Fate/next hollow 衛宮家の人々   作:powder snow

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第十四話

 ――高級和牛。

 それはキメがこまやかでありながら脂肪の質が高く、一口食べれば口の中で溶ろけるような深い味わいを醸しだす。肉肌には綺麗なマーブル状の脂肪が走り、まさに最高の霜降り牛肉と言って良い至高の一品。

 仮に牛肉界が存在するのなら、そこに君臨する珠玉。

 それが高級和牛である。 

 

「セイバー、準備はいいか?」

「万事抜かりはありませんシロウ!」

 

 セイバーがコクンと頷くのを確認してから、桐の箱に包まれている中身を拝顔するべく、慎重に蓋を開いた。

 

「これが高級和牛なのですね……」

 

 セイバーが箱の中に視線を落としながら、感嘆の声を上げている。彼女の目線の先には、綺麗なピンク色の柔肌に、これまた綺麗にサシの入った和牛がずっしりとその身を詰まらせていた。

 

「ああ。世に言うブランド牛肉。その中でも特上品だ」

 

 送ってみるものである。

 雑誌に付いていた懸賞ハガキに願いを託したのは二ヶ月前。一度は食べてみたいものの、今の衛宮家の懐事情では叶うべくもない望み。

 それでもとハガキを書くときに拝み倒し、ポストの前で頭を垂れ、更にはキャスターに祈祷してもらい、最後にセイバーの手によって投函してもらったものだ。

 果たして、女神は舞い降りた。

 存在すら忘れた頃に届いたのが、この輝くような至高の一品なのである。 

 

「セイバー。みんなには悪いが、鮮度が命。少し頂いてしまおう」

「そ、そうですね。少しなら……いいですよね」

 

 鮮度が命、鮮度が命と、セイバーが呟いている。そんな彼女を見つめながら、さてどうやって食べようかと思案し始めた時、突然バンッ! と音を立ててふすまが開いた。

 

「話は聞かせてもらったわよ、士郎!」

 

 現れたのは黒髪ツインテールに赤い服。ニコっと満面の笑みを浮かべたあかいあくまだった。 

 

「と、遠坂っ!? ……どうしてここにっ!?」    

 

 ズカズカと遠慮なしに居間に入って来る遠坂凛。

 その視線はテーブルに置かれた桐の箱に注がれている。

 

「ほう。これは本当に良い肉だな。しかも見るに極上品か」

 

 そして当然のようにして、赤いアイツも遠坂にくっ付いて来ていた。

 

「アーチャーっ! 貴方までどうしてっ!?」

「何だセイバー? 私達に来られて都合の悪いことでもあるのか?」

 

 ニヒルな笑みを浮かべてセイバーを見据えているアーチャー。対するセイバーは、ぐっと唇を噛んで何かに耐えている。

 ――今、衛宮家の居間にて、高級和牛を巡る嵐が吹き荒れようとしていた。

 

「士郎。それって牛肉よね? それもブランド品じゃない?」

「……」

 

 一見して正体を見抜くとは、遠坂凛恐るべし。

 

「まさかとは思うけど、二人きりで食べるなんて……言わないわよねえ?」 

 

 遠坂の目が、返答次第によっては争いも辞さないと雄弁に語っていた。隣に佇むアーチャーも同様である。 

 そして捲き起こった一瞬の静寂。居間の中で俺と遠坂の視線が複雑に絡み合っていた。

 …………オーケー、遠坂。

 ここで争うのはお互いの為にならない。

 

「わかった。四人で頂こう。それで文句ないだろ、遠坂?」

「ふふん。観念したようね士郎。ええ、もちろんそれでいいわ」

 

 幸い中身はずっしりと詰まっている。少しくらい食い扶持が増えても問題は……。

 

「先輩――ッ!」

 

 続いて居間に響いたのは間桐桜の声。

 

「士郎。獲物の独り占めは感心しませんよ?」

「さ、桜っ!? それに……ライダーまでッ!?」 

 

 桜がライダーを連れて、廊下から勢いよく飛び込んで来た。

 

「サクラ。急いで戻って来て正解でしたね」  

 

 ライダーが眼鏡越しに俺たちを見据えながら、桜を桐の箱のほうへと誘っている。

 そうだった。この牛肉を受け取ったのはライダーだったのだ。箱を受け取って直ぐに姿を消したので安心していたが、まさか桜を呼びに行っていたとは……。

 

「先輩。とても美味しそうな牛肉ですよね」

 

 桜の目が輝いている。

 

「……」 

  

