彼女はまるで聞く耳を持たないと言わんばかりに風太郎の胸に顔を埋めた。

 

「ならバイトが終わったらいいの?」

「……っ」

「ふふ、楽しみにしてるわ。フー君」

「……バイトが終わったらな」

 

 腰に腕を絡めてながら自身の胸板に頬をこすりつける二乃に風太郎は朱色に染まった頬を手で隠しながら嘆息した。

 これで照れずに言っているのなら、単にからかわれているだけだと少しは冷静になれるのだが彼女自身も顔を真っ赤にして言うものだからタチが悪い。まあ、もう片方の空いた手でしっかりと彼女を抱きかかえている風太郎自身も彼女の態度に満更ではないのが。

 そもそも風太郎と二乃は頭一つ分の身長差がある。本来、立った状態だと向こうが背伸びをしようが唇まで届かないので風太郎側も少し屈まない限りキスが成立しない。つまりキスが成立するという事は互いに望んだ結果という訳で。

 

「……ったく、少しは手加減してくれ」

「お断りよ」

 

 僅かな願いも二乃の一言で打ち砕かれた。全くもってこのお姫様には敵わない。文句の一つでも言ってやろうかと思ったがあまりにも彼女が幸せそうな顔をしているので言葉を飲み込んで代わりにもう一度大きく嘆息した。

 随分と絆されたものだと自嘲する。羞恥とむずがゆさを感じながら、それでも彼女に対する愛おしさの方が上回って抱き寄せてしまうのは自分が大きく変わった証拠だろう。

 

 こんな関係になるなんて出会った時は夢にも思っていなかった。

 あれだけ馬鹿にしていた恋愛に自分が現を抜かすなんて想像出来る筈がない。おまけにその相手は家庭教師を受け持つ自身の生徒でバイト初日に薬盛って排除してくるような少女だ。

 当時の自分に一年も経たない未来には二乃とバイト先で抱き合ってキスする関係になっていると伝えても決して信じないだろう。

 彼女とはまさに最悪の出会いだった。それが今では最愛の人なのだ。人生とは実に数奇なものだと嫌でも実感する。

 

 

 二乃との関係に転機があったのは、やはりあの告白だろうか。

 生まれて初めて異性に告白されて、最初に感じたのは戸惑いだった。好きだ嫌いだの前に何故という疑問しか湧かなかったのが正直な感想だ。恋愛を馬鹿にしてた風太郎ではあったが、別に人が誰かを好きになるという感情に全く理解がない訳ではない。

 風太郎だって子どもの頃には人並みの淡い初恋をしたし、そこで人並みの苦い経験を得た。

 だけどそれはこっちから一方的に好きになっただけであって、誰かに好意を寄せられたのは全くの未知の体験だった。

 

 何故、二乃が俺なんかを……。

 

 二乃に告白されてから何度、何故と疑問を繰り返したのだろう。彼女からはむしろその逆で嫌われているものだと思っていた。

 そもそも自分は他人に好意を持たれるような人間ではないと自負している。

 風太郎は自身に対しての評価は決して高くない。勉強に関しては絶対的な自信があるが逆に言えばそれだけだ。他には何の付加価値のない男だと自覚していたし、第三者から見ても己の自己評価は概ね正しい筈だった。好かれる要素など何一つ思い当たらない。

 異性に好かれる男性像として思い浮かべるのは最近交友を深めつつあるクラスメイトのとある男子だが、自分と比べれば真逆の存在だ。

 

 そんな自身を好きだと言った二乃の言葉を風太郎はそのまま信じる事が出来なかった。

 加えて家庭教師としての立場や姉妹達との今後の関係も考えれば、素直に彼女の想いを受け入れる事など不可能だ。だから最初は二乃の告白に対して断ろうとした。

 別に二乃だから断ろうとした訳じゃない。きっと他の誰かに同じ想いを向けられたとしても同じ事をしただろう。

 それに想いを告げた二乃自身が冷静でないように思えた。きっと何か気の迷いだ。もしかしたら未だに偽りの自分の影を追って勘違いをしたのかもしれない。

 後になって彼女が後悔するよりは早期に決着を付けた方が互いの為になる。正しい判断だと信じて告白の返事を返そうした。

 