 ここは一度落ち付いて状況を整理してみよう。

 現状衛宮家の居間に集まっているのは衛宮士郎。遠坂凛。間桐桜。そしてそれぞれのサーヴァントであるセイバー。アーチャー。ライダーの六名だ。

 テーブルの上には各々の目当てである高級和牛が鎮座なされている。

 ちなみに中身はずっしりだ。

 なら丁度いいかもしれない。本当は夕食時に揃った時、みんなで食べようと思ってたんだ。今はちょっとだけセイバーと味見するつもりで決して全部食べようとか、そんなことは考えてなかったんだ。

 ……本当だぞ。

 皆で争うのは精神衛生上よろしくない。ここは大人しくみんなの軍門に下っておこう。

 

「…………まあ、みんな揃ったのなら幸いだ。仲良く食べることにしようか」

 

 そう言い放った直後、その言葉を待っていたかのようなタイミングで、更なる珍入者が二人も衛宮家の居間に現れてしまった!

 

「坊主っ! その話、俺にも一枚噛ませろっ!」

 

 一人は天上裏から忍者よろしく、颯爽と居間に飛び降りて来た。

 現れたのは長身痩躯の大男。

 男は降りてくるなり素早く肉を視界に収め、そしてそのままニヤリと笑った。

 

「――旨そうじゃねえか!」 

 

 その男とは言わずもがなランサーである。

 あともう一人は……。

 

「……フフフ。坊や。良い肉の調理方を教えて貰いに来たわ」

 

 空間を渡ったのかのように、忽然と居間に紫のローブが翻った。ローブの主はランサーの隣にそっと姿を止めると、肉のつまった桐の箱に視線を落とす。

 

「あら、本当に綺麗な朱色ね」 

 

 突然姿を現わしたのは勿論キャスターだった。

 

「おまえら……何で……」

 

 突然の事態に半ば呆然としてしまう。

 そんな俺に向かって、ランサーが豪快な笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

「そりゃ、戦士だけが備える第六感ってヤツだ」

 

 第六感? そんなもので天上裏に潜んでいたのかこの槍兵は。だがそんなランサーを馬鹿にするように、キャスターが呆れた視線を向けてくる。 

 

「ランサー。貴方は戦士というよりも猪武者ね。第六感じゃなくて卑しい野生の感でしょう?」

 

 そう言われては、さすがにランサーも黙ってはいない。 

 

「なんだとキャスターっ。じゃあテメエは何でここに居やがるんだ?」

「決まっているじゃないの。私は水晶球で覗いていたから現状を把握していたのよ」

 

 しれっとキャスターがとんでもないことを言った。

 覗いてた? 誰が? 何処を? っていうか、アレとかソレとか見られてたっ!? 

 

「キャスターっ!? の……覗いてたって、どうしてっ!? って言うか何でっ!? いっつもそんな事してるのかお前はっっ!」

「やあね坊や。偶々よ。た・ま・た・ま。そんな人を趣味の悪い人みたいに言わないで頂戴」

 

 心外だわとキャスターがわざとらしく嘆息してみせる。いや溜息をつきたいのはこっちの方だぞ。

 丁度その時である。クイクイと袖が引っ張られる感触が俺を襲ったのは。振り向いてみれば、セイバーが俺を真摯に見上げていた。

 

「どうした、セイバー?」

「シロウ。何となくですが……このまま行動を起こさないと、どんどん人が集まってくる予感がします」

 

 セイバーの直感。それは未来予知じみて正確だ。

 これ以上の侵入者の増加は衛宮家の崩壊を意味する。なら状況が悪化する前に――金ぴかとか、性悪シスターとか、虎とかその弟子とかが現れる前に元凶を断つコトにしよう。

 

「……仕方ない」

 

 俺はそっと箱を持ち上げた。

 

「合計八人か。これだけの人数で食べるなら、鍋か……鉄板焼きにでもするか?」 

「お! 鍋か! いいね! 坊主にしちゃ良いアイデアだ」

 

 俺の言葉を聞いたランサーが大きく頷いている。そして満面の笑みを浮かべながらバンバンと俺の肩を叩いてきた。 

 

「そうね。士郎にしたら楽しそうな催しものじゃない」

 

 遠坂も乗り気になっている。だけどキャスターだけは不満げに唇を尖らせていた。

 

「鍋? 折角の上物なのに煮るだけなの? そんなものよりもっと凝ったものにしなさいな、坊や」  

 

 そんなキャスターに向かって“何も知らないのだな”とアーチャーが詰めよって行く。 

 

「やはり魔女だな。鍋の奥深さを知らないとは。浅慮というよりも愚かしい。やれやれ困ったものだ」

「……何よアーチャー? 鍋の奥深さですって?」

 

 魔女の凍るような視線を受けて、弓兵は不敵に笑う。

 

「ああ、そうだ。鍋とはなキャスター。もはや日本においては一つの文化なのだ。単なる料理という枠を超えて様々なライフスタイルを形成する一因であり、食べ方一つ、作り方一つとっても色々な手法があり凝り方がある。――煮るだけだと? 馬鹿を言うな。お前は“鍋物”の真髄を欠片も理解していない」

「……言ってくれるじゃないの」 

 

 二人の間で見えない火花が散っている。 

 

「――そう。そんなに言うのならその奥深さとやらを見せて貰いましょうか、アーチャー。まさかここまで私を愚弄しておいて“出来ない”なんて言わないでしょうね?」

「無論構わない。だが実際に作るのはあの小僧だ。それでも鍋物の神秘、その一端は感じることが出来るだろう」 

 

 会話を交わした後、アーチャーとキャスターの視線が俺を捉えていた。

 ……俺が動くと、二人の視線も追ってくる。

 

「それじゃ坊やのお手並を拝見ね」  

 

 キャスターの試すような声。

 俺は何となく居たたまれなくなって、逃げるように台所へと向かった。

 

「じゃあ……用意して始めようか……。セイバーもそれでいいか?」

 

 ここで彼女の意見を聞かない訳にはいかない。

 

「問題ありません。シロウの作る物に不満などあろうはずがない」

 

 絶対の信頼をセイバーは置いてくれているようだ。

 さっきアーチャーが何か言っていたが、ぶっちゃけ煮るだけだからなぁ。まあ素材が良いので、それでもとびきり美味いはずではある。

 

「遠坂。桜。悪いけどちょっと手伝ってくれるか?」 

 

 こうして衛宮の家で季節はずれの鍋パーティーが催されることになった。

 

 

「なんだこの肉っ! メチャクチャ旨えじゃねえかっ!」

 

 テーブルの中央に大きめの鍋を配置して、合計八人で鍋を突いている。食材は冷蔵庫にかなり余っていたので、この人数にも十分耐えられるだけの量があった。

 しかし主役は何といっても高級和牛である。その肉を口一杯に頬張っていたランサーが驚嘆の声を上げていた。

 

「へえ。煮るだけといっても案外馬鹿に出来ないものね」

 

 ランサーとは対照的に、上品に肉を口元へと運ぶキャスター。食べる前こそ渋っていたが、どうやら満足してくれたようである。

 

「士郎。どんどん食材追加しちゃってっ! 追いついてないわよ」

「ああ、わかってる!」

 

 遠坂に返事を返して、肉を中心に食材を加えていく。

 

「すき焼き風お鍋ですね。お肉以外の野菜にも味が染みていて良い感じです」

 

 普段あまり食に拘らないライダーも満足そうに頷いていた。 

 周りを見渡せば輝く笑顔ばかり。みんな美味しそうに、そして楽しそうに食べている。

 それは良い。それは良いんだけど、ここで疑問が一つ。

 何故だろうか、誰も何も言わずに、それが当然であるかのように、俺が“鍋奉行”になっていた。そこはかとなく赤いあくまとか魔女とか、かすかに陰謀めいたものを感じないでもない。 

 鍋を囲む人数が多いから作業が忙しくて、まだまともに食事にあり付けていない。だけどまあ、そこはあまり気にしない方向で行こう。俺も鍋奉行って役割が嫌いって訳でもないしな。 

 そう思ってセイバーに視線を移してみる。

 彼女は取り皿にある肉を見つめて、ちょうどそれを食べるところだった。

 パクっと口に含むセイバー。瞬間彼女の目が光り輝いた。あの様子を見るにわざわざ味を尋ねるまでもないのだが、折角の高級和牛である。

 やはり彼女の感想は聞いてみたい。

 

「どうだセイバー? 美味いか?」

「シロウ! この牛肉は……何といいますか、口の中で溶けてしまいますね! まるで淡雪のような感じです!」

 

 文字通りの満面の笑み。幸せそうに食事を勧めるセイバーを見ているだけで、こっちまで嬉しくなってくる。

 

「とても……とても美味しいですシロウ。ですが同時に若干の理不尽さも感じてしまいます」

 

 セイバーが一瞬睫毛を伏せた。 

 

「理不尽……? なんでさ?」

「ただ煮るだけだというのに、こうも違うものかと……」

「……ああ、そうか」

 

 どうもセイバーは昔の食事にコンプレックスを抱いている節がある。だけど当時は香辛料も満足になかった時代だ。味を厳選するような余裕も無かっただろう。

 