 しかし当の本人によって返事は拒絶されてしまった。

 まさかの展開に困惑した。生まれて初めて告白をされ、その返事をしようとしたら遮られた場合の対処方法など風太郎には思い付きもしなかった。

 

『覚悟していてね、フー君』

 

 風太郎に反論など許さないとばかりに次々と言葉を紡ぎ、最後には宣戦布告とも取れる言葉を耳元で囁かれた。

 思い返せば、あの時、あの言葉で既に彼女に堕ちていたのかもしれない。彼女の真っ直ぐな言葉に心臓の鼓動が馬鹿みたいに煩く、顔は風邪でも引いたかのように火照って熱かった。

 自分と同い年の男女が恋だ愛だに浮かれる気持ちが少しは分かった気がする。冷静になれる筈がない。達観して判断できる筈がない。迸る情愛に箍を付けるなど不可能だ。

 その後、宣言通りに彼女は事あるごとに自分がいかに風太郎を愛しているかを語り時には行動で示した。学校だろうとバイト先であろうとお構いなしに。

 彼女の告白を断ろうとした風太郎も一応は抵抗を試みた。けれどダメだった。あの暴走機関車を止める術など持ち合わせていなかったのだ。

 

 いつからだろう。一緒にバイトをする中で彼女の姿を自然と視線で追うようになったのは。

 いつからだろう。熱の籠った独特な呼び名に文句を言わずに受け入れるようになったのは。

 いつからだろう。バイトの帰り道で手を繋ごうとしてくる彼女を受け入れてしまったのは。

 

 何度も一直線に想いをぶつけてくる二乃にとうとう根気負けした。

 鉄の意志と鋼の強さを持って彼女達姉妹を異性として決して見ようとはしてこなかった風太郎であったが、彼も男だ。何度も好きだと言われたら嫌でも意識するし、何度も情熱を伝えられたらその熱が自身にも移る。

 気付けば毎日のように二乃の事を頭に思い浮かべている自分がいた。そして思い知らされたのだ。負けた、と。何処か清々しさすらある敗北感を味わいながら風太郎はいつの間にか芽生えた二乃への好意を自覚した。

 だが、それでも最初は素直に彼女の想いに応えることは出来なかった。

 やはり自分には彼女達の家庭教師という立場があるし、最近では彼女達の父親に紳士的な関係をするよう釘を刺されている。だからある日、いつものバイトの帰りに彼女を呼び出して二度目の返事をした。

 

 ───俺もお前と同じ気持ちだ。だがお前達が無事に卒業するまでは待って欲しい。

 

 自分の中で最大限、譲歩した答えのつもりだった。彼女の行為を無碍にするつもりなど毛頭ない。卒業さえすれば幾らでも彼女に時間を費やそうと思っていた。散々、返事を待たせたのだ。それくらいは道理だろうと覚悟はしていたつもりだ。

 しかし、またしても二乃は風太郎の想像を超えた。彼女はいつだって己の斜め上を征く。

 

 ───待って欲しい? 嫌よ。待たないわ。ううん、違う。私じゃなくてフー君が待てないようにしてあげる。

 

 そう宣言して彼女は押し倒しながら己の唇を奪った。何処かクリームのような甘い味と彼女がいつも付けている柑橘系の香水の香りが鼻孔を擽った。

 一瞬にも永遠にも感じた彼女との口付け。息の続く限り押し当てられた張りのある感触に風太郎はデジャヴを感じた。

 あの日だ。生まれて初めて異性とキスをした家族旅行の最終日。鐘の音色が脳裏に蘇る。キスをしたのは人生で二度目だが、まさか二度とも相手から強引に迫られる形でするとは思わなかった。