「んー。このへん、いいかな」 

 

 俺は鍋の中から頃合の良い肉を見繕って、セイバーの皿に移しながら話を続けた。

 

「今は各種調味料もあればダシもタレもあるしな。単純に当時とは比べられないさ。それより無くなる前にどんどん食べてくれセイバー」

「あ……ありがとうございます、シロウ」 

 

 と笑顔に戻ったセイバーが箸を伸ばす。それを見つめながら俺も折角の高級和牛を味わいたいと、端に寄せていた肉に箸を伸ばした。

 だがその時――

 

「待て、衛宮士郎!」

 

 赤いアイツが口を挟んできた。

 

「待つんだ、衛宮士郎。その肉だが、あと二十秒は煮なければならない」

「……十分に火は通ってるぞ」

 

 鍋からは良い匂いが漂っていて食欲をこれでもかとそそられるのだ。もう二十秒なんて待って入られない。

 俺は奴を無視し、箸で肉を取ったところで――なんと、それをアーチャーが横から掻っ攫っていきやがった。

 

「ああっ! 何するんだアーチャー!?」 

 

 肉を問答無用で口に入れるアーチャー。モグモグと奴の口が動いている。

 そして飲み込んでから一言。

 

「やはり……後十六秒は火を通さなければならなかったか……」

 

 無念そうに箸を握り締めているアイツ。

 それから真面目な顔になるや、アーチャーは俺を見据えてきた。 

 

「――鍋を十分に管理出来ないなど、鍋奉行として失格だぞ」

「そんなに言うんなら、オマエが煮ろっ!!」

 

 俺の叫びなんて何処吹く風と、アーチャーがやれやれと肩を竦めている。

 

「良いか、衛宮士郎。鍋奉行なんてものは、煮てしまった物を皆に都合よく振り与えるだけの存在だ。その方法では美味しいもの、食べたい物を食すことは出来ないし、元よりそれが鍋奉行の限界なのだ」

「何を……言ってるんだアーチャー?」

「場を仕切る事で食すことが出来るのは、余った物だけと知れ。お前は――お前が食したいと思うものをこそ絶対に食べれない」

 

 アーチャーの言うことは真実だ。

 現に俺は、未だ牛肉を食していない。

 

「っていうかアーチャー。お前、鍋奉行になりたくないだけだな?」

「フッ。真実を言い当てるとは、少しは成長しているということか」

 

 嫌味な笑みを浮かべたアーチャーは、そそくさと鍋の中の食材を取り皿に移していく。

 その流れを傍から眺めていた桜が

 

「そ、そうだ先輩。鍋の最後は雑炊にします? それともおうどんにしましょうか……?」

 

 と話を逸らしてくれた。

 

「雑炊、いいですね。ダシがご飯に染みて良い味になりますし」

 

 ネギを口に放り込みながらライダーも頷いている。

 だがキャスターが、これまたネギを食しながら異論を唱えた。

 

「私はうどんの方に興味があるわ。宗一郎様がお好きなので」

「異論があるというのですか、キャスター?」

「あらライダー。私は自分の意見を述べただけよ?」

「……」 

 

 ライダーとキャスターの視線が空中でぶつかり合っている。

 この二人は何かと相性が悪いからなぁ……。しかし傍観していては衛宮の家が破壊され兼ねないので、何とか二人の間に割って入った。

 

「待ってくれ。実はご飯は炊いてないんだ。うどんも……冷蔵庫になかったと思う」

「――ッ!!」

  

 何故だろうか。静寂が居間の中に降りてきた。

 

「何だって!? ご飯もうどんもないだと坊主っ!!」

 

 静寂を真っ先に破ったはランサーの絶叫。

 

「衛宮士郎。その所業、鍋奉行失格どころではないぞ」

「鍋の締めは重要だろうが、坊主」

「……それはそうだけどさ、予定になかった食事会だし……」

 

 何でみんなそんなに驚いてるんだみんな? そんなに重大なことだったのか?

 アーチャーなんて大変気色ばんでいるし……。

 続いて女性陣からは盛大な溜息を吐かれてしまった。

 

「どうしたんだ、みんな……?」

 

 グツグツと鍋の煮える音だけが響く。

 そこで遠坂が 

 

「ねえ士郎。うどんくらいなら買ってこれるんじゃない?」

 

 遠坂の目がちょっと怖かった。 

 

「……まあ、商店街まで行けば売ってると思うけどさ」

「鍋奉行として、この失態の責任は取らなくちゃね?」

 

 失態? これって失態なのか?