 しかも相手から押し倒されてるような、全く同じ体勢で。

 後になって判明したが一度目の相手も二乃の仕業だった。結局何も成果も残せないまま旅行が終わる事を癪に感じた彼女は激情に身を任せてキスしたらしい。

 だが、勢いでした後に冷静になって初めてのキスを五月に変装した状態で行った事を後悔し、あれは彼女の中ではノーカンという扱いになったそうだ。それを聞いた風太郎は姉妹を初めて異性として感じたあれをノーカン扱いされて正直複雑な気分ではあったが、同時に二乃らしいと苦笑した。こと恋愛事情に関しては彼女には敵わないと思い知らされた。

 

「ねえ、フー君」

「なんだ?」

 

 バイトが終わりいつものように手を繋ぎながらの帰路。二乃との関係の経緯を懐かしんでいた風太郎だったが隣で歩いていた彼女にくいと手を引かれた。立ち止まって顔を伺うと何故か不機嫌そうだ。

 

「そろそろ私に言う事があるんじゃない?」

 

 姉妹共有のムッと頬を膨らませた表情。前まではこれを目にすると決まって厄介事が起きる予兆としてうんざりしていたが、今ではそんな表情も可愛らしく思うのだから不思議なものだ。この関係になって気付いたが二乃はコロコロと表情を変える。嬉しい時は笑うし不機嫌な時は今のように頬を膨らませるし恥ずかしがる時は頬を紅く染める。自分に素直な女の子だ。そんな表裏のないところも彼女に惹かれた要素の一つだ。真っ直ぐと想いを寄せられたからこそ失っていた思春期と共に恋を思い出したのだろう。

 

 ……いや、今は惚気ている場合ではない。二乃が不機嫌な原因を解明しなければ。また何かしてしまったのだろうか。

 二乃曰く、フー君って頭はいいけど恋愛に関しては欠点スレスレの問題児だわ、とのことだ。

こちらの何気ない言動で機嫌を損ねてしまった回数は既に両手では数え切れない。それはこの関係になる前からもそうなのだが改善はするべきなのだろう。

 以前も僅かな髪の変化やマニキュアを塗った爪、自作のフー君抱き枕など彼女はそれを褒めて欲しいと愚痴を溢された。しかしどう褒めればいいのか分からなかった。周りの人間に興味を示さなかったせいで見た目の変化に疎いし、自分の顔と思わしきイラストが刺繍された枕を見せられてどう反応すればいいと言うのか。

 悩んだ挙句、二乃の見た目ではなく中身の惹かれた旨を伝えてそこを褒め称えた。

 すると二乃は顔を真っ赤にして以後は見た目の変化に特別言及しなくても機嫌を損ねなくなったのだが、今日はどうやら別の件らしい。

 

「……あーその、あれか? 休憩時間に言ってたバイトが終わってからの」

「それはさっきフー君の方からキスしてくれたじゃない」

 

 バイト先の休憩所でキスをするのを咎めたが、それ以外の場所であるのなら特に言及はしない。むしろ求められたのなら何だかんだ文句を言いつつもその場で応えてしまう程度には二乃に毒されているのが現状だ。

 先ほどもバイトが終わって直ぐに店の前で彼女にせがまれ唇を落としたのだが、それを血の涙を流さんとばかりに表情を歪めた店長に見られて逃げてきたところだ。

 

「じゃあ今度の休日の事か?」

「フー君の服を買いに行くって言ったでしょ。また私があんたにぴったりな服を選んであげるわ」

「そうだったな。よろしく頼む」 

「うん、任せて! ……って、本当に分からない?」

「いや、待て。もう少し考えさせてくれ」

 

 今度は頬を膨らませるのを止めてしゅんと落ち込んだような表情を見せた。

 さすがの風太郎も二乃の反応に肝が冷えた。彼女とこの関係になってからも怒られるのは日常茶飯事だし口喧嘩もよくするのだが、落ち込まれるのが一番反応に困るのだ。

 必死に灰色の脳を回転させてはみるが答えにはたどり着かない。それに見かねたのか二乃は大きく溜息しながら助け舟を出してくれた。

 

「……しょうがないわね。ヒントをあげるわ」

「た、助かる」

「フー君は私に一つ言い忘れている事があるの」

「言い忘れていること……?」

「ええそうよ。それも、とっても大事なこと」

「大事な……」

 

 せっかく与えられた温情だ。これで答えに辿り着かなければ間違いなく一週間は不機嫌なままになる。ヒントを頼りに風太郎は記憶の糸を手繰り寄せた。

 最近は毎日作ってくれている弁当への感謝の言葉だろうか。いや受け取る時にいつも礼を言っているしそれではないだろう。

 では、バイトで二乃の指導のお陰で厨房を任されるようになった事についての礼だろうか。それも彼女の方から互いにフォローする関係なのだからお礼は要らないと言われている。とは言え、それでも感謝の気持ちは行動と言葉で返してはいる。

 

「もうっ、ヒントその二をあげるわ」

「……すまん」

「私達の関係についてよ」

 

 自分達の関係。そこに答えがある。となるとまずは自分と彼女の関係が何かという事を確認しなければならない。

 上杉風太郎と中野二乃の関係の始まりは家庭教師と生徒だ。それは現在でも継続している。最近では自分と彼女は世間一般でいう恋人同士、という関係に昇華したばかりだ。

 二乃が指す関係というのはこの恋人同士の事だろう。それについて大事なことを言っていないらしい。

 恋人同士で大事なこと。ダメだ。全く心当たりがない。次のデートの取り決めもしているし、普段も他の姉妹からキレ気味に茶化される程度には恋人らしいやり取りをしているつもりだ。現状は何も問題がない筈。

 

 現状は……?

 ふと、引っ掛かりを覚えた。もしかすると彼女は今の事ではなく未来の事を指摘しているのだろうか。恋人同士の更に先にある関係を。

 確かに今は恋人同士ではあるのだが、その先を風太郎は考えた事もなかった。あれで二乃は夢見る乙女だ。そこまで見据えている可能性は十分にある。

 バイトをしてる時も"いつか自分のお店を持ってフー君と一緒に厨房に立ちたいわ"なんて事を冗談混じりに話していた記憶がある。あれは冗談などではなく本気だったという事か。

 

 いや、待て。それは幾ら何でも早すぎる。これから将来を共にする取り組めをしようだなんて。

 自分達はまだ高校生だ。しかも付き合っているとはいえまだ数か月。出会って一年も経っていない。それに付き合っている事をあの中野父には未だに内緒にしている状態である。今でもバレたら家庭教師をクビにされるだろうにその先を黙って決めれば物理的にもクビを飛ばされかねない。

 

 しかし、しかしだ。二乃は本気だ。マジなのだ。彼女は暴走機関車だ。それを本気で考えているのなら止める術はないのだろう。

 それにこの前に買った恋愛ブックにも書いてあったのだ。”女の子の覚悟を受け止めるのが男”だと。

 二乃は覚悟をしてきている。それを受け止めるのが男の役割。ならばこちらも腹を括るしかない。

 

「分かったぞ、二乃」

「ようやく分かってくれたのね」

「ああ、だが少し早過ぎるとは思うんだが……」

「私からすれば遅すぎるくらいよ」

「そうか……なら待たせちまったな」

「うん……」

 

 二乃の言葉で自分の推理は正しかったのだと確信した。彼女が見ているのは未来だ。今じゃない。ならば俺も明日が欲しい。

 マルオがなんだ。クビを刎ねられる前にまたバイクで二乃を乗せて逃げればいい。

 意を決して風太郎は二乃の瞳を見つめて口を開いた。

 

「結婚しよう、二乃」

「ッ!!」

 

 後日、二乃が本当に欲していたのは"愛している"という言葉だと判明し風太郎は大恥をかいた。

 しかし二乃がその場で風太郎のプロポーズを即決したお蔭で二人は将来を約束し、怒りのマルオとカーチェイスをした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




恋愛科目欠点のフー君ならこんな暴走もしそうという妄想でした。

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