 

「でもさ、遠坂――」

「はい、先輩。これ自転車の鍵です」

 

 桜が笑顔で自転車一号の鍵を差し出している。その表情を見ていたら鍵を受け取らざるを得なかった。

 

「…………ありがとう、桜……」

 

 俺に突き刺さる七人の視線。 

 結局俺は、うどんを求めてマウント深山商店街まで自転車で走る事となった。

 

 

「何だよ。俺ほとんど食ってないのに……」 

 

 愚痴を零しつつも、一路坂道を下って商店街を目指す。

 風を切りながら自転車で爆走し、スーパーでうどんを10玉購入。

 ――急げ、急げ。

 空腹も手伝って、残されていた残り少ない体力が更に消耗されていく。だけどあまり時間をかける訳にもいかない。

 待たせると後が怖いし、なにより肉が消費される前に戻らなければっ!

 結局、往復にかかった時間は二十分弱。

 必死に自転車を漕いでうどんを買って戻って来てみれば――

 

「…………嘘だろ?」

 

 あまりの衝撃に、ドサっとうどんを入れた袋を落としてしまう。

 俺を出迎えたのはカラッポの鍋。

 残っていたのはダシの十分出た汁のみという世にも恐ろしげな光景だった。

 

「お帰り、坊や。待っていたわ。早速うどんすきにしましょう」

 

 キャスターが俺の落としたビニール袋を拾っている。

 

「ま、待ってくれ! 肉は? 高級和牛は!?」

「遅かったな、衛宮士郎。時既に遅しだ」

 

 アーチャーがふっと目を伏せた。

 

「何……言ってるんだ? あれだけ、いっぱい、あったんだぞ?」 

 

 そんな馬鹿なことがあるはずがないと、奪うようにお玉で鍋を掬う。

 一切れでもいいんだ。残っててくれ。だがその願いは天には通じなかったようだ。俺は鍋底から肉の一切れどころか、野菜のカケラすら発見することは出来なかったのである。

 

「ちくしょう……腹……減った……」 

 

 ガックリと肩が落ちる。

 精根尽き果てて、立ち上がる気力さえ無くなった。だけどそんな俺の目の前に、スッと一つの取り皿が差し出されてきた。

 

「シロウ、よろしければこれを」

 

 セイバーが差し出しているそれには、残されていた鍋の中身が詰まっていた。まだ暖かくて、とても美味しそうである。

 

「……え? それ……いいのか、セイバー?」

「はい。シロウの分にと残しておきました」

 

 ああ、セイバーの笑顔がとっても眩しい。

 

「……ありがとう、セイバー」 

 

 俺は有り難くセイバーから取り皿を受け取った。

 肉はたった三切れ。それでも十分だった。

 俺は残った最後の肉――高級和牛を貪るために箸に取った。 

 

「いただきます」 

 

 そうして今日始めての肉を食べようと箸を近づけた時……。

 

「なん――だって!?」

 

 箸から腕に伝わる僅かな衝撃。

 突如現れた謎の影が、どーんと横からその肉を口に咥えて掻っ攫っていったのだ!!

 飛ぶように現れた乱入者の口がモグモグと動いている……。

 そしてゆっくり噛んで、味わってから飲み込んでしまった……。

 

「へえ、結構良い肉を使ってるんだね」

 

 乱入者は銀の髪を靡かせて、勢いよく俺に抱き付いて来る。

 

「…………イ、イリヤ? どうして、ここに?」

 

 左手には野菜だけが残った取り皿。右手には何も掴んでいない箸。そして胸元には飛び込んで来た子悪魔。

 

「商店街でシロウを見かけたから追いかけて来たのっ! ん? どうしたのシロウ? なんだかひどく疲れてるみたい」

 

 抱きついたまま、見上げるようにして赤い瞳を向けてくるイリヤスフィール。

 無邪気だ。とっても無邪気だった。

 

「……はは、……はは、は」 

 

 何故だろう。急速に意識が遠くなり、そのまま背中から倒れてしまう。

 

「シロウっ!」「士郎っ!」「坊主!」「坊や!」「先輩!」

 

 色々な声が耳に届くが、幻聴のように遠くから聞こえるのみである。

 脳が拒否しているんだな、きっと。

 それにしても……お腹空いたなぁ……。

 結局、俺は一切れも高級和牛を食すことなく鍋パーティーはお開きとなった。

 教訓。食える時には食っとけ。

 これは余談ではあるが、最後のうどんすきはセイバーも満足の一品で大変美味しかったと付け加えておこう。

 ガクッ。

    

 

  

